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第2章:雪上の誓い

第26話:白銀の世界

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 極寒の地・北海道。
雪が降りしきる白銀の世界を、黄色い四駆車が道を駆ける。


 「ドロシーちゃん……もうそろ着きますよ!  準備はいいすか?」

 その黄色いクルーザーを運転している夏祭 陣は、慣れない雪道の運転に怯えながらドロシーへと問いかけた。

 「……うん」と顔をうつ向け、陣の質問に暗く返答を返すドロシー。

 ドロシーは今にも泣き出しそうな表情で手を強く握りしめ、涙を堪えている様子であった。

 自己嫌悪と罪悪感に苛まれる日々を過ごし、憔悴しきったドロシー。

 その面持ちからは以前の強かで明るいドロシーの表情は跡形もなく消え去り、暗く淀んだ感情だけが残っていた。


 そんなドロシーを静かに見つめる舞流。そして、舞流はドロシーの肩を抱き寄せた。

 「ドロちゃん、こっちおいで」

 不意に肩を抱かれ一驚したドロシーは唇を噛み、込み上げる感情を必死で抑えた。
しかし——ドロシーの強張る身体を肌で感じた舞流は一息つき、ドロシーに語り始めた。

 「私はね、自分を徹底的に甘やかすって決めてるの! 辛い時は泣く。苦しい時は立ち止まる。逃げたい時は逃げる。そんな自分を許してあげようって」

 ドロシーの震える肩を抱き寄せた舞流は自分の頭をドロシーの頭の上に軽く乗せた。
言葉だけでは伝わりきれぬ思いを身体全身で伝えるかの様に。

 「私も……前にどうしようもないくらい目の前が真っ暗になっちゃって、行き止まりにぶつかっちゃったんだ……そんな時、どうせ辛いなら自分を甘やかしてあげようって、そう思ったの!」

 「それが悪い事なんて誰にも言う権利はないし、私はそれで救われた。その代わり……自分を甘やかすのと同じように、他の人の事もうんと甘やかしてあげる事にしたんだ」

 ドロシーの閉ざされた心を舞流の言葉が甘やかに溶かす——

 「だからね、涙は我慢しなくてもいい。泣きたい時に泣いていい。どんな状況でも、自分の気持ちに正直で居ていいの。誰かに甘えてもいいんだよ」

 舞流は震えるドロシーの肩を強く抱きしめ、心を撫でた。

 もう不安にならぬよう、無理をしなくていいよう、そして——決して一人ではないと……舞流は言葉で、身体で、そして心で、それを伝えた。


 肩を上下に震わせ赤い目に大粒の涙を蓄えたドロシー。
そして——ドロシーの心は決壊した。

 「舞流ッ……怖いよ……怖いの。カズ君が私の事を恨んでるんじゃないかってッ……私がいるから、私のせいでッ、私だけ逃げて……いつも守られて……何もできないで……」

 ドロシーの切実で悲痛な叫びが車内に響き渡った。


 痛々しげなドロシーの姿を目の当たりにした舞流は、胸に刺さる様な痛みを感じ目をつむる。
そして、より強くドロシーを抱きしめた。


 「私はまだ出会って日は浅いけど……私の目に写った二階堂君は、強さと弱さを両方持っている人。その強さは、きっとドロちゃんが側にいるから強く在れるんだと思う。そして……二階堂君は弱さと必死に戦ってる人のようにも見える」

