まおら

熊五郎

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一話

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 「ねぇ連絡先を教えてよ」
 女がそんなことを言い始めて俺は驚いた。
 場所はラブホテル、俺と女はベッドに横になり俺は女に腕枕をしてやっていた。
 「ねぇいいでしょ? 」
 俺と女の関係は恋人関係ではなかったし、友人関係でもなかった。ビジネス関係であった。俺は客で女はデリヘル嬢。女の名前はまおらと言った。
 俺がこの遊び、デリヘルを覚えたのはつい最近のことだ。
 二ヶ月ほど前まではホテルのビアホールスタッフとして大学生たちに混じってアルバイトしていたが働きが認められたか単に人手がなかったのか、ビアホールの期間が終わるとホテルの宴会場のスタッフとなりさらに一ヶ月前に場末のバーでバーテンダーをしていた経歴を買われてホテルバーのスタッフへと異動となった。
 ホテルバーのマスターは口やかましいし休みはだいたい週に一回から二回だけだが給料は良かった。出勤するのも午後三時からなので朝弱い俺としては助かった。
 つまり金と時間に余裕ができたので風俗に手を出してみたというわけだ。
 俺が思っていた以上にこの遊びは楽しかった。町場のバーで女を口説くよりよっぽど楽であったし金銭的にも女に食わせて飲ませてホテル代を払うよりは安かった。なにより気を使わなくていいのが気に入った。女に媚びる必要がないというところに結局は一番惹かれたのかもしれない。
 まおらを呼んだのは今日で三回目だった。肌が白く面長で良く言えば日本美人といった風ではあるがその反面悪く言えば能面に少し似ていた。
 彼女曰く年は俺と同じ二十四歳であるらしい。正直俺よりずっと若く、もっと言えば幼く見える。それは彼女に少し白痴っぽいところがあるせいかもしれない。
 まおらは初回から俺のことを気に入ってくれたらしくなんやかんやとサービスしてくれて本番(性行為)まで許してくれた。
 まおらが所属する月(ムーン)というデリヘル店は風儀が悪く、もしかしたら後々怖いお兄さんあたりが怒鳴り込んでくるかと思ったがそんなこともなく今回三回目に至っている。
 現在時刻は午後一時、プレイも終わりポツポツと話していたら急に連絡先を尋ねられた。冒頭の状況はそういった状況であった。
 「いつも仕事終わるの夜の一時くらいなんでしょ? 今日ご飯でも食べに行こうよ」
 なにも答えない俺を気にしないかのようにまおらは話し続ける。
 「ハンバーグが食べたいんだよね、びっくりドンキー行こうよ。私ねいつも三百グラムのチーズバーグディッシュをご飯大盛りにして食べてるんだよ、すごくない? 」
 俺が圧倒されているとケラケラ笑いながらスマートフォンを取り出し、「じゃあライン交換しよフルフルしよ」と半ば強制的に連絡先を交換させられた。
 俺はもちろんまおらを気に入っていたがデリヘル嬢に外で会う、となるとさすがに警戒心が働いたがそこは男の本能が勝った。スマートフォンを取り出し、連絡先を交換する。
 「じゃあ今日仕事終わったら連絡してね、車で迎え行くから」
 まさか送迎の車で来るんじゃないだろうなと喉元まで言葉が出てかかったがグッと堪える。冗談にしても笑えない。
 まおらはニコニコと手を振りながら部屋から出ていった。まおらには俺がバーテンダーをしているということは話していたが、どこに勤めているかとまでは当然教えていなかった。
 もしかしたらデリヘル嬢を彼女、は無理だがセフレにでもすることができるかもしれないと心が浮き立った。それと同時に再び警戒心が首をもたげてくる。まおらはいったいどういうつもりなんだろうか、俺に惚れたのか? いや、それはないだろとタバコに火を付けながら考える。
 煙を吐きながらどうにでもなれと思った。取られるようなものなんてなければまさか殺されることもあるまい、なんとかなるだろ。もしかすると本当に俺に惚れたたっていう可能性だってあるじゃないか。そう楽観的に思うと現金なもので今日の仕事終わりのデートが楽しみになってきてワクワクしてくる。
