俺の天使に触れないで  〜隆之と晴の物語〜

波木真帆

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もしかして泥棒?  <side晴>

前にテレビで見たのを思い出して、ちょっとやってみようと思っただけだった。
そう……ただの出来心だったのに。

それなのに、突然の隆之さんから与えられた深いキスに僕の足はガクガクと震え、その場に立っていられなかった。
ちょこっと、ちゅっってしてみたら、隆之さんがどんな反応をするか知りたかっただけなんだけど……。

唇が熱い。
まだ隆之さんの唇の感触が残ってる。

しかも続きは夜に……って。

もう、僕はおかしくなってしまいそうだ。

しばらくの間、玄関から動くこともできずにただその場に座り込んでさっきのキスを思い出しては顔を赤らめていた。

すると、リビングに置いていたスマホが鳴っているのが聞こえた。
あれはメッセージアプリの通知音だ。
もしかしたら隆之さんかも!

そう思って、ようやく力が入れられるようになった足を奮い立たせながらリビングへと向かった。

テーブルに置いていたスマホを見ると、相手は理玖だった。
そういえば、会う約束してたんだった。

メッセージアプリを開くと、水曜日のお店とその地図が送られてきていた。

サイトを開くと、美味しそうな洋食屋さん。
ハンバーグもナポリタンもオムライスも美味しそうだ。
こんなお店あったんだーと思いながら、地図を見ると大学の目と鼻の先だ。

最近オープンしたばかりらしいその店は半個室になっていて話もしやすくておすすめとレビューに書いてあった。

理玖ってば、いいお店見つけてきたなぁ。

すぐにオッケーのスタンプを返しておいた。
水曜日、久々にゆっくり理玖と話せると思うと楽しみだ。


さて、理玖のおかげで気持ちも落ち着いたことだし、そろそろ料理を始めよう。

煮物をまず先に作っておこうかな。

どれから作るかの手順を考えながら下拵えをしていくうちにあっという間にお昼になった。
適当にお蕎麦を茹で、ざるそばを食べて午後もひたすら料理を作り続けた。

3人で食べるには多いくらいの料理も他のコンシェルジュさんに持っていってもらうためだ。
やっぱりたくさんの人に食べてもらえると思うと嬉しくてつい作り過ぎてしまうけれど、喜んでもらえたら嬉しいな。

18時になり炊き込みご飯を作るために炊飯器のスイッチを入れて、ようやく料理は完成した。
あとは盛り付けとご飯が炊き上がるのを待つだけ。

時間が余ってデザートまで作れてよかった。

さぁ、ちょっと休憩したら盛り付けを始めよう。
温かいまま食べてもらうやつは直前に盛り付ければ大丈夫だよね。

よし。ちょっと休憩。
ソファーに腰を下ろすと、スマホにメッセージが入っていたことに気づいた。
あれ? 気づかなかった。
いつの間に入ってたんだろう。

慌てて開くと相手は隆之さんだった。
1時間以上前に

<急遽、アポが入ったから家に着くのが少し遅れるかもしれないが、終わり次第急いで帰るから!>

と入っていた。

その後のメッセージがないということはまだ終わってないんだろう。
まぁ、少し遅れるって言ってるくらいだからそこまで遅くはならないだろうし、高木さんと話しながら待ってたらすぐだよね。

高木さんが来るまであと1時間。
ああ、楽しみだなぁ。

約束の19時になっても隆之さんからの連絡はまだなかった。

長引いてるのかなぁ……。

すると、下のロビーではなく部屋の玄関前に客の来訪があったことを告げる音楽が部屋に響いた。

隆之さんなら鍵持ってるし、わざわざ鳴らさないよね。
ということは高木さんかな?
ドアホンの画面を見ると、やっぱり高木さんだった。

「はーい、今開けますね」

と声をかけ、玄関の扉を開けると私服姿の高木さんの姿があった。
いつものコンシェルジュの制服でもある黒服スーツはすごく似合っていてかっこいいけど、
今日のカジュアルな格好もすごく似合っていてかっこいい。

