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第一章 邂逅
6 微笑
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(……いや。なんなんだ)
自分から始めてしまっておきながら、ヴォルフはどうしようもない自己嫌悪に陥っていた。
水から上がってきた「青年」は、下半身も紛れもない「人間の青年」のものだった。ヴォルフが突きつけている小型レイ・ガンの筒先と、宇宙服を着たぶかっこうな姿とを、恐怖と困惑の入り混じった目で代わるがわる見つめている。
一般的な人間の男子と少し違うのは、その足の間にあるものを少しも隠す素振りがないことぐらいか。やや身構えるようにして片腕を胸の前に持ってきている以外、特に動く様子もない。
こうして見ると、あらためて本当に非の打ちどころのない美しさだ。
驚いていきなり本性を現すかと思いきや、「彼」はその最初のイメージをほとんど変えることもなかった。おどおどと不安そうにヴォルフを見つめ返してくる以外、いかにも優しげな雰囲気も美々しさもそのままである。
(……ああもう。なんだってんだよ)
次第にげんなりしてきて、ヴォルフは遂に銃口を下げた。
(これじゃ、俺がめちゃくちゃ弱いもん虐めしてるみたいじゃねえか──)
代わりに、もう片方の手にあった相手の衣服をぐいと突き出す。
「ほらよ。着な」
「…………」
それでも相手は、やや首をかしげただけでじっとこちらを見つめるばかりだ。
「『着ろ』、っつってんだよ。あんたのだろ」
やっぱり、相手は動かない。
どうやら言葉が通じないようだ。まあ、当然と言えば当然だったが。
業を煮やしてずいと一歩前に出ると、青年はびくっと体を竦ませた。
ダメだ。これでは完全に「弱い者いじめ」である。
まったく自分の趣味じゃない。
ヴォルフは軽くため息をこぼしてがくりと肩を落とした。
「悪かったってば。ほれ、着ろって」
言いながら、相手の体にぐいと衣服を押し付ける。青年の手がそれを受け取ったのを確認して、また数歩あとずさった。
青年は、しばらく呆然とこちらを見ていたようだった。が、ようやくのろのろと動き出した。それでもちらちらとこちらを窺うことは忘れない。
まずは下着らしいものを身に着け、長袖のTシャツによく似た上着、それに体にぴったりと添う下履きとごつい目のブーツ。その上から、やや派手なデザインの紅いロングコートを羽織り、堅牢そうな手袋をつけ、くすんだ色のマントやゴーグルらしきものを手にする。
細身で腰を絞ったデザインの紅いコートは、不思議にこの青年によく似合った。裾に長いスリットが入ったコートで、足さばきはよさそうだ。
ヴォルフはその間、近くの樹の幹に背中をあずけて一部始終を見守っていた。
身支度のすべてが終わると、青年はまたぴたりと止まった。
再びじいっとヴォルフを見つめてくる。
「ん? なんだ」
「…………」
青年は少し、考えたようだった。
やがてその片手がすいと空を指さした。そのまま指先がすうっと下へ降りるように動き、首をちょっとかしげてこちらの様子を窺う。
要するに、「さっきのアレに乗ってきたのか」という問いなのだろう。そう解釈して、ヴォルフは少し笑って見せた。
「おお。さっきの宇宙船に乗って来た奴だよ、俺は。ノックもしなくて悪かったな」
「…………」
ちょっとしたジョークのつもりだったが、青年にはもちろん通じない。
「悪いな、あんたの住処をえらくお騒がせしちまって。ちょっとばかり水と食料を手に入れたら、すぐに出て行く予定だからよ。そんなに迷惑は掛けねえから。心配すんな」
意味が分かったのかどうか。
青年の瞳の色が、ひどく緊張したものから少しやわらいだようだった。軽く顎を上下させ、今度は自分の顔を指さしてとんとんと動かしている。
今度はヘルメットのことを何か言いたげな様子だった。
「ああ、コレか? ん~。そうだな」
正直、いつまでもこれをかぶっているのはかなり鬱陶しくなっている。これだけではない。体を包んだ宇宙服も、ごわごわとしてひたすらに不快でしかなかった。
内側で表示されている詳細な検査データを見ている分には、これを脱いでも危険なことは何もないようでもある。本音を言えばこんなもの、今にも脱ぎ捨てたいのは山々だった。
ヴォルフはそれでも、しばし迷った。
すでに喉はひりつくようだ。
正直、水が欲しい。今すぐにも、がぶがぶとこの喉を潤したい。
目の前にあれほどたんまりと、清浄そうな水があるというのに!
