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第二部
直くんの印鑑
前話にも記載していますが、
寛さんの年齢をすっかり忘れていたので、頭取が同期だとちょっとおかしくなるなと気づき……加筆修正しました。
新たに登場人物を増やしていますので未読の方は前話からご覧ください。
* * *
「わっ、ふかふか」
エレベーターから降り、恐る恐る足をのせた直くんの反応が可愛い。
「失礼致します、磯山さま。頭取秘書の片山でございます。どうぞご案内いたします」
現れた男性秘書に直くんはピクッと身体を震わせた。
初対面の男性にはやはり少し怯えてしまうようだ。
「直くん。いこうか」
直くんの手を私と賢将さんでしっかりと握り、秘書の後に続く。
重厚な扉の前で足を止める。
案内されたのは頭取の部屋ではなく、白河の部屋のようだ。
ノックの後、内側から低く落ち着いた声が響いた。
その声に秘書が扉を開けると、広い執務室の奥の窓を背にして一人の男が立ち上がった。
「よう、磯山」
学生時代と変わらぬ呼び方に、自然と口元が緩む。
「相変わらず偉そうな椅子に座っているな、白河」
「座らされているだけだ」
軽口を交わしながら、直くんと共に歩み寄る。
握手はしない。ただ、視線を交わすだけで十分だった。
白河の視線が直くんへ向く。
「その子が、卓くんの?」
「ああ。私の大事な孫だ」
直くんは少し緊張しながらも、ぺこりと頭を下げた。
「はじめまして。磯山、直です」
白河の表情がふっと柔らぐ。
「礼儀正しいな。さすが卓くんの子どもだ」
「ははっ。まぁな」
そんな私たちのやりとりに、賢将さんが肩を揺らして笑う。
和やかな雰囲気に直くんも緊張が和らいできたようだ。
私たちの様子を少し離れた場所から見守っていた男性がこちらに近づいてくる。
「寛先生。緑川先生。お久しぶりです」
「ああ。黒崎くん。久しぶりだね。頭取に就任した時以来か」
卓の大学の同期の彼は、我が家にもしょっちゅう遊びにきていた。
うちのメインバンクに就職を決めた時は驚いたが、その彼が今、頭取にまでなっていることには時の流れの速さを感じずにはいられない。
彼は頭を下げると、直くんにそっと視線を向け笑みを浮かべた。
「磯山から、可愛い息子ができたと電話で報告を受けた時の声が聞いたことがないほど優しくて驚きましたが、今日直くんに会って、磯山が変わった理由がよくわかりました。本当に可愛いですね。寛先生も、緑川先生も可愛いお孫さんができて幸せでしょう」
「ああ。毎日が楽しいよ。なぁ。賢将さん」
「ええ。直くんのおかげで生きる希望が湧きましたから」
その言葉は私たち二人の本音だ。
直くんの存在がどれだけ私たちに幸せをもたらしてくれているか……
私と賢将さんが直くんの小さな肩を抱くと、直くんは嬉しそうに私たちを見上げた。
「それで、この子の通帳を作る手続きだが……」
「手続きはプライベートバンキング部に話をしてある。黒崎くん」
白河が声をかけると、黒崎くんが持っていた書類を手渡した。
「これに必要事項を書いてもらったら、すぐに担当者を呼んで対応させよう」
白河はそう言うと、穏やかな目で直くんを見た。
「あっちで書いてもらおうかな」
「はい!」
はっきりとした返事に、室内の空気がやわらぐ。
黒崎くんが我々をソファに案内し、先ほどの書類を直くんの前におく。
「こちらと、こちらに名前を。今日は印鑑はお持ちですか?」
その言葉に直くんが不安そうに私を見上げる。
「大丈夫だ。ちゃんと卓が直くんの印鑑を用意しているよ。試しに押してみようか」
私は卓から受け取って持ってきた鞄から、印鑑ケースを取り出した。
一生使えるように考えたのだろう。最高級の象牙を使った印鑑に父の愛を感じる。
「こっちが上だよ。朱肉をつけてグッと押してごらん」
直くんに渡し、黒崎くんが用意してくれた紙に直くんが押印する。
「んー!」
頑張って力を入れるのが微笑ましい。
大人四人が直くんが押印するのを見守る姿も珍しいだろう。
直くんが印鑑をあげた瞬間、紙に文字が綺麗に写っていた。
「わぁ、可愛い! 猫ちゃんがいます!」
大喜びする直くんの前には、隷書体で書かれた<磯山直>の文字の端に小さな猫が描かれている。
「ははっ。これはまた、珍しいものを作ったな」
笑う私たちの横で、黒崎くんだけが驚きの表情を浮かべていた。
おそらく、彼の中では卓がそんな遊び心を入れるような男じゃなかったんだろうな。
きっと、直くんと一緒のところを見たら目を丸くするに違いない。