「高木さん、いらっしゃい」

「えっと、香月……くん。お招きありがとうご……、いや、ありがとう!」

ふふっ。どうやら僕との約束を守ってタメ口でやってくれるらしい。
高木さんのそういう生真面目なところがなんだかとてもホッとする。

「さぁ、どうぞ。中に入ってください」

「お邪魔します」

チラッと高木さんが靴を脱ぐのを見ていたけれど、やっぱり靴の脱ぎ方もスマートでとっても上手だ。
さすがコンシェルジュだなぁ。
何しても様になってる。

リビングへと案内していると、

「あれ、早瀬さまは?」

と尋ねてきた。

「隆之さん、まだお仕事が終わらないみたいで……。でも、そんなに遅くならないって言ってたのでもうすぐ帰ってくると思いますよ」

「えっ……香月くんと2人で居たりしていいのかな……」

僕の答えに高木さんは何かを呟いたけれど、よく聞こえなかった。

「何か言いました?」

そう尋ねたけれど、

「い、いや気にしないで」

と言われたので、特に追求はしなかった。

リビングのソファーに案内して、とりあえず飲み物を準備することにした。

「高木さん、何飲みますか? ワインとビールと……あとリンゴの炭酸ジュースと烏龍茶もありますよ」

「えっと、じゃあ、炭酸ジュースもらおうかな」

「はーい」

この日のために用意しておいたリンゴの炭酸ジュース。
本当はシュパースで飲んでるやつがすごく美味しいんだけど、あれはオーナーがわざわざドイツから個人輸入で取り寄せてるやつだから日本では売っていないって言ってた。
だから、市販されているやつでできるだけあの味に似ているやつを探したんだ。
ほんの少しシュパースのよりは酸味が強いけれど、これは美味しいと思う。

高木さんのと一緒に僕の分も同じ炭酸ジュースを入れて、リビングへと戻った。

「はい。どうぞ。お口にあったらいいんですけど」

高木さんに渡したグラスの淵からちょっと強めの炭酸がシュワシュワと飛び出している。

「乾杯は早瀬さまが帰ってこられてからということで……とりあえずいただきます」

「いただきます」

グラスをクイッと傾けると炭酸ジュースが高木さんの喉をゴクリと通っていく。
それをゆっくりと味わってから、

「このジュース美味しいね」

と言ってくれた。

僕は嬉しくなって、僕もゴクリとジュースを口に入れると、強めの炭酸が喉を通り抜けた後、ふわっと林檎の香りが鼻の奥を通り過ぎていく。
爽やかでとても飲みやすい。
うん、やっぱりこれおいしい。
シュパースのアプフェルショーレの次に。

「でしょう。僕、リンゴジュースが一番好きで。あ、でもこの前高木さんに飲ませてもらったオレンジジュースもすごくおいしかったですよ!」

そう、あのオレンジジュースは美味しかった。
本当に、びっくりするくらい。

「そうか、それならよかった。実は手土産にそのオレンジジュース持ってきたんだ」

そういって、高木さんは持ってきた紙袋からオレンジジュースを6本取り出した。

「こんなにいいんですか?」

「ああ、もちろんだよ! 是非早瀬さまにも飲んでいただきたくて」

やっぱり高木さんいい人だなぁ。

ピリリ、ピリリ

テーブルに置いていたスマホからメッセージの通知音が聞こえた。
きっと隆之さんだ。

高木さんに声をかけてからスマホを確認すると、

<もうすぐ着くよ>

と書いてあった。

「もう着くみたいですよ!」

高木さんにそう伝えると、僕にもわかるくらい思いっきり安堵の表情を浮かべた。
何か気になることでもあったのかな?

急に玄関の方でガチャガチャと乱暴に鍵を開ける音が響いた。
いつもの隆之さんとはあまりにも違う開け方にちょっと驚いてしまった。

まさか、泥棒とかないよね?

