夢追人と時の審判者!(四沙門果の修行者、八度の転生からの〜聖者の末路・浄土はどこ〜)

一竿満月

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俊定暗殺

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■■■■………… 
 慶長七年十月十六日のよく晴れた冬の日に読経が続いていた。声は地を這うように低く、腹に響いてくる。焼香をそそくさと済ませた小太郎は、なおも続く読経を背に、用意された庫裡の一間へ向かった。

 備前岡山藩の城下、寺内町にある日蓮宗・瑞雲寺の住持は、死んだ木下俊定とは昵懇の間柄で、死んだ俊定の為に一間を提供してくれたのだ。
 秀詮は母屋へ続く回廊の途中で、一度だけ立ち止まって振り返った。焼香の列は長い。俊定は書院番頭だったが、そこでの人望は厚く部下に気に入られていたという。

 小太郎も、俊定が好きだった。性格は穏やかで、口が堅い。小早川家で相談をする際は、まず最初に俊定を選んだものだった。
 一間の障子を開くと、目をぎらつかせた二人の男が、一斉に視線を向けた。

「怖い顔するなよ」
 小太郎が嘯くと、男たちはほっと溜息を洩らした。

「富田殿!遅いですぞ……」
 そう言ったのは、小出重堅だった。

 重堅は小太郎と同じ二十であり、この集まりではまとめ役である。背が高く逞しい体躯を活かして、押しも強い。兄・小出吉政の与力として、将来を有望視されている男だった。

「すまん、すまん」

「お役目ですか?」

「ああ。昨夜も遅くまでな……」
 と、小太郎は嘆きを交えて言い、車座となっていた二人の間に入った。

 加賀藩の小太郎は昨夜死体で発見された俊定の犯人探索を単独で駆け回っていたのだ。知合いを殺した下手人を追う。怒りを抑えて平静に思考しなければならないので、精神的にはかなりしんどいものがある。しかし、誰かに任せるよりはマシだった。

「何かわかったのか?」

 重堅の台詞を奪い取るように訊いたのは、小出秀清だった。この男は部屋住みとして家督を継いだ兄・吉政に面倒を見てもらっている。いわゆる厄介者というものだった。この中では最も剣をよく使い、中条流の目録を持ってはいるが、部屋住みで日がな一日家に籠っているからか、その顔色は青白い。

「いいや、全然だな。家人や奉公人、周りの者に話を訊いても何もわからん……」
 そう答えると、秀清は深く息を吐いて腕を組んだ。元来無口な男だ。これ以上の事は何も言う気配はない。

「死因は?」
 代わって、重堅が口を開いた。

「死因は刺殺」

「針か……」

「武士ではないか……」

 寒さが感じられるようになった先月の晦日、木下俊定が番頭として乗馬訓練の一貫で野山を騎乗して日々村々を巡っていたのだが、その日は日没が過ぎても屋敷に戻らなかった。心配になった妻女の訴えで同役の役人が捜索したのだが、俊定は城下へ路傍で発見された。死因は刺殺。延髄に長い針で刺された痕跡があった。

「伊岐様が、各々身辺には気を配れと仰っておられた……」

 伊岐とは、俊定の上役である家老・伊岐藤兵衛真利の事だ。年齢は四十七歳、藩主の小早川秀詮に気に入られて、推挙により遠江守を賜っている。

「昨年出奔した家老・稲葉殿か、平岡殿配下の者が……」

 重堅が言った俺たちとは、俊定と重堅が中心となって立ち上げた、豊臣恩顧の改革を唱える一派・威信党の事である。木下俊定と小出重堅・秀清兄弟は関ヶ原の戦いでは、小出秀政、吉政と同じく西軍に属して、俊定は三尹らと大津城の戦いに参加した。戦後、改易されて俊定の所領は没収されるが、秀詮のおかげで小出家は御咎めなしになり、秀詮の手伝いのため岡山藩に寄食していた。

 現在の岡山藩は、秀詮の生母・雲照院を後ろ盾に持つ、首席家老・平岡頼勝の政権が長く続いていた。関ケ原の戦で加増された財政は軍部に注力する秀詮と威信党に対して、二年が経った領民の生活を向上させようとする口先政権は、賄賂と縁故がまかり通る秕政を繰り返している。特に、京都・上京の呉服商・茶屋四郎次郎清忠との癒着は看過出来ないものがあった。

