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「ジーン、ちょっとこっちを手伝ってくれる?」

 チェックアウトするお客様の荷物を運び終えたところで、フロントのヴァネッサに声を掛けられた。
 ホテルのエントランスには毎年恒例のクリスマスツリーが、左右に分かれた階段の中央に設置されている。宿泊客だけでなく、ロビーラウンジのレストランの利用客(はたまたツリーを見学にきただけの観光客)も足を止め、ときにスマホのカメラを向ける。ホテル内の空気はホリデーシーズンに浮き立っていた。

「もちろん」ジーンはヘーゼルアイを細め、にっこり微笑んで求めに応じた。

 いつもどおりの笑顔のつもりだったが「何だかご機嫌ね?」とヴァネッサが不思議そうに小首を傾げる。
「ええ? そうかな。いつもどおりさ」と見え透いた嘘を吐くと、大人な彼女は「そうね。聞かないわ」と笑ってくれた。

 自分でも今朝から落ち着きがないことはわかっていた。いや、今朝なんかよりもっと前……ジーンの職場である、このトリントンホテルに〝ザック・ファレル〟の名でふたたび予約が入った二週間前からだ。

 チェックインの予定時刻は15時だから、彼がやって来るまでにまだずいぶんと時間がある。忙しくしていればあっという間に一日が終わっているというのに、今日ばかりはそういうわけにもいかなかった。

 ザックは本当に来るのだろうか――予約はキャンセルになっていないのだから、来るのだろうけれど――1か月前の約束を覚えているだろうか。
 不安と期待が綯交ぜになって、この1か月を指折り数えて待っていたのが自分だけだったとは思いたくなかった。



   *

 
 ――1か月前。

 友人のジョージと連れ立って金曜の夜に飲みに出掛けたのは、決して男を引っかけるためではなかった。
 ジョージが久しぶりに外で飲みたいと言うので、彼に誘われるままにゲイ・バーに向かった。
 行きつけと言うほど行ったことはないが、ジョージや他の友人と何度か来たことがある。奇抜な格好のDJや大音量の音楽、ドラッグクイーンショーがあるわけではなく、比較的落ち着いた雰囲気の古い店で、ジーンも気に入っていた。

 ジョージがふたり分の飲み物のおかわりを買いに席を離れてしばらく。手元のモバイルのメッセージを確認していると、目の前にビールの瓶が差し出された。

「ああ、サンキュ」
 当然相手がジョージだと思っていたジーンはビールを受け取ろうとして顔を上げ――目の前の男が黒い巻き毛でも、たれ目でもないことに気付いて目を瞠った。
 そして、男が誰なのか気付いた瞬間、息を呑む。

 白っぽい金髪を後ろに撫でつけたスーツの男は、たしかに見覚えがあった。
 淡いブルーグレーをした目は切れ長で、すっと通った鼻筋。唇は薄く、ハッとするほど整った顔立ちだが、どこか冷たい印象だ。

 一昨日、ジーンの働くホテルにチェックインしたお客だった。
 予約名はたしか、〝ザック・ファレル〟――いい男のことは(とりわけ好みであった場合はとくに)覚えている。

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