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醍醐花見
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吾輩のご主人様が花見の季節になっても日本に戻ってこない……あ~~ぁ饅頭食いてぇ~~。
三月十三日に秀吉が島津義弘と島津忠恒へ蔚山・梁山・順天からの撤退を許さず、先の交渉役の沈惟敬との和議折衝で城塞の減少を命令したが今回は遼東境目まで進撃することを指示し、敵の劣勢を見計らって城塞の増築を命令した。
また兵粮・玉薬の蓄積と帰朝についての指示を与え、来年の大軍派遣予定を通知した。
更に島津義弘には加徳城の守備を、立花宗茂・高橋元種・小早川秀包・筑紫広門には固城の守備を堅固にすること、および両所は近隣なので談合しながら任務遂行すべきを命令した。
三月十五日に秀吉が醍醐寺三宝院において「醍醐の花見」を行なった。
醍醐の花見は秀吉がその最晩年に京都の醍醐寺三宝院裏の山麓において催した花見の宴で、
豊臣秀頼・北政所・淀殿ら近親の者を初めとして、諸大名からその配下の女房女中衆約千三百人を召し従えた盛大な催しで、九州平定直後に催された北野大茶湯と双璧を成す秀吉一世一代の催し物として執り行われた。
■■■■…………
さて、儂は豊臣家を発展させ、繁栄させなければならない。だが、その時限りでは駄目なのだ。繁栄させ続けなければならない。そのために、行わなければならないことがある。
子を作ることである。
これからの豊臣家の繁栄のために、子を作り、太閤としてふさわしいように教育を行わなければならない。
そのため、この豊臣家には子を作る相手を迎えるために、御奥がある。
御奥とは、太閤の妻となる女性たちを迎え入れる場所である。これを、南蛮人が男性が複数人の女性を侍らすことを「ハーレム」と言ったかな? ああ、多分そう言ったかな?
……だが、御奥と言うと、複数の女性が一人の男性を愛しているような、そんな砂糖のように甘い考えを持つ人もいるかも知れない。が、そんなものは間違いである。そんな考え、犬にでも食わせてしまうといいだろう。これは、ハーレムではなくあくまでも御奥なのだ。
では、御奥とはどんなところなのか? 言ってしまえば、伏魔殿である。見目麗しい女性たちが、太閤の寵愛を受けるため、自分が一番愛されるため、自らを磨き、他者を打ち倒し、権力の座をもぎ取るための場所である。
そして、今日もまた、儂はここに来た。普段は、この世の贅を尽くしたのではないかと思えるほど豪華な大広間が、今は地獄の中心部に思えてくる。
儂がいるところは最前列だ。もしかしたら、天皇の玉座よりも素晴らしいのではないかと思える椅子に儂は座っている。
花見奉行の責任者になった前田玄以が伏見城から醍醐寺へ行く輿の順序と神輿奉行の口上が大広間に声がよく響く。
「それでは、第一の輿は北政所様、神輿奉行は小出吉政と御輿添頭に田中吉政が当たります
第二の輿は西ノ丸殿(淀殿)、神輿奉行は木下延重と御輿添頭に石川頼明が当たります
第三の輿は松ノ丸殿(京極竜子)、神輿奉行は朽木元綱と御輿添頭に石田正澄が当たります
第四の輿は三の丸殿(さこの方)、神輿奉行は平塚為広と御輿添頭に片桐且元があたります
第五の輿は加賀殿(麻阿姫)、神輿奉行は……」そして、五番目の途中まで読み上げたところで……。
「あっ痛い!」と儂は声をあげてしまった。
「殿。どうかいたしましたか?」と口上役の前田民部卿法印が尋ねた。
「いや、気にするな続けよ……」
「はっ、では第五の輿……」と口上役が続けた。
儂の両隣を固めるのは、御奥にいる儂の側室である。だが、儂と一緒にいたいから隣にいるのではない。儂を逃さないために、隣にいるのだ。そして、袖から儂の脇腹を抓った側室に綺麗な服を買うてやるから少し辛抱するように話した。
