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第四章 (王城 過去編)
花村 柊 35−1
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ぼくはまた画室に篭りっきりになる生活がはじまった。
あの事件にあってからずっと静養していたけれど、体調もだいぶ戻ったしそろそろ絵も進めたくなっちゃったし……ということで、フレッドに無理はしないからと必死にお願いしてやっとお許しが出たんだ。
でも今までと違うのは、毎日必ずお父さんと東屋でのお茶の時間をとるようになったこと、それから、ぼくの指にキラキラと輝く指輪がはまっていること。
絵を描きながら、パッと下に視線を向ければフレッドとお父さんとアンドリューさまとのお揃いの指輪が見える。
左手の薬指に煌めく指輪を見るだけで疲れも全て吹き飛んでいく気がするんだ。
「シュウさま。そろそろトーマさまが東屋に行かれるお時間ですよ」
「えっ? もうそんな時間?」
ブルーノさんに声をかけられ驚いてしまう。
さっき昼食をとったばかりだと思っていたのに、本当に絵を描いていると時間が経つのが早い。
「じゃあ、今日はこの辺にしておこうかな」
ぼくが絵にカバーをかけているほんの少しの間に、ぼくが使っていた筆や絵皿洗いを手伝ってくれるブルーノさんは本当に優しい。
あっという間に片付けも終わり、ぼくは着替えるために一度部屋へと戻った。
お父さんとお茶の時間を楽しむだけとはいえ、相手は王妃さま。
絵を描く時用の汚してもいい服で会いにいくわけにはいかない。
毎日毎日フレッドがこのお茶の時間のために用意してくれている服に着替え、部屋を出るとブルーノさんが待ってくれていた。
「今日はお茶菓子にロイドが焼き菓子を焼いておりましたので、そちらをご準備しております」
とトレイに乗せたお菓子を見せてくれた。
ヒューバートさんのところに行って以来、もう鍛えるのが無理だとわかったぼくはお菓子を我慢することをやめ、毎日美味しいお菓子を用意してもらっている。
と言っても、いっぱい食べすぎると夕食が入らなくなるので片手に乗るくらいしかお菓子は食べられないけど。
それでも毎日美味しいお菓子を食べられて幸せなんだ。
「わぁ、美味しそう! ロイドさんにお礼を言っておいてね」
「はい。シュウさまからそう言っていただけてロイドも喜びます」
ブルーノさんがにっこり笑って、ぼくを東屋へと案内してくれる。
中庭に向かっていると、反対側の出入り口からお父さんがこっちに向かってきているのが見えた。
「あっ、柊ちゃんっ!!」
ふふっ。ぼくを見つけて満面の笑顔で駆け寄ってくる姿は本当に可愛い。
そう、なんだかパールに似ている。
そんなこと思っちゃダメかな。
でも、こういう可愛らしいところがアンドリューさまは好きなんだろうなぁって思ってしまう。
「良かった。待たせちゃうかと思って急いできたんだ」
「ふふっ。そんなに急がなくても……。ブルーノさんも周りに騎士さんたちもいるし、東屋でゆっくりしてるから大丈夫だよ」
「ううん。だめ、だめ。柊ちゃんを1人にしておくのは心配だからね」
あのことがあってから今まで以上にみんな心配してくれているけれど、ここはおいそれと入れない王城の中庭だしそこまで心配しなくても大丈夫だと思うんだけどな……。
でも、それを言っちゃうとますます心配しそうだからやめておこう。うん。
「さぁ、トーマさまもシュウさまもこんなところで立ち話もなんですから、東屋の方に移動いたしましょう」
ブルーノさんに案内され、東屋へ移動するとすぐに紅茶を入れてくれた。