「あ~。ま、いっか」
遂にヴォルフは腹を決めた。
そうしてかちりと、ヘルメットのロックを外した。
ヘルメットの下から現れたヴォルフの顔を、青年は下からしげしげとまぶしそうな目で眺めた。青年は、一般的な男子としては長身の方である。だが、ヴォルフよりも拳ひとつ分ほど背が低い。細身なので、体の厚みは半分ほど。
抱き寄せると、ちょうど腕の中に体が入ってしまうぐらいな感じか。
(……って。なに考えてんだ、俺は)
自然に湧き上がった自分の妄想を叱咤しつつ、ヘルメットを脇に抱える。周囲の緑が発する水蒸気や生き物たちの匂いが、鼻孔から肺へとむわっと広がっていく。
……清浄だ。
空気は至って清浄だった。
むしろ、命の気配に満ちている。
なにやら不思議に、ほっとする。
本来、自然を愛する生物学者である自分は、無機質な宇宙船内やラボにいるより、こうした土や水や木々のある場所の方がはるかに落ち着くのだ。
「ちょっと、ごめんよ」
ヴォルフは青年に向かって片手を上げると、無造作にその脇を通り抜けた。泉の畔に座り込み、その水を手首につけたバンド状の検査機器に振りかけてみる。ピピッと小さな電子音がして、すぐに結果が表示された。
──オール・グリーン。
飲める水だ。
次の瞬間。
ばしゃっと両腕を水に突っ込んで、ヴォルフは両手に水を掬うと、一心不乱に飲み始めた。
いつの間にか隣にやってきてしゃがみこんでいた青年は、ひたすら水を喉に流し込んでいるヴォルフを、しばらく目を丸くして見つめていた。
ようやく人心地ついたところで、ヴォルフがびしょぬれの顔で隣を見ると、しゃがんだ膝に腕を回して、青年はじっとこちらを見ていた。
(え──)
その顔を見て、どくりと胸の奥がはねた。
輝くような優しい微笑。
青年はにこにこと嬉しそうに、そんな笑顔で笑っていた。
自分から始めてしまっておきながら、ヴォルフはどうしようもない自己嫌悪に陥っていた。
水から上がってきた「青年」は、下半身も紛れもない「人間の青年」のものだった。ヴォルフが突きつけている小型レイ・ガンの筒先と、宇宙服を着たぶかっこうな姿とを、恐怖と困惑の入り混じった目で代わるがわる見つめている。
一般的な人間の男子と少し違うのは、その足の間にあるものを少しも隠す素振りがないことぐらいか。やや身構えるようにして片腕を胸の前に持ってきている以外、特に動く様子もない。
こうして見ると、あらためて本当に非の打ちどころのない美しさだ。
驚いていきなり本性を現すかと思いきや、「彼」はその最初のイメージをほとんど変えることもなかった。おどおどと不安そうにヴォルフを見つめ返してくる以外、いかにも優しげな雰囲気も美々しさもそのままである。
(……ああもう。なんだってんだよ)
次第にげんなりしてきて、ヴォルフは遂に銃口を下げた。
(これじゃ、俺がめちゃくちゃ弱いもん虐めしてるみたいじゃねえか──)
代わりに、もう片方の手にあった相手の衣服をぐいと突き出す。
「ほらよ。着な」
「…………」
それでも相手は、やや首をかしげただけでじっとこちらを見つめるばかりだ。
「『着ろ』、っつってんだよ。あんたのだろ」
やっぱり、相手は動かない。
どうやら言葉が通じないようだ。まあ、当然と言えば当然だったが。
業を煮やしてずいと一歩前に出ると、青年はびくっと体を竦ませた。
ダメだ。これでは完全に「弱い者いじめ」である。
まったく自分の趣味じゃない。
ヴォルフは軽くため息をこぼしてがくりと肩を落とした。
「悪かったってば。ほれ、着ろって」
言いながら、相手の体にぐいと衣服を押し付ける。青年の手がそれを受け取ったのを確認して、また数歩あとずさった。
青年は、しばらく呆然とこちらを見ていたようだった。が、ようやくのろのろと動き出した。それでもちらちらとこちらを窺うことは忘れない。
まずは下着らしいものを身に着け、長袖のTシャツによく似た上着、それに体にぴったりと添う下履きとごつい目のブーツ。その上から、やや派手なデザインの紅いロングコートを羽織り、堅牢そうな手袋をつけ、くすんだ色のマントやゴーグルらしきものを手にする。
