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第二章・すれ違う心/2
しおりを挟むやはりここは、例のリゾートホテル界隈の街のようだ。
すれ違う人はカップルやファミリーが多くて、とても賑やか。見た目を楽しませてくれる綺麗なデザインのお店が多い。
葉山さんは、村を窮地に追い込む原因となった、一番大きなリゾートホテルに泊まっているらしい。
そこへ行く前に早目の夕食をとることになった。
彼が連れて行ってくれたのは懐石料理のお店。
作法は心得ているけれど、今のわたしは村娘だ。それを意識して、ときどき少し戸惑う様子も見せてみた。
それが、いかにも頑張って行儀良くしています、と言いたげな態度に見えたらしい。彼は苦笑いで皮肉飛ばしてくれたのだ。
『無理して行儀の良いふりをしなくてもいいんだぞ。目の前で犬みたいにがっつかれるのも気分は良くないが、見たこともない食事を前にして気取られているのかと思ったら、こっちも食べづらい」
犬みたい、って、それが女の子に言う言葉だろうか。この人の頭には“失礼”という文字はないのだろうか。
最初からそうだけれど、この人は本当に言葉が足りない。
無口って言ってしまえばそれまでなんだろうけど。
製薬会社の御曹司で、専務という役職に就いていると父は言っていた。ということは、将来は社長になる人だ。でも、正直こんな言葉の足りないぶっきらぼうな人で大丈夫なのかとも感じる。
葉山さんのことを知りたくてついてきたはずなのに、彼のことを知るどころか、わたしの中には彼に対する疑問ばかりが増えていく。
――そんな気持ちを抱きながらつれていかれたホテルは、とても大きな建物だった。
写真集などで見る西洋のお城みたい。ロビーにも大きなシャンデリアがかかり、広くてとても素敵。
礼儀正しい従業員にホテルの入り口で出迎えを受け、そのままフロントへと促される。わたしは葉山さんの少しうしろで立ち止まった。
「お帰りなさいませ。葉山様」
特に名前を言ったわけではないのに、フロントに立っていた蝶ネクタイの男性は丁寧に頭を下げる。そしてすかさずわたしに目を留めた。
「そちらのお嬢様は?」
「妹ですよ。追いかけてきてしまいましてね。困ったものです」
あらかじめ用意していたのだろう回答を、葉山さんは軽く口にする。フロントで下手に喋るなと言われているので、わたしは一応、控えめな笑顔で会釈をした。
その仕草を気に入ってくれたのだろうか。フロントの男性は目をちょっと見開き、微笑ましそうに葉山さんへ話しかける。
「でしたら、もう少し広いお部屋をご用意いたしましょうか? 本日はスイートのほうもご用意できますが」
「いや、どうせ取ってあるのはハイダブルの部屋だ。妹と一緒でも不都合はないよ」
「ソファベッドをお入れいたしますか?」
「ベッドも充分広い。大丈夫ですよ」
これ以上の詮索は不要とばかりに、葉山さんはわたしの背を一度叩き踵を返す。慌てて彼のあとについて歩き出すと、背後からフロントの男性の「ごゆっくりおすごしください」という声が聞こえた。
葉山さんのうしろをついて歩きながら、わたしは漠然と考える。
――話しの感じからして……。もしかして、一緒の部屋、なのだろうか……と。
『部屋もベッドも充分広い』
そう彼は言っていた。……おそらく、いや、まちがいなく一緒なのだろう。
大人の男性と、ひとつの部屋にふたりきり。……わずかなりとも不安を感じないわけではないけれど、匿えと言ったのはわたしだし、それはしょうがない。
葉山さんのあの冷たい感じからして、彼がわたしに興味を持っているとも思えない。おかしな心配をする必要もないだろう。
そう自分に言い聞かせ、葉山さんについてエレベーターへ乗りこんだ。
先に乗った葉山さんは、わたしがエレベーターの後方へ立つまでずっと目で追っている。なぜそんなに見られているのだろう。
すると彼は、その理由と思われるものを面倒くさそうに口にしたのだ。
「おまえ、エレベーターに乗ったことがあるのか? これから動くけど、悲鳴とかあげるなよ」
「あります!!」
どこまで馬鹿にしたら気がすむんだろう!
葉山さんに連れられて入った部屋は、完全に洋風の部屋だった。
こういう施設では当然といえば当然かもしれないが、わたしにとっては少々苦手なタイプ。
斎音寺家の屋敷に洋室はない。もちろん、洋室に入ったことがないとはいわないけれど、単純に普段馴染みがないので落ち着かないのだ。
とはいえ……そんな我儘を言うわけにもいかない……
「俺は仕事をしているから、おまえは適当に好きなことをしていろ。部屋は広いから、おまえみたいなちっこいのがウロウロしていても別に気にならない。しかし邪魔はするなよ」
部屋に入ってすぐそう告げた葉山さんは、壁側に置かれたアンティーク調の簡易デスクで書類のようなものを広げ、仕事を始めてしまった。
こうなると、わたしはまったくの放置状態だ。
確かにひとりで泊まるには広すぎると感じる部屋なので、物珍し気にウロウロしても気にはならないかもしれない。
ソファやテーブルの他に大きなテレビがある。けれど点けかたが分からなければなにを観たらいいのかもわからない。だいたい、テレビなんて点けたら『うるさい!』って怒鳴られそう。
窓側には大きなベッドが見える。
家で使用している組み蒲団を二組付けたくらいの大きさ。就寝はもちろんここでするのだろうけど、ベッドはひとつ。
……もちろん、一緒なのよね……?
