息子の幸せを見届けたら、大人な恋が始まりました

波木真帆

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平静を装えない

その自然すぎる動きに、ロビーにいた数人がこちらを見る気配がする。

「……っ!」

ただでさえ顔が熱かったのに、一気に体温が上がった。

「一慶さん……」

小声で抗議するように名前を呼ぶと、一慶は穏やかな顔のまま首を傾げる。

「どうしました?」

いや、どうしました、じゃない。
こんな会社のロビーで、そんなふうに肩を抱かれて距離を詰められたら、落ち着いていられるわけがない。

けれど、それを口にする前に

「ははっ」

金橋がとうとう堪えきれないというように吹き出した。

「いやぁ、なるほどな」

「金橋!」

「悪い悪い。でも、藤嶺がここまでわかりやすいの初めて見たからさ」

肩を震わせながら笑う金橋に、もう何を言っても無駄な気がしてくる。
そんな私を見て、一慶がくすりと小さく笑った。

「真人さんは、職場でこんな感じなんですね」

「えっ、いえ。違いますよ」

少なくとも、こんなふうに顔を真っ赤にして慌てることはない。
一慶がいるから、今日は特別だ。

「普段はちゃんとしてますよ」

金橋が助け舟を出すように口を挟んだ。

「むしろ真面目すぎるくらいです。部下のフォローばっかりして、自分のことを後回しにするんで心配していたくらいで」

「金橋。それは言い過ぎ……」

「言い過ぎじゃないだろ。残業しているのに、後輩の資料まで見てやってるし」

「それは、確認くらいは普通に……」

言い返しながら、隣から向けられる視線を感じる。
ちらりと見上げると、一慶がどこか優しい眼差しでこちらを見ていた。

「真人さんらしいですね」

その一言が妙にくすぐったくて、また視線を逸らしてしまう。

すると金橋が、ふっと真面目な顔になった。

「でも安心しましたよ」

「えっ?」

「先週は、かなり元気がなかったんで」

その言葉に、思わず動きが止まる。

「仕事中ぼーっとしているし、ため息多いし。お弁当もいつもの半分くらいしか食べてなかったし、たまにスマホを眺めてストラップ撫でたりして……あまりにも様子がおかしいから、心配してたんですよ」

「金橋……」

自分ではうまく隠していたつもりだったのに。
そこまで気づかれているとは思わなかった。

「真人さん」

静かな声に顔を上げる。
一慶が、少しだけ眉を下げていた。

「そんなに無理をしてたんですか?」

「いや、ちょっと大袈裟に……」

「全然大袈裟じゃないだろ」

二人から責められて、もうなんと返していいかもわからない。

「水無瀬さん。せっかくだし、飯でも行きませんか?」

「ちょ、金橋。なんで急に……」

予想外の提案に、慌てて声をかける。

「だいたい、家で用意してくれてるんじゃないのか?」

「いや、今日は嫁さんが、子どもたち連れて実家に帰ってるんだよ。どっかで食べて帰ろうって思ってたから、ちょうどよかったよ」

ちょうどよかったって……

どうしようかと、伺いを立てようと一慶を見た。

「いいですね。真人さんの職場でのお話、もっと聞いてみたいですし。ぜひ、行きましょう!」

「えっ、本気ですか?」

まさかの返事が返ってきて、驚きを隠せなかった。

「ええ。真人さんも、一緒に行きましょう」

金橋はそんな私たちをみて、ニヤリと笑った。

「じゃあ決まりですね。近くにうまい小料理屋があるんで、そこに行きましょうか」

先頭を切って歩き出した金橋のあとに、一慶と並んで歩く。
行き交う車が目に留まって思い出した。

「あ、一慶さん。車……」

「早めに来たので、あそこの駐車場に止めたんです。だから大丈夫ですよ」

指し示した先には、コインパーキング。

「すごい……準備がいいですね」

思わずそう返すと。一慶は少しだけ笑った。

「真人さんを迎えに来るのに、路上駐車はしませんよ」

さらりと言われて、胸がドキッと跳ねる。
そのやりとりを聞いていたのか、金橋が振り返った。

「水無瀬さんって、思った以上にまっすぐな人ですね」

「そうですか?」

「ええ。普通そこで、そんな自然に口説き文句みたいなの出ませんよ」

「真人さんには、遠回しに言って勘違いされたくないですからね」

ちらっと一慶の視線を感じる。
きっとこれまでのことを言ってるんだろう。

「なるほど。それは正解ですよ。さすが、もう藤嶺のことはよくご存知ですね」

「ええ」

その短い返事に、妙な含みを感じてしまって落ち着かない。

「ちょっと、二人とも……」

小声で止めに入ると、金橋が肩をすくめた。

「悪い悪い。でも、藤嶺がこんな顔する相手、初めて見たから面白くてさ」

「面白がるなよ……」

ため息混じりに返しながらも、隣にいる一慶の存在を強く意識してしまう。

やがて、金橋が細い路地へ曲がった。

「この先です。ちょっと古い店ですけど、味は保証しますよ」

通りから少し離れた場所に、小さな暖簾のかかった店が見えた。
落ち着いた木造の外観で、窓から柔らかな灯りが漏れている。
私も金橋に連れられて、何度か行ったことがある店だ。

「へぇ……素敵なお店ですね」

一慶が感心したように呟く。

「でしょう? 接待にも使えるし、一人で来ても居心地いいんですよ」

金橋が引き戸を開けると、出汁と焼き魚の香りがふわりと漂ってきた。
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