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緩急剛柔

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 ご主人が忍術育成学校の演習場で秀秋相手に刀の稽古を付けていたが、突如乱入する人物が現れた。

◇◇◇◇………… 富田宗高(小太郎)

「く……くるなッ!」
 スタスタと、そのまま悠然と歩みを進める。焼け焦げた地面をしっかりと踏みしめるようにして、彼の忍術を全てねじ伏せた証拠を刻むようにして、俺は彼の元へと向かっていく。

 すでに決着はついた。彼の心は打ち砕かれ、俺に勝てないと心に刻まれたのだ。

「小太郎!! 危ないッ!!!」
「小太郎!!」
「小太郎 んっ……!!」

 それは三人の声だった。ちょうど皆の対角線にいる生徒が俺に対して忍術を行使したのだ。それこそ、第三者による妨害と言っていいだろう。でも俺は別にこのことを予想していないわけではなかった。ここにいるのは、又兵衛、市兵衛、小次郎を除いて俺が気にくわない生徒ばかり。ならば、このような状況になれば卑劣な手段に出ることは可能性として考えていた。と言っても、俺からすればそんなものはただ甘いものでしかないのだが……。

「……大丈夫だ。この程度でどうにかなりはしない」

 余裕を持ってそう呟くとその忍術を視界に捉えることなく、《富田江》を後ろに向かって薙ぐ。現在この空間は秀秋が使った忍術によって火勢が溢れている。特に火術の属性を組み込んでいたため、今この空間は火術の忍術が比較的容易に使用できる。

 だからこそ、俺に向かってきたのは火炎手裏刀だったが、そんなものは俺には通用しない。彼にしたように《富田江》で切り裂いて対処した。

「「「なぁ……!?」」」

 その声は、その忍術を放った人間のものだろう。感覚の研ぎ澄まされた俺にはすでにある一定の領域の忍術の流れ……具体的に言えば、忍術の根幹である【源気】の奔流は完璧に把握できる。

 完全に力を取り戻したわけではないが、それに限りなく近い俺は淡々とした足取りで彼の前にたどり着く。
 妨害をしてきた生徒も、他の生徒たちも唖然としたのかもう何もしてこないようだった。

「ひッ……!」
 刀をスッと向ける。そして俺は、こう告げた。

「秀秋。俺の勝ちでいいだろうか?」

「あぁ…、俺の負けで構わない……と……でも言うと思ったかぁあーーーあッ!」

 その刹那、火炎手裏刀を発動。時間にして一秒にも満たないそれは、怯える振りをして、俺をおびき出して油断したところを狙う。非常に合理的かつ、有効な手段だ。どうすれば俺を倒せるのかとよく考えられている行動だ。
 それこそ、この戦いに明確なルールはない。卑怯な手段など……、むしろ褒められるか……。

「な……はぁ……消え、た……だと!!?」

 刀を握っていない、左手に【在の印】を結びスッと横にズラすとその忍術は搔き消える。先ほどの現象と同様に、この世界からは源気が雲散霧消する。

「忍術の無効化……!!? そんな技術、聞いたことないぞッ!!?」

「厳密に言えば、無効化ではない」

「じゃあ……分解なのかッ!!!?」

「いいや分解でもない。言っただろう、世界の広さを教えると。君の見ている世界は全てではない。そして俺もまた世界の広さを教えると言ったが、俺自身もまだその広さの前にただ圧倒されている者にすぎない。互いにまだ、途上の身の上だ」

「どうしてッ……お前ッ! 本当は、術師なんだろうッ!? 術師の隠し子だろうッ! あぁッ!」

「違うさ。たぶん、生まれは間違いなく富田高定の一人息子。でも、陰陽師としての素質はあるかもね、術師でなくても忍術は使えるし、俺はこうして……戦うことができる。生まれは大事だろう。でも、それが全てではない。不遜な言葉で申し訳ないが……秀秋、君はそれを知ればもっと成長できると思う」