絵を描いていて疲れているだろうから……と砂糖を入れてくれた少し甘めの紅茶。
いつもならお菓子を一緒に食べるときは紅茶には砂糖は入れないのだけど、よっぽど脳が疲れているんだろう。
ほんのり甘い紅茶が身体に染み渡っていく気がする。
「はぁーっ、美味しい。今日の紅茶もすっごく美味しいです、ブルーノさん」
「そう仰っていただけて光栄でございます。
トーマさまの紅茶も今日は少し甘めにしておきましたが、よろしゅうございましたか?」
「うん。ありがとう。疲れていたから、本当に美味しい」
ブルーノさんはすぐにぼくたちの状態を見て、紅茶を濃く入れてくれたり、甘くしてくれたり、何も言わなくてもわかってもらえるってすごく嬉しいな。
そういえば、サヴァンスタックのお屋敷で紅茶を入れてくれていたマクベスさん……あの人の紅茶もすごく美味しかったよね。
またあの時代に戻れたら、マクベスさんの紅茶飲ませてもらえるかな……。
「絵の進捗状況はどう?」
「ふふっ。トーマさま、毎日同じこと聞いてる」
「だって……それは、気になるよ」
うん。それは確かにそうだ。
だって、完成が近づくということはお父さんと離れる日が近づくということだもんね。
ぼくはお父さんたちの肖像画を描くと決めた時から、そして、今、描きながらもずっと覚悟できてるけど、お父さんは違う。
ぼくに急に完成したって言われるのが怖いんだ、きっと。
だからこうやって毎日、毎日どれくらい絵が完成に近づいてるかを知りたいんだ。
「今日はね、昼食食べてからブルーノさんに声かけてもらうまであっという間に感じたんだよ。
それくらい集中して描いちゃってたんだけど……ふふっ」
「なに? なんで笑ってるの?」
「ふふっ。あのね、今日描いてたの、トーマさまだったんだよ。
だから時間経つのも忘れるくらい集中しちゃったのかな」
「僕? ふふっ。そっか」
そう言って笑うお父さんの笑顔が本当に綺麗だと思った。
この笑顔をあの絵に乗せることができたら……本当に素敵な絵になるだろうな。
でも、一番綺麗な笑顔はあの時のお父さんの笑顔。
あれはぼくだけの心に刻み込んでおこう。
誰にも見せたくないぼくだけの大事な思い出だ。
それは、今でもお父さんの胸に輝いている、あの氷翡翠をプレゼントしたときのお父さんの笑顔だ。
氷翡翠を一生肌身離さず大切にしてくれると言って満面の笑みで抱きしめてくれたあの温もり。
そしてフレッドとはまた違う落ち着く優しい香りも、ぼくにとっては一生忘れられない大切な思い出。
目を閉じても浮かんでくるほど、心に焼き付けたあの日のこと。
ぼくは一生忘れないよ、お父さん。
「ねぇ、今日はトーマさまは何をしていたの?」
また今日も畑にいたのかなと思っていたけど、中庭に来る時の方向が違っていたし多分畑じゃなかったはずと思ってぼくは尋ねてみた。
お父さんは王妃としていろんな公務もあって毎日忙しいのに、あの事件以来、こうやってお茶の時間を作ってくれてるんだよね。
そのせいでお父さんは時間の都合をつけるのが大変そうだけど、ぼくはお父さんとのこの時間があるおかげで絵だけに集中せずにいられて身体も落ち着いていられる気がするんだ。
「うん。来週アンディーの弟のジュリアン王太子が留学先のリャバーヤから一時帰国することが決まってね、それの準備を手伝ってたんだよ」
てっきり何かしら公務をやっていたとばかり思い込んでいたから、思いもしない話でぼくは驚いてしまった。
ジュリアン王太子はまだ成人前のアンドリュー王の弟さんで、ぼくたちがこの時代にくる少し前から隣国のリャバーヤに留学してるって話だったんだよね。
もうこのまま会えずに元の時代に戻るのかと思っていたから、まさか会えることになるとは思ってもみなかった。