「奸臣の為に、御家を潰してなるものか」と、俊定は重堅と共に、平岡派独裁に否の声を上げた。

 まず駆け付けたのが、秀清と殺された俊定と俊定だった。小太郎・重堅・秀清・俊定・俊忠は、山中忍術育成学校で文武を競い合った学友だった。身分も全員がバラバラという中で競い合い。若い頃は喧嘩だけでなく、口に出せない無茶な悪事も働いた。それが今では立派に更生し、世の為に働こうとしているのだ。

 武士とは、領民を守る為に存在する。そう思えるようになったのは、若い頃に無頼を気取って市井を見た経験があるからだろう。兎にも角にも、威信党は少壮の士が集まるだけの集団だったが、平岡に反感を抱く者が一人また一人と集結し、藩主の秀詮が後ろ盾になると、どんどんと人が増えていった。今では、平岡すらおいそれと手を出せない一派になりつつあった。

「平岡頼勝か」

 秀清が唸るように言葉を捻り出すと、重堅が小さく頷いた。
 そうした状況で、俊定が殺されたのだ。平岡派が疑われても当然である。

「俊定は威信党の折衝役で、殿との連絡役でもあった。威信党の勢いを奪いにきたというところか」

「許せん」
 冷静に分析する重堅に対し、秀清が珍しく語気を荒げた。口数は少ない男だが、激高しやすいところはある。若い頃から、喧嘩になるといの一番に飛び込んでいった。

「おいおい、早まるな。これは政事だ。軽挙妄動は慎め」

「重堅。俺たちの仲間が殺されたんだぞ。兄吉政の養子として木下から小出に名を変えた兄弟に等しい仲間が……」

 秀清が拳を畳に叩きつけた。重堅が視線を逸らした。

 小太郎は「落ち着け」と、秀清の肩に手をやった。

「伊岐様が、手の者を使って平岡の身辺を探らせておる。今回の手口から見て、下手人は仕掛人で間違いない。平岡と親しい裏の首領にも人を放った。実力行使は最後の一手だ。短気を起こして、二人の命を無駄にするな」

 伊岐は家老という要職にありながら、平岡を見限り威信党に組している。本人は求官同様に後見役としか思っていないが、秀忠も重堅も派閥の領袖として威信党を率いる立場だと思っている。

 ただ、上役が威信党の協力者という事もあってか、秀忠は自由に動ける事が出来るのはありがたい事だった。

「短気は損気!」

「そうだ。俊定に報いるには、平岡を追い落とすしかない」

「秀忠。もし下手人を斬る時は俺にやらせてくれ」

「秀清、その時は俺も一緒だ。重堅もな」

 そう言うと、秀清は鼻を鳴らして刀を手に立ち上がった。

「それはお前らの仕事じゃねぇよ。家督を継いだお前らとは違って、俺は気軽な部屋住みだ。汚れ仕事は俺がうってつけだろう」

「おい、秀清」
 一間を出て行こうとする秀清を秀忠は呼び止めようとしたが、それを重堅が遮った。

「ほっとけ。部屋住みが長くなると、人は捻くれるものよ」

「重堅、そんな言い方は止めろ。次は怒るぞ」

 秀忠の一喝に、重堅は肩を竦めた。

 学友の五人は兄弟のように仲が良かったが、重堅と秀清はその中ではしっくりしなかった。同じ庶子の兄弟でありながらお役がある重堅と部屋住みの秀清。快活な重堅と無口な秀清。何かにつけ正反対な二人なのだ。その中を取り持つ役目が秀忠と、俊定だった。小太郎は我関せずばかりに、気にも留めない。しかし、そんな五人でも集まると仲が良いから不思議だった。

「内輪揉めをしている場合か? 俊定が殺されたのだ。次は俺か貴様か、秀清が狙われているはずだ」

「俺やお前はそうかもしれんが、威信党を狙っているなら秀清は外れるだろうよ」

 それには秀忠も頷かざるえない。秀清は何かと手伝いはしてくれるが、部屋住みの無役なので、大した役割を任せてはいない。秀忠にとっては、小出家の当主である重堅・秀清の兄が威信党ではないので気を使っているのだが、秀清はどう感じているか聞いた事はなかった。