そう、儂の隣にいる側室達こそが、今日の主役である。儂は、それを一番間近で見ることを強要されているのだ。なお、儂以外の御奥にいる人間も、これを見ている。ただし、儂よりも後ろでだ。出来れば儂も、そこに混ざりたい。
ああ、なんと恐ろしいところだろう。そして、今日も御奥で恐ろしい戦いが始まろうとしている。儂は、それを見るたびに恐怖を覚えている。どうか、この身にその牙が向かないようにと。
御奥の中央に存在する大広間。何か催し物があれば使われていた場所だ。それ以外では使われることは滅多になかった。しかし、ここがよく使われるようになっていった。
そう、恐ろしい争いの舞台としてだ。そうなった原因は大坂城二の丸に住む茶々が伏見城に来るとこの大広間を我が物顔で使用しているのを伏見城松ノ丸に住む竜子が面白く思っていないからで、儂も詳しく知らない。
さて、主役である二人の目には、燃えるような光が宿っている。それは、これから始まるものを期待してのものだろうか? どちらにせよ、儂はそれに恐怖しか感じない。
時間が迫っている。刻一刻と、ああ、始まってしまう。主役の二人が儂を挟んで視線で戦っている、颯爽と目の前の舞台から輿へと入っていく。
一人は、西の丸殿こと『浅井茶々』。女性にしては高めの身長と、それに比例したいい意味で豊かな体。そして、その気性は燃えるように激しい。
もう一人は松の丸殿こと『京極竜子』。小柄で、西の丸殿とは対照的に深い森のように静かな女性である。しかし、一度決めたことに対しては、千年を生きる大樹のように動かない芯の強い部分がある。二人とも儂の側室であるが、城内にでは争わない決まりとなっている。これは、御奥にいる皆がそうである。
しかし、戦いの始まりだ、何故か?
唐入りが思うようにいかなかった儂は、気晴らしのため、愛する御家族を引き連れて花見に出かけることにした。すでに吉野山については、文禄三年に大名・小名を引き連れて御見物していましたので、今回は京都南郊の名所、醍醐寺に行くことにした。
醍醐寺は笠取山一帯に広がる巨大な寺院で、真言宗小野流醍醐派の総本山で、貞観十六年に修験道の祖・聖宝が山頂に草庵を建てたのが始まりで、時をへて、ふもとに大伽藍が造営され、山頂のほうを「上醍醐」、ふもとのほうを「下醍醐」と呼ぶようになった。
儂は前年より事前に何度か醍醐寺を訪れ、入念な下見を行い、自ら暗殺者が紛れ込む箇所を見つけ、異常がないかを確かめることもありましたが、それより何より「どうすれば家族を喜ばせることができるか」に重きをおいていた。
特に、御年五歳になられた愛児・秀頼のことで、年をとってからの子供はかわいいと申しますが、儂の親バカぶりは「おかか(淀殿)から聞いたぞ。おまえの言うことを聞かない侍女が四人もいるそうだな。おととが全員たたき殺してやるから、そいつらを捕まえさせて縄でしばって待っていなさい」と手紙に書いて伝えるほどに。
その儂が醍醐寺を訪れて驚いたのは、桜の多さではなく、寺の粗末さじゃ。
「なんじゃこれは。ボロボロじゃのう」
醍醐寺座主の義演は困ったように言いよった。
「数々の戦乱のため、建物は燃やされ、荘園は奪われ、もはや再建する財力も気力もございませぬ」
「われら武士のせいで寺が荒廃したと申すのじゃな」
「めっそうもない」
「分かったわい。再建してやるわ」
儂は三宝院や金堂など諸堂の再建を命じ、三宝院庭園を造営、畿内各豊臣家から桜の木を一週間で七百本集め、境内に植えさせ、花見の準備は着々と進めた。
支度は主に前田玄以が行ない、助けに浅野長政、石田三成、増田長盛、長束正家という、いわゆる五奉行に担当させた。