 「だから、ドロちゃんも弱い所があっていいんだよ。弱さと向き合えれば、きっと少し強くなれるから」

 そうドロシーに向け諭す舞流の表情は慈愛と優しさに溢れていた。

 「大丈夫。もし立ち止まっちゃったら私が背中を押してあげる。カイルもいる。陣君も太郎丸君も。ドロちゃんは一人じゃない、皆んなで一緒に進んでいこう」

 「うぅ……うん、頑張るっ……この場所で強くなるっ……次は私がカズ君を助ける……」

 「うんうん、やっぱりドロちゃんは良い子だね!」

 そう言いドロシーの頭を撫でる舞流。その瞳からは一筋の涙が零れ落ちたが、舞流はその涙を決して隠さずドロシーに笑いかけた。


 窓の外を眺めるカイルはその様子を静かに見守っていた。
ふと、窓に映るカイルの表情はいつものクールな表情とは違く、少し口角が上がっている様にも見えた。


 弱くていい。その弱さ向き合え。
舞流の言葉がドロシーの心に響く。

 涙で顔を濡らし目を赤く腫らせ、それでも前を向くドロシーの瞳は力強い物であった。


 「うぅ……涙で前が見えねーっす……」

 慣れない雪道の運転に奮闘する陣は号泣する姿を隠すそぶりも見せず、袖で涙を拭った。

 「…………」

 ふと助手席に座る太郎丸に目を向ける陣。
その太郎丸の様子は肘杖をつき窓の外に目をやり黄昏ている様子であった。


 「太郎丸? どーしたんすか?」

 「いや……何でもねぇよ。それより陣、もうそろ目的地じゃねーか。『姉さん』を起こした方がいいんじゃないか」

 そう言って窓の外に目を向けた太郎丸の横顔は何やら感慨深そうな面持ちであった。


 「そうすね……『来羅らいらさん』! 目的地に着きますよ! もうそろ起きて下さいよ!」

 陣の呼びかけのすぐ後、後方の三列シートで飛び起きる女性の姿があった。

 その20代後半程の女は茶色いショートボブの髪にやんわり寝癖を作り、眠たげな様子で伸びをした。

 「んーーおはよ。すっごい寝ちゃってたよー。おお! もうこんな所か。前に見えるのが私達の生まれ育った村、『スルク村』よ!」

 来羅らいらと呼ばれる女は眠たげな表情で前方を指差し透き通った声で皆に知らせた。

 「ここまで長かったっすね……飛行機で札幌まで来て、そこから車で1日……はぁ、しんどかったっす」

 「何言ってんの、しんどいのは『これから』でしょ!」

 疲労困憊の陣は、これまでの道のりを振り返っては顔をげんなりさせた。
しかし、来羅らいらと呼ばれる女はしたり顔で車内にいる皆をまくし立てた。

 そして陣に太郎丸、舞流にドロシー。
各々は顔に緊張が走り、息を飲んだ。


——3日前——


 人が賑わう昼下がりの駅前広場。
タントラ幹部襲撃から危機を脱したドロシー達と舞流とカイルが合流を果たしていた。

 泣きじゃくるドロシーは舞流に手を引かれ歩みを進めていた。


 その時——ドロシーに渡された一守の携帯電話に着信音が鳴った。

 「……電話だ……」

 「……ドロちゃん、貸して」

 舞流はドロシーから一守の携帯を預かる。
登録されていない番号からの着信表示を目にし息を飲む舞流。
そして、意を決して電話に出る——


 「おぉ、案外かけてみるもんだな。ところで、二階堂 一守の携帯で間違いないな?」

 聞き慣れない低い男の声が受話器から流れた。周りには緊張が走り、陣や太郎丸は顔を引きつらせた。

 そして舞流は眉をひそめ、感情的に電話に応答する。

 「……あなた、誰……? どうして番号を? それより、二階堂君は無事なの? 」

 「開口一番に質問ばっかりすんなよ。あぁ無事だよ。酷く弱ってはいるがな。番号はこいつの手帳に書いてあって、俺は成り行きで二階堂を助けた男だ」

 男は舞流の質問責めに困惑の色を見せるが、ぶっきらぼうに対応した。


 「うちの者をそっちに向かってるから合流してくれ。話はそれからだ」

 そして、男は一方的に話をして電話を切った。
当の舞流は話を整理する事でいっぱいになっており、返答する間も無く電話を切られた事に対して唖然としていた。

