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第八章 隠された記憶
3 失敗
しおりを挟む不思議な夢を見ていた。
いや、果たしてそれは夢だったのか。
彼と二人で生まれてきた、あの地下世界。
知育プログラムによって教育されて、そのAIとの交流はあったけれども、基本はたった二人で育った双子の兄弟。
(アジュール……)
青年期に入るまでの兄は、弟である自分をとても大事にしてくれていた。「お前は少し注意力不足なところがあるから」と、ひとりで外界へ出て行くのにもいい顔はしなかった。
その言葉に違わず、兄のほうはかなり聡明で優秀であり、かつ慎重な性格だった。やや理屈っぽくて皮肉屋のきらいはあるが、しっかりとした自尊心と、自分なりの筋の通った考えを持つ兄、アジュール。
フランはその兄を尊敬し、また愛してもいた。
やがて知育プログラムから学んだ通り、人間でいうところの「第二次性徴期」を終えた二人は体をつないだ。
なにもかもが初めての経験で、フランは最初から最後まで、ただ戸惑っていただけだった。最初はやたらとくすぐったくて変な声がでてしまったり、つい「うひゃひゃひゃ!」と笑ってしまったりしてアジュールに睨まれた。
ちなみに、自分たちは本来、どちらがどちらになっても構わない身体の構造ではある。だけれども、兄は決して自分が「抱かれる側」になろうとはしなかった。
またフランのほうでも、「兄を抱く側」に回ろうとは微塵も思わなかった。これは本当に「なんとなくそうなった」としか言えないのだけれども。
ともかくも。彼に触れられ、自然に反応する自分の熱に押し流されるようにして、ただ受動的に兄に抱かれ、はじめての行為は終わってしまった。そこから何度もその行為を繰り返していくうちに、次第に二人は奇妙なことに気がつきはじめた。
いつまでたっても、フランの体に異変が起こらないのだ。
本来であれば、最初の行為をしただけでフランの体内に新たな命がはぐくまれていたはずだった。それが、何度やっても起こらない。
さすがに何かの不具合が心配された。フランもアジュールも、ドーム内の《胎》に何度か入って体のメンテナンスと精密検査をおこなってみたのだったが、結果は絶望的なものだった。
どうやら二人とも、生殖機能に何らかの障害が起こっているらしかった。それはこの惑星を探しあてるまでの長い長い航海の中で起こった環境の変化が原因だと思われた。特定の有害な宇宙線を浴びてしまったとか、生まれるまでにあまりにも長い時間がかかってしまったためだとか、そういう理由であるらしい。が、詳細はいまだに分からない。
検査結果を丹念に読みこんだアジュールは、明らかに意気消沈した様子だった。もちろんフランも同様である。この惑星でこの兄と共に新しい世界を築く礎になるのだと胸を膨らませながら成長してきた長い時間が、すっかり無駄になってしまったのだ。
しかし、不思議なことにアジュールはフランを抱くことはやめなかった。夜になればごく自然に床を供にし、フランの体を押し開く。決してフランに無理を強いることもなく、その手つきも唇もごく優しいものだった。
この行為にも慣れたフランの体は、素直にその快楽に酔った。
「愛されている」と思っていた。
「これが『愛』ってものなんだ」と信じていた。
その頃は、ごく無邪気に。
だから、別に子供が生まれてこなくてもフラン自身は構わなかった。確かに少し残念だったし、寂しいとも思ったけれど。大好きな兄とこうして、命が尽きるまで一緒にいるのだって悪くない。なによりも当の兄だって、そう思ってくれているようだったから。
自分たちは、「失敗」だった。
「地球」の記録によれば、この宇宙には自分たちのほかにも数多くの「アジュールとフラン」たちが放出されている。木々が自分の子供たちを風にのせて、次の命をつなぐため遠くへ飛ばすようにして。
そのうちの何パーセントかが成功すれば、それでいいのだ。この計画は、そもそもその程度の期待で着手されたものに過ぎなかったのだから。
自分たちは失敗だったが、どこか別の宇宙、ほかの世界では、自分たちと同じ「アジュールとフラン」が、人類の新たな世界をつくり上げてくれるだろう。それでいいのだ。それで十分だった。
そうして、何万時間かが過ぎたころ。
この惑星に、とある難破船がやってきた。
当時、この惑星には今のようなステルス機能は施されていなかった。誰かに発見されて、どこかの宇宙船がやってくるのも、確率的にはとても珍しいことだったが決してゼロではないはずだったのだ。
驚いたことに、船には人が乗っていた。そう、自分たちが生み出すはずだった「人類」だ。
十数名の男性らしき人影が飲み水や食料を求めて地表を彷徨っているのを、アジュールはしばらくドーム内の監視装置で観察していたようだった。なぜかその目に、疑わしげな光をたたえて。
フランは戸惑った。兄がどうして、すぐに救助に向かってやらないのかが不思議だった。
『ねえ、助けにいってあげようよ。アジュール』
『いや。もう少し、様子を見よう』
『でも、ほら。みんなふらふらして、とっても疲れてるみたいだよ? 放っておいたら、死んじゃう人がでちゃうかも──』
『もう少しだけ待て。ちょっと気になることがある』
『でもっ……』
『黙れ。頼むから俺の言うことを聞け』
フランが何を言っても、そんな押し問答が繰り返されるばかりで、アジュールはなかなか動こうとしなかった。
ドーム内のモニターに映し出された彼らの宇宙船は、明らかに破損してすぐには飛べない状態だった。しかも、食料や水を求めてうろついている彼らの姿は、日に日に疲弊していくようだった。ちょっとした食料になるものを見つけた途端、殴り合いを始めるような場面も見られた。
ある日、とうとう辛抱できなくなったフランは兄に黙って飛行艇に飛び乗った。ドームに備え付けの飛行艇は、ころんと丸っこいロールパンのような形をしている。色目もちょうどそんな感じだ。宇宙に出ることはできないものだが、地表で使うには使い勝手のいい乗り物だった。
フランはその「ロールパン」に乗って、まっすぐ彼らの船に向かって飛んでいった。
それが、すべての悲劇のはじまりだったのだ。
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