細身で腰を絞ったデザインの紅いコートは、不思議にこの青年によく似合った。裾に長いスリットが入ったコートで、足さばきはよさそうだ。
ヴォルフはその間、近くの樹の幹に背中をあずけて一部始終を見守っていた。
身支度のすべてが終わると、青年はまたぴたりと止まった。
再びじいっとヴォルフを見つめてくる。
「ん? なんだ」
「…………」
青年は少し、考えたようだった。
やがてその片手がすいと空を指さした。そのまま指先がすうっと下へ降りるように動き、首をちょっとかしげてこちらの様子を窺う。
要するに、「さっきのアレに乗ってきたのか」という問いなのだろう。そう解釈して、ヴォルフは少し笑って見せた。
「おお。さっきの宇宙船に乗って来た奴だよ、俺は。ノックもしなくて悪かったな」
「…………」
ちょっとしたジョークのつもりだったが、青年にはもちろん通じない。
「悪いな、あんたの住処をえらくお騒がせしちまって。ちょっとばかり水と食料を手に入れたら、すぐに出て行く予定だからよ。そんなに迷惑は掛けねえから。心配すんな」
意味が分かったのかどうか。
青年の瞳の色が、ひどく緊張したものから少しやわらいだようだった。軽く顎を上下させ、今度は自分の顔を指さしてとんとんと動かしている。
今度はヘルメットのことを何か言いたげな様子だった。
「ああ、コレか? ん~。そうだな」
正直、いつまでもこれをかぶっているのはかなり鬱陶しくなっている。これだけではない。体を包んだ宇宙服も、ごわごわとしてひたすらに不快でしかなかった。
内側で表示されている詳細な検査データを見ている分には、これを脱いでも危険なことは何もないようでもある。本音を言えばこんなもの、今にも脱ぎ捨てたいのは山々だった。
ヴォルフはそれでも、しばし迷った。
すでに喉はひりつくようだ。
正直、水が欲しい。今すぐにも、がぶがぶとこの喉を潤したい。
目の前にあれほどたんまりと、清浄そうな水があるというのに!
「あ~。ま、いっか」
遂にヴォルフは腹を決めた。
そうしてかちりと、ヘルメットのロックを外した。
ヘルメットの下から現れたヴォルフの顔を、青年は下からしげしげとまぶしそうな目で眺めた。青年は、一般的な男子としては長身の方である。だが、ヴォルフよりも拳ひとつ分ほど背が低い。細身なので、体の厚みは半分ほど。
抱き寄せると、ちょうど腕の中に体が入ってしまうぐらいな感じか。
(……って。なに考えてんだ、俺は)
自然に湧き上がった自分の妄想を叱咤しつつ、ヘルメットを脇に抱える。周囲の緑が発する水蒸気や生き物たちの匂いが、鼻孔から肺へとむわっと広がっていく。
……清浄だ。
空気は至って清浄だった。
むしろ、命の気配に満ちている。
なにやら不思議に、ほっとする。
本来、自然を愛する生物学者である自分は、無機質な宇宙船内やラボにいるより、こうした土や水や木々のある場所の方がはるかに落ち着くのだ。
「ちょっと、ごめんよ」
ヴォルフは青年に向かって片手を上げると、無造作にその脇を通り抜けた。泉の畔に座り込み、その水を手首につけたバンド状の検査機器に振りかけてみる。ピピッと小さな電子音がして、すぐに結果が表示された。
──オール・グリーン。
飲める水だ。
次の瞬間。
ばしゃっと両腕を水に突っ込んで、ヴォルフは両手に水を掬うと、一心不乱に飲み始めた。
いつの間にか隣にやってきてしゃがみこんでいた青年は、ひたすら水を喉に流し込んでいるヴォルフを、しばらく目を丸くして見つめていた。
ようやく人心地ついたところで、ヴォルフがびしょぬれの顔で隣を見ると、しゃがんだ膝に腕を回して、青年はじっとこちらを見ていた。
(え──)
その顔を見て、どくりと胸の奥がはねた。
輝くような優しい微笑。
青年はにこにこと嬉しそうに、そんな笑顔で笑っていた。
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