 時刻は午後二時、そろそろ俺も部屋から出て職場に行かなくてはいけない。
 ホテルバーの仕事ほど面白くないものはない、と勤めながら俺は思う。これなら地獄の宴会部の方がずっとマシである。なによりこの陰気なおっさんであるマスターと毎日のように顔を合わせないといけないのがなにより苦痛であり、しかもこのおっさん嫁をいびるのを生き甲斐にしてる姑のように口うるさい。
 フルーツの飾り付けが気に入らないだとかフードで出すミモレットが厚すぎるだとかステアが格好悪いだとかよくもまぁそんなグチグチ言えるもんだなと感心するほどだ。
 そんなとき俺はいつも軽く「すいませんねぇ」と謝って仕事を続ける。別に俺から頼んでバースタッフになった覚えはないし、なによりホテルバーに来る客の鼻持ちならなさに辟易とし、クビにするならしてくれよと思いつつ給料には満足しているので自分から辞めるという選択肢はなかった。
 閉店時間になり表を閉めると「じゃあ戸締まりしておけよ」と後片付けもせず、売上金の入った鞄を持ってマスターが店を後にする。
 「ツカレッシター」ともはやなにを言ってるのか分からない口調で俺は挨拶する。どうせ聞いてないんだからなんでも構わないのだ。
 誰も入ってこないようにスタッフ用の出入り口となっている裏口の鍵をかけてポケットからタバコを出して火をつける。
 深く煙を吸い込んで息を吐く。そのままタバコを咥えながらハーパー十二年のボトルを開けてグラスに少し注ぐ。見つかれば大目玉間違いなしの盗み飲みである。立派な横領だがこれくらいの役得がないとやってられない。福利厚生サービスの一部だと思っていただきたい。
 舐めるように飲んで時刻を確認する。現在午前〇時二十分。サクッと後片付け終わらせれば午前一時前にホテルを出ること可能だ、と逆算するとスマートフォンを取り出してまおらに連絡をいれる。
 【一時に駅前の吉野家の前で待ち合わせしよう。大丈夫? 】
 メッセージを送ると秒で返信が返ってきた。
 【おっけー。遅刻厳禁だよ】
 まおらのメッセージには返信せず、グラスを洗うことにした。
 俺が待ち合わせ場所に指定した吉野家は勤めているホテルの目と鼻の先ではあるがハーパー十二年をちびちびやりながら後片付けしたせいで俺がそこに到着したのは待ち合わせ時間の三分前というところであった。
 遅刻せず済んだことに安堵して辺りを見渡すがそれらしい車はなく、まだまおらは来ていないようだった。
 そして五分が経ち、さらに十分が経った。自分から遅刻厳禁だと言っておきながら自分が遅刻するのかよと思っていたら後ろからけたたましいクラクションの音が俺を刺した。
 びっくりして振り向くと真っ赤なデカい車がでんと駐車しており、運転席にはこれまたデカいサングラスをした女が座っていた。まおらだ。
 「ごめんごめん、なんだかゆっくりしてたら遅刻しちゃった」と俺が助手席に乗り込むなり、えへへとまおらは笑いながら謝った。社内は非常にタバコ臭かったがこれくらいタバコ臭いなら車内でも喫煙できるなと安心する。
 「では、出発しんこー! 」とまおらが右手をあげるとゆっくりと車が走り始めた。
 チラチラと俺を見ながら、正確には俺の髪型を見ながらまおらがクスクスと笑っている。
 「その髪型格好良いねー」
 「ありがとさん」
 憮然として俺は答える。うちのバーは男はもれなくオールバックにするのが規則なのである。俺はいつもバーのトイレの鏡を見ながら髪をセットしているので出勤前か休みの日にしか俺と会ったことのないまおらは俺のこの髪型を目にするのは初めてのことだった。
 額が少し広めの俺にとってこの髪型は不本意極まるものなのであまり触れないでほしいんだがまおらはお気に召したようで「いつもそれでいいじゃんー!」などと無責任なことを言っている。
 車を走らせること十分ほどでびっくりドンキーに着いた。席に着くなりまおらは予告していた通りチーズバーグディッシュ三百グラム、ご飯大盛りでと注文した。
 店員は苦笑いしながらあのバカデカいメニューを広げつつ「かしこまりました」と答えた。
