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『深紅の魔女レディ・モナルダとお姫様』
第12話「モートン通り」
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紹介状を受け取って魔導書に挟んでから、ふとモナルダは尋ねる。
「今まで、どれくらい依頼を?」
「教えても構わないが、聞かない方が良いと思うがね」
殺した人数などわざわざ数えていられない。公爵ともなれば、どれだけの厄介ごとに巻き込まれるか。ただそういう立場というだけで。
「足下に積みあがった死体の数など、もう覚えていない。少なくとも、何があろうと君の敵に回らない事だけは確かだ。手助けだってしよう」
「ハッ、お前みたいな奴が味方で頼もしいよ。では行ってくる」
ゾッとする話だ。ビリー・ロッケンやグリンフィールド伯爵とは比べるべくもなく、彼は多くの命を奪ってきた。それも他人の手を汚すだけで済ませ、平気な顔をして晩には高い酒を飲んで過ごすのだから恐ろしい。
ともかくとして、ナイルズが協力的なのはありがたい事だ。モナルダだからこその強い信頼を勝ち得ている状況は、たとえ爵位など持たずとも、魔女というひとつだけの地位がどれほどの影響を与えるかを物語っていた。
「さて。では言われたように、モートン通りに行ってみるとしよう」
邸宅を出た後、馬車に乗るかどうかを迷ったが、万が一の事を考えてロッケン商会には寄らず、徒歩で移動する。ナイルズの厚意で『あまり目立ちたくないだろう』と大きな黒い日傘も借りられた。
「ボクが持とうか、その魔導書?」
「ん、頼もう。少し重いぞ」
「……わっ、本当。流石だね。これってモナルダが書いたの?」
「いいや。初代の魔女が創り、歴代が書き加えてきた」
初代魔女。名をシャムロック・フロールマン。多くの魔法を魔導書として書き記し、不老不死の呪いによって魔導書を何代にもわたって継がせてきた。モナルダは自分が最後かもな、と内心で笑った。
「落とすなよ」
「うん、大丈夫」
街の景色を楽しみながら、モートン通りを目指す。しばらく来ていなかったとはいえ見慣れたモナルダは特に感慨深くもなかったが、レティはかなり興味津々だ。途中にあったチョコレートの専門店を見て、通り過ぎるまで目で追った。
「ああ、あれだ。見ろ、モートン通りの看板が出てる」
「本当だ。……でもなんか、路地裏?」
「そうだな。私もナイルズから物乞いに会えと聞いて不思議に思ってたが」
どうりで最初にきっぱり断られたのだと理解する。モートン通りは観光とも離れた、ニューウォールズの小さな区域の名であり、そこで暮らす人々を侮蔑を込めて『ねずみの通り道』と呼んだ。
簡単に言えば、貧民窟。貧しい者たちに与えられた、ただひとつの住処。そこで暮らすしかない。たとえ卑しく生きていると言われても。
「まさか貧民窟に入る事なるとはな」
日傘をたたみ、レティに差し出す。
「持ってろ。ここからは魔導書は私が持っていた方が良い」
貧民窟の人間は、ただ貧しいから侮蔑を受けるわけではない。その卑しさと図々しさが彼らをそう呼ばせたのも確かだ。価値のあるものかどうかは分からなくとも、奪えばパンをひとつ買うくらいの金にはなる。そういう考え方をした。
「私から離れるなよ。ここはお前が、たとえば極めて普通の暮らしをぎりぎりしているような人間であっても、奴らにとっては都合のいいエサと変わらない。生ゴミを漁るネズミのように、あいつらはいつだって目をギラつかせてる」
百年過ぎても変わらない。町が如何に栄えようと、光ある場所に影が差すのと同じで、貧民窟は必ずといっていいほど産み落とされる。そして、他者の気持ちなど考える余裕もなければ、そのつもりもない者たちで溢れた。
彼らは魔女に救いを求めない。魔女だと分かっても──多くの場合は気付く事もないが──荷物があるのなら、それに価値を見出す。
「おぉ、そこ行く若者……。どうかお恵みを……」
通り過ぎようとしたとき、老人が赤い缶を差し出す。薄汚れた空き缶の中身は空っぽで、小銭のひとつでも恵んでくれる誰かを待っているように見えた。
「木の実でも入れてやろうか、金より役立つだろ」
「ハハ……それでも構わんよ。腹が空いて仕方がない」
「冗談だよ。餌を入れたら、たちまち缶にネズミが入るぞ」
その瞬間。老人は缶を下げて立ちあがり、周囲を見渡す。
「確かにその通りかもしれない。このあたりは頭の黒いネズミが多いから、場所を変えた方がよさそうだ、誰にも見られない場所で話をしよう」
「ああ、頼む。その前に、これを渡しても?」
渡された手紙の封蝋に刻まれた公爵家の紋を見て、何度か視線がモナルダたちと往復してから、老人はかぶっていたぼろぼろの帽子を脱いで捨てた。
「こりゃ上客だ。魔女だとは分かっていたが、ミルフォード公の紹介状まであるとは。行こう、あんたたちも目立つのは嫌だろう」
白髪を掻きあげ、ふさふさの付け髭を剥がすと、見目には四十代くらいの男になった。変装して浮浪者の真似をしながら過ごすのが彼の仕事だった。
「お前の名を聞いても?」
「職業柄明かせない」
「……ふむ、なら構わん」
わざわざ聞いたところで、今日だけの付き合いだと興味もない。念のため聞いておいた方が、何かあったときに名前を出せるかもしれないと思っただけだ。無理に問い質すのは今後にも良くないと、すんなり諦めた。