「ええーっ! そうなんだっ。すごいっ! ぼくも会わせてもらえるのかな?」
「ふふっ。ジュリアンにしてみればむしろそれが目的みたいだよ」
「えっ? 目的って?」
「ジュリアンが留学した後に柊ちゃんたちが来たって話はジュリアンの耳に入ってたみたい。
アルフレッドさんや柊ちゃんの話を聞いてどうしても会ってみたくなったみたいでね、アンディーにも何度か帰国したいって手紙が来てたみたい。でも、この留学は国王になるためには必要な儀式みたいなものでね、この期間はオランディアに帰ることは本当なら許されてないんだよ。でも、ジュリアンがアンディーと必死に交渉して、ようやく一時帰国が認められたみたいだよ。まぁ、3日くらい過ごしたらまた戻るんだけどね」
「3日?? せっかく帰ってくるのに短くない?」
「うん、でも元々は留学したら1年間は帰国できないって話だったからね。
3日戻れることになったのも奇跡に近いことなんだよ」
そうなんだ……そんな儀式みたいなのがあるんだ。
一国の王として人の上に立つためにはやらなきゃいけないこともあるんだな。
それにしてもジュリアン王太子って……どんな人なんだろう。
「ねぇ、トーマさま。ジュリアン王太子ってどんな人なの?」
「うーん、そうだな。僕がこの国に来た時ジュリアンは本当にまだ子どもで可愛かったよ。
アンディーによく似ていてね、ふふっ。本当に、アンディーをそのまま小さくした感じだったな。
『トーマさま、トーマさま』っていつも僕の後ろをついてきてくれて本当にかわいかったんだよね。
僕にも弟はいたけど、小さい時から僕のことを嫌ってたから、ジュリアンがああやって僕の後をついてきてくれるのが嬉しくてね。ついつい構ってしまってたんだよね~」
そうだ。
お父さんにも確かに弟がいたんだ。
本当なら長男として生まれるはずの運命だった弟さん。
弟さんにはその意識が心の奥底に残っていたんだろう。
だから自分のことが邪魔で邪魔で仕方がなかったんだろうってお父さんが言ってたっけ。
お父さんを電車に突き落として殺そうとしたのは弟さんだったけど、あんなに思い詰めさせてしまったのは自分の存在のせいなんだって弟さんのことを怒りも責めもしなかったんだよね。
お父さんってどこまで心が広いんだろう。
まぁそれでも、あのままあっちにいるよりはここでアンドリューさまとずっとずっと幸せになれたんだからよかったんだろうけど。
そもそもお父さんとアンドリューさまは最初から唯一として同じ世界に生まれるはずだったんだもん。
離れ離れでいたからみんな不幸だったんだろうな。
今はお父さんもアンドリューさまも幸せになれたからいいのかな。
弟さんはどうだろう……お父さんがいなくなって少しは幸せになれたのかな?
お父さんの話を聞きながらつらつらとそんなことを考えていると、
「そういえばさ……」
と不思議そうな声でお父さんが話を続けた。
「んっ? どうしたの?」
「いや、なぜか僕とジュリアンが一緒にいたらアンディーはいつも怒ってたなと思ってさ。
そういえば、あれなんでだったんだろうなぁ? もしかしたら可愛い弟を僕がいじめてないか心配だったのかな。ふふっ」
「そんないじめるだなんて……そんなことはないと思うけど。でもアンドリューさまが怒るってなんだったんだろうね」
「本当に可愛い子だったからね。アンディーとはいつも2人でひそひそ話してて仲良さそうだったし」
その時のことを思い出しているのか、お父さんは嬉しそうに微笑んでいる。
そうか。アンドリューさまはジュリアン王太子と仲が良かったのか。
お父さん、それをみて自分ができなかったことを喜んでいたのかな。
「ふふっ。そうなんだ。でもアンドリューさまに似てるってことはフレッドにも似てるってことだよね?