 俺がメニューから注文するものを選ぼうとすると「あたしと同じものでいいじゃんっ」と言い始め、店員に「さっきのやつ二つで!」と宣言してしまった。
 さらに苦笑いした店員が困ったように俺を見る。
 「じゃあ俺も同じものをお願いします」と言うと店員は「かしこまりました。ハンバーグのサイズとご飯の量はいかがしますか? 」と確認してくる。
 「俺は普通で……」と言おうとするとまおらが「えー女の子より少食なんですか? 」とわざとらしく挑発するように手で口元を隠し笑みを浮かべる。
 むっとして「二つとも三百グラムとご飯大盛りでお願いします」と俺が答えるとまおらは満足そうに頷いた。
 他愛もない話をしていると店員がサービスワゴンを押してきてテーブルの上にチーズバーグディッシュ三百グラムご飯大盛りを並べていく。
 「美味しそうー」とまおらは目を輝かせているが俺はその巨大なハンバーグと山盛りのご飯を見ただけで胸焼けが起こるような感覚におそわれた。
 「いただきます」と手を合わせるとまおらは箸を持ち、勢いよく食べ始めた。
 俺も「いただきます」と手を合わせてゆっくりと食べ始める。仕事終わりで腹は減ってはいたがこの量を食べ切れるかは大いに不安であった。
 「美味しいね」って言いながら猛然と食べ進めていたまおらだったが半分ほど食べたあたりで明らかにペースダウンした。
 「うぅ……」と唸ると「サラダ食べて! 」と俺の了承を待たずに自分のサラダを俺の器に移し替える。
 「おいおい……」と口を開こうとした俺の口を塞ぐようにまおらは「どうせ野菜なんて食べてないんでしょ、いっぱい食べて健康になろう」と宣った。
 それからまおらと俺は二人で黙々とチーズバーグディッシュと格闘した。とても喋る余裕なんてなかった。まおらが押し付けてきたサラダが案外ボリュームがありこいつさえなければと思いつつなんとか目を白黒させながら俺は完食へと漕ぎ着けた。
 まおらはというとあと少し、三口ほどがどうしても入らないらしくこちらをじぃっと見つめている。
 「あたし、ご飯は残しちゃいけないってママに厳しく言われてきたんだよね」
 おもむろにまおらがそう切り出してきた。
 「確かに俺もそう思う。食べ物は残しちゃいけない」俺が賛成くると「だよねっ」とまおらも頷いた。
 「で、ママはこうも言ったんだ。本当に困ったときは助けを求めなさい、絶対優しい人が助けてくれるからって……」
 じぃっと見つめてくる黒い瞳から俺は目を逸して窓の外を眺める。「絶対に助けてくれる人が……」とまおらがまた先程のセリフを言おうとするのを遮るようにまおらのチーズバーグディッシュを奪い口に運ぶ。もうこいつは食べる気がなく、俺に自分の食べかけを無理やり食わせる遊びを始めたとそう直感したからだ。
 まおらは「ありがとうー」と微笑みながら、「デザートはチョコレートパフェにしようかな」と言いつつ店員を呼ぶボタンを押した。
 これ以上ないというくらい満腹になり、俺は食後のコーヒーを飲みながらまおらがチョコレートパフェを食べるのを待っていた。
 チーズバーグディッシュにはあれほど苦戦をしていたのにチョコレートパフェは喜々として食べている。甘い物は別腹だって言うがそれを目の当たりにしている気分であった。
 出ようか、という頃合いになり俺が伝票を取ろうとするとまおらがすっと俺より早くそれを取った。
 「俺が払うよ」とふっと笑いながら言うと真剣な顔でまおらは「今日は私が誘ったから私が出すよ」ときっぱりと宣言してレジへと歩いていった。
 外に出て、駐車場に駐めてあったまおらの車に乗り込みながら「ごちそうさま、ありがとう」と礼を言った。
 それには答えず「ねぇこれからどうする? 」とまおらはすっと俺のふとももに左手を置いた。
 「私、明日お休みもらってるんだ」
 「俺は明日も仕事だ」
 まおらは左手で俺のふとももの感触を確かめるようにゆっくりと撫でる。 
 「お仕事はお昼からでしょ? ねっ私の部屋に来ない? 」
 これは危険だぞ、危険だ。と頭で思っているくせに俺はこくりと頷いた。
 あぁ本当に俺という男はどうしようもない男だ。
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