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第三章 離宮にて
3 武官と文官
体が元気になるにつれて、少年の活動範囲は自然に増えていった。
というのも、長年あんな小さな売春宿に囲われていたとはいえ、もともと少年の形質を構成する犬は、屋外をたくさん歩くことが大好きな生きものだったからだ。
あの売春宿では夜の仕事があまりに過酷だったため、たとえそれが許されていたとしてもわざわざ外を歩き回ろうなんて思わなかっただけのこと。あの頃は傷が痛んだり体がつらすぎたりして、とてもではないがそんな元気はなかった。
というわけで、例の鹿医師──名をローロというらしい──の許可が出てからは、少年は時間のあるとき、離宮の中をよく散歩するようになった。
とはいえひとりではない。インテス様は少年の護衛にと、とある優秀な武官をひとりつけたからだ。青年がともにいられない時には必ず、この男が少年のあとをついてくる。
「オブシディアン様。本日はいずこまで」
「し、シディでいいって言ってるのに……」
「そういうわけには参りませぬ。他の者にも示しがつきませぬゆえ」
「でも、ティガリエさんっ……」
「オブシディアン様こそ」
男はなんとなく残念そうに眉を下げ、声をひそめた。大きな体を少し小さくしたように見えるが、気のせいかもしれない。
「最前から、自分のことは『ティガ』でよいと申しておりまするぞ」
「そっ、そそ、そんなわけにはいかないよっ……!」
「……左様にございますか」
彼は平民出身で、名をティガリエといった。虎という生きものの形質の濃い男で、顔も虎そのものだ。上背があって筋骨隆々。全身がしなやかでありながらも鋼のように丈夫な筋肉で包まれている。
首から肩までが三角形に盛り上がっていて、上腕の太さなど少年の胴ほどもあった。そこに革製の勇壮な鎧を着こみ、大きな剣を佩いている。いかにも「武官でござい」といった見た目だ。実際、胆力に優れた非常に腕のたつ武人であるらしい。
巨大な牙に、爛々と光る金色の目は迫力満点。少年など、初対面のときには震えあがったものだ。あんな目で殺気をこめて睨まれただけで、自分なんかあっという間に気を失ってしまうだろう。
だがこの男、見た目に反して性格は至って温厚、誠実なのだった。なによりインテス殿下に心からの忠誠を誓っている。以前、個人的に殿下から大きな恩を受けたことがあるらしい。そういうところもシディにとっては心強かった。
こんな感じの強面なのだが、ただ一点、耳だけは可愛い。まるっこくてほわほわした黄色い毛につつまれ、裏側にはトラに特有の黒いブチが入っている。
「年を数えるのは忘れましたが、恐らく三十と少しです」というのは、インテスから紹介を受けたときの本人の弁である。
以降、巨躯でありながらもネコ族らしくほとんど足音もさせないで、男は少年の行くところ、どこにでもついてくるようになった。
「して。此度はいずこまで」
「……ええっと。い、池のある中庭まで、いこうかなあ……と」
「承知つかまつりました」
男は気を取り直したように、低い声で答えてきりりと大きな頭を下げる。下げたところでシディの頭よりずっと高いところにあるので、わざわざ地面に片膝をついてくれるのがまた申し訳なさ倍増なのだった。
ところで、少年の側付きとして増えたのはこの男だけではなかった。日々の少年の勉強をこまやかに見てくれる人もまた、優秀で人品に優れた者が選ばれたのだ。
「さてもさても。オブシディアン様は生まれつき、優秀な頭脳をお持ちの御仁にござりまするなあ」
「そっ、そんなこと──」
羽ペンをにぎってシディは小さくなる。
こちらは小柄な老人で、リスの形質をもつ人だ。名をシュールス。
これまた謹厳実直を絵に描いたような人なのだが、なんとなく動きがちまちまと素早くて落ち着きがなく見える。書物を読む速度が恐ろしく速いらしくて、この国では速読でこの人の右に出る者はないそうだ。
リスの形質を持つだけあって、年配にもかかわらずそのふさふさの大きなしっぽは見事だった。寒い時には自分の体全体をつつんで眠ることも可能なほどの大きさなのである。
リス系の人々は季節の変化、特に秋になると急に食欲と知識欲が爆発するという特性を持っていて、その時期になると急に食べ物と知識を無尽蔵に詰め込みたいという激しい欲求に勝てなくなるらしい。そのためこの老人も、秋には特別に長期休暇をいただくのだという。
さらにはその後、冬になると長い冬眠に入ってしまう。そんな状態であるにもかかわらず、この人の知識量と優秀さはこの国一だというのだから驚きだ。世の中、いろいろな人がいるものである。
ともかくも秋ではない今、少年はこの人から非常に多くのことを学ぶことになった。
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