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圉霊師一

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 吾輩は『飛彩』である。今は天正十二年五月。
 五月三日に織田信雄が香宗我部親泰へ羽柴秀吉と尾張国犬山において対陣し、美濃国においては、
四月九日に秀吉軍の池田恒興・池田元助父子・森長可ら「随一之者共」を討ち捕らえたことを通知した。速やかに摂州・播州を制圧することを依頼した。
 五月十四日に吉川元春が毛利輝元の家臣山内隆通へ尾張国に於ける戦況を通知した。
 五月二十一日に織田信雄が美濃衆の高木貞利・高木貞友などへ本知分および手寄引合として一万貫文を宛行い軍忠を促し、御扶持方御夫の配分を通知した。また、玉薬の進上を命じた。

■■■■…………

 霊力は霊能力とも言われ、霊や魂、生霊、精霊などを感覚したり、霊的な力を行使して、通常の人間ではなし得ないことを行なうとされる能力のことで、この世界では、人々の生活や戦い・争いに利用されてはいない力である。
 しかし、火をおこす、雨を降らす、闇を照らす。空を飛ぶ、瞬間移動、色々なものを転送する。
など様々なことに使われるこの力は、強さや範囲によって、必要とされるものがいくつかある。
 その中でも最低限必要なものはふたつ。

 まずひとつ目は霊言……主に霊が乗り移ってきて霊媒が話すと称する言葉や霊的な啓示を受けて現象(除霊力)を発動させるための言葉だ。強い力というのは基本的に危険なため、それに応じた言葉が必要なのだ。当然、間違えればそれは発動しない。

 次に霊力……その除霊力を使うために消費されるエネルギーだ。足りなければ発動しないか、その霊力に応じた強さでしか発現されない。

 強大な力を持つ除霊師というのはどんな時代でも、途方途轍もなく膨大な霊力を持って生まれ、ありとあらゆる霊言を駆使して人の世界を脅かす敵を討ち倒してきた。

 桜桃(さくら)はそれまでの除霊師たちとは違い、除霊以外に牢獄に霊を閉じ込める力を使えるように自らの除霊力の使い方を変えてしまった。
 その除霊力は効率的に扱えるが、現在は桜桃にしか扱うことはできない。その為、桜桃は除霊師でなく圉霊師(ぎょれいし)と呼ばれていた。
 
 そして、僕が一歳の誕生日の後、桜桃に圉霊師として弟子入りしたのは、その除霊力体系を世の中に広めたいからだ。誰でも手軽に除霊力を扱えるようになれば、きっと今よりも世界は進化する。僕はそう信じていた……有り余る霊力を効率よく使用できると思っているのは、あくまでも二次的要因だと信じたい。父上が居ない時を狙って、無理やり母上が妹に育児を丸投げしたとは思いたくない。

 兵庫城から離れた瀬戸内海にあるこの無人島は、夏の季節風は四国山地に、冬の季節風は中国山地によって各々遮られる。このため年間を通じて天気や湿度が安定している瀬戸内海気候である。

 そんな港のある村から更に外れた場所、鬱蒼とした森の中央に、僕と桜桃が修行する隠れ家がある。
 石畳が敷かれた道は、僕の他に通る人は滅多に居ない。
 森の入口から歩いて半時(三十分)ほどすると家が見える。桜桃が霊力を使って作った石畳が途切れ始め、やがて芝生に変わった。家に鍵はかかっていない。圉霊師の家に忍び込む泥棒など自殺志願者以外に存在しないからだ。

「桜桃たらいまぁ~って。ま~たそんな格好で……」

 数え二歳の子供が両手に錘を持ってランニングして家にもどると、土霊を使って扉を押し開けた。そこには一糸纏わぬ姿で頭を拭いている女性の姿。

 大抵の男ならその視線が釘付けになるか、見慣れなければ謝りながら目を逸らすような状況だろう。
 しかし、毎日同じように何度も桜桃のこの状況を見ているために、特に気にせず錘を机に置く。

 桜桃も、特に気にしたようすもなく「おかえり」と静かに呟く程度だった。見た目の割にちょっと声が可愛い。
 この男が居ないと恥じらいがあるのかどうか判断つかない女性こそ、僕の師匠だ。
 少し不気味なくらい長くふんわりとした黒髪に、メロンとは言わないが大きな双丘。バランスのとれた色気。おっとりした、というより眠そうな目。眠そうとはいうものの目の下に隈は無い。

 桜桃は二十二歳と教えてくれたのに、誰にも年齢は話したら駄目よと念を押された。母上とは二つ違いなので、母上に年を聴いたら女性に年齢を聞いてはいけないと教えてくれないので正直不明だが気にはなってない……としか答えられない。

 僕は桜桃に色気があるということ以外には特に何も感じない。数え二歳という嬰児真っ盛りな時期。たまに、おっぱいを触りたいなという気持ちはあるが仕方ない。
 母親のおっぱいに見慣れてしまうとそんなものなのだ。

