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第八章 隠された記憶
11 星空
しおりを挟む「言ってどうするの。そんなこと」
ヴォルフは虚を衝かれた。
「フラン──」
「それに一体なんの意味があるの? 僕は君たちとは違う。わかってるでしょ? 君たちの遺伝物質を利用し、人類を生み出して、世界をもう一度創りあげる。そのために君たちに造られた。それだけの存在だ」
「……だから?」
言ってその目を覗き込んだら、フランは急にくしゃっと顔を歪めた。
「だから……ないもの。そんな資格、僕には──」
「資格? 資格ってなんだよ」
「だからっ……!」
とうとう堪りかねたのか、フランはヴォルフの膝から飛びおりて部屋の隅に立ち尽くした。壁の方を向いて、こちらを見ようともしない。
「僕、知ってるんだ。君はもともと、人間の女性が好きな人でしょ? 本来なら、どこかで好きな人を見つけて、ちゃんと幸せになるべき人でしょ」
「……はあ?」
「あのタチアナさんやミリアさんを見ててよく分かった。君たちの中には、あんな素敵な女性たちがたくさんいるんだよね」
表情は見えないが、その声はひどく揺らいでいる。
「君はああいう人たちと仲良くなって、ちゃんとうまくやっていける人だ。ちゃんと、女性と家族が築ける人だ。そんな君が、なにもこんな……出来損ないの木偶人形みたいなものと面倒なことになる必要はない」
「おい。ちょっと待てよ」
「ちょっと発散したいときに、適当に欲望のはけ口にでもしてもらったらそれでいい。さっきみたいに、いくらでもお相手はしてあげられるんだし。……別に、それ以上のことなんて望んでない。要らなくなったら、どこへでも捨てちゃってくれて構わないんだし」
「ちょっと待てって!」
ヴォルフは立ち上がり、フランに詰め寄った。部屋の隅に追い詰める形になり、両腕を壁について逃げられなくする。フランはびくっと体を竦めてヴォルフを見上げた。その目にはもう、すっかり光る雫が盛り上がっている。
ここまでの言葉が本心でないことなど明らかだった。
ヴォルフは太い息を吐きだした。
「あのなあ。泣くぐらいなら、そんな心にもねえこと言うんじゃねえや」
フランは拳にした両手で顔を覆ってうつむいてしまう。拳の間からやっと小さく「だって」と聞こえた。
「『だって』じゃねえ。いいから、本当のことを言え」
ヴォルフは背中を丸めたフランの体を後ろから抱きしめた。
「俺はお前を、遊びで抱きたいわけじゃねえ。だからこんな、中途半端なままは御免だ。こんななし崩しみてえなので、お前を抱きたくねえんだよ」
「…………」
ヴォルフはゆっくりと息を吸い、フランの耳に口を寄せて囁いた。
「好きだ」
ぴく、とフランの肩が震えてぴたりと止まった。
「お前が好きだ。これからもずっとずうっと、一緒に居てえと思ってる。それじゃあダメか」
「…………」
「お前とだったら、きっと色んなことができるぜ? お前のポテンシャルならなんでもできる。もしも一緒に仕事ができりゃあ、フィールドワークの幅だって格段に広がるだろうし。ここじゃ無理だが、どっか辺境の惑星にでも行って、子供だってわんさかつくってよ。きっとみんな可愛いぜ? なにしろお前の子だからな」
「…………」
「そんで、みんなで家族になるんだ」
フランは沈黙したままだ。だがその耳がじっとヴォルフの言葉を聞いていることは分かっていた。
「俺ぁ、親のいねえ身だかんな。孤児院のガキどもが家族っちゃ家族みてえなもんだが、血のつながった自分の家族はいたことがねえ。だから、こういうのはちょっと憧れてた。ガキの頃から、ずうっとな」
「…………」
「お前とだったら、それができる。だろ?」
「ヴォルフ──」
「ってか、お前とそうしてえんだ。……ほかの奴じゃ、ダメなんだ」
「っ……」
フランの肩がどうしようもなく震えている。拳の間からぽたぽたと滴ったものが、足元に小さな水たまりをつくった。それでもまだ、彼は何も答えない。
「……あのなあ。ちょっと考えてもみろっての。ひどくねえか? 俺ぁあの筒の前で何十日も、この眠り姫さんのことを待ってたんだぜ? 無精髭ぼっさぼさでろくに飯も食わねえで、ひでえ臭いになってまでよ。なんも思わねえやつにそこまでするほど、俺ぁお人好しじゃねえっつの」
「…………」
「それがやっとお目覚めになった途端にふられるとかよお。ひでえと思わね? いくらゴリラ相手でもそれはねえだろ」
「……じゃない」
「え?」
涙に滲んで掠れた声でよく聞き取れない。ヴォルフが耳を寄せるようにすると、フランはやっとこちらを見上げた。翡翠の瞳が涙にけむって、ちょっと気絶しそうなぐらいに美しい。
「そんな、卑下するみたいな言い方しないで。ヴォルフは、とってもとっても……素敵な人だよ」
「そか。そりゃ、あんがとよ」
にかっと笑って、ヴォルフはまた彼の頭をぐりぐり撫でた。鼻の頭を真っ赤にして、フランがくすぐったそうに苦笑する。
「んで? ちったあ言う気になったかよ」
が、フランはまたうつむいた。
「いいの……かな」
「あん?」
「僕が……僕なんかが、そんなことを望んでも。ほんとうに……?」
「バーカ。いいに決まってんだろ」
とうとうヴォルフは半眼になった。
「百五十年もあんな惑星で、あの兄貴と暮らしてきたんだ。これからどんなに幸せになったって、誰に文句が言えるもんかよ。っつうか、俺が言わせねえ。まだまだ釣りがくるぐれえだぜ」
「ヴォルフ──」
「遠慮なんかすんな。もう、バンッバン幸せになれ。お前にはその資格が十分ある。そいつは俺が保証する」
ヴォルフは自分の言葉どおり、フランの背中をバンバン叩いた。「あいたたた」とフランが泣き笑いの顔になる。
そのまま、首の後ろに両腕を回された。ヴォルフも彼の腰に両腕を回して引き寄せる。
「……好き。ヴォルフ」
「大好き、だよ……」
ぼろぼろ零れていく透明な雫が、えも言われず美しい。にっこり微笑んだその顔は、まさしく天使のそれだと思った。
その額に上からまた、こつんと自分のそれをあててやる。
「俺もだ。フラン」
──愛してる。
その瞬間。
天使の笑顔が、ひくっと歪んだ。
次にはもう、その両目から大粒の雫が噴きだしはじめる。
「うえっ……ひいっく──」
そこからはもう、ただただ子供みたいな泣き声が寝室いっぱいに広がった。
ヴォルフは子供にするのとまったく同じに、その頭を撫で、背中をさすって彼の体を抱きしめていた。
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