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第2章:雪上の誓い

第30話:狂気の果て

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    ——2日後——


 ドロシーと太郎丸の必死の修行は三日目にさしかかり、2人は『水瓶』の修行に区切りをつけ『糸』の修行に取り掛かっていた。

 後方では英国騎士のような装いの猫のタルパ・ジェットが見守る中、部屋中に張り巡らされた糸を両の掌で握り、自分の想像力イマジンを流し込む。

 すると、ドロシーの握る糸が微かに青白く光り始め、次第に糸を伝って伸びていく。
が——途中でその青白い光りは糸の中を伝達するのを止め、空気中に粒子となり飛散した。

 その一方、太郎丸の方は糸を握る掌は青白く光るのだが一向に糸に想像力イマジンを伝達出来ていない様子であった。


 「ドロシーの方は感覚を掴みかけている様だが。太郎丸は完全に想像力イマジンゲートが開ききっていないようだ」

 ジェットは険しい表情を浮かべ、太郎丸の肩を叩き休憩を促した。


 「ち、畜生! こんな事やって本当に意味あるのかよ!」

 表情に苛立ちと悔しさを蓄えた太郎丸は床を拳で殴り、怒りを露わにした。


 ——『この選ばれた者だけが使役できる想像能力イメージスキルを有する上位・ ・タルパだ』——


 ヴァニティの使役者であった篠塚 瑛斗えいとが言い放った言葉が太郎丸の脳裏に過ぎる。


 太郎丸は理解していた。
自分が『弱い』事を。
自分が『臆病』な事を。
自分に『才能』など決してない事を。

 そして——太郎丸は悟った。
自分は想像能力イメージスキルを使う事が出来ないのではないか、と——


 「なぁ、ジェット……想像能力イメージスキルってのは『才能』が必要なのか?」

 絞り出したような声でジェットに問いかける太郎丸。
その面持ちは悔しさの余り、唇を噛み締めていた。


 「……ふむ、確かに想像能力イメージスキルを有する為には『才能』は必要かもしれない」

 ジェットの答えに太郎丸の心が抉られた。
太郎丸は深く絶望し、それと同時に自分自身を肯定した。


 ——俺ちゃんはその程度の野郎だ。才能の無い奴が出しゃばるから傷付くんだ。それでいい。それがいいんだ——


 その後ろ向きな肯定が、自分可愛さのフォローが太郎丸の傷に薬を塗る。
——が、ジェットは言葉を続けた。


 「だが私は『才能』といった曖昧な定義に然程さほど関心がない」

 床の上に突っ伏し、俯いていた太郎丸は静かにジェットのその強かな眼に視線を向ける。


 「物事には全てにおいて『結果』があるが、『過程』を忘れてはいけない」

 負の感情に飲み込まれた太郎丸を強く、厳しく、そして奮い立たせるかのようにジェットは言葉を続けた。


 「己の理想へと向かう道筋に近道などない。どんな荒地でも己の足で踏み歩いたのであるなら、それは理想へと進む『道』と成り得る。ひたすらに歩むのだ、理想へと」


 ジェットの言葉は太郎丸の心に深く、痛みを伴い突き刺さった。

 涙を蓄えた太郎丸の瞳はドロシーへと向けられた。

 その言葉を噛み締めるかの様に、ドロシーは再び糸に想像力イマジンを流し込む。
青白い光りは先程より距離を伸ばし糸の中を伝達させた。
しかし、やはり糸の途中で止まり、そして空気中へと粒子となって飛散した。


 ——歩き続ける。前に進み続ける——


 ドロシーの心の中でその言葉が響き渡る。
その言葉は着火材へと変わり、心に火を灯し『決意』と言う名のガソリンを絶やさず燃やし続ける。 

 ただひたすらに修行に没頭するドロシーの眼に迷いはなかった。


 「…………ドロシー」

 涙の溜まった目でドロシーを見つめていた太郎丸が弱々しく呟いた。

 「太郎丸君、私は大丈夫。絶対に自分に負けない。それに、後ろでトトも応援してくれてるしね」

 ドロシーの後方には以前、一守にゲームセンターで獲ってもらってからと言うもの、肌身離さず持ち歩いていた黒パグのぬいぐるみの『トト・バーチソルト・バンダーウッド』『通称・トト』と名付けられたぬいぐるみが静かに厳しい修行を見守っていた。