「私が見てきましょうか?」

「いいえ、高木さんはお客さまですから、ここで待っててください」

「ですが……」

僕は心配そうな高木さんに大丈夫です! と言い張ってリビングに残し、抜き足差し足でそっと玄関に近づいた。

すると、その瞬間もの凄い勢いで玄関の扉が開いた。

「うわぁっ!」

「わぁっ!」

あまりにもタイミングが良すぎて思わず叫んでしまったけれど、相手も僕の声に驚いたのか大声をあげていた。

「香月くん、大丈夫か?」

玄関先での大声にただ事ではないと思ったらしい高木さんが走ってきて、なかなかのカオス状態だ。

「あっ、早瀬さま。お帰りなさいませ」

「えっ? 隆之さん?」

「ああ、晴。ただいま」

隆之さんが少しばつの悪そうな顔で僕を見ていた。

なんだぁ……やっぱり隆之さんだった。
泥棒じゃなくて良かった。
でも、それにしても……

「なんであんなに鍵をガチャガチャしていたの? だから、僕泥棒かと思って……」

「どろ、いや、泥棒って……ひどいな。いや、その……そう、彼を待たせて申し訳ないと思ったから急いできただけだよ。驚かせて悪かった」

そっか。高木さんのこと気にしてくれてたんだね。
やっぱり優しくていい人だなぁ、隆之さん。

「さぁ、隆之さん、早く入って。手洗いして着替えてきてね。僕、食事の用意してくるね」

「ああ。君はリビングでゆっくりしていてくれ」

高木さんは隆之さんにそう言われてすぐにリビングのソファーへと戻っていった。
僕がキッチンに向かおうとすると、急に隆之さんに手を取られて振り向いた瞬間、ぎゅっと抱きしめられそのままキスされた。

それもちゅって終わるような軽い挨拶のキスではなく、舌を絡め合う深いキス。

頭を固定されているから動かすこともできず、ただ隆之さんの舌が僕の口内を舐め尽くしていくのを感じていることしかできなかった。

どれくらいキスしてたんだろう?
多分ほんの数分だと思うけれど、あまりにも濃厚で蕩けるようなキスだったから唇を離された時には何時間も愛し合った後のようにぐったりとしてしまってた。

「ごめん、つい……」

「た、かゆき……さん、なにか……あったの?」

僕は隆之さんの何か焦ったような様子が気になって息も絶え絶えになりながら必死で尋ねてみた。
けれど、

「いや、ただのヤキモチなんだ、ごめん」

と答えるだけ。

何かヤキモチを妬かせるようなことを僕が無意識にしてしまったんだろうか?

だけど、キスをした後の隆之さんはなぜか上機嫌に戻って、

「急いで着替えて手伝うからな」

とバタバタと洗面所へいってしまった。
結局何だったんだろう?

あ、でも高木さんが待ってるし。
気になることはたくさんあるけれどとりあえずは急いで食事の用意をしなきゃ。

なんとなく気になりながらも僕はキッチンで料理の盛り付けを始めた。

全ての料理の支度を終えた頃、隆之さんがキッチンに来てくれてそれを全部ダイニングテーブルに運んでくれた。
ナイスタイミングだね。


高木さんを呼んで、席についてもらい、

「飲み物は何がいい? ワインにビール、日本酒とシャンパンもあるぞ」

楽しそうに飲み物を尋ねる隆之さんの表情はいつもの隆之さんだ。

さっきのはなんだったんだろうな?
もしかしたら最後に入ったっていうアポイントで何か難しいことでも言われたのかも。
だから様子がちょっとおかしかったのかもね。

でも、家で飲める相手がいるっていうのは久しぶりだから、隆之さんも嬉しそう。
ふふっ。なんだかウキウキしてるみたい。
隆之さんが元気になってよかった。

「早瀬さまと同じものでお願いします」

高木さんの方はまだ緊張してそうだけど、それは仕方ないのかな。
なんたって隆之さんは自分がコンシェルジュをしているマンションに住んでいる人なんだもんね。
仕えてるっていう意識が出ちゃうのかもしれないな。

「遠慮しなくていいんだぞ。でも、まぁ、最初だからシャンパンにしとくか。美味しいシャンパン用意してるんだ」

いそいそとワインセラーからシャンパンを運んでくる隆之さんはすごく楽しそうだ。

「晴はこっちのリンゴジュースな」

「はーい」

人前では飲んではいけないって言われているから仕方ないよね。
この前も長谷川さんとテオさんの前で飲んじゃって怒られたばっかりだし。

みんな飲み物を手に持って、

「「「かんぱーい!」」」

遅くなっていた食事会がようやく始まった。

「香月くん! これ、すごくおいしいよ!!」

炊き込みご飯を美味しそうに頬張る高木さんは僕に対しての敬語はすっかり取れて、食事を満喫してくれているみたいでとっても嬉しい!

