息子の幸せを見届けたら、大人な恋が始まりました

波木真帆

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山間の蕎麦屋

途中のサービスエリアでトイレ休憩がてら、コーヒーを買う。
一慶はアイスコーヒー。私は甘みなしのカフェラテ。
運転してくれているお礼に、私が支払った。

車に乗り込み、一慶がアイスコーヒーを飲む。
その横顔を見ながら、私もカフェラテに口をつけた。

苦味と酸味とミルクのバランスがちょうどいい。

「ん、美味しいですね」

「ここのは、いつ飲んでもハズレがないんですよ。大我もここのはお気に入りでね……」

大我とのそんな昔話を肴に、車はサービスエリアを出発した。

「大我くんもコーヒーはブラックですか?」

「ええ。中学生に入ってしばらくしたら、ブラックで飲んでましたね。大人ぶりたかったのかもしれませんが、今はもうすっかりブラック派ですね」

「やっぱり親の好みに似るんでしょうかね。私が甘いものが好きなので、真宙もすっかり甘いもの好きになって……。昨日のナッツチョコレートも真宙が見たら大喜びして食べそうですよ。甘いものばかり食べすぎて、大我くんに迷惑をかけなければいいですけど……」

お互いの好みを知っているから、好きそうなものを見かけたらつい買ってしまう。気がつけば同じものが冷蔵庫にいくつも入っていた、なんてこともあった。そんなことも今はただただ懐かしい。

「私も大我も、甘いものは苦手ではないですし、何より美味しく食べてくれる人と一緒なら幸せですから迷惑なんてならないですよ」

優しい言葉をかけられて、胸が温かくなる。
こんなふうに真宙の話をゆっくり聞いてくれる人は今までいなかった。
それだけでこの時間が心地よく感じられる。

「あ、そろそろ高速降りますね」

もう目的地が近いらしい。
一慶は慣れた様子で一般道へ降りて行った。

「ここって……有名な避暑地、ですか?」

「ええ。皇族ゆかりの避暑地がある場所ですね」

そう言われて、改めて窓の外を見る。

「この先に、日本蕎麦の専門店があるんですよ」

一慶の説明を聞いている間に、車は山間に入っていった。
窓の外には別荘らしい建物が並んでいる。新しいものより、年季の入った建築物が多い。

「すごいですね。なんだかここだけヨーロッパみたいですよ」

「この辺りは、明治、大正時代に貴族たちによって作られた別荘地ですからね。百年以上前に建てられたものも多いんですよ。ほら、あそこにうっすら見えているのも重要有形文化財に指定されていると聞いています。実際に住んでいるようですが」

「へぇ……そんな古い家に今でも住めるんですね」

手直しはしているだろうが、百年以上前に建てられたものがまだなお現役で使われているのはすごい。

「今から行くお店も、そういった家を使ってやっているんですよ。ほら、あそこです」

車が砂利道に入り、小さく音を立てた。
木立の奥に、先ほど並んでいた建物よりもずっと大きな屋敷が見える。
派手な看板はなく、入り口に控えめな暖簾がかかっているだけだった。

「ここが……蕎麦屋、ですか?」

「ええ。ここは、旧華族の天沢家の別荘を改築した店です。『旧天沢家別邸』という蕎麦屋なんですよ」

「旧華族……あの天沢家ですか?」

今でも日本経済の重鎮として知られる天沢家の別荘だけあって、周りとは明らかに格が違う。
庭木に囲まれたその屋敷は、まるで時代から取り残されたように静けさを纏っていた。

そこに静かに車が止まる。

「早速行ってみましょうか」

一慶に促され、車を降りる。
山の空気がひんやりとしていて、思わず深呼吸をした。
隣に立つ一慶がふっと笑った。

「気持ちいいですよね。東京から少し離れただけでこんなにも違いますから」

「ええ。しかもこんなすごいところで昼食なんて、ちょっと緊張します」

「大丈夫ですよ、行きましょう」

一慶が歩き始める。
その隣を私も歩いて行く。

暖簾の奥に格子戸があり、一慶が静かに開けた。
店内から蕎麦の香りが流れてくる。

「ごめんください」

一慶が声をかけると、中から作務衣姿の店員がやってきた。
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