 「——情けねぇ」

 「??」

 「いや……ただの独り言だよ」

 そう言い残すと、表情に影を落とした太郎丸は出口の引き戸の方へと肩を落としながら歩いていく。
その様子をドロシーは心配そうに見つめる。

 「太郎丸……」

 「便所だよ。さっきからよ、腹痛が凄くてよ」

 ジェットの呼びかけにそう答え、修行部屋を後にする太郎丸。


 そして、ドロシーは再び『糸』の修行へと集中力を向けた。


 修行部屋の奥、その様子を陰から腕を組み見守る雷火の姿があった。


—————————————————————


 木造作りの主屋の居間。
そこには宮森 縁と会話するカイルの姿があった。


 「昔——この地に "恩寵おんちょうを与えるファティマの天使" というタルパがおった。その娘の姿をしたタルパは人々に恩寵おんちょうを与え、その笑顔で幸福を配ったと伝えられている」

 語りかける宮森 縁の言葉を黙って飲み込むカイル。


 「お主の想像力イマジンは膨大な量に伺えるが、どんな能力なのじゃ?」

 「想像力イマジンが見えるのか?」

 「薄っすらとな。想像力イマジンの量は測れるが、能力までは分からぬのじゃよ」

 宮森 縁にはタルパや人が纏う想像力を可視化する事が可能なのであった。


 「…… 『平穏なる銃パシフィコライフル』、『想像を送る能力』だよ。相手に自分の想像力イマジンを送る事が出来る。方法はテレパスか銃口から圧縮した想像力イマジンを発射するかだ」

 カイルはいつものツンとした口調ではなく、静かな口調で話し始めた。


 「便利な能力じゃな。しかし、膨大な想像力イマジンを有する『三大天使』一人のお主をタントラは狙い続けるじゃろう。奴らと構えるつもりはあるのか?」

 宮森 縁はタントラの名前を出した途端、表情を険しくした。
カイルは結社タントラから狙われる。
宮森 縁はその事を危惧しているのであった。

 「被害が舞流にまで及ぶなら、かかる火の粉は払うよ。それに……出会っちまった連中が傷付くと舞流が悲しむ。俺の戦う理由はそれだけだ」

 そう言葉を述べたカイルはそっと肩から掛けていたアサルトライフルへと手を伸ばす。


 「ふむ、立派じゃな。この村には20人程の人間がおり、その半数がタルパを有しておる。しかし、結社タントラと構えるには戦力が不十分なのじゃ。頼む、私達と共に戦ってくれないじゃろうか」