「眠かったら、いつでも寝ていいからな。ソファなんかで転寝なんかするなよ? 運ぶのが面倒だ」
就寝時の心配をするわたしに、実にタイミングの良い葉山さんの言葉。それでもその内容は、この不安をなくするには不充分。
「うん……、あの、葉山さん、は……?」
「ん?」
「あの、……ベッド、使うでしょう?」
おそるおそる尋ねるわたしに、あらぬ不安の影を感じ取ったのかもしえない。彼は軽く息を吐きながら言い返してきた。
「俺は仕事があるから、眠るかどうかは分からない。寝るとしてもソファで転寝程度だ」
「でも、あの、それじゃぁ、疲れもとれないんじゃ……」
心配をしつつも気を使ってみる。すると葉山さんは椅子から立ち上がり、ネクタイを引っ張ってスルっと解いた。
「なんだ? 一緒に寝たいのか?」
「ちちちっ、違いますっ!!」
驚きのあまり一歩足を引くが、後ろに控えるソファがそれ以上の後退を阻む。もしまだ近寄られたら、どの方向へ逃げたらいいのだろう。
しかし、焦りから出たそんな疑問は杞憂に終わる。動揺するあまり身体を固めるわたしを見て、葉山さんは呆れ顔で嘆息した。
「だったらよけいな心配をするな。鬱陶しい。俺だってガキは趣味じゃない」
そっ、そこまで言いますかっ!
鬱陶しい、まで!!
確かに葉山さんから見れば、十歳も年下の子供だ。もしかしたら、十八歳以下に見られているかもしれない。けれど、わたしだって“女性”なのだから、気になるのは当たり前だ。
ガキには興味ないという言葉を投げられたことが、女性としての気持ちを軽視されたみたいで、なんだか悔しい。
ムッとして葉山さんから目をそらし、口をつぐむ。わたしが機嫌を悪くしたことに気付いたようだったけれど、葉山さんは特にその件には触れず、再び背を向けて仕事に戻った。
「つっ立ってないで、ソファにでも座っていろ。疲れるぞ」
相変わらずの無愛想さん。
わたしは、これからずっとこの無愛想な言葉を聞きながら、この人と夫婦をやっていかなくてはならないんだ。
なんだか物悲しさを感じてしまう。
わたしは葉山さんのうしろ姿を、涙が出そうな思いで見詰めた。
なぜこの人なのだろう。
男性というものをよく知らなければ、恋も知らないわたしが、なぜこの人と夫婦にならなければならないのだろう。
わたしは、一生恋を知らないまますごすのだろうか。
じわり……と、本当に涙が浮かんでくる。わたしは指でそっと目頭を押さえた。
分かっている、それは村のため。村のみんなの、幸せのためだ。だからこそ、少しでもこの人のことを知りたくてついてきた。ぶっきらぼうで冷たくても、どこか良いところを見付けられるかもしれないと考えたから。
わたしは周囲をきょろきょろと見回す。
このままでは、下手をすると寝るまで話なんかしてもらえそうもない。
なにか話をしなければ彼を知ることができない。話をするきっかけになるようなものはないだろうか。
見回した視線の先に、葉山さんがソファの背にかけていたスーツの上着がある。このままにしておいたらしわになってしまうのではないだろうか。そんな心配をした矢先、内側のポケットからなにかが落ちそうになっているのを見つけた。
ソファにあがり、それを手に取る。それは、小さな革製の薄いケースだった。
チラリと葉山さんのうしろ姿を盗み見て、なんとなく悪いことをしているような気分になりながら中を見る。どうやらこれは名刺入れだったらしい。
「葉山さんって、偉い人なんだね」
わたしの言葉に、葉山さんがゆっくりと振り向いた。
「“葉山製薬 専務取締役 葉山一”って書いてあるんでしょう? 凄いね、専務さんなんだ。未来の社長さんだもんね。偉い人なのは当たり前か」
手に持っていた名刺を掲げて見せる。一瞬、断りもなく勝手に名刺を見てしまったことを責められるかと思ったが、葉山さんは身体ごとわたしのほうを向き、話をしてくれた。
「葉山は、代々続く老舗の会社で世襲制だ。俺はたまたまそこの長男として生まれた。だから会社を継ぐ。それだけだ」
「でも凄いよ。普通の人にはできないもん。大きな会社なんでしょう? 葉山さんって、仕事ができそうな顔してるもんね」
「俺が仕事のできない人間だったら、会社が潰れる」
それはそうだ。けれどせっかく褒めているのだから、そんな不機嫌そうな顔じゃなくてもう少し嬉しそうにしてくれてもいいでしょう。
「桜花村に目を付けたのも俺だ。村ごと買い上げて管理すれば、貴重な資源も守られるからな」
でも、褒められて悪い気はしていないみたい。
なんとなく饒舌になってきた彼を、わたしは笑顔で見詰めた。
【続きます】
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