「…………俺は一体……」

 もう抵抗する様子もない。
 ただ生気が抜けたように、その場に伏せる秀秋。そうして彼は地面に伏したまま慟哭どうこくに浸る。
「うぁあーーーーーーーーああッ!」
 悔しいのだろう。見下していた卑怯者の息子に完敗を喫した。彼は優秀な術師だからこそ、理解できたのだ。俺との間に存在する、明確な隔たりを。それは彼が追いつけるのかすらわからない差だ。
 でもそれを認識できるのなら、いい。その悔しさをバネに、君はまた戦える。学ぶことができる。
 一度の敗北が、死に繋がる演習場ではないのだから。だから今は……涙を流すのも、必要な時だろう。

「小太郎! 大丈夫なの!?」

「お前、あの炎のカエルを切り裂いたよな!!? どうなってやがる!!?」
「小太郎くん……あなたは、一体……?」
 遠目から見ていた、又兵衛、市兵衛、小次郎がやってくる。
 ここまで見せたのなら、もう隠す必要はないのかもしれない。もうよかった。別にバレてもいい。俺は仲のいい三人を騙して、生活をしていた。でもそれはきっと破綻する。ずっと前からわかっていた。もちろん全校生徒に公開する気は無いが、この仲間たちになら……俺の全てを知ってもらってもいい。そう思えるほどに、大切な人ができた。

 だから俺は……自分の素性を明らかにしようとするも……。

「なッ!!?」
「きゃっ!!」
「うおっ!!」
「……えっ!!!?」

 その重圧は、普通の人間は耐えきれないだろう。すぐに俺以外の全員はその場に叩きつけられるようにして、地面に伏せる。周りにいた生徒もすでに気を失っているのか、バタバタと地面に倒れていく。
 今この場で意識があるのは、俺たち四人だけだった。
 するとどこからともなく、まるで影の中から現れたかのように、聞き覚えのある声が耳に入ってくる。
「ははは……素晴らしいな。いや、素晴らしいとも。いい友情だ。しかし、君たちはこれから私のための生贄になるんだ。いや決して悲観することはない。偉大な忍術の発展に貢献できるんだ。誇らしいとは思わないか? そうだろう? なぁ、小太郎」

「あなたはッ……!!」

 この状況下で、動けるのは俺だけだった。
そして感じ取る。これはもはや……尋常では無いのだと……。それと同時に懐かしい感覚に浸る。それこそ、文禄の役での演習場と同等の圧力。これは死の臭いだ……。
「さて、さて。君たちはどう処理しようか……まぁ、でもとりあえずは小太郎をどうにかしないとな。お前はなぜか動けるようだしな……ふふ……」
 スッと眼を細める相手。それを見て悟る。こいつはもう……普通ではない。明らかな殺意が込められた視線。それは秀秋の比ではない。何度も目撃してきた……これはすでに、殺戮に慣れている者の視線だ。
「信也教官……あなたが、そうでしたか」

「ふふ。心踊るだろう? さぁ存分にやりあおうではないか」

 山中信也教官。彼のその姿は、あの教室で見えていたものとは天と地ほどの違いがある。それはその不敵に微笑む顔を見ればすぐに理解できた。
(やっと見つけたぞ元人界守初江王。今はショコエルか)
 解放するしか、無いのか……。

 響き渡る刀戟の音。

小太郎が突くそして、そのまま更に一歩踏み込み、突きから『し』の字を描くように、一度落とした刀を強引に上へと切り上げる。
 信也教官の左手首を斬り飛ばした。だが、それは罠だった。左手を捨てて、小太郎ですら認識できない速度での蹴りが、小太郎の左足を襲う。

「ぐっ」

 思わず、右足一本で後方に退いて距離を取る小太郎。その左太ももの外側が、深々と切り裂かれている。信也教官は、つま先に刃物でも仕込んでいるのかというほどに、深々と……。

 距離が取られ、しかも足を痛めたことによって一気に突っ込んでくることはないだろうと判断したのだろう。信也教官は、悠々と、斬り落とされた左手を地面から拾い、手首にくっつけた。

 山中信也の体だからか、再生はしないようだが、斬り落としても簡単に接合できるらしい。

「それは卑怯ひきょうです!」小太郎が指摘する。

「いや、そう言われてもな。これも含めて、俺だ」信也教官が言い放つ。

【完全回復】

 遠くから今の人界守初江王の声が聞こえ、仏法が奔はしる。『長距離人界王の慈悲』による、小太郎に狙いを定めた治癒。一瞬で、切り裂かれた右足が回復した。

「いや、お前も卑怯だろう!」

 信也教官が指摘する。

「いや、そう言われても。これも含めて、審判者ですから」小太郎が言い放つ。

 演習場で戦っているのは、すでに小太郎と信也教官だけだ。信也教官が生み出した『呪陰兵』は、すでに全て消失したまま。唯一生きているショコエルは……信也教官に乗り移って戦っている……。