寛さんの年齢をすっかり忘れていたので、頭取が同期だとちょっとおかしくなるなと気づき……加筆修正しました。
新たに登場人物を増やしていますので未読の方は前話からご覧ください。
* * *
「わっ、ふかふか」
エレベーターから降り、恐る恐る足をのせた直くんの反応が可愛い。
「失礼致します、磯山さま。頭取秘書の片山でございます。どうぞご案内いたします」
現れた男性秘書に直くんはピクッと身体を震わせた。
初対面の男性にはやはり少し怯えてしまうようだ。
「直くん。いこうか」
直くんの手を私と賢将さんでしっかりと握り、秘書の後に続く。
重厚な扉の前で足を止める。
案内されたのは頭取の部屋ではなく、白河の部屋のようだ。
ノックの後、内側から低く落ち着いた声が響いた。
その声に秘書が扉を開けると、広い執務室の奥の窓を背にして一人の男が立ち上がった。
「よう、磯山」
学生時代と変わらぬ呼び方に、自然と口元が緩む。
「相変わらず偉そうな椅子に座っているな、白河」
「座らされているだけだ」
軽口を交わしながら、直くんと共に歩み寄る。
握手はしない。ただ、視線を交わすだけで十分だった。
白河の視線が直くんへ向く。
「その子が、卓くんの?」
「ああ。私の大事な孫だ」
直くんは少し緊張しながらも、ぺこりと頭を下げた。
「はじめまして。磯山、直です」
白河の表情がふっと柔らぐ。
「礼儀正しいな。さすが卓くんの子どもだ」
「ははっ。まぁな」
そんな私たちのやりとりに、賢将さんが肩を揺らして笑う。
和やかな雰囲気に直くんも緊張が和らいできたようだ。
私たちの様子を少し離れた場所から見守っていた男性がこちらに近づいてくる。
「寛先生。緑川先生。お久しぶりです」
「ああ。黒崎くん。久しぶりだね。頭取に就任した時以来か」
卓の大学の同期の彼は、我が家にもしょっちゅう遊びにきていた。
うちのメインバンクに就職を決めた時は驚いたが、その彼が今、頭取にまでなっていることには時の流れの速さを感じずにはいられない。
彼は頭を下げると、直くんにそっと視線を向け笑みを浮かべた。
「磯山から、可愛い息子ができたと電話で報告を受けた時の声が聞いたことがないほど優しくて驚きましたが、今日直くんに会って、磯山が変わった理由がよくわかりました。本当に可愛いですね。寛先生も、緑川先生も可愛いお孫さんができて幸せでしょう」
「ああ。毎日が楽しいよ。なぁ。賢将さん」
「ええ。直くんのおかげで生きる希望が湧きましたから」
その言葉は私たち二人の本音だ。
直くんの存在がどれだけ私たちに幸せをもたらしてくれているか……
私と賢将さんが直くんの小さな肩を抱くと、直くんは嬉しそうに私たちを見上げた。
「それで、この子の通帳を作る手続きだが……」
「手続きはプライベートバンキング部に話をしてある。黒崎くん」
白河が声をかけると、黒崎くんが持っていた書類を手渡した。
「これに必要事項を書いてもらったら、すぐに担当者を呼んで対応させよう」
白河はそう言うと、穏やかな目で直くんを見た。
「あっちで書いてもらおうかな」
「はい!」
はっきりとした返事に、室内の空気がやわらぐ。
黒崎くんが我々をソファに案内し、先ほどの書類を直くんの前におく。
「こちらと、こちらに名前を。今日は印鑑はお持ちですか?」
その言葉に直くんが不安そうに私を見上げる。
「大丈夫だ。ちゃんと卓が直くんの印鑑を用意しているよ。試しに押してみようか」
私は卓から受け取って持ってきた鞄から、印鑑ケースを取り出した。
一生使えるように考えたのだろう。最高級の象牙を使った印鑑に父の愛を感じる。
「こっちが上だよ。朱肉をつけてグッと押してごらん」
直くんに渡し、黒崎くんが用意してくれた紙に直くんが押印する。
「んー!」
頑張って力を入れるのが微笑ましい。
大人四人が直くんが押印するのを見守る姿も珍しいだろう。
直くんが印鑑をあげた瞬間、紙に文字が綺麗に写っていた。
「わぁ、可愛い! 猫ちゃんがいます!」
大喜びする直くんの前には、隷書体で書かれた<磯山直>の文字の端に小さな猫が描かれている。
「ははっ。これはまた、珍しいものを作ったな」
笑う私たちの横で、黒崎くんだけが驚きの表情を浮かべていた。
おそらく、彼の中では卓がそんな遊び心を入れるような男じゃなかったんだろうな。
きっと、直くんと一緒のところを見たら目を丸くするに違いない。
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