ジュリアン王太子に会うの楽しみになってきたなぁ」
「ああ~っ、柊ちゃん浮気?? アルフレッドさんに言っちゃうよ」
「浮気って……そんなことある訳ないでしょ!」
「ふふっ。冗談だよ、冗談」
楽しそうに笑うお父さんを見て、ぼくも一緒になって笑った。
久しぶりに東屋に笑い声が響いていて、少し離れた場所にいる騎士さんたちもほんの少しだけ笑顔になっているように見えた。
お父さんとの楽しいお茶の時間を終え、部屋へと戻るとまだフレッドは帰っていなかった。
きっとジュリアン王太子が帰国することでお父さん同様いろいろとやらなければいけないことがあるんだろう。
それにしてもぼくたちに会うのが帰国の目的だなんて……。
ぼくはジュリアン王太子に会ってみたかったから会えるのは嬉しいけれど、あんまり期待されすぎて実際に会ってみてがっかりされちゃったら嫌だな……。
「シュウさま。紅茶をお淹れいたしましょうか?」
ブルーノさんがぼくを気遣って声をかけてくれたことに気づき、
『じゃあ少しだけ』とお願いして、淹れてもらった。
さっきとは違う砂糖の入っていない薄めの紅茶を啜りながら、ブルーノさんにもジュリアン王太子のことについて尋ねてみることにした。
「ねぇ、ブルーノさん。ジュリアン王太子がオランディアに帰国することになったって知ってる?」
「はい。シュウさまもご存じでしたか。今回はジュリアンさまがどうしてもとのご希望で三日間だけオランディアに帰国することをアンドリューさまがお認めになられたのですよ」
「うん。お父さんが言ってた。なんだかフレッドとぼくに会いたがってるってアンドリューさまに何度もお手紙を書いてたって」
「トーマさまがそんなことをお話しされていたのですか?」
ブルーノさんの驚いた様子が少し気になりながらもぼくは思っていたことを尋ねてみた。
「うん。でもブルーノさん、どうしよう……」
「何かご心配なことでもございますか?」
「そんなに期待されてがっかりされたりしないかな? ぼく、何にもできないし」
そういうと、ブルーノさんは一瞬キョトンとした顔でぼくをみたあと
『はっはっはっ』とブルーノさんとは思えないほど大きな声をあげながら楽しそうに笑っていた。
あの事件にあってからずっと静養していたけれど、体調もだいぶ戻ったしそろそろ絵も進めたくなっちゃったし……ということで、フレッドに無理はしないからと必死にお願いしてやっとお許しが出たんだ。
でも今までと違うのは、毎日必ずお父さんと東屋でのお茶の時間をとるようになったこと、それから、ぼくの指にキラキラと輝く指輪がはまっていること。
絵を描きながら、パッと下に視線を向ければフレッドとお父さんとアンドリューさまとのお揃いの指輪が見える。
左手の薬指に煌めく指輪を見るだけで疲れも全て吹き飛んでいく気がするんだ。
「シュウさま。そろそろトーマさまが東屋に行かれるお時間ですよ」
「えっ? もうそんな時間?」
ブルーノさんに声をかけられ驚いてしまう。
さっき昼食をとったばかりだと思っていたのに、本当に絵を描いていると時間が経つのが早い。
「じゃあ、今日はこの辺にしておこうかな」
ぼくが絵にカバーをかけているほんの少しの間に、ぼくが使っていた筆や絵皿洗いを手伝ってくれるブルーノさんは本当に優しい。
あっという間に片付けも終わり、ぼくは着替えるために一度部屋へと戻った。
お父さんとお茶の時間を楽しむだけとはいえ、相手は王妃さま。
絵を描く時用の汚してもいい服で会いにいくわけにはいかない。
毎日毎日フレッドがこのお茶の時間のために用意してくれている服に着替え、部屋を出るとブルーノさんが待ってくれていた。
「今日はお茶菓子にロイドが焼き菓子を焼いておりましたので、そちらをご準備しております」
とトレイに乗せたお菓子を見せてくれた。
ヒューバートさんのところに行って以来、もう鍛えるのが無理だとわかったぼくはお菓子を我慢することをやめ、毎日美味しいお菓子を用意してもらっている。