そして、懸案の側室たちの衣装の調達については、薩摩の大名・島津義久にお任せた。
「やってくれるか?」
儂から命じられて島津は、喜んでいたと思う、知らんけど……。
「身に余る光栄でございます」
「女房衆は、ざっと千三百人いるが」
「千三百人 と、おっしゃいますと、千三百着も!」
「いや。こやつらがみな、二度ずつ衣装替えを行うゆえざっと四千ほど……」
「ひえっ!」
うむ、島津はどうやら喜んでやってくれそうじゃ、京都の一流職人に誂えさせよった。かなり金があるかかりそうじゃが九州の侍は太っ腹じゃのう……。
(義久は今で言う一流ブランド店に注文を出したので、多分藩の財政は火の車となったと思う、知らんけど……)
◇◇◇◇
なんとか花見の日に伏見城から醍醐に向けて、長い長い行列は出発しました。
「三月十五日に太閤殿下が醍醐寺にお花見にお出かけだそうだ」
うわさはとうに近郊の人々に広まっていましたので、ものすごい見物人です。
沿道には幕が張られ、増田長盛・京極高次・福島正則・蜂須賀家政らが軍勢を率いて警護にあたりました。
「ちぇっ。警護の武士ばかりで太閤殿下やお姫様ら、見えないじゃないか」と不平を言う町人に、別の町人が言いました「花見会場へ行けば、見えるだろう」と……。
するとその近くにいたお坊さんが親切に教えていました。
「残念だが、男は花見会場には出入りできないようだな……」
町人は不満そうでした。
「そうなんですか。北野のときは誰でも自由に出入りできたのに……」
十年ほど前に、京都の北野天満宮にて大茶会が開かれたことがありました。いわゆる北野大茶湯では、貴賤を問わず、誰でも参加できたんですが、今回は警備の武士を除いて男子の入場を禁止しました。
今回は太閤殿下御一家での私事のお出かけだからということでしょうが、但し女子の出入りは自由でした。太閤殿下は女性に親切でした。女性びいきでした。言い換えれば、相当の助平だった。
こんな話もありました。
太閤殿下の小姓に池田長吉という少年がおりました。長吉は美少年で、太閤殿下のお気に入りでした。
あるときある家臣が、太閤殿下が長吉の耳元でなにやらささやいているのを見かけました。
家臣には、二人はとても楽しそうに見えました。そして、疑念を抱きました。
(太閤殿下と長吉は、実は怪しい関係なのではないか?)
気になった家臣は、長吉が一人になったのを見はからって、さりげなく尋ねてみました。
「さっき、太閤様に何と言われておったのじゃ?」
すると長吉が笑って言いました。
「『おまえに姉妹はおらぬか? おればさぞや美人であろうに』と」
残念ながら、長吉に姉妹はいなかったそうです。
三宝院の参道には桜並木が連なっています。満開の桜の中、まず、太閤殿下が御到着しました。
続いてきらびやかな輿が次々と入ってきます。太閤殿下の奥方の輿です。
太閤殿下には、十人以上の妻たちがいました。当然序列があり、輿は偉い順に入ってくるわけです。
奥様方は久々のお出かけににこやかでしたが、一人、不機嫌な方がおられました。
松ノ丸殿でした「なんでわらわが西ノ丸の下なのよ」と文句を侍女に話していました。
彼女はこの序列が気に入らなかったのです。
松ノ丸殿の実家京極家は、室町幕府の四職に連なる名家でした。
一方、西ノ丸殿の実家の浅井家は京極家の家来筋で、しかも下克上によって京極家から領国の近江を奪った憎き敵だったのです。
その憎い女が数年前に秀頼を産んだことによって、それまでの序列が変わって西ノ丸殿が松ノ丸殿を追い抜いた。
しかし、松ノ丸殿は疑っていた。
(あれは太閤殿下の子じゃないわ。数え切れないほどの側室がいながら、西ノ丸だけが二人(鶴松と秀頼)も子を産むなんて、どう考えてもおかしいじゃない)
