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ここから始まった

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 お兄様の代わりに、私はバスキエ家と話をしてきた。バスキエ夫妻は、何度も何度も私に頭を下げていた。
 ネリーのことを訴えるのかどうするかは、被害者であるお兄様が決めるべきだと思ったが、如何せん記憶が曖昧なので、結局話は進まなかった。

 両親もこの緊急事態に屋敷にいないので、両親が戻ってから、お兄様も交えまた話をすることになるだろう。
 私の誕生日までに戻って来ると言っていたけど……気づけば私の誕生日まで、あと一週間となっていた。
 
 お兄様はというと、記憶障害は未だあるものの、それ以外は完全に回復に向かっていた。
 体は本人曰くピンピンしているらしいし、記憶に関してはなにを忘れてるのかも覚えてない。

「おはようミレイユ」

 今日も、お兄様は元気そうに、変わらない笑顔で私に声をかけてくる。
 でも私はわかる。
 お兄様が私を見る目は、やはり以前とちがうまま。
 私と腕を組んで食堂に行くこともない。
 手を繋いで、一緒に庭園に散歩に行くこともない。
 お茶をしたときに、食べさせ合うことだってない。

 私たちは、〝普通の兄妹〟になっていた。

 ある程度仲の良い、よく見る兄妹に。

「お兄様、よかったら一緒に外に出ない? せっかく天気もいいし」
「ん? ごめん。今読みたい本があって。ミレイユ、マリンとでも行っておいでよ。俺はひとりで大丈夫だから」
「……そっか。うん、わかった」

 ネリーとお兄様が婚約したときも、こうやって寂しくてたまらない日を過ごしていた。
 一緒だ。でも、ちがう。
 
 お兄様はあのときも、お兄様なりに私のことを愛してくれていた上での行動だった。だけど、今回は本当に、私のことをなんとも思っていないのだ。

 私とお兄様は、幼い頃から仲が良すぎた。
 私は前世の推しなこともあり、出逢った当初からお兄様が大好きだったし、お兄様も幼い頃から、私のことを好いていてくれた。
 だから、普通の兄妹でいた時間なんてほとんどない。年齢を重ねるにつれ、私たちは兄妹とは名ばかりの関係になっていた。

 恋人のように触れ合い、恋人のように相手を想い合う。
 
 ――どうして、こんなことになってしまったのか。

 お兄様が記憶をなくしてから、何度もそう思った。
 私がもっと早く決断をしていたら。私がお兄様やエクトル様を追い詰めなかったら。
 後悔ばかりして、肝心の今はお兄様の機嫌を伺って、なにもできていない。
 冷たくされるのが怖い。好きと思われないのが怖い。愛されないことが、怖くて、寂しい。

 お兄様が普通になって気づく。お兄様は、私を死ぬほど愛してくれていたこと。――本当に死のうとしたしね。
 
「お嬢様、大丈夫ですか?」

 結局出かけずにひとり部屋に籠る私を心配してか、マリンが声をかけてきた。

「大丈夫……って言いたいけど、どうかしら」
「お嬢様……」
「私って、いつもこう。大事なところで選択ミスして、全然望んでいないルートに行っちゃうの」

 バッドエンド見たさに、プレイヤーに不幸せな選択肢を選ばれるヒロインのような気持ちになった。前世の私が、まさしくそのプレイヤーだったわけだけど。

「お嬢様――私は、リアム様のことが苦手でした。だってお嬢様と親密な方は、例え同姓でも敵意を剥き出しにしてくるんですもの。ネリー様とご婚約されるのも、はっきり言って理解不能でしたので、裏があるのではないかと思っていましたが……。自分で腕を刺したと聞いたときは驚きましたが、なんだかすぐ納得できたのです。あのお方なら、平気でやってのけそうだなと。本当に、とんでもない方ですよね。リアム様は」
「ふふ。マリンなんて、エクトル様の花を踏み潰した罪をなすりつけられていたものね」
「……ちょっとそれは初耳なのですが。はぁ。リアム様、そこまで私のことが気にくわなかったのですね。記憶が戻ったら問い詰めたいところですが、誤解が解けているのならこの件は聞かなかったことにします」