「ほら、先に下着!せめてそれくらい自分で用意して着てよ。ほらこれ……」

 箪笥から可愛らしい下着、肌着、襦袢(白衣)、緋袴の順に出して巫女装束に似た着物を取り出す。
 髪を乾かさないといけないので、まずは下着だけ桜桃に着けていく。ちなみに僕が選んだものだ。
 桜桃は言われたことに「ん~~」とか声を漏らしながら僕の指示に従う。
 下着を身につけた桜桃の髪を乾かすために椅子に座らせる。
 櫛を取り出して、その後ろに立ち、僕は手のひらに風を集めるイメージを浮かべ、霊言を唱えた。

「起立圉霊・風霊助力」

 僕が霊言を唱えると、手のひらに風が集まるのが感じられる。櫛で髪を梳かしながら、そっと風を当てていく。手慣れたもので、これをやり始めてもう一か月になる。

 この風霊の圉霊も桜桃から教わったものだ。

 髪を乾かしている間、桜桃は僕が持ってきた錘の中身をひとつひとつ確認していく。
 この錘は桜桃手作りのアイテムボックスで中に荷物入れることが出来た。
 その半数が食品と生活用品。そしてもう半数は、僕に圉霊を教えるための教材となる触媒だ。

 買ってきたものに何か問題があった場合、桜桃はそれを右に置いていく。それはあとで桜桃が自分で使うので特に何か言われたりはしない。
 僕も桜桃も目利きというわけではないので、品物に問題があったとしても、僕のせいにされたことはない。
 桜桃が品物の確認を終えた頃に、ちょうど髪は乾かし終わった。

「終わったよ~ぉ。師匠~ぉ服着せるから、ほら立って~ぇ」

 僕がそう言うと「うん」と呟いて桜桃は立ち上がり、僕のほうを向く。
 順番に巫女装束に似た服を着せていき、最後に桜桃お気に入りの帯をかけて前で結ぶ。
 かくして数分後、桜桃は人前に出ても問題ない姿に仕上がった。

 数歩離れて確認する。

「師匠、軽く回って」

 言われた通り、くるりと横に回る桜桃。この動きは可愛くて思わず笑顔になる。
 この僕の師匠こそ。

 『夢幻泡影の圉霊師』として名を馳せる偉大な除霊師、夢見草(さくら)だ。

 昼食後、僕たちは家から少し離れた場所に移動した。
 ここは若干開けた場所で、よく圉霊の授業や実践のために来ることが多い。
 今日は闇の基礎圉霊の実技訓練となる。

 光と闇の圉霊は、火水木金土の圉霊のように、ランクが上がるほど扱いにくくなるものとは違い、基礎レベルであっても扱いが難しく、油断すれば指の一本も失うこともある。

 反面、その性質をしっかりと理解できれば中級、上級であっても基本構造は同じために扱いやすいという利点もある。
 闇属性の圉霊は、影や闇を生み出したり、操れる圉霊だ。

 砂漠などの暑い場所でこれを使うことで日陰を作り出すなど、そういった地帯で活用するぐらいしか特に思いつかない……取り敢えず使えるようになってから考えよう。

「それじゃあ…わたしに続いて唱えてね」

 小さい割にはっきりと聞こえる桜桃の言葉に僕は「はい~ぃ」と頷き、同じように両手を、ボールを持ち上げるような形に胸の前に構える。

 僕はその中間を見つめ、桜桃の声を待った。
 そして……。
「起立圉霊」(きりつぎょれい)
「起立圉霊」(きりつぎょれい)
「世満光明」(よまんこうみょう)
「世満光明」(よまんこうみょう)
「暫間貸闇」(ざんまたいあん)
「暫間貸闇」(ざんまたいあん)
「闇霊助力」(あんれいじょりょく)
「闇霊助力」(あんれいじょりょく)
 桜桃の唱えた言葉に続いて詠唱し、霊力を両手に込める。
 鼓動が速まる、血圧が上がる、霊力は血液とともに心臓を中心に全身を巡るためだ。
 使い慣れない圉霊の場合、発動に必要な最低限の霊力でも一分程度軽く走ったくらいには心臓の鼓動がバクバクと止まらなくなる。逆に使い慣れた圉霊や加護のある霊の場合は平時と大して変わらなくなる。

 なので、どんな圉霊でも練習なしで簡単に使える人間はほぼ居ない。居るとすれば、それは天才ではなく、生まれながらにして圉霊に愛された申し子だ。僕は火霊と土霊に愛されて生まれたため霊言を使わず練習もせずに使えたが桜桃に聞くと霊には相性があると教えられた。
 だから、一年少しでしっかり地面に立てるのは土霊の加護があるからだそうだ。

