たわけ陛下と偽側室

熊五郎

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一話

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 エンリ王国の第十七代国王。ダーテン・シュトラス・ウィンゲーツ・エンリがたわけであり、白痴であり、ノータリンであることは周辺諸国の一般常識であり文字が読めず、計算ができないそのへんの農民ですらそのことは知っていた。
 どれくらいたわけであり、白痴であり、ノータリンかというとまずはその容貌からでもわかった。小太りであり目はどろんと常に半開きであり口元もまただらしなく半開きになっている。開けっ放しである口から涎がこぼれるので常に側付きのものが拭ってやらないといけないいう始末であった。
 外見だけではなく中身の方も負けず劣らず、輪をかけてたわけであり、白痴であり、ノータリンであった。
 まず自分の名前が言えないのである。ダーテン・シュトラスまでしか言えない。どうしてもウィンゲーツが言えない。いつもそこまで言うとごにょごにょと誤魔化してしまう。
 さらにこんなエピソードも広く知られている。
 散歩中に麦畑を見て、側付きのものにあれはなんだ? とダーテン・シュトラス・ウィンゲーツ・エンリは尋ねた。
 「麦でございます」と側付きのものが答えると「ほう、あれなるは麦であるか。あれほどたくさん実っているのに朕はまだ麦を食べたことない」とパンを齧りながら言ったということもあったそうな。事実かどうかは分からない。ただ彼ならそれくらいのことは言うだろうと誰しもに思われた。それが問題であった。
 今更ではあるがダーテン・シュトラス・ウィンゲーツ・エンリと表するのは長すぎるのでダーデンと表することにする。
 もともとダーデンは国王になる予定ではなかった。ダーデンには兄が居り。さらにその兄は文武に優れ英明であり、容姿もまた美しかった。まだ太子時代にも関わらず様々な改革案を出しそれをことごとく成功させていた天才であった。
 しかし天才とはいつの世も薄命である。ある日遠乗りに出かけている際に誤って落馬し頭を打って絶命した。天才よ、英才よ、エンリの花よと謳われたダーデンの兄はあっさりとこのを去ったのである。
 去ると同時に兄はダーデンへ次期国王の座を譲り渡していった。ダーデンの愚昧さは早いうちから国民は元より周辺諸国に知られていたのでダーデンの兄の死に国民は嘆き悲しみ、周辺諸国は悲しみのポーズを示したが内心は大いに歓喜した。隣国の優秀な国王など自国にとっては毒でしかなく、逆に言えば隣国の愚昧な王はぜひとも友にしておきたかった。
 これはまたダーデンにとっても不幸な出来事であった。ダーデンの兄は不出来なこの弟を憐れみ可愛がっていたので予定通り兄が王となればどこか南の過ごしやすい土地をもらってそこで一生なに不自由なく過ごすことができたであろう。しかし運命はそれを許さなかった。
 王、などという重責はとてもではないがダーデンには背負いきれずまた政務を司る大貴族たちもダーデンにはなにひとつ期待をしなかった。すべての政務は貴族たちの内々の談合で決まり、ダーデンは「そうするがいい」とだけ言えば良かった。そうなると自然貴族たちはダーデンを粗略に扱うこととなる。当然のことであった。
 しかしどうしても貴族たちでは代行できない王の職務がある。つまり後継者をつくることであった。
 ダーデンには正室がいる。これは元はといえば兄が婚姻するはずの隣国の姫であったが兄の急死とともに王の座とともにダーデンの元に滑り込んできた。滑り込んできたはいいものの英名を謳われ、輝かんばかりの容姿を持つ兄の妃になるつもりであったのにたわけで白痴でノータリンで加えて醜男であるダーデンの妃に転がり落ちてきたその姫は病と称して与えられた宮殿から出てくることはなかった。明らかに仮病ではあったが誰しもが同情して無理やり伽をさせようとは思わなかった。あまりにも哀れである。
 しかしながら国としてはそうも言っておられない。
 王の最大の仕事とは次に繋げることであり次をつくることであった。その他の内政やら外交やら軍事はできるものがやればいい、事実他は貴族たちが牛耳り過分に甘い汁を吸いながらも国家を運営してた。
 
