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第1章:夢の始まり

第18話:名前の由来

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 『人型の影』の攻撃により、アスファルトの上に蹲る一守。


 痛み、苦しみ、吐き気、衝撃、そして—— 自分の心を蝕む、自分の精神とは『別の何か』。

 その『別の何か』に、一守は心当たりがあった。


 『久しぶりだな、一守。俺だよ俺、お前ん中の別のお前だよ』

 頭の中に響き渡った聞き覚えのある声。以前まで自分の頭の中に住まっていた声。

 その声とは——以前から一守の心を蝕み続けた『もう1人の一守』の声であった……


 ——タルパが『3体』もいやがっただと!?  何でだ……それより俺はどんな攻撃を食らったんだ……頭の中にノイズが、『あいつ』の声が聞こえやがる——


 混濁した意識の中、一守は思考を巡らす。——が、思考にノイズが乗り『もう1人の一守』の声がそれを邪魔する。

 『お前……何必至になっちゃってんの?  早く諦めちまえよ』

 『もう1人の一守』の言葉は一守の頭の真ん中で四方に響き渡り一守の心に刺さる。

 「うるせぇ……お前は黙ってろクソ野郎が」


 苦痛と頭の中をかき混ぜられ、苦悶の表情を浮かべながら抗う一守。
しかし、立ち上がろうとする一守は更なる苦痛に苛まれた。

 "" ドゴォッ ""

 立ち上がろうとする一守のボディに『人型の影』の左ミドルキックが突き刺さった。


 「ぐっ……がはぁっ……」
 ボディに蹴りを打ち込まれた一守の体はくの字にへし曲がる。
さらに、追い討ちの右の蹴りが一守の顔面を捉えた。


 『お前、戦いのどっかで内心楽しんでたんだろ?  守るって大義名分をぶら下げて実は戦いを楽しんでただけなんだよ』

 ——う、うるせぇ……黙れ——


 衝撃が顔面を貫き、アスファルトの上を転がる一守。
そんな中、薄れゆく意識の中で必死に心の声に抗う。

 
 『お前にはあのタルパは守れない。お前は弱い。弱いタルパと戦って余韻に浸っちまう自惚れ野郎なんだよ。お前には誰も守れやしない』

 「俺は……ドロシーだけは絶対に守る」


 顔は腫れ、鼻と口から滴る血を拭うことなく亀の状態でガードを固める一守。
しかし、容赦なく『人型の影』はガードの上から一守を蹴り続けた。

 頭を、顔を、背中を——完膚無きまでに蹴り続ける。


 「『ストレイシープ』、ご苦労さん。そのまま動けなくしてくれ」

 インソムニアは人型の影を『ストレイシープ』と呼んだ。
そして、ストレイシープは蹴られた反動で仰向けになった一守の顔面を右足で踏みつけた。

 顔面を踏みつけられた衝撃でアスファルトの上に血は飛び散り、ダメージのあまり一守は動かなくなった。


 「精神を汚染されるのは辛いだろ?  これがストレイシープの想像能力だよ。『想像を毒す能力』『毒の夢ヴェノムスリープ』って名前なんだ、渋いだろ?」

 インソムニアは緩慢な様子でストレイシープの能力を述べた。
 

 「なぁ二階堂  一守。俺は鬼じゃなくてね、お前の返答次第じゃ生かしてやらない事もないんだよ。だから、さっさとお前のタルパを差し出せ」

 インソムニアはドロシーを差し出すよう一守に説き勧めた。
しかし、一守はその言葉に耳を貸さずひたすらに荒い息を吐き続ける。


 『もう認めて楽になっちまえよ。勝てない、戦えない。お前には誰も守れない。ただのちっぽけな弱い人間なんだよ』

 ——  ………………  ——


 心を汚染され、打ちのめされ、蹂躙され……反論する余裕もない一守は、遠ざかる意識の中必死に意識を繋ぎとめていた。


 「カズ君!!!」

 遠くから一守の方へと走ってくるドロシーの叫び声を聞き、一守の弱りきった体は反応を見せた。

 「あのタルパ、自分から殺されに走ってきてるよ。笑える」

 しかし、インソムニアの悪意の篭った皮肉にも反応できない程に、一守は心身共に磨耗していた。


 ふと、意識の中に断片的な『映像』が流れ込む。
そして、ドロシーと過ごした数日の出来事が走馬灯のように脳裏を過る——


  一守をどん底からすくい上げた唯一の存在の声が、一守を呼ぶ声が、頭の中に響き渡る。


 二階堂  一守の心に、再び火が灯り始めた。


 脳がアドレナリンを分泌する。
 心臓は速度を上げ血流を送る。
 そして、心が怒りに震える。


 『……往生際が悪いな。さっさと諦め——』

 頭の中にまとわり付く『もう一人の自分』の言葉を途中で振り払った。


 「俺の『一守』って名前は、『一つのものを守り抜く』って意味なんだよ……ドロシーを守る。俺はそれだけでいい」


 そう言い放った一守の目には、再び火が灯っていた。


 『…………馬鹿な野郎だ』

 その言葉を境に『もう一人の自分』の声は聞こえなくなった。
それと同時に、またも断片的な『映像』が頭の中に流れた。


 真っ青なスポーツ用マットの上で一守が他の生徒と『先生』から指導を受け、一緒に練習をしている映像だ。

 そして、『映像』は切り替わる。
試合会場の選手入場口。
その袖で『先生』が一守に語りかける——

 「二階堂君、身に付けた『技』は裏切らないよ。練習してきた日々を信じて」


 先生の言葉が体に染み込む。
 ドロシーの声が心に響く。

 一守にとってそれ以外、もう何も必要なかった。


 その瞬間、一守の身体が自然と動く。


 顔面を踏まれているのを、頭を横に振り脱出。
そして、一守は自分の右足をストレイシープの左足に絡め、体勢を崩させ後方へ尻もちを着かせる。

 それと同時に、先程まで一守の顔面を踏みつけていたストレイシープの左足のつま先を、一守は右脇でキャッチする。
左足でストレイシープの左足をタイトに挟みこんだ。

 そして、右の前腕でストレイシープの踵をテコの原理で捻る。


 その技は—— "" アンクルホールド ""

 総合格闘技の練習に明け暮れていた日々が、一守の中に蓄積され続けた経験が、今の一守を救った。


 無意識の中で一守は技を繰り出した。
それは、無我の境地やトランス状態に近いものではあるが、紛れも無い一守自身が持ち得た実力であった。


 "" バゴンッッ ""

 日々の練習では常にストッパーをかけていたが、無意識に近い一守は躊躇なくストレイシープの左足首を『折った』——


 「グッ……ガァァッ……」

 今まで一言も喋らなかったストレイシープが苦悶の叫びを上げた。


 そして、ゆっくりと一守は立ち上がり走ってくるドロシーを抱き上げた。

 「カズ君ッ……カズ君!!」

 泣きながら一守の事を案ずるドロシーを一守が宥める。

 「……悪い……心配かけたな」


 顔から血を滴らせ、痛む身体を引きずらせ一守は走り出す。

 その目にまだ消えぬ炎を灯しながら——
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