「うわっ!」

 集中が途切れ、少しずつ集まっていた闇が弾けて光に溶けた。尻もちをついてしまい、立ち上がろうと地面に手を触れると激痛が走った。
 両手を見ると、皮膚が裂けて手のひらもズタズタで血まみれになっていた。

 桜桃が慌てて駆け寄ってくる。

「ごめ~ん、師匠~ぉ」

 痛みに顔をしかめつつ、僕は桜桃に謝る……と、

「すごいわね小太郎、ほら、手ぇ出しなさい」

 不意に桜桃とは逆から聞こえた声に、僕は顔を向けた。

「母上、いつから?」

 見上げると、心配そうな顔をした母上が僕を見下ろしていた。木漏れ日にチラチラと照らされる黒髪がとても綺麗だ。
「あなたが霊力を集中させ始めた辺りから。留守だったからこっちだと思って来たらこれだもの。ほら、手」

 言われたとおりに両手を差し出す。すると母上は血まみれの僕の手にそっと触れる。痛みに手を引きかけた僕を「じっとして」と止めた。

「水の精霊よ、失われた魂のかけらを回復して世に留めたまえ」

 触れた手から薄水色の光が小さくあふれる。痛みが一気に引いていく。僕も桜桃も、何も言わずにそれが収まるのを待つ。

 僕には回復圉霊の才能は一切ない。簡単なすり傷を治す程度の圉霊すら習得ができなかったほどに恵まれなかった。だから、手の傷を治すのは桜桃や他の誰か、もしくは自力で手当てするしかないのだ。
 無いものねだりをする気はない…けれど、それがあれば一人でも多く助けることができたのではないか……。

「はい、終わったわよ」

 気づけば、光は収まっていた。両手のひらを見つめながら、握ったり開いたりしてみる…痛みは完全に無くなっていた。血が元に戻るわけじゃないが、水が洗い流してくれた。

「ありがとう、母上」

 そう言いながら立ち上がろうとした。そこに差し伸ばされた手。僕は思わずその手をとってしまった。見上げると、桜桃の手だった。

「し、師匠。ごめんよ~ぉ!」

 僕は思わず手を離そうとしたが、桜桃は気にせず手をしっかり掴み、僕を立たせてくれた。桜桃はふんわりした見た目と雰囲気にそぐわず、意外と力がある。

「師匠、ありがとうね~ぇ」

 そう言いながら桜桃は母上と二人で小屋への道を歩き始めた。僕もそれにならい、後ろから付いていく。小屋に戻る間も、笑い合う二人を余所に、僕は乾きかけた自分の手を見つめていた。

 僕の怪我と、母上が来たということもあり結局、今日の訓練は中止となり、続きは後日ということになった。

 出た血の量がちょっと多かったのか、少しだけ頭がボーっとする。圉霊の行使には血が特に大事なので、それが失われた状態で無理をするとあっという間に倒れてしまうのだ。

 そういう点で言えば、自分の剣技を武器に戦う侍たちが羨ましい。

「ありがとう母上~ぇ。そういえば今日はどうしてここに~ぃ」

 着物で手を拭きながら改めて礼を言いつつ、僕は母上に要件を聞いた。

「そうそう、四国から長宗我部軍が摂津国へ攻めて来るみたいでね、富田家より戻ってくるよう連絡があったの……」
 母上は戻るのが嫌そうだ……。

「う~ん、僕は思うけど~ぉ……これから田植えで忙しくなるのに、戦を始めるってどうなんだ~よぉ」

 僕は母上から手拭いを受け取りながらぼやく。

「本当にねぇ、それに本人が納得してるんだから、不思議よねぇ。でも女が口出しなんてできないでしょ」

 そりゃそうだけどさ、と言いながら僕は使った手拭いを母上へ渡す。

「まあ来るのは二、三日くらい先だから、連絡ついでに手伝いに来たってわけ」

「助かるよ~ぉ、師匠の部屋って僕が普段から掃除してるけど手が及ばないとこが多くて~ぇ。お礼に今日はご飯食べてってちょ~だい」
 母上の申し出に僕は快諾した。ほんと?と目を輝かせる母上を横目に部屋を見渡すと、桜桃がいない。
 桜桃は普段から気配を感じるのが難しいところがある。ふと目を離すと部屋どころか、僕たちが住んでいる森から出ていたということも多々あった。(さすが夢幻泡影の圉霊師)

 そういうとき、決まって行き先は告げず、帰ってきても教えてはもらえないので、今ではすっかり諦めていた。

「まあそのうち戻ってくるか…母上もいることだし、時間も空いちゃったし、さっき買ってきた葛粉があるよ~ぉ、それでおやつでも作るよ~ぉ」

「小太郎ありがとうね!その間に片付けでもしてるわ……。美味しいおやつを期待しているわ」

 母上が師匠の部屋を掃除しだしたのを見て、僕はかまどの準備を始めるのだった。
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