と言っても、いっぱい食べすぎると夕食が入らなくなるので片手に乗るくらいしかお菓子は食べられないけど。
それでも毎日美味しいお菓子を食べられて幸せなんだ。
「わぁ、美味しそう! ロイドさんにお礼を言っておいてね」
「はい。シュウさまからそう言っていただけてロイドも喜びます」
ブルーノさんがにっこり笑って、ぼくを東屋へと案内してくれる。
中庭に向かっていると、反対側の出入り口からお父さんがこっちに向かってきているのが見えた。
「あっ、柊ちゃんっ!!」
ふふっ。ぼくを見つけて満面の笑顔で駆け寄ってくる姿は本当に可愛い。
そう、なんだかパールに似ている。
そんなこと思っちゃダメかな。
でも、こういう可愛らしいところがアンドリューさまは好きなんだろうなぁって思ってしまう。
「良かった。待たせちゃうかと思って急いできたんだ」
「ふふっ。そんなに急がなくても……。ブルーノさんも周りに騎士さんたちもいるし、東屋でゆっくりしてるから大丈夫だよ」
「ううん。だめ、だめ。柊ちゃんを1人にしておくのは心配だからね」
あのことがあってから今まで以上にみんな心配してくれているけれど、ここはおいそれと入れない王城の中庭だしそこまで心配しなくても大丈夫だと思うんだけどな……。
でも、それを言っちゃうとますます心配しそうだからやめておこう。うん。
「さぁ、トーマさまもシュウさまもこんなところで立ち話もなんですから、東屋の方に移動いたしましょう」
ブルーノさんに案内され、東屋へ移動するとすぐに紅茶を入れてくれた。
絵を描いていて疲れているだろうから……と砂糖を入れてくれた少し甘めの紅茶。
いつもならお菓子を一緒に食べるときは紅茶には砂糖は入れないのだけど、よっぽど脳が疲れているんだろう。
ほんのり甘い紅茶が身体に染み渡っていく気がする。
「はぁーっ、美味しい。今日の紅茶もすっごく美味しいです、ブルーノさん」
「そう仰っていただけて光栄でございます。
トーマさまの紅茶も今日は少し甘めにしておきましたが、よろしゅうございましたか?」
「うん。ありがとう。疲れていたから、本当に美味しい」
ブルーノさんはすぐにぼくたちの状態を見て、紅茶を濃く入れてくれたり、甘くしてくれたり、何も言わなくてもわかってもらえるってすごく嬉しいな。
そういえば、サヴァンスタックのお屋敷で紅茶を入れてくれていたマクベスさん……あの人の紅茶もすごく美味しかったよね。
またあの時代に戻れたら、マクベスさんの紅茶飲ませてもらえるかな……。
「絵の進捗状況はどう?」
「ふふっ。トーマさま、毎日同じこと聞いてる」
「だって……それは、気になるよ」
うん。それは確かにそうだ。
だって、完成が近づくということはお父さんと離れる日が近づくということだもんね。
ぼくはお父さんたちの肖像画を描くと決めた時から、そして、今、描きながらもずっと覚悟できてるけど、お父さんは違う。
ぼくに急に完成したって言われるのが怖いんだ、きっと。
だからこうやって毎日、毎日どれくらい絵が完成に近づいてるかを知りたいんだ。
「今日はね、昼食食べてからブルーノさんに声かけてもらうまであっという間に感じたんだよ。
それくらい集中して描いちゃってたんだけど……ふふっ」
「なに? なんで笑ってるの?」
「ふふっ。あのね、今日描いてたの、トーマさまだったんだよ。
だから時間経つのも忘れるくらい集中しちゃったのかな」
「僕? ふふっ。そっか」
そう言って笑うお父さんの笑顔が本当に綺麗だと思った。
この笑顔をあの絵に乗せることができたら……本当に素敵な絵になるだろうな。
でも、一番綺麗な笑顔はあの時のお父さんの笑顔。
あれはぼくだけの心に刻み込んでおこう。
誰にも見せたくないぼくだけの大事な思い出だ。
それは、今でもお父さんの胸に輝いている、あの氷翡翠をプレゼントしたときのお父さんの笑顔だ。
氷翡翠を一生肌身離さず大切にしてくれると言って満面の笑みで抱きしめてくれたあの温もり。
そしてフレッドとはまた違う落ち着く優しい香りも、ぼくにとっては一生忘れられない大切な思い出。