 「言ったろ? 出会っちまった連中が傷付くと舞流が悲しむ。俺の力がどこまで及ぶかは知らないが、戦うよ」

 「……恩にきるよ」

 そう言い放ったカイルの表情は以前とは違う大人びた表情であった。


 「あんたと話してると心が和む。きっと、タルパとの親和性が高いんだな」

 「歳食ってるからじゃよ」

 「おいおい、俺に年齢の話をするか? あんたよりずっと年上だぜ」

 「はは、こりゃ一本取られたね」


 宮森 縁が笑い、カイルはそっと口角を上げた。
雪の止み、昼間の暖かい木漏れ日が二人を照らし、暖めていた。


—————————————————————


 主屋の人気の無い裏庭。
そこには縁側に座り込む太郎丸と小走りで寄ってくる陣の姿があった。


 「おう陣、悪いな急に呼んじまって」

 「別にいいっすけど、話って何すか太郎丸? 修行の事っすか?」

 陣は額に汗を滲ませ、表情に影を落とす太郎丸へと問いかけた。
そして、太郎丸はその思いの丈を述べた——

 「俺ちゃんはよ……ドロシーに惚れてんだ」

 「そんな事気付いてたっすよ」

 太郎丸の意外なカミングアウトを他所に、薄っすら笑みを浮かべる陣。

 「な!? クソ……俺ちゃんはただ、あいつの力になりてぇんだ。だから強くなりてぇんだ。あのワカメが不甲斐ねぇからよ……」

 震える拳を握り、押さえつけていた自分の感情を爆発させる太郎丸。
そんな痛々しげな様子をそっと見守る陣。


 「なのに俺ちゃんの想像能力イメージスキルとやらは一向に発動しねぇ……臆病で非力で、おまけに才能もないときた。俺ちゃんは……こんな自分が大嫌いだよ」

 太郎丸の瞳から涙が一線流れ落ちた。
その涙は蹲る太郎丸の頬を伝い、床へと落ちた——


 太郎丸の怒りや苛立ち、不安や悲しみ。その全ての感情が詰まった言葉を受け止めた陣は静かに語り出した。


 「……それでも太郎丸は変わろうとしてる。変わる為に行動してる。それだけでカッケーっすよ。誇りに思うっす」

 「少し前までは自分と同じ感じ『弱虫』だと勝手に思ってたんすけど、いつの間にか太郎丸は自分よりずっと先に行ってたんすね」

 嬉しさと寂しさ。その両方が入り混じった表情を浮かべる陣。
そして——


 「一緒に頑張ろうっす! ドロシーちゃんに良い所みせてやろうっす!」

 「へへ……やってやろうじゃねぇか。待ってろドロシー! 今に俺ちゃんの事惚れさせてみせるからな!」


 再び太郎丸の心にも火が灯った。

 太郎丸の瞳から恐れは消え、強く——覚悟を感じる瞳へと変わっていた。


—————————————————————


 ガソリンの入ったポリタンクに薪の山が積まれる倉庫。
一守は北海道の地に足を運んでからというもの、ほとんどの時間をこの倉庫と縁側で過ごした。


 メライアの火球により燃やされた鞄の中に残っていたのは手帳に焦げたグラブ、ボロボロになったスタンガンに用意していたが使わなかったグレネードタイプの催涙ガス弾、そして焼け焦げた財布が入っていた。

 それらを目にし、倉庫の椅子に腰をかけていた一守に突如、扉が開かれ来訪者が訪れた——


 「よぉ一守。調子はどうよ」

 倉庫の扉を開けたのは片桐雷火だった。雷火は黙りの一守に歩み寄り、言葉を続けた。

 「ドロシーは今きつい修行に没頭してるぜ。次は私がカズ君を守る番だって」

 雷火はドロシーの近況を報告するが、それでも一守は黙ったままである。

 「俺はお前がタントラの幹部2人と戦ってる映像を姉貴のドローンで観た時、正直震えたぜ」

 北海道への道中、来羅が空中ドローンで撮影していた一守の戦闘シーンを何度も観ていた雷火は一守に本音を伝えた。


 「お前がドロシーを守り抜く姿に痺れちまった。だが……今のお前はどうだ。腑抜けやがって」

 雷火は徐々に声のトーンを下げ、表情を険しくさせた。


 「……黙れ」

 弱々しく反論する一守は俯き口に咥えていた煙草に火を付ける。
そして、雷火が確信へと迫る——


 「なぁ一守……お前、今『どっち』だ?」


 「『どっちもだよ』」


 雷火の問いに対し、一守は黒い笑みで返した——

 その言葉を聞き、雷火に纏う空気が揺れ動く。
空気が強張り、ひりつく様な殺気が倉庫内の雰囲気を一変させた。


 「よぉ一守……表に出ろ」

 そう言い放ち、雷火は倉庫の奥から何かを引っ張り出している。


 「内側の問題はお前に任せていたが……頃合いだろ。お前の病んだ心を叩き直してやる」

 雷火は大きなスポーツバッグを肩にかけた。そして、一守の焼け焦げた鞄からオープンフィンガーグローブOFGを取り出し、外へと歩みを進める。


 「『……チッ、うぜぇな……』」

 もはやどちらの人格か判断のつかない一守は煙草を踏みつけ、覚束ない足取りで外へと向かった。


 「つべこべ言ってねぇで、さっさと着けろよ。まさか……拳を握れねぇほど日和ってるんじゃねぇだろうな?」

 雷火は鞄からヘッドギアと8オンスのボクシンググローブを取り出し、持っていたOFGとヘッドギア、レガースや膝と肘のサポーターなどの防具を一守の足元へと投げた。
そして雷火は自分の両足にプロテクターとボクシンググローブを着け始めた。


 揺れる様な闘志が雷火を包む。
キックボクシングなどで多く見られる、重心とガードは高めのレギュラースタイルで構えた。


そして、対面する一守はヘッドギアは着けずにOFGのみを着用した。


 「『……どいつもこいつも五月蝿うるせえ……』」

 一守の伸びた前髪の隙間から見える瞳には狂気が宿っていた。
その狂気は全身を包み、一守も重心の低めなファイティングポーズを取った。


 「『……殺してやる』」


 一守と雷火。
二人の身も魂も削る闘いが始まった——
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