「それで、本当のところどう思う?」

「どうって?」

「お前の見立てよ。平岡の仕業か、或いは……」重堅の声が沈む。
 ここだけの話を聞かせろという事だろう。

「実は此処に来る前に伊岐様に聞かされたのだが、平岡派の一人と癒着があった茶屋の番頭をこちら側に引き込んだ。平岡が刺客を放ったのも、それがわかったからだろう。先月の朔に俊定が殺されたが、ちょうど同時期に番頭が失踪している」

「それはまことか?」

「ああ。今は秀詮様のお屋敷で保護している。証言と証拠が揃ったのだ。平岡の失脚も時間の問題だろうな」

 重堅の表情に喜色が浮かび、硬く握り拳を作って頷いた。

「これで、俺たちの未来は開けるぞ。平岡派は一挙に失脚すると、今度は論功行賞だ。おそらく伊岐様が主席家老の席に座る。それで伊岐様に同心した者が執政府に入るだろう。空席になった奉行職には俺たちだ」
 嬉々として語る重堅に対し、秀忠は苦笑してみせた。

「ぬか喜びをするな。ここからが大事なのだ」
 それは、まるで自分に言い聞かせているようだと、秀忠は思った。

「そうか、そうだな。最後に気を抜いて痛い目を見る事もある」

「だから内密にしてくれよ」

「当り前じゃないか」

 そう言うと、重堅は葬式だと言うのに笑顔を浮かべて立ち上がった。外に護衛を待たせているのだという。

 秀忠は、「あんまり笑うな。葬儀なのだぞ」と言って、重堅を送り出した。

 庫裡の一間で、小太郎は一人になった。思わず身体を横たえる。微かな眠気を覚えた。
 昨夜も遅くまで働き、午前中は伊岐と談合を重ねていた。山場を迎えているだけあって、小太郎の身体は悲鳴を挙げているのだ。

(ここからが大事……)

 内心で、一人呟いてみた。

 平岡は早晩失脚する。代わって藩政を牽引するのは、威信党である。その辺りの話は、伊岐と何度も詰めていた。平岡を倒したからと言って、いきなり老職という事はあり得ない。故に伊岐は、まずは今の奉行職にある者の中から、平岡との関係が薄い者を中老に引き上げて執政府を組閣する。その空いた席に、威信党の面々が座るのだ。

 殺された俊定も、その候補だった。当然重堅は入るが、秀清は無理だと断言されている。その代わりに、別家を立てる事が許される手筈になっていた。
 こうした話を、重堅は知らない。知らせる気も無かった。

 ここからが大事というのは、平岡を倒す事ではない。倒してからの事なのだ。 平岡が失脚すれば、伊岐が権力を掌握する。それから始まるのは、その下にある席を巡った出世争いである。

 秀清はとにかく、秀忠・重堅も敵どうしになる。私は加賀に戻らなければならないから仲を取り持つことが出来ないし。

 昔は馬鹿な事を繰り返していた。騒ぎ、笑い、喧嘩もしたし、盗みもした。女も泣かせた事もある。過ちは多々あったが、それでも青春だった。

 犯した罪とほろ苦い記憶は、更生し領民の為に働くという事で赦されるだろう。しかしその後に始まるのが、熾烈な出世争いだ。一緒に馬鹿をやった親友と、出世を賭して争わねばならなくなるとは思いもしなかった。

 勿論、引き返す事も出来た。投げ出す事も。威信党は、平岡を倒せば一応の役目を終える。しかし、自分はそれを拒んだのだ。壊すだけでは無責任だ。壊した後に、組み立てる。そこまでして初めて、責任を果たしたと言えよう。その為には、権力が必要だった。

(故に、な……)

 小太郎は、ゆっくりと瞼を閉じた。ここ数か月、いや歴史の審判者として道筋が見えてきてから、酷く疲れる日々が続いている。襲ってくる睡魔に、身をゆだねてみようという気になっていた。

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