松ノ丸殿の怒りは宴会の席のときに爆発しました「杯を取らす」と言う太閤殿下に、正室である北政所の次に杯を受けるのを西ノ丸殿と松の丸殿が争い、松ノ丸殿が序列を無視して西ノ丸殿より先に杯を取りに行った。
当然、西ノ丸殿は怒りました「順番が違うでしょ!」松ノ丸殿を押しのけて杯を取りにいこうとしました。(秀頼の生母として淀殿が優先権を主張したのに対し、松の丸殿は自身が淀殿の出身である浅井氏の旧主だった京極氏の出身である上、淀殿より早く秀吉の側室になっていた事を根拠に優先権を主張した)
儂が現実から逃げている間にも、争いは進んでいた。西ノ丸殿が肘を当てれば、松ノ丸殿が蹴り返す。一進一退の攻防。お互いに攻撃は避けず、あえて受ける。避ける事も出来るのだろうが、あえて避けない。
何故なら、強い女性だから、受けてこそ強い、受けきったほうが強いのだ。
そこにあるのは、プライドと意地。そして女として負けられない譲れない思いが、そこにはあった。
自分が上だ、お前は引っ込んでいろ。そんな思いだけが、彼女たちを突き動かしている。彼女たちに耐える強さを与える。
しかし、それでも限界というものがある。それが訪れたのは、西ノ丸殿だった。
もみ合う二人に、「まつは家臣筋といえど、この席では客人。客人をほうっておいて身内で順争いをするものではない。みっともない」と前田利家殿の奥方(芳春院)が𠮟りつけて治めました。
◇◇◇◇
歌会後、太閤殿下は秀頼たちを引き連れて、大名たちが設けた八つの茶屋を回りました。
しかし、その間太閤殿下はお連れの誰も怒りませんでした。むしろ、上機嫌で外で遊ぶ秀頼を見ておられました。
秀頼は大きな水桶に浮かべてあった舟で遊んでおりました。舟は笹を切って作ったものです。笹の舟には、紙人形が乗せてありました。秀頼が作ったんでしょうか、不細工な人形と舟で、みっともないものでした。しかし秀頼は、その舟と人形をほしがりました。
「父上。これ、もってかえっていい」
太閤殿下は頷き、「見事じゃ。上手に浮かんで確かに光っておったぞ」秀頼はうれしそうでした。
太閤もうれしそうに満開の桜を改めて眺めました。
「宗易(利休)の茶が飲みたくなったのう……」とぽつりと話した後、苦しそうにしゃがみ込みました。
三月十三日に秀吉が島津義弘と島津忠恒へ蔚山・梁山・順天からの撤退を許さず、先の交渉役の沈惟敬との和議折衝で城塞の減少を命令したが今回は遼東境目まで進撃することを指示し、敵の劣勢を見計らって城塞の増築を命令した。
また兵粮・玉薬の蓄積と帰朝についての指示を与え、来年の大軍派遣予定を通知した。
更に島津義弘には加徳城の守備を、立花宗茂・高橋元種・小早川秀包・筑紫広門には固城の守備を堅固にすること、および両所は近隣なので談合しながら任務遂行すべきを命令した。
三月十五日に秀吉が醍醐寺三宝院において「醍醐の花見」を行なった。
醍醐の花見は秀吉がその最晩年に京都の醍醐寺三宝院裏の山麓において催した花見の宴で、
豊臣秀頼・北政所・淀殿ら近親の者を初めとして、諸大名からその配下の女房女中衆約千三百人を召し従えた盛大な催しで、九州平定直後に催された北野大茶湯と双璧を成す秀吉一世一代の催し物として執り行われた。
■■■■…………
さて、儂は豊臣家を発展させ、繁栄させなければならない。だが、その時限りでは駄目なのだ。繁栄させ続けなければならない。そのために、行わなければならないことがある。
子を作ることである。
これからの豊臣家の繁栄のために、子を作り、太閤としてふさわしいように教育を行わなければならない。
そのため、この豊臣家には子を作る相手を迎えるために、御奥がある。
御奥とは、太閤の妻となる女性たちを迎え入れる場所である。これを、南蛮人が男性が複数人の女性を侍らすことを「ハーレム」と言ったかな? ああ、多分そう言ったかな?
