静寂の歌(逢魔伝番外編)

当麻あい

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第三章

3-10

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    十


 (僕は何が一番、怖いのか。それを問われたら、おそらく黙り込むほかないのだろう。簡単な話だが、そうじゃない。ずっと高橋つぐもに関して、沈黙してきたことがあるとしたら、おそらくそれなのだろう。)(僕と高橋つぐもはよく似ている。人殺しと言う意味において、犯罪者たちとどう違うのか?それを問われたら、おそらく何も違いなどない、むしろ実行犯よりも質の悪い悪党だ、と答えざるを得ない。)(ああ嫌だ嫌だ。木下や夏木や、子供たちに軽蔑されるのだけは、なんだかとても嫌なんだ。)(だから黙りこむ。沈黙するしかないんだ。)

 「こんばんは」
 薄暗い闇の中で、きらきらとかがやいた。それは白髪だった。彼は、黒いタイトズボンに、豹柄の毛糸を羽織っていた。足を組んだその上に、スケッチブックを開いている。絵などやるのか、と怪訝そうに眺めながら「こんばんは」と、軽くあいさつを返す。二Bの鉛筆を動かして、何かもくもくと書きこんでいる。うつむけた顔を上げることなく、向いのソファーに座るよう、うながしてきた。
 「聞きたいことがあるんです」ソファーに腰を沈めると、単刀直入にそう言った。彼は薄くくちびるを歪めて、ふうん、とうなずく。
 「これまでのこと、すべてはあなたが関わっているんですか」
 「これまでのこと?」
 「文字喰いと、バラバラと、乱射と、まあいろいろです」
 「騒がしい時世だね。同情するよ」
 にい、と口角を上げたその笑顔を睨みつける。「わかったよ。怖いな」と、つぶやいて片手を振った。
 「まあ当たってはいるが、適切ではないな」白い髪の男は、黄色い双眸を細めて鉛筆の先をじっと見据えて言った。「俺は影響を与えようと思ってやっているんじゃない。君と同じように、彼らも迷い込んできただけだ。ここにね」
 「答えになっていません」
 「そうとも。まだ応える気になれない」
 「ここで、あの歌を聴いた。そしてあなたを見た。山下とも子はどうにかなったが、高橋つぐもはあなたに魅かれている。心底から」
 「渇望している何かが、ここにあるからじゃないか」
 「あなたは何なのですか」
 「またその質問か。坂島赤也」
そう低くつぶやいてから、うっすらと笑った。ほら、どうだ。スケッチブックをひっくりかえして、中央に描かれているあるものを見せて来た。そこにはやわらかな肉、脳があった。誰のものかはわからないが、血管の脈から、筋、神経にいたるまで、事こまかに描写されていた。
 「これは君の脳だ」
 「そうですか」両目を細めて、足を組んだ。
「これが自己を対象化すると言うことなんだよ。なかなか疲れる作業だぜ。それで、こっちが高橋つぐもの脳だ」
 ぱら、とめくられた紙の中には、僕のと似た脳の絵が出てきた。くだらないな、とつぶやいて煙草をくわえると、それに火をつけた。
 「さっきのものを僕のだと言い、次のものをつぐものだと、あなたが言っているだけだ。実際にはわかるはずがない。僕がそれを信じなければ、それはただのでまかせだ」
 「うん。今日はなかなか冷静じゃないか、赤也」
 「あなたには聞きたいことがあるのでね。揺さぶりは効きません」
 「君も、すいぶん悪党なんだな」
 「善も悪も煎じ詰めれば同じようなもんです」
 ここまで聞いてようやく納得したのか、彼は愉快そうに声を上げて笑いだした。しばらく腹を抱えたあとに、無邪気な笑みを浮かべて、スケッチブックを放り投げた。
 「良いだろう。応えてやる」
 「あの歌はなぜ消えないのですか」
 「うまいところをつくな」背もたれに体重をあずけて、愉快そうに笑った。「簡単なことだ。あの歌は君たちの渇望の総体なのだから。人を介せば、勝手に成長してゆく。もはや自立した化け物なんだよ」
 「でも、あなたは解決の方法を知っている」
 「うん。でも俺には解決をしなくちゃいけない理由がない」
 「そう言うだろうと思ってました」僕は煙草を口から放して苦笑を浮かべると、紫煙を吐き出した。「だから、取引をしましょう」
 このとき、はじめて彼の双眸がぎら、と光った。それを隠すようにうすく笑みを浮かべると、足を組み替えた。
 「内容によるね」
 「そちらの要求を丸のみにする訳にはいきません」
 「おいおい。普通は何でも言うことを聞くと、言うところだ」
 「それをあなたに言ったら終いでしょう」
 「可愛げのない子だね。俺が機嫌を損ねたらどうするんだ」
 「そしたら、自分たちでなんとかします」
 苦笑を浮かべて「つまり、俺のことはそんなに必要じゃないけど、使えるものなら使っておこう、と言うことか」と、言った。ええ、まあその通りです。微笑を浮かべて紫煙を吐き出すと、声を上げて笑われた。
 「だって、あなたはここにいて退屈しているだけだ。僕が構わなくなって困るのはそっちでしょう」
 「嫌な子供だな。いいだろう、教えてやる」
 「条件は?」
 「君の命だ」
 「先約がいます」
 「八枯れか」
 だから無理です、と言って口を結んだ。気色をうかがうように視線を合わせたが、一つも堪えたところがなく、微笑を浮かべている。足の間で両手を組んで、なつかしそうに双眸を細めた。テーブルの上に投げていた煙草を手にして、一本くわえると、マッチをこすって煙を吸い込んだ。
 「言葉の本質を考えろ。静寂は沈黙。存在していない、と言うことだ。だが、沈黙とは表象されていないと言うだけで、根元のところには葉に伝わる種がある」
 「それは答えですか、助言ですか」
 「さあ、どちらでもない」
 「意外ですね」
 「どうだかね。俺の親切を君ならどう受け取る?」
 眉根をよせて黙り込むと、彼は紫煙を吐き出した。目尻に細かい皺をよせて微笑むと「もうお帰り。メリーシープ。」と、つぶやいた。僕は煙草を灰皿の上で揉み消すと、ゆっくりと立ち上がった。闇の先に見える白い扉に向かって歩きだしたが、ふと彼の方を振り返ってつぶやいた。
 「ここから出たくはないんですか」
 彼はやわらかく双眸を細めて、肩をゆらして笑っていた。
 「それを交換条件にすると思っていたのか?」
 「ええ、まあ」
 「でも君はそれに賛成しているようには見えない」
 「そうですね」
 苦笑を浮かべて肩をすくめてみせると、彼は背もたれに体重をあずけ、両眼を閉じてうなずいた。「いいんだ。俺はもうとっくの昔に死んでいるんだから」
 「決まりですか」
 「流れだ」
 「変えられると、あなたは言いそうだ」
 「それが案外すんなりと言いやしない。意外か?」
 「そうです」
 だから、と口元をゆがめて何事かつぶやいていたが、それを最後まで聞きとることができなかった。突然、開いた白い扉が、僕を夢の向かい側へと吸いよせる。その隙間が閉じる前に、のぞいた彼の笑顔はどこかさっぱりとしたものだった。

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