 「……切られちゃった」

 「舞流! カズ君は?」

 真っ先に一守の心配をするドロシーは目を真っ赤にさせ舞流に詰め寄った。

 「二階堂君は無事だって! だけど……」

 「舞流、どうかしたか?」

 突然の話についていけていない舞流を気にかけるカイル。
その時だった——後方から茶髪のボブヘアーの女が近づいてきた。
 

 「あーいたいた。近くに居て良かったよ。君達が例の二階堂 一守の仲間ね」

 「あなたは一体……どうやってここが……」

 手を振りながら近づいてくるボブの女はカラッとした笑顔を振りまいていた。

 その反面、疑惑の目を向けざるを得ない舞流は困惑の表情で女に質問を投げかけた。


 「私の名前は『片桐 来羅』。タントラの反対勢力の人間よ。さっき、うちの『弟』から説明なかった? 位置情報を探知させて貰ったって訳。カタカタってね」

 そう言う来羅は指を動かしキーボードを打つジェスチャーをしてみせた。


 「二階堂君は休養と修行の為に私達の生まれ故郷の『北海道』に向かったけど、君達はどうする? 行く?」

 来羅のその一言に、一同は言葉を詰まらせた。
その時——「私は行く! ……行かせてください」

 ドロシーは目に涙を蓄えながら来羅に向けて深々と頭を下げた。
懇願にも近い思いでドロシーは来羅に縋り付いた。

 「……俺ちゃんも行くぜ。『北海道』とやらによ」

 ドロシーの姿を見守っていた太郎丸が重い口を開いた。
サングラス越しに見えたその瞳は、いつもより力強い目であった。
 太郎丸の姿を見て少し驚いた表情を見せた陣も、同意の意味を込め大きく頷いた。


 「私達も行きます。連れて行ってください」

 舞流とカイルも気持ちは皆んなと同じであった。

 「決まりね! よし、それじゃ行こっか北海道!」


 決意が幾多にも重なり、同じ志となった。
まだ見ぬ地へと向かう手はずは整った。
 
 そして、一同は『北海道』へと向かったのであった。


—————————————————————


 目的地に到着し、雪に覆われた木造建ての主屋の前に黄色い四駆を停めた。

 降りしきる雪は風に舞い、世界を白銀に染めていた。


 一同は車を降り、積雪に足を踏み入れた。
雪国の冬の風は冷たく肌に刺さる、否、骨身にまで刺さる程の冷たさであった。

 一同は厚みのある雪道を一歩一歩不慣れな動きで主屋へと歩みを進める。


 そんな中、後方からドロシーを静かに見つめる太郎丸が口を開いた。

 「なぁドロシー。まぁあれだ、心配すんな。困った時は俺ちゃんが助けてやっからよ」

 「……ありがとね太郎丸」

 暗い感情を押し殺し、必死に笑顔をつくろうドロシーを見て太郎丸はサングラスをかけ直し眉をひそめた。


 ふと目線に止まったのは、主屋の縁側から雪の合間を練り空気に溶ける紫煙であった。

 そして、そこには男が縁側に腰をかけていた。

 「カズ君!!」

 男のシルエットを目に止めたドロシーは真っ先に走り出した。

 雪に埋もれる足に目もくれず、ドロシーは必死にその男の元へと近づいて行った。


 「……ドロシー」

 男は口に煙草を咥え、ポツリと言葉を漏らした。

 そして——ついにドロシーは一守と再会を果たす。


 「カズ君、ごめんね……私……」

 ——が、ドロシーの瞳に映った一守は、以前の一守とはかけ離れた姿であった。


 頭に包帯を巻き、ボサボサの髪に無精髭を生やし、まとう雰囲気さえ違う一守を見てドロシーは困惑を隠しきれなかった。

 「……カズ君……?」

 目線を外し、煙草を吸い続ける一守はついに重い口を開いた。


 「……俺に……関わるな」

 「…………え……?」

 思いがけない冷たい言葉に、ドロシーは酷く心を痛め表情を引きつらせた。


 吹き付ける凍える風に降り止まない雪。

 青い髪の少女は肩を震わせ、白銀の世界に一人立ち竦んだ——
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