「悪いね。ひとまずアジトへ案内するよ、来てくれ」
「今まで、どれくらい依頼を?」
「教えても構わないが、聞かない方が良いと思うがね」
殺した人数などわざわざ数えていられない。公爵ともなれば、どれだけの厄介ごとに巻き込まれるか。ただそういう立場というだけで。
「足下に積みあがった死体の数など、もう覚えていない。少なくとも、何があろうと君の敵に回らない事だけは確かだ。手助けだってしよう」
「ハッ、お前みたいな奴が味方で頼もしいよ。では行ってくる」
ゾッとする話だ。ビリー・ロッケンやグリンフィールド伯爵とは比べるべくもなく、彼は多くの命を奪ってきた。それも他人の手を汚すだけで済ませ、平気な顔をして晩には高い酒を飲んで過ごすのだから恐ろしい。
ともかくとして、ナイルズが協力的なのはありがたい事だ。モナルダだからこその強い信頼を勝ち得ている状況は、たとえ爵位など持たずとも、魔女というひとつだけの地位がどれほどの影響を与えるかを物語っていた。
「さて。では言われたように、モートン通りに行ってみるとしよう」
邸宅を出た後、馬車に乗るかどうかを迷ったが、万が一の事を考えてロッケン商会には寄らず、徒歩で移動する。ナイルズの厚意で『あまり目立ちたくないだろう』と大きな黒い日傘も借りられた。
「ボクが持とうか、その魔導書?」
「ん、頼もう。少し重いぞ」
「……わっ、本当。流石だね。これってモナルダが書いたの?」
「いいや。初代の魔女が創り、歴代が書き加えてきた」
初代魔女。名をシャムロック・フロールマン。多くの魔法を魔導書として書き記し、不老不死の呪いによって魔導書を何代にもわたって継がせてきた。モナルダは自分が最後かもな、と内心で笑った。
「落とすなよ」
「うん、大丈夫」
街の景色を楽しみながら、モートン通りを目指す。しばらく来ていなかったとはいえ見慣れたモナルダは特に感慨深くもなかったが、レティはかなり興味津々だ。途中にあったチョコレートの専門店を見て、通り過ぎるまで目で追った。
「ああ、あれだ。見ろ、モートン通りの看板が出てる」
「本当だ。……でもなんか、路地裏?」
「そうだな。私もナイルズから物乞いに会えと聞いて不思議に思ってたが」
どうりで最初にきっぱり断られたのだと理解する。モートン通りは観光とも離れた、ニューウォールズの小さな区域の名であり、そこで暮らす人々を侮蔑を込めて『ねずみの通り道』と呼んだ。
簡単に言えば、貧民窟。貧しい者たちに与えられた、ただひとつの住処。そこで暮らすしかない。たとえ卑しく生きていると言われても。
「まさか貧民窟に入る事なるとはな」
日傘をたたみ、レティに差し出す。
「持ってろ。ここからは魔導書は私が持っていた方が良い」
貧民窟の人間は、ただ貧しいから侮蔑を受けるわけではない。その卑しさと図々しさが彼らをそう呼ばせたのも確かだ。価値のあるものかどうかは分からなくとも、奪えばパンをひとつ買うくらいの金にはなる。そういう考え方をした。
「私から離れるなよ。ここはお前が、たとえば極めて普通の暮らしをぎりぎりしているような人間であっても、奴らにとっては都合のいいエサと変わらない。生ゴミを漁るネズミのように、あいつらはいつだって目をギラつかせてる」
百年過ぎても変わらない。町が如何に栄えようと、光ある場所に影が差すのと同じで、貧民窟は必ずといっていいほど産み落とされる。そして、他者の気持ちなど考える余裕もなければ、そのつもりもない者たちで溢れた。
彼らは魔女に救いを求めない。魔女だと分かっても──多くの場合は気付く事もないが──荷物があるのなら、それに価値を見出す。
「おぉ、そこ行く若者……。どうかお恵みを……」
通り過ぎようとしたとき、老人が赤い缶を差し出す。薄汚れた空き缶の中身は空っぽで、小銭のひとつでも恵んでくれる誰かを待っているように見えた。
「木の実でも入れてやろうか、金より役立つだろ」
「ハハ……それでも構わんよ。腹が空いて仕方がない」
「冗談だよ。餌を入れたら、たちまち缶にネズミが入るぞ」
その瞬間。老人は缶を下げて立ちあがり、周囲を見渡す。
「確かにその通りかもしれない。このあたりは頭の黒いネズミが多いから、場所を変えた方がよさそうだ、誰にも見られない場所で話をしよう」
「ああ、頼む。その前に、これを渡しても?」
渡された手紙の封蝋に刻まれた公爵家の紋を見て、何度か視線がモナルダたちと往復してから、老人はかぶっていたぼろぼろの帽子を脱いで捨てた。
「こりゃ上客だ。魔女だとは分かっていたが、ミルフォード公の紹介状まであるとは。行こう、あんたたちも目立つのは嫌だろう」
白髪を掻きあげ、ふさふさの付け髭を剥がすと、見目には四十代くらいの男になった。変装して浮浪者の真似をしながら過ごすのが彼の仕事だった。
「お前の名を聞いても?」
「職業柄明かせない」
「……ふむ、なら構わん」
わざわざ聞いたところで、今日だけの付き合いだと興味もない。念のため聞いておいた方が、何かあったときに名前を出せるかもしれないと思っただけだ。無理に問い質すのは今後にも良くないと、すんなり諦めた。
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