 今までの展開を考えると、さすがに信也教官も、不思議に思う部分がある。

(足が滑ったのは地面に氷を張られたからだ。それはいい。問題は、動けなくなり、学校の周りに配置していた呪陰兵まで消えちまったことだ。『気力』を奪われたとみるべきだろうが……どうやって? そんなこと、天上人すらできなかったぞ?)

 答えは分からない。分からないが、現実的にはそれでは済まない。何とかしなければならないのだ。他には誰も助けてはくれないのだから。(まあいい。解決法はある)

そこで一息ついて、呟いた。

「あの法術使いを殺せばいい」
 実は、その答えは全く論理的ではない。この現象が、錬金術によって引き起こされた現象であれば、小太郎を殺しても解決しないのだから。とはいえ、小太郎を殺し、残りの人間たち一人一人に『聞いて』いけば、解決するかもしれない……。

 つまり、全く論理的ではないにもかかわらず、問題を解決する方法としては、ある種の正解でもあるのだ。答えは一つとは限らない。

 とりあえずは……。

「やはり……力で主張するしかないな」

「言いたいことがあるなら、刀で言えというやつです」信也教官が禍々しく笑い、小太郎がニヤリと笑って答える。

 一気に間合いを詰めたのは信也教官が先、小太郎の間合いを侵略し、その初手は下からの切り上げ。
 これには小太郎も対応が遅れた。普通は、初手に切り上げはあまりない。打ち下ろしか突きから入ることが多いからだ。

 完全に、力が乗った切り上げを富田江で受けることになった……。

 決して華奢ではないが、まだ元服を終えたばかり小太郎……切り上げを受け、ダメージは無いが、体ごと吹き飛ばされる。
 小太郎全体の質量を上回る力を加えられれば、吹き飛ぶしかない。これが、攻撃を想定していたものであれば、力が乗り切る前に受けるなり、切り上げられた刀を流すなり方法はあったのだが……。

 吹き飛ぶ小太郎。

 当然、そこに追撃を加える信也教官。一気に地面を駆け、吹き飛ぶ小太郎の下に走り込み、刀を突き上げる。

フッ。 小太郎はいない。

 その瞬間、信也教官が前方に飛び込み、受け身を取って立ち上がったのは、考えての行動ではなかった。勝手に体が動いた。これまでに蓄積された経験が、無意識に体を動かしたのだ。

 元居た場所を横薙ぐ氷の刀。

 信也教官の直感は間違っていなかった。そして、信也教官の直感は、さらに警鐘を鳴らす。
「気を付けろ」と。

 【錬気】によって細かな【源気】を纏まとった小太郎が、瞬間移動のように飛び込む。
 一撃目は、信也教官同様の切り上げ。

「なめるな!」怒鳴って、小太郎の切り上げを完全に受け止め、切り返しで事を決しようとする信也教官。

 しかし……。氷の刀は、信也教官の刀をすり抜けた。

「馬鹿な」信也教官が、小太郎の持つ刀の刃は、そもそも付喪四魂自身が生成しているものだと気づいたのはすぐであったが……それでも遅かった。

 一刀両断。

 左腰から右肩に斬り抜ける。返す刀で首を刎ねた。

(くそ! 再生も接合もせん! やはり力がなくなっている。だが、まだだ、まだ終わらんぞ)