──────────
 
 そんなある日、宮中のある一室にて主だった貴族たちが顔を合わせて思案している「困ったものだ」とある貴族が言うと「さようさよう」と他の貴族たちも頷く。
 「子作りなど犬畜生でも教わらずにやってのけるというのにあのたわけは」と若い貴族がため息混じりに吐き出すと「これこれ言葉が過ぎますぞ」と年配の貴族がたしなめる。
 「これは失礼」と若い貴族がひょうきんに頭を下げると一室は笑いに満ちた。笑い声が収まるとはて、どうしょうか、こうしようかと同じところをぐるぐる回る会議が始まる。
 彼らとて国を預かる貴族であり為政者である。この問題の対処法などすでに頭に浮かんである。しかしそれを口に出すのを躊躇しているのである。なぜ躊躇しているかというと言い出しっぺの悲しいところで「それは名案!ではそこもとの方で」とあれよあれよと押し付けられるのは明白のことであったからだ。そんなことになってはかなわんと皆が皆思っいた。
 「あのぉ」とそこで声を上げるものがいた。ここに一人、その政治的な機微が分からない貴族がいた。
 彼は会議のメンバーではなく、この一室を彼らに貸し与えている貴族であった。政務を預かる大貴族と呼ばれる人物たちがぞろぞろと他の主だった大貴族の執務室に集まるのは具合が悪かった。どこの誰になにを言われるかもわかったものではない。だから誰も注目していないような木っ端貴族のところへ忍んで集まり密議を重ねる。そういう習慣になっていた。
 「なんだね」と筋骨たくましい威圧感溢れる一人の貴族がその木っ端貴族に顔を向けると彼は「あの、その、いや」とその威に怯み口を濁す。
 「まぁまぁ言ってごらんなさい」と優しく年配の貴族が声をかける。彼はもうこの後の展開を読み切りついでにこの木っ端貴族の家族構成を思い出した。
 若い貴族も木っ端貴族が口を出してきたときからニヤニヤと笑っている。彼が今日の密議の場所をここにと決めて木っ端貴族の同席も認めた。こうなることを期待していた。
 「あの、陛下に側室をとっていただけばよろしいのではありませんか?」と遠慮がちに木っ端貴族が口に出した。
 一瞬の静寂のあと「なるほど!」と若い貴族が手を叩く、「それは名案」と年配も貴族も頷き、「さすがだな」と筋骨たくましい貴族も腕を組み大袈裟に感嘆した。
 それからあれよあれよと若い貴族に煽てられ、年配の貴族になだめすかされ、筋骨たくましい貴族に脅されて気が付けば木っ端貴族は自分の娘をたわけで白痴でノータリンの陛下に差し出すこととなってしまった。しまった! 謀られた! と思ったときにはもう遅く「では、そういうことで」と密議は解散となった。
 屋敷に戻り妻や娘に包み隠さず、それを伝えると二人はもう阿鼻叫喚の地獄絵図、妻は気を失い娘は自殺すると息巻き手に負えない。
 これではどうにもならぬと嘆いていたときある名案が閃いた。

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 ダーデンの側室となった女の名前はアンリと言った。アンリは庭師の子供であった。アンリの父は長年ある貴族の庭師を務めて可愛がられ並々ならぬ恩を感じていた。
 精神的な恩をだけでなく、物質的な恩もあった。つまりかなりの額の借金をアンリの父は雇い主である貴族からしていた。彼は腕のいい庭師ではあったが酒と賭け事狂いであり、なんとあまりのツケにアンリが連れて行かれそうになったところを見かねた貴族がツケの肩代わりをしてくれたのである。
 この貴族こそダーデンに娘を差し出すことになった木っ端貴族であり、あの地獄絵図の夜閃いた名案とは娘の代わりに庭師の娘を陛下の側室として差し出すということであった。
 幸い木っ端貴族の娘は社交の場などを疎んじ顔も名前もまったくといっていいほど知られておらず正室はともかく側室などというものは所詮奥の従事者に過ぎぬものだから公的な場所に顔を出すこともない。そしてあのたわけで白痴でノータリンのダーデンになど貴族の娘も庭師の娘も見分けはつくまいと思った。
 そうと思えば木っ端貴族の動きは軽やかであった。その日のうちに庭師の家を訪れ、自らが大貴族たちにやられたように煽てなだめすかしそして脅して、恩をたてに娘を差し出せと詰め寄った。
 木っ端貴族はもともと庭師の借金のかたにアンリが連れて行かれそうになったところを助けるくらいには好人物なのだがいざ自分のかわいい娘があのたわけで白痴でノータリンのダーデンに穢されると思うと親として父として鬼にも悪魔にもならざるを得なかった。
 結局庭師は木っ端貴族の言葉を受け容れる他なく哀れな親子は涙を流し別れを惜しみ、今生ではもう二度と相見えることはなしと覚悟を決めた。
 さりとていきなり庭師の娘を宮中に物を投げるように入れるわけにはいかず、一ヶ月ほど木っ端貴族の屋敷の中で宮中マナーのあれやこれやを付け焼き刃ながら仕込めるだけ仕込んだ。
 アンリは頭のいい子であったから教えられることをスポンジが水を吸うようにものにしてどんどん貴族らしくなってきたが残念ながらここでタイムアウト。まだまだ足りないと家庭教師にぶつくさ言われながら宮中に上がることとなった。
 その前夜、木っ端貴族と家庭教師と庭師とアンリで卓を囲みその三人はアンリの不幸に大いに涙を溢した。ただアンリ一人は泣かなかった。バカバカしくって仕方なかった。
 泣いているこの三人が三人、アンリをあのたわけで白痴でノータリンのダーデンに差し出すために粉骨砕身動き回り、丹精込めて教え込み、そしてあっけなく手放した。この涙は形の上では私を惜しむ涙だがその実自分たちの役目が終わるのを歓喜する涙なのではないかとアンリは疑った。
 彼らの役目は今日限りかもしれないがアンリの役目は明日から本番なのである。この能天気な三人のように涙を目一杯溢そうなどとそんな気分にはとてもじゃないがなれなかった。


 
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