大富豪ロレーヌ総帥の初恋

波木真帆

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待ち望んでいた連絡

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会議中の私の上着の内ポケットで震え始めた一台のスマホ。
これは私のスマホではない。
今は亡き父の形見のものだ。

ブーブーとバイブ音を鳴らすその画面を見ると、11桁の見慣れぬ数字が並んでいるのが見える。
登録されていないその番号に一瞬期待するが、今まで幾度もそれに騙され続けてきたのだ。

期待はしてはいけない。

そう思いながら、私は画面をタップした。


私の名はエヴァン・ロレーヌ。
フランスでIT関係の会社を経営しており、また昨年亡くなった父の会社も合併してさらに大きな会社となったが業績はかなり順調でこの業界で私の名を知らぬものはいないと言われている。

そんな私が、父の形見のスマホと共に来日したのは先月のこと。
私が待っている電話が来る確証などはないが、父からこれを託されて以降肌身離さず持ち歩いているのだから日本にも同行させたのだ。

このスマホには父が亡くなった今でも月に一度は震えて私に期待と落胆を繰り返させる。
父の死を知らない父の旧友からの連絡だったり、どこで知ったのかわからないセールスの電話だったり……。

それでも解約せずに形見として父のスマホを大切にしているのには訳がある。

これは大切な人をつなぐたった一つの手段なのだ。


私は日本滞在中にこの電話が震えたことに一瞬期待しながら、会議の相手に承諾を得て電話をとった。

Alloもしもし?」

私の声に受話器の向こうでハッと誰かが息を呑んだのがわかった。

もしかしたらイタズラ電話か……。
そう思った瞬間、

「あ、あの……僕、えっと…… Hello……? って英語じゃだめか……あの、」

と天使の囀りのような声が耳に入ってきた。
あまりにもその可愛らしい声に思わず笑みが溢れた。

私の笑顔に周りにいたものたちが驚いているのがわかる。
私が感情をあらわにすることなどないから驚くのも無理はないか。
それほどまでにこの電話の主はたった一言で私の感情を大きく揺さぶった。

英語ならまだしもフランス語は聞き馴染みがないのかもしれない。
少し焦ったようなその声の主を安心させてやろうと、今度は日本語で話しかけた。

見慣れない番号だがどこでこの番号を知ったのかと尋ねると、電話の彼は聞き慣れた日本語にホッとしたように自己紹介を始めた。

「あ、あの……初めまして。僕……その江波えなみ弓弦ゆづると言います」

江波と聞いた瞬間、一気に記憶が甦った。



私の伯父ニコラ・ロレーヌはフランスを代表するヴァイオリニストだった。
彼の超人的な技巧とそこから奏でられる音は聴くもの全てを魅了していた。
ニコラはその人生の全てをヴァイオリンに捧げ、全ての感情も何もかもヴァイオリンと共にあるような人だった。

そんなニコラの元にやってきた日本人留学生。
パリで行われたヴァイオリンの国際コンクールで史上最年少で優勝し、ニコラの指導を受ける機会に恵まれた逸材だった。
その彼女の名は江波えなみ天音あまね

そのコンクールの審査員でもあったニコラはその時からアマネのヴァイオリンに、そして彼女に惹かれていたのだと思う。
そして、ニコラの熱心な指導を受けながら、アマネもまたニコラに惹かれたのだろう。

どちらからということもなく二人は自然な流れで愛し合うようになった。

しかし、20以上も年の差のある二人の交際をアマネの両親が認めず二人は引き裂かれ、その後すぐにニコラは不慮の事故で亡くなり、二人は永遠に引き裂かれることとなったのだ。

当時私はまだ子どもでニコラとアマネの経緯はよく知らなかったが、昨年父が亡くなる間際に詳細が書かれた書類を手にした。

アマネはニコラとの子を妊娠し、そして一人で産んで育てているのだと。
父はアマネを支援し見守るために、何かあったら連絡をしてくれとあの電話番号を知らせたのだ。
もしかしたらいつか父に助けを求めて連絡をしてくるかもしれないと期待して。

電話の主がアマネではない。
もしかしたらたまたま同じ苗字だということも考えられる。
しかし、私は江波と聞いてもしかしたらと思いつつ問いかけたのだ、彼の母親の名前を。

彼の口から『アマネ』だと聞いて一気に喜びが爆発した。
私はこの時をずっと待っていたのだ。

アマネが私たち家族を頼ってくれたことに。

だが、彼の口から出てきた言葉は悲しい知らせだった。

母が事故で亡くなった……と話す彼の声は今にも泣き出しそうに震えていた。

アマネはニコラの子供を産んで一人で育てていたのだ。
たった一人で。
彼女が再婚したという話は聞いていない。

ということは、彼は今、家族もなく、たった一人で悲しみに震えながら私に救いの手を求めて電話してきたのではないか。
そう思ったら居ても立っても居られなくなった。

すぐにでも彼のそばに駆けつけてやりたい。
どんなことをしてでも私が守り抜くのだ。

そう心に誓いながら、2時間以内に彼の元に到着することを約束して彼との電話を切った。

「悪いが、今日の会議は終わりだ。あとはパソコンに送ってくれ。セルジュ、すぐに出発するぞ」

どうせもうほとんど終わっていた会議だ。
これ以上長居する意味もない。

私は秘書のセルジュを連れ、すぐに車へと向かった。

『エヴァンさま、何か不測の事態ですか?』

『ああ、詳しいことは車の中で話す。すぐにY県に向かってくれ』

セルジュには父の遺言の話はしてあった。
いつ何時連絡がくるかもしれないからこそ、セルジュには知っておいてもらう必要があったのだ。

『えっ? アマネさまがお亡くなりに?』

『ああ、事故で亡くなったとアマネの息子からの連絡だった。加害者はすでに警察に捕まったようだが、これから相手側との裁判になるだろう。その前にまずアマネの葬儀もある。セルジュ、彼はまだ高校生だ。彼には色々と難しいだろうから、お前が代理人として全ての手続きを行なってくれ』

『はい。アマネさまの息子さんの承諾を得てからになりますが……承知いたしました。エヴァンさまはこれからどうなさるのですか?』

『とりあえずはアマネの息子、ユヅルと話してからだな。通ってもいいし、一人にはしておけないようなら彼の家に泊めさせてもらうか』

『ユヅルさまと仰るのですね。エヴァンさま、いくら親戚にあたるとはいえ、初対面のお方ですから、あまり無理強いはされませんように……』

『わかっている。ただ……』

『どうなさったのです?』

『電話口の彼しか知らないが気になって仕方がないんだ。彼のあの声を思い出すだけで胸が騒つく。こんなこと初めてだ』

『…………エヴァンさま、それは……恋をなさっておいでではございませんか?』

『はぁ?』

セルジュの言葉に思わず大声が出た。
私が恋?

確かに連絡を待ってはいたが、相手はまだ高校生の男の子だ。
人を好きになるのに性別は関係ないとわかっていても、私がそんな年の離れた男の子に恋をするとは思えない。
だが、彼の声を聞いて浮かれ切っている自分がいるのも事実だ。

『相手は18やそこらの男の子だぞ』

『愛に年の差など関係ないことはニコラさまの件でお分かりでしょう? 相手が男性でも同じことです」

『だが、そのようなこと……』

『ふふっ。お会いになったらすぐにわかるのではないですか?』

『……まぁそうだな。ここで否定していても意味はないな』

私はまだ見ぬあの天使の囀りのような声を奏でていた彼・ユヅルを思いながら、彼の待つ家へと進んでいく景色を見つめていた。
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