……だが、御奥と言うと、複数の女性が一人の男性を愛しているような、そんな砂糖のように甘い考えを持つ人もいるかも知れない。が、そんなものは間違いである。そんな考え、犬にでも食わせてしまうといいだろう。これは、ハーレムではなくあくまでも御奥なのだ。
では、御奥とはどんなところなのか? 言ってしまえば、伏魔殿である。見目麗しい女性たちが、太閤の寵愛を受けるため、自分が一番愛されるため、自らを磨き、他者を打ち倒し、権力の座をもぎ取るための場所である。
そして、今日もまた、儂はここに来た。普段は、この世の贅を尽くしたのではないかと思えるほど豪華な大広間が、今は地獄の中心部に思えてくる。
儂がいるところは最前列だ。もしかしたら、天皇の玉座よりも素晴らしいのではないかと思える椅子に儂は座っている。
花見奉行の責任者になった前田玄以が伏見城から醍醐寺へ行く輿の順序と神輿奉行の口上が大広間に声がよく響く。
「それでは、第一の輿は北政所様、神輿奉行は小出吉政と御輿添頭に田中吉政が当たります
第二の輿は西ノ丸殿(淀殿)、神輿奉行は木下延重と御輿添頭に石川頼明が当たります
第三の輿は松ノ丸殿(京極竜子)、神輿奉行は朽木元綱と御輿添頭に石田正澄が当たります
第四の輿は三の丸殿(さこの方)、神輿奉行は平塚為広と御輿添頭に片桐且元があたります
第五の輿は加賀殿(麻阿姫)、神輿奉行は……」そして、五番目の途中まで読み上げたところで……。
「あっ痛い!」と儂は声をあげてしまった。
「殿。どうかいたしましたか?」と口上役の前田民部卿法印が尋ねた。
「いや、気にするな続けよ……」
「はっ、では第五の輿……」と口上役が続けた。
儂の両隣を固めるのは、御奥にいる儂の側室である。だが、儂と一緒にいたいから隣にいるのではない。儂を逃さないために、隣にいるのだ。そして、袖から儂の脇腹を抓った側室に綺麗な服を買うてやるから少し辛抱するように話した。
そう、儂の隣にいる側室達こそが、今日の主役である。儂は、それを一番間近で見ることを強要されているのだ。なお、儂以外の御奥にいる人間も、これを見ている。ただし、儂よりも後ろでだ。出来れば儂も、そこに混ざりたい。
ああ、なんと恐ろしいところだろう。そして、今日も御奥で恐ろしい戦いが始まろうとしている。儂は、それを見るたびに恐怖を覚えている。どうか、この身にその牙が向かないようにと。
御奥の中央に存在する大広間。何か催し物があれば使われていた場所だ。それ以外では使われることは滅多になかった。しかし、ここがよく使われるようになっていった。
そう、恐ろしい争いの舞台としてだ。そうなった原因は大坂城二の丸に住む茶々が伏見城に来るとこの大広間を我が物顔で使用しているのを伏見城松ノ丸に住む竜子が面白く思っていないからで、儂も詳しく知らない。
さて、主役である二人の目には、燃えるような光が宿っている。それは、これから始まるものを期待してのものだろうか? どちらにせよ、儂はそれに恐怖しか感じない。
時間が迫っている。刻一刻と、ああ、始まってしまう。主役の二人が儂を挟んで視線で戦っている、颯爽と目の前の舞台から輿へと入っていく。
一人は、西の丸殿こと『浅井茶々』。女性にしては高めの身長と、それに比例したいい意味で豊かな体。そして、その気性は燃えるように激しい。
もう一人は松の丸殿こと『京極竜子』。小柄で、西の丸殿とは対照的に深い森のように静かな女性である。しかし、一度決めたことに対しては、千年を生きる大樹のように動かない芯の強い部分がある。二人とも儂の側室であるが、城内にでは争わない決まりとなっている。これは、御奥にいる皆がそうである。
しかし、戦いの始まりだ、何故か?
