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第二章
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「おい、いい加減にしろ」
後から続いた夏木が、ついに声を荒げて邪植につかみかかった。しかし、その無骨な腕からするり、と抜けると、後ろ手に夏木の両手を拘束して、床に押し倒した。「赤也さん、早く奥へ」と、言われて倒れ伏している夏木のそばを通り抜けて、襖を開けた。カーテンの引かれていない六畳間は、太陽の光に満ちていた。床はスケッチブックの用紙で満たされて、まっ白だった。その中央で、しゃがみこんでいる黒い長髪の少女は、僕を見上げて眼を丸くした。
山下とも子は生きていた。しかも、過去の断片で見ていた時よりも顔色が良くなっている。ふっくらとした頬には、赤みがさしており、大きな両眼がぱちくり、と動いている。着ている洋服も新品で、その細身に似合う深緑は、さすが芸術家のセンスと言ったところなのか。表情も明るく、腕や足の怪我にもきちんと包帯が巻かれ、治療されていた。この姿を見ただけで、夏木にとって、彼女がどのような存在であるのか、すぐにわかる。
「邪植、離してやれ」
振り返らずにそうつぶやくと、「えー」と不平をもらしていた。夏木の辛そうなうめき声が聞こえ、僕はちら、とそちらを睨みつけた。
「聞こえないのか?」
邪植は細い眼を見開くと、あわてて夏木の上からどいた。何なんだ、いったい、つぶやきながら無骨な体を起こして低くうめいた。右肩の関節が痛むのか、軽く押し上げてもみながら、じっと、僕の顔を睨みつけてきた。
「あんたはヤクザか。勝手に入って乱暴するとは」
「すまない。なかなか手の焼ける奴なんだ」苦笑を浮かべて立ち上がると、視線だけで山下とも子を指し示した。「別に隠すことはなかったんじゃないか?」
夏木は胡乱な眼を細めて、鼻を鳴らした。「知らせる必要もないだろう。なにより、あんたは不穏なのでね」
「まあ、そうだ。僕を警戒するのはわかる」
「連れて行くのか?」
「訳を知っているのか?」
「知らん」
何も言わず、夏木の双眸をじっと見据えた。彼は動揺を決して表に出さない男だ。いつだって、億劫そうに頭をかいて、ぼんやりとした眼で僕を、その他を観察するだけだ。しかし、そのような鉄壁な男が、いま瞳の奥に炎を宿している。胡乱は胡乱だが、その奥にはうっすらと情熱がのぞいている。そうしてその情熱は、僕の好ましいものだった。
微笑を浮かべて、ポケットに手をつっこむと、一枚の半紙を取り出した。口でペンのキャップを外すと、そこに文字を書き込んだ。夏木は怪訝そうな表情を浮かべて、「何をやっている」と、つぶやいた。
「なに、大したことじゃない」
「答えになっていないな」
「君だって僕に答えないじゃないか」
「関係ない」
「まあ待て。そら」
顔を上げると、山下とも子にその半紙を手渡した。彼女は、一度だけ大きく目を見開いて、そこに書かれていた文字に見入ったが、すぐにそれを口に入れた。紙を、ではない。文字をだ。指先で、書かれていた文字をはがして、木の実でもつまんで口の中にいれるように、舌の上に落とした。しばらく味わうように口の中で、もごもごとさせていたが、嚥下する。同じことを二三回くりかえしてから僕を見上げると、その色つやの良い頬に皺をよせて、笑った。うれしそうに細められた双眸の奥で、僕の苦笑が二つ浮かんでいる。
「なるほど、文字喰いか」
「珍しいものじゃない」夏木は険のある声でつぶやいた。
「君の神経もなかなかだな」
その場にしゃがみこむと、散乱していた紙を一枚手にして、のぞきこんだ。よせよせ、と夏木があわてて六畳間に入って来たが、それを無視して、数枚同じようにひろって眺めた。山下とも子のデッサン画ばかりだ。笑っているのもあれば、沈黙し難しそうな顔をしているものもあり、泣いているのもあり、また笑っている。中には裸もあった。
「おい、さすがにこれはまずいんじゃないか」その一枚を夏木に向かって見せると、奪い取られた。仏頂面を崩さないよう必死だが、目が泳いでいる。意外な一面に、失笑した。なかなか可愛らしいやつじゃないか。
「やましいことはしていない」
「そんなら、隠すことないじゃないか」
「うるさいな」夏木は耳まで赤くしてそっぽを向くと、床に乱雑に散らしていたスケッチをひろって、押入れの中につっこみはじめた。僕は膝を立ててその様を見ながら、頬づえをついた。夏木の天然パーマが左右にゆれている。
「なに、心配するな。僕がどうかしてやる」
「どうするつもりですか」これまで黙っていた邪植が、低い声でつぶやいた。家の中は狭いので、未だ玄関そばにある台所の前で立って、腕を組んでいる。そっちへ視線を投げて、微笑を浮かべた。
「彼女のことは夏木に任そう」
「それじゃあ」
「ああ、僕らはこれで失礼しようじゃないか。あ、とも子さん。効果は三日後ですから、お楽しみに」
コートに手をつっこんで立ち上がると、微かに笑みを浮かべて山下とも子を見下ろした。山下とも子は大きな黒眼をやわらかく細めて、ゆっくりとうなずいた。それを確認して、すぐに歩きだすと、邪植の横を通って玄関に降りた。すっかり警戒の解けた夏木は、部屋の奥で僕の顔をじっと見つめた。眉間に皺をよせて「いったい何の話しだ」と、つぶやいた。
「先々、何か困ることがあったら僕を頼れ」
「あんたを頼れば、どうかなるのか」
「どうにかしよう」
うっすらと笑みを浮かべて見せると、夏木は複雑そうな表情をして「その笑い顔だけは、信用できないんだ」と、つぶやいた。まあ、それもそうだろう。と、踵を返して玄関の扉を開けた。
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