「まだおかわりもあるのでいっぱい食べてください」

「ははっ。晴の料理は最高だろう。高木くん、好きなだけ食べていってくれ!」

隆之さんは高木さんと飲みながらの食事が楽しいらしく、今日はなんだかテンションが高い。
少し酔っ払ってるのかな?
でも、こんな隆之さん見るの初めてかも。
うふふ。なんか楽しいね。

そういえば前から気になってたことがあったんだった。

「ねぇ、高木さんって名前なんて言うんですか?」

「そういえば晴には教えてなかったかもしれないな。高木くん、教えてやってくれ」

「改めて言うのは少し恥ずかしい気がしますが……将吾しょうごです。高木将吾といいます」

「へぇ、将吾さん。格好いいお名前ですね」

「そうですか? そ、そんなこと初めて言われました」

ふふっ。少し照れている表情が可愛いと思ってしまう。

「晴……俺の名前はどうだ? 格好いいか?」

「えっ?」

「どうだ? 格好いいか?」

「隆之さん、どうしたの? もちろん、格好良いよ! 隆之さんにすごく似合ってる」

僕がそう答えると、隆之さんは満更でもなさそうな顔で笑っていた。

ご機嫌なままに食事が終わり、僕たちはリビングへと移動した。

「俺がコーヒーを淹れよう」

「じゃあ僕はチーズケーキ切り分けるね」

デザートとして作っておいたチーズケーキを取り出し、ソファーの前にあるテーブルに置くと

「うわぁ、これ……香月くんの手作り? 美味しそうだな」

と身を乗り出してチーズケーキに見入っていた。

どうやら高木さんはチーズケーキが好きみたいだ。
隆之さんも好きなんだよね。
ふふっ。好みが同じで良かった。

僕が3人分切り分けていると、隆之さんがコーヒーを持ってきてくれてリビングにコーヒーの良い香りが漂っている。

「すみません、お手伝いもしなくて……」

将吾・・くんはお客さんなんだから良いんだよ」

隆之さんがそういうと、高木さんは少し照れた様子で笑っていた。

そう、以前から高木さんの名前を知っていた隆之さんが高木さんを急に名前で呼ぶことにしたのには理由がある。

実は高木さんはお父さんが日本で唯一のバトラー養成学校を経営しているそうだ。

高木さんも小さい時からバトラーになりたくて大学を卒業してからすぐにそこに入学したらしい。
だけど、理事長の息子だと知られると、お父さんはともかく周りが特別扱いをしてしまう。
でも苗字があまりにも珍しくてすぐに身内だとバレてしまうから、苦肉の策で名前を偽って入学したんだそうだ。
だから実は『高木』は通称みたいなものなんだって。
そういうところ、真面目な高木さんが出てるって感じするなぁ。

でも、その話を聞いた隆之さんが、

「なら、仕事以外の時は君のことはこれからは名前で呼ぼう。これからは我々の友達として深く付き合って行きたいからな」

と言うと、

「あ、ありがとうございます。そうおっしゃっていただけるなんて嬉しいです」

高木さんは、いや、将吾さんはすごく嬉しそうに笑っていた。


「そういえば、バトラーの養成学校ならみんな海外に行くんじゃないか? 日本はまだまだ需要は少ないだろうし……」

コーヒーを飲みながら、隆之さんが尋ねると将吾さんは

「そうですね……ですが、私は……」

とゆっくりとコンシェルジュになったきっかけを話し始めた。

そもそも、バトラー養成といえば数日~数ヶ月の講習でなれるようなところもあるらしいが、
将吾さんのお父さんのバトラー養成学校では、教養が必須のため大学を卒業した者にのみ入学資格がありかなり難易度の高い筆記試験がある。
そこに入るのもかなりの難関だが、勉強の期間はなんと1年間。卒業試験もあるそうだ。
1年間じっくりと学ぶことでここを卒業した人たちは海外の王族や貴族制度が残っている国で王室や貴族の家や海外の富豪の集まる高級ホテルなどに呼ばれるらしい。
高木さんも海外の貴族からオファーがあったらしいが、最初からこのマンションのコンシェルジュになることを決めていたらしく断ったんだそうだ。

「そんなにこのマンションで働きたかったんですか?」

僕が尋ねると、将吾さんは隆之さんに目を向けながら、

「はい。ここじゃないと意味がないんです」

と笑顔を見せた。
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