目を閉じても浮かんでくるほど、心に焼き付けたあの日のこと。
ぼくは一生忘れないよ、お父さん。
「ねぇ、今日はトーマさまは何をしていたの?」
また今日も畑にいたのかなと思っていたけど、中庭に来る時の方向が違っていたし多分畑じゃなかったはずと思ってぼくは尋ねてみた。
お父さんは王妃としていろんな公務もあって毎日忙しいのに、あの事件以来、こうやってお茶の時間を作ってくれてるんだよね。
そのせいでお父さんは時間の都合をつけるのが大変そうだけど、ぼくはお父さんとのこの時間があるおかげで絵だけに集中せずにいられて身体も落ち着いていられる気がするんだ。
「うん。来週アンディーの弟のジュリアン王太子が留学先のリャバーヤから一時帰国することが決まってね、それの準備を手伝ってたんだよ」
てっきり何かしら公務をやっていたとばかり思い込んでいたから、思いもしない話でぼくは驚いてしまった。
ジュリアン王太子はまだ成人前のアンドリュー王の弟さんで、ぼくたちがこの時代にくる少し前から隣国のリャバーヤに留学してるって話だったんだよね。
もうこのまま会えずに元の時代に戻るのかと思っていたから、まさか会えることになるとは思ってもみなかった。
「ええーっ! そうなんだっ。すごいっ! ぼくも会わせてもらえるのかな?」
「ふふっ。ジュリアンにしてみればむしろそれが目的みたいだよ」
「えっ? 目的って?」
「ジュリアンが留学した後に柊ちゃんたちが来たって話はジュリアンの耳に入ってたみたい。
アルフレッドさんや柊ちゃんの話を聞いてどうしても会ってみたくなったみたいでね、アンディーにも何度か帰国したいって手紙が来てたみたい。でも、この留学は国王になるためには必要な儀式みたいなものでね、この期間はオランディアに帰ることは本当なら許されてないんだよ。でも、ジュリアンがアンディーと必死に交渉して、ようやく一時帰国が認められたみたいだよ。まぁ、3日くらい過ごしたらまた戻るんだけどね」
「3日?? せっかく帰ってくるのに短くない?」
「うん、でも元々は留学したら1年間は帰国できないって話だったからね。
3日戻れることになったのも奇跡に近いことなんだよ」
そうなんだ……そんな儀式みたいなのがあるんだ。
一国の王として人の上に立つためにはやらなきゃいけないこともあるんだな。
それにしてもジュリアン王太子って……どんな人なんだろう。
「ねぇ、トーマさま。ジュリアン王太子ってどんな人なの?」
「うーん、そうだな。僕がこの国に来た時ジュリアンは本当にまだ子どもで可愛かったよ。
アンディーによく似ていてね、ふふっ。本当に、アンディーをそのまま小さくした感じだったな。
『トーマさま、トーマさま』っていつも僕の後ろをついてきてくれて本当にかわいかったんだよね。
僕にも弟はいたけど、小さい時から僕のことを嫌ってたから、ジュリアンがああやって僕の後をついてきてくれるのが嬉しくてね。ついつい構ってしまってたんだよね~」
そうだ。
お父さんにも確かに弟がいたんだ。
本当なら長男として生まれるはずの運命だった弟さん。
弟さんにはその意識が心の奥底に残っていたんだろう。
だから自分のことが邪魔で邪魔で仕方がなかったんだろうってお父さんが言ってたっけ。
お父さんを電車に突き落として殺そうとしたのは弟さんだったけど、あんなに思い詰めさせてしまったのは自分の存在のせいなんだって弟さんのことを怒りも責めもしなかったんだよね。
お父さんってどこまで心が広いんだろう。
まぁそれでも、あのままあっちにいるよりはここでアンドリューさまとずっとずっと幸せになれたんだからよかったんだろうけど。
そもそもお父さんとアンドリューさまは最初から唯一として同じ世界に生まれるはずだったんだもん。
離れ離れでいたからみんな不幸だったんだろうな。
今はお父さんもアンドリューさまも幸せになれたからいいのかな。
弟さんはどうだろう……お父さんがいなくなって少しは幸せになれたのかな?