唐入りが思うようにいかなかった儂は、気晴らしのため、愛する御家族を引き連れて花見に出かけることにした。すでに吉野山については、文禄三年に大名・小名を引き連れて御見物していましたので、今回は京都南郊の名所、醍醐寺に行くことにした。
醍醐寺は笠取山一帯に広がる巨大な寺院で、真言宗小野流醍醐派の総本山で、貞観十六年に修験道の祖・聖宝が山頂に草庵を建てたのが始まりで、時をへて、ふもとに大伽藍が造営され、山頂のほうを「上醍醐」、ふもとのほうを「下醍醐」と呼ぶようになった。
儂は前年より事前に何度か醍醐寺を訪れ、入念な下見を行い、自ら暗殺者が紛れ込む箇所を見つけ、異常がないかを確かめることもありましたが、それより何より「どうすれば家族を喜ばせることができるか」に重きをおいていた。
特に、御年五歳になられた愛児・秀頼のことで、年をとってからの子供はかわいいと申しますが、儂の親バカぶりは「おかか(淀殿)から聞いたぞ。おまえの言うことを聞かない侍女が四人もいるそうだな。おととが全員たたき殺してやるから、そいつらを捕まえさせて縄でしばって待っていなさい」と手紙に書いて伝えるほどに。
その儂が醍醐寺を訪れて驚いたのは、桜の多さではなく、寺の粗末さじゃ。
「なんじゃこれは。ボロボロじゃのう」
醍醐寺座主の義演は困ったように言いよった。
「数々の戦乱のため、建物は燃やされ、荘園は奪われ、もはや再建する財力も気力もございませぬ」
「われら武士のせいで寺が荒廃したと申すのじゃな」
「めっそうもない」
「分かったわい。再建してやるわ」
儂は三宝院や金堂など諸堂の再建を命じ、三宝院庭園を造営、畿内各豊臣家から桜の木を一週間で七百本集め、境内に植えさせ、花見の準備は着々と進めた。
支度は主に前田玄以が行ない、助けに浅野長政、石田三成、増田長盛、長束正家という、いわゆる五奉行に担当させた。
そして、懸案の側室たちの衣装の調達については、薩摩の大名・島津義久にお任せた。
「やってくれるか?」
儂から命じられて島津は、喜んでいたと思う、知らんけど……。
「身に余る光栄でございます」
「女房衆は、ざっと千三百人いるが」
「千三百人 と、おっしゃいますと、千三百着も!」
「いや。こやつらがみな、二度ずつ衣装替えを行うゆえざっと四千ほど……」
「ひえっ!」
うむ、島津はどうやら喜んでやってくれそうじゃ、京都の一流職人に誂えさせよった。かなり金があるかかりそうじゃが九州の侍は太っ腹じゃのう……。
(義久は今で言う一流ブランド店に注文を出したので、多分藩の財政は火の車となったと思う、知らんけど……)
◇◇◇◇
なんとか花見の日に伏見城から醍醐に向けて、長い長い行列は出発しました。
「三月十五日に太閤殿下が醍醐寺にお花見にお出かけだそうだ」
うわさはとうに近郊の人々に広まっていましたので、ものすごい見物人です。
沿道には幕が張られ、増田長盛・京極高次・福島正則・蜂須賀家政らが軍勢を率いて警護にあたりました。
「ちぇっ。警護の武士ばかりで太閤殿下やお姫様ら、見えないじゃないか」と不平を言う町人に、別の町人が言いました「花見会場へ行けば、見えるだろう」と……。
するとその近くにいたお坊さんが親切に教えていました。
「残念だが、男は花見会場には出入りできないようだな……」
町人は不満そうでした。
「そうなんですか。北野のときは誰でも自由に出入りできたのに……」
十年ほど前に、京都の北野天満宮にて大茶会が開かれたことがありました。いわゆる北野大茶湯では、貴賤を問わず、誰でも参加できたんですが、今回は警備の武士を除いて男子の入場を禁止しました。
今回は太閤殿下御一家での私事のお出かけだからということでしょうが、但し女子の出入りは自由でした。太閤殿下は女性に親切でした。女性びいきでした。言い換えれば、相当の助平だった。
こんな話もありました。
太閤殿下の小姓に池田長吉という少年がおりました。長吉は美少年で、太閤殿下のお気に入りでした。
あるときある家臣が、太閤殿下が長吉の耳元でなにやらささやいているのを見かけました。
家臣には、二人はとても楽しそうに見えました。そして、疑念を抱きました。
(太閤殿下と長吉は、実は怪しい関係なのではないか?)
