鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔

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第一章「厭離穢土、欣求浄土」

第一話「大坂」

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慶長二十年五月 大坂

「まだか!まだ動きはないのか!?」
老将は、その声で目が覚める。
大坂城の南、大和(やまと)国に続く街道の途中に、その陣はあった。葵の御紋の陣幕の中、黒一色に統一された立派な甲冑を身に纏(まと)った若武者が大声で叫んでいる。
「堀はすべて埋まっておるのじゃ。もう勝負は見えておろうに・・・」
苛立つ若武者の言葉に対して老将は笑う。
「はっはは、大将は常に慌てず冷静にどんと構えておるものですぞ、若」
『若』、そう呼ばれた武者は声の主の方へ振り返る。
「しかし、一向に始まる気配はないぞ?」
そこには、西洋の鎧を模した南蛮胴の甲冑を身に着けた老将の姿があった。
「この戦が終われば真の天下泰平。大御所様も迂闊に動いて無駄に死人を出しとうないのでございましょう」
「確実に勝つ、か・・・確かに大坂方には真田信繁や毛利勝永といった猛将もまだ残っておるらしいからの」
若武者の言葉に老将は首を傾げ笑い出す。
「猛将?はっはっは、猛将でございまするか?」
「忠右衛門、何がおかしい?」
若武者が老将を睨みつけると、老将は笑うのを止め丁寧に理由を説明した。
「いやいや、すみませぬ。某の若い頃に比