 私だったら、そんな無実の罪を着せられたら謝罪のひとつでもさせるけど。マリンったら心が寛大なのね。

「なんだか、調子が狂います。あんなリアム様。私にも好意的だし優しいし、公爵家の長男の鑑のような感じで。以前は――ほら、ただのお嬢様大好き人間でしたから」
「だったら、今のままでいてくれた方がマリン的にはいいんじゃないの?」
「普通だったらそうなんでしょうけどね。でも、十年以上そんなリアム様に付き合ってきたんです。もう日常の一部だったんですよ。リアム様がお嬢様を甘やかして、お嬢様がうれしそうに笑って……その顔を見たリアム様が、更にうれしそうに笑うんです。私はその姿を見て思ってました。このふたりは、離れることはないんだろうと。だってあまりにも兄妹ということなんて無視して、幸せそうに寄り添うんですもの。だからリアム様がご婚約したときは、私も裏切られたような気分になって……。そんなお嬢様を助けたエクトル王子がまるでヒーローのように見えたのです」

 ヒーロー……。言われてみれば、私の目にも、あのときのエクトル様はそう見えた。
 修道院に入ろうなんて突拍子もないこと考えてた私の手を取って、あっという間に、私を元気にしてくれたから。

「お嬢様が今お辛いのを我慢して笑っているのを、私はわかっています。リアム様の記憶を戻すお手伝いができるなら、私でよければいくらでもします。お嬢様がリアム様と接するのが辛ければ、記憶が戻るよう私が頑張ります。エクトル王子も、協力すると言って下さっていますし。最近いろいろありすぎたと思うので、お嬢様はゆっくり休んでてもいいのですよ」
「休む……?」
「はい。今のリアム様といるのは、精神的にもあまりよくないかと思いまして……ここは、動ける方たちに任せてください!」

 私のために、マリンも、エクトル様も、動こうとしてくれている。それなのに。

 ――私は今まで、なにをしてきただろう。

 シナリオ通りにいくと余裕をかました途端、お兄様はネリーと婚約した。予想外の事態が起きて、ただ不貞腐れ泣くだけ。
 エクトル様が手を引いてくれたのに、うだうだとお兄様のことを考え、かと思ったら、エクトル様にもいい顔をする。
 
 ずっと受け身で、行動をすることもなく、そのくせ愛されたいからと自分の欲にばかり忠実で。
 誰かに全部やってもらって、最初から愛されて――ヒロインポジションに甘える、本当にくだらない女だった。

 〝ミレイユ〟になってから、私は忘れていた。
 乙女ゲームをする上で大事なこと。好きな人との幸せは、自分からつかみ取りにいかなきゃいけない。
 私が動いて、選択して、そうやって未来に繋げていくんだ。
 乙女ゲームのヒロインはそうやって、エンディングを迎えてきたのだから。

「マリン。私、目が覚めたわ」
「……お嬢様?」
「もう今のお兄様から、逃げたりしない。だから、休む時間なんてないわ」

 もうお兄様を諦めることはしないと、エクトル様にも宣言したばかりなのに、私はなにをしていたのか。

 部屋を出て、書庫にいるお兄様のところへ走った。

 いつも向こうから来てくれたお兄様を、今度は私が追いかける番だ。

 書庫の扉を開けると、お兄様は私の方を振り返る。

「お兄様、両親が帰って来るまで、私と〝恋人ごっこ〟をしましょう」

 私はお兄様に、そんな提案をした。
 ゲームでもお兄様とミレイユは、ここからすべて始まったから。

 ――再度お兄様をヤンデレ化する計画、スタートよ。

 さあお兄様、私と一緒に、バッドエンドという名のハッピーエンドを目指しましょう。
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