お父さんの話を聞きながらつらつらとそんなことを考えていると、
「そういえばさ……」
と不思議そうな声でお父さんが話を続けた。
「んっ? どうしたの?」
「いや、なぜか僕とジュリアンが一緒にいたらアンディーはいつも怒ってたなと思ってさ。
そういえば、あれなんでだったんだろうなぁ? もしかしたら可愛い弟を僕がいじめてないか心配だったのかな。ふふっ」
「そんないじめるだなんて……そんなことはないと思うけど。でもアンドリューさまが怒るってなんだったんだろうね」
「本当に可愛い子だったからね。アンディーとはいつも2人でひそひそ話してて仲良さそうだったし」
その時のことを思い出しているのか、お父さんは嬉しそうに微笑んでいる。
そうか。アンドリューさまはジュリアン王太子と仲が良かったのか。
お父さん、それをみて自分ができなかったことを喜んでいたのかな。
「ふふっ。そうなんだ。でもアンドリューさまに似てるってことはフレッドにも似てるってことだよね?
ジュリアン王太子に会うの楽しみになってきたなぁ」
「ああ~っ、柊ちゃん浮気?? アルフレッドさんに言っちゃうよ」
「浮気って……そんなことある訳ないでしょ!」
「ふふっ。冗談だよ、冗談」
楽しそうに笑うお父さんを見て、ぼくも一緒になって笑った。
久しぶりに東屋に笑い声が響いていて、少し離れた場所にいる騎士さんたちもほんの少しだけ笑顔になっているように見えた。
お父さんとの楽しいお茶の時間を終え、部屋へと戻るとまだフレッドは帰っていなかった。
きっとジュリアン王太子が帰国することでお父さん同様いろいろとやらなければいけないことがあるんだろう。
それにしてもぼくたちに会うのが帰国の目的だなんて……。
ぼくはジュリアン王太子に会ってみたかったから会えるのは嬉しいけれど、あんまり期待されすぎて実際に会ってみてがっかりされちゃったら嫌だな……。
「シュウさま。紅茶をお淹れいたしましょうか?」
ブルーノさんがぼくを気遣って声をかけてくれたことに気づき、
『じゃあ少しだけ』とお願いして、淹れてもらった。
さっきとは違う砂糖の入っていない薄めの紅茶を啜りながら、ブルーノさんにもジュリアン王太子のことについて尋ねてみることにした。
「ねぇ、ブルーノさん。ジュリアン王太子がオランディアに帰国することになったって知ってる?」
「はい。シュウさまもご存じでしたか。今回はジュリアンさまがどうしてもとのご希望で三日間だけオランディアに帰国することをアンドリューさまがお認めになられたのですよ」
「うん。お父さんが言ってた。なんだかフレッドとぼくに会いたがってるってアンドリューさまに何度もお手紙を書いてたって」
「トーマさまがそんなことをお話しされていたのですか?」
ブルーノさんの驚いた様子が少し気になりながらもぼくは思っていたことを尋ねてみた。
「うん。でもブルーノさん、どうしよう……」
「何かご心配なことでもございますか?」
「そんなに期待されてがっかりされたりしないかな? ぼく、何にもできないし」
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