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23 夏衣
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律が必死におし隠していたのに、海斗は勝手に「お体がつらいでしょう」と決めこんでしまい、義之が置いていった車で家まで送るといって聞かなかった。
「だ、大丈夫ですよ。このぐらい。ひとりで──」
「我が家にもっと大きな鏡があれば、ご自分がどのくらい不自然な歩き方をしているか、とくとお見せいたすところなのですが……まことに申し訳ありません、すべて自分の責任です。まこと、修行が足りぬことで申し訳もなきことです」
海斗はひとり、なんとなく憮然とした顔でそんなことをぶつぶつ言うだけで、律の言うことなんて完全にスルーしている。
そのまま身支度をさせられてしまい、気が付けば彼の父の車に押し込まれていた。昼過ぎになれば、いつ義之が帰ってきてもおかしくない。週末なので大学は休みだが、なんとなく追い立てられるように彼の家を後にした。
(まったくもう……)
過保護がすぎるというものだ。今後のことが今からひどく思いやられる。
助手席に座り、荷物の入ったバックパックを抱いてややむくれた顔で外を見つめていた律は、やがて道が自分の家へ向かうものでないことに気づいた。
「え、ええと。どこへ行くんですか……?」
「まだお時間はありますでしょう。ご無理はさせませぬゆえ、少しお付き合いくださいませぬか」
車のハンドルを握りながらそういう言葉遣いをされると、違和感があるなどというものではない。武士としての正装と烏帽子で馬にまたがる勇壮な姿が見えたような気がして、律は思わず目を瞬いた。
「え……と。どこへ?」
「さほど時間はかかりませぬ。どうぞ、お任せを」
「……わかった」
諦めて、ぽすんとシートに背中を預けた。
車は次第に街を離れて、建物の多い地域から山道に入っていく。車体が右に左にゆるやかに振られるのを、律はぼんやりと感じていた。
緑の木立がつづく景色をしばらく見つめるうちになんとなく目を閉じたら、そのまま少しうつらうつらしてしまったらしい。はっと気づくと、車が止まっていた。
「着きました。さ、お手を」
助手席のドアを開いて、海斗が外から手を差し出している。
まるでご婦人にするようにされたことに少し面食らったが、律は「いやいや。これは腰の痛みを労ってのことだし」と自分を納得させ、彼の手を借りて車から降りた。悔しいが、その瞬間少しだけ腰に鈍痛が走ったのは否めなかった。
見晴らしのいい山の展望台である。稜線が重なった向こうには市街地と港、そして船影がいくつか浮かぶ海が遠望された。
車に乗っていた時間からして、さほど遠い場所ではないようだ。律の思惑を察したように、隣に立った海斗が微笑んだ。
「大事ありませぬ。本来なら由比ヶ浜にすべきでしたが、まさかそこまでお連れするわけにもいかず」
「あ、当たり前だろう!」
そんなもの、車で行こうと思ったら何時間かかると思っているのか。だが、海斗はどことなく残念そうなのだ。
律は呆れた。
(まったく、この男は)
もしも由比ヶ浜が比較的近い場所だったなら、間違いなくそこへ連れてこられていたに違いない。あの鎌倉旅行での再現でもしたかったのだろうか。
「すぐにご自宅にお送りできますので」
「あ、いや、うん。それは心配してないです……」
海斗はほんのわずか、じっと律を見つめたが、すぐに笑顔に戻ると、そばのベンチへと律を誘った。自分もすぐに隣に座る。
どうぞ、と手渡されたのはいつもの缶コーヒーだ。途中、どこかでコンビニにでも寄ったのだろうか。
「あ、ありがとう」
どうやら自分は、そんなことにも気づかぬぐらいに眠り込んでいたらしい。急に恥ずかしくなって、どぎまぎした。
夏衣 龍田の山の ほととぎす いつしか鳴かむ 声を聞かばや
『金槐和歌集』118
「だ、大丈夫ですよ。このぐらい。ひとりで──」
「我が家にもっと大きな鏡があれば、ご自分がどのくらい不自然な歩き方をしているか、とくとお見せいたすところなのですが……まことに申し訳ありません、すべて自分の責任です。まこと、修行が足りぬことで申し訳もなきことです」
海斗はひとり、なんとなく憮然とした顔でそんなことをぶつぶつ言うだけで、律の言うことなんて完全にスルーしている。
そのまま身支度をさせられてしまい、気が付けば彼の父の車に押し込まれていた。昼過ぎになれば、いつ義之が帰ってきてもおかしくない。週末なので大学は休みだが、なんとなく追い立てられるように彼の家を後にした。
(まったくもう……)
過保護がすぎるというものだ。今後のことが今からひどく思いやられる。
助手席に座り、荷物の入ったバックパックを抱いてややむくれた顔で外を見つめていた律は、やがて道が自分の家へ向かうものでないことに気づいた。
「え、ええと。どこへ行くんですか……?」
「まだお時間はありますでしょう。ご無理はさせませぬゆえ、少しお付き合いくださいませぬか」
車のハンドルを握りながらそういう言葉遣いをされると、違和感があるなどというものではない。武士としての正装と烏帽子で馬にまたがる勇壮な姿が見えたような気がして、律は思わず目を瞬いた。
「え……と。どこへ?」
「さほど時間はかかりませぬ。どうぞ、お任せを」
「……わかった」
諦めて、ぽすんとシートに背中を預けた。
車は次第に街を離れて、建物の多い地域から山道に入っていく。車体が右に左にゆるやかに振られるのを、律はぼんやりと感じていた。
緑の木立がつづく景色をしばらく見つめるうちになんとなく目を閉じたら、そのまま少しうつらうつらしてしまったらしい。はっと気づくと、車が止まっていた。
「着きました。さ、お手を」
助手席のドアを開いて、海斗が外から手を差し出している。
まるでご婦人にするようにされたことに少し面食らったが、律は「いやいや。これは腰の痛みを労ってのことだし」と自分を納得させ、彼の手を借りて車から降りた。悔しいが、その瞬間少しだけ腰に鈍痛が走ったのは否めなかった。
見晴らしのいい山の展望台である。稜線が重なった向こうには市街地と港、そして船影がいくつか浮かぶ海が遠望された。
車に乗っていた時間からして、さほど遠い場所ではないようだ。律の思惑を察したように、隣に立った海斗が微笑んだ。
「大事ありませぬ。本来なら由比ヶ浜にすべきでしたが、まさかそこまでお連れするわけにもいかず」
「あ、当たり前だろう!」
そんなもの、車で行こうと思ったら何時間かかると思っているのか。だが、海斗はどことなく残念そうなのだ。
律は呆れた。
(まったく、この男は)
もしも由比ヶ浜が比較的近い場所だったなら、間違いなくそこへ連れてこられていたに違いない。あの鎌倉旅行での再現でもしたかったのだろうか。
「すぐにご自宅にお送りできますので」
「あ、いや、うん。それは心配してないです……」
海斗はほんのわずか、じっと律を見つめたが、すぐに笑顔に戻ると、そばのベンチへと律を誘った。自分もすぐに隣に座る。
どうぞ、と手渡されたのはいつもの缶コーヒーだ。途中、どこかでコンビニにでも寄ったのだろうか。
「あ、ありがとう」
どうやら自分は、そんなことにも気づかぬぐらいに眠り込んでいたらしい。急に恥ずかしくなって、どぎまぎした。
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『金槐和歌集』118
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