気になった家臣は、長吉が一人になったのを見はからって、さりげなく尋ねてみました。
「さっき、太閤様に何と言われておったのじゃ?」
すると長吉が笑って言いました。
「『おまえに姉妹はおらぬか? おればさぞや美人であろうに』と」
残念ながら、長吉に姉妹はいなかったそうです。
三宝院の参道には桜並木が連なっています。満開の桜の中、まず、太閤殿下が御到着しました。
続いてきらびやかな輿が次々と入ってきます。太閤殿下の奥方の輿です。
太閤殿下には、十人以上の妻たちがいました。当然序列があり、輿は偉い順に入ってくるわけです。
奥様方は久々のお出かけににこやかでしたが、一人、不機嫌な方がおられました。
松ノ丸殿でした「なんでわらわが西ノ丸の下なのよ」と文句を侍女に話していました。
彼女はこの序列が気に入らなかったのです。
松ノ丸殿の実家京極家は、室町幕府の四職に連なる名家でした。
一方、西ノ丸殿の実家の浅井家は京極家の家来筋で、しかも下克上によって京極家から領国の近江を奪った憎き敵だったのです。
その憎い女が数年前に秀頼を産んだことによって、それまでの序列が変わって西ノ丸殿が松ノ丸殿を追い抜いた。
しかし、松ノ丸殿は疑っていた。
(あれは太閤殿下の子じゃないわ。数え切れないほどの側室がいながら、西ノ丸だけが二人(鶴松と秀頼)も子を産むなんて、どう考えてもおかしいじゃない)
松ノ丸殿の怒りは宴会の席のときに爆発しました「杯を取らす」と言う太閤殿下に、正室である北政所の次に杯を受けるのを西ノ丸殿と松の丸殿が争い、松ノ丸殿が序列を無視して西ノ丸殿より先に杯を取りに行った。
当然、西ノ丸殿は怒りました「順番が違うでしょ!」松ノ丸殿を押しのけて杯を取りにいこうとしました。(秀頼の生母として淀殿が優先権を主張したのに対し、松の丸殿は自身が淀殿の出身である浅井氏の旧主だった京極氏の出身である上、淀殿より早く秀吉の側室になっていた事を根拠に優先権を主張した)
儂が現実から逃げている間にも、争いは進んでいた。西ノ丸殿が肘を当てれば、松ノ丸殿が蹴り返す。一進一退の攻防。お互いに攻撃は避けず、あえて受ける。避ける事も出来るのだろうが、あえて避けない。
何故なら、強い女性だから、受けてこそ強い、受けきったほうが強いのだ。
そこにあるのは、プライドと意地。そして女として負けられない譲れない思いが、そこにはあった。
自分が上だ、お前は引っ込んでいろ。そんな思いだけが、彼女たちを突き動かしている。彼女たちに耐える強さを与える。
しかし、それでも限界というものがある。それが訪れたのは、西ノ丸殿だった。
もみ合う二人に、「まつは家臣筋といえど、この席では客人。客人をほうっておいて身内で順争いをするものではない。みっともない」と前田利家殿の奥方(芳春院)が𠮟りつけて治めました。
◇◇◇◇
歌会後、太閤殿下は秀頼たちを引き連れて、大名たちが設けた八つの茶屋を回りました。
しかし、その間太閤殿下はお連れの誰も怒りませんでした。むしろ、上機嫌で外で遊ぶ秀頼を見ておられました。
秀頼は大きな水桶に浮かべてあった舟で遊んでおりました。舟は笹を切って作ったものです。笹の舟には、紙人形が乗せてありました。秀頼が作ったんでしょうか、不細工な人形と舟で、みっともないものでした。しかし秀頼は、その舟と人形をほしがりました。
「父上。これ、もってかえっていい」
太閤殿下は頷き、「見事じゃ。上手に浮かんで確かに光っておったぞ」秀頼はうれしそうでした。
太閤もうれしそうに満開の桜を改めて眺めました。
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これは、クラスで孤立していた少年が「異常な使役スキル」で異世界を歩む物語。
裏切ったクラスメイトを見返すのか、それとも新たな仲間とスローライフを選ぶのか――
運命を決めるのは、すべて“使役”の先にある。
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※表紙のイラストはAIによるイメージです
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その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
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#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
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追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
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現在、第四章フェレスト王国ドワーフ編
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