 切断されながらも、体は宙に浮いたまま、小太郎に正対している。信也教官は唱えた。

 【黒色爆裂砕・極】

 それは、自身の身体を使った自爆攻撃。

 だが……。 想定通りに動かない。

「なぜだ?」

 それは、信也教官にも想定外の状況。しかし、すぐに気づいた。この体の気力の流れが変であることに。

「体の気力が制御できん? ショコエル?」

 山中信也の体を乗っ取り、動かしている元人界守初江王。今はショコエルと名乗る人外にあえて言葉を発して呼びかける。

「この体は……私のものだ……好きにはさせない」

口が動き、そんな言葉が紡がれる。だが、ショコエルの声ではない。

外見相応の若い……。

「まさかこの状況で……人間の教官に奪い返されただと……」

今度は、ショコエルの声。

 一人の体から、若い声と人外の声が、交互に発せられる。

そして、若い声は……。

「私は山中山城守家臣、山中信也。人外の好きにはさせん」

「くそ。おい、信也さん、諦めて気力を離せ。このままだと暴走するぞ」

 ショコエルの声に、焦った声を発する信也教官。

 外から見れば、一人二役をしているかのような光景だが……。状況を理解している信也教官は、本当に焦っていた。

  【黒色爆裂砕・極】によって、異常な【錬気】が発生している。

 その状況で、気力の制御が半分失われた。失われた半分は暴走中。【錬気】とは【源気】を使い術を構成制御すること。
 理論を知らずとも、これまで何度も使ってきた信也教官は、その二つが密接な関係にある事は知っている。
 だから、【錬気】を扱うことに長けた人外の中には、物質を構成することができる者がいることも知っている。

 このまま進むと、まず発動者である自分はどこかの空間に飛ばされることになる。

さらに……。暴走した気力は、強力な力に引き寄せられる。

 この場で強力な力は……先ほどまで戦っていた小太郎か?確かにそうだが、暴走した気力は、人や人外のような生物ではなく、物に走りやすい。
 強力な力を持つ物といえば……小太郎が持っている付喪四魂の富田江があった。
あれに【黒色爆裂砕・極】の暴走が衝突したら……辺り一帯が……消し飛ぶ?

 あるいは、付喪四魂がどこかに飛ばされるか?暴走とは、何が起こるか分からないから暴走なのだ。

 それは、長い間、教官をしていた信也教官でも……分からない。

「おい、生徒全員! その演習場から離れろ! 暴走した気力が小太郎の刀に引き寄せられるぞ!」

 真面目に、信也教官は心からそう思ったから言ったのだ。
 元々は、自分の完全覚醒のために、この伊賀の国地域で四魂のかけらを集める予定だったのだが……その計画は頓挫とんざした。

 それどころか、自分の本体すら動かす事ができないほどの状況に追い込まれている。
 しかも、【黒色爆裂砕・極】を唱えたのは自分だ。

 ここで気力の制御を失ったために、【黒色爆裂砕・極】がどこに暴走しようが、信也教官自身は必ずこの場から消えることになる。

 結局、四魂のかけらは手に入らない。だから、自分は諦めた。
 どうなろうと、死にはしないだろうし……。そして、自分が覚醒できないのであれば、もう別に、人間どもがどうなろうとどうでもいい……。どうでもいいのだが……。

 なんとなく、辺り一帯が消えたら、元人界守初江王として寝覚めが悪い気がしたのだ。
 残酷で、破壊衝動が強くて、これまでにも多くの人間を殺してきた信也教官がだ。

 だが、因果いんがは巡めぐるのか。生徒達は、誰も信也教官の声を聞いて動いたりはしていない。

 信頼されていない。

 仕方ないだろう。それだけの事をしてきたのだし。「くそっ……」

「違う!」叫び声が聞こえた。

 声を出したのは小太郎。「飛ぶのはそっちじゃない!」などと言っている。

「は? 何を……」暴走した気力は、強力な力を持つ物に走る。

 この場で、最もその条件に当てはまるのは、あの刀だろうが?

 だが、信也教官はそこで気づいた。大きな見落としをしていたことに。

「そうか……。演習場には【兵】(十一面観音/八幡神・氣の通り道)の御神体があった」

「みんな!逃げろ!!」

 小太郎が叫んで防御の【土壁二重層】の術と、【黒色爆裂砕・極】の気力が暴走して、演習場の御神体に走ったのは同時であった。

 全ての音が消えた。

 そして……その場から消えたのは四つ。
 山中信也教官。 
 元人界守初江王ショコエル。
 又兵衛。
 そして、小太郎。


「「「小太郎……」」」
 市兵衛と小次郎そして、琥珀の呟き。

 小太郎とそして、誰にも気付かれなかった又兵衛は消えた。
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