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5 秋の田の
しおりを挟む──「そなたのことを考えていた」。
ついまた過去の口調に戻ってしまったことには気づいたが、律はそのまま続けた。
「やはり、いろいろと勝手が違うからな。……過去と今とでは、社会はもちろんだがそなたと私の関係も随分変わってしまっているし」
「……はい」
海斗が少し目を伏せて、また上げた。
「それで……なにをご不安に思われているのでしょう」
「うん……ええと」
ここから先は、非常に説明がしにくい話題だ。しかしここまで詰められて、なにも言わぬというわけにはいかない。
「え……と。時間がかかりますよ。いいですか?」
「もちろんです。明日は講義がありませんし。律くんも確か午後からでしたよね」
「う、うん」
うなずいて、手元のコーヒーカップをちょっといじる。ひと口飲んで、しばらくどう言おうかを考えた。
「鎌倉で……こうなって。いや、こうなれて。とても嬉しかったんです。本当に」
「それは……自分もです」
言われてちらっと目をあげると、じっとこちらを見つめている海斗の瞳と目が合ってしまった。あわててそらす。
今生ではじめて出会ったときに、思わず「泰時」と呼びかけてしまったあの瞳。
真摯で、嘘がなくて誠実な温かい瞳だ。今ではそこに、なんとも言えない慈しみまで含まれてきているようで、それを感じるたびにくらくらしてしまう。この瞳に見つめられて、律の胸が高鳴らなかったことはない。
「か、考えていたのは……いろいろなことで」
「はい」
「げっ、下世話なことでも……あって。だから驚かせてしまうかも。あっ、だからやっぱり、今日はやめておいた方が──」
慌てて立ち上がろうとした律の腕を、海斗があっさりとつかんで引きとめた。
「構いません。なんなりとおっしゃっていただきたく」
そのまま、ダイニングテーブルから、リビングのソファへと誘われる。テレビはすでに消されていた。
律をソファへ座らせて、海斗はすぐ隣へ腰をおろした。
(……ふう。落ちつけ)
向かい合わせでいた時よりも、隣に座ってもらえたことで少し呼吸がしやすくなったかもしれない。
膝の上で組み合わせた手をもじもじさせながら、律は囁くように語り続けた。ひとつずつの言葉を選び、吟味しながら語る。それはまるきり、亀の歩みそのものだった。
「そなたは……今も昔も、女性を相手にするのが自然だろう」
「……そういう面は否めませんね」
「それでも、私とこんなふうになって。……そのことは、嬉しい。今だって全部が夢のようで……とても現のこととは思えぬほどで」
「はい」
「手を、つないだり。そ、そのほかのことも……うれしくて。いつもいつも、愚かなほどに舞い上がってしまって……地に足もつかない。実のところ、勉強だって手につかないぐらいで」
「それは……困りますね。ご両親に叱られてしまいます。しかし」
膝の上で握りしめていた手を、上からそっと手が重ねられる。
「嬉しゅうございます。自分も同じ思いにございます」
「え──だって」
海斗はいつだって、優しくて落ち着いていて。舞い上がってあたふたしているところなんて、見たこともないのに。
そんな思いがありありと顔に出ていたのだろう。海斗は苦笑して首を左右にふった。
「顔に出さぬように努めていただけにございます。もしもこの胸を開いてお見せすることができるなら、ずいぶんと恰好の悪いものをご覧になるだろうと存じます」
「まさか」
「執権として、そのあたりの面の皮は厚いに越したことはありませんでした。初々しさが足りぬことは自覚しておりまする」
「そっ、そんなことは言ってない!」
そなたに初々しさを求めて言っているわけではないのだ、と、もごもご説明するうちにも、手を握る彼の手の強さが増していく。
「どうぞ、もっとお話しください。お悩みの、その先を。もっと」
「え、……ええと」
海斗の声がさっきよりも近くに聞こえる。なんとなく、耳元にささやかれているような感じなのだ。
(う、うわわわ……)
首も耳も顔も、なにもかも全部が真っ赤になっているに違いない。その自覚をすればさらに、主の希望などそっちのけで全身が熱くなっていくばかりだった。
秋の田の 穂の上に巣がく ささがにも いと我ばかり ものは思はじ
『金槐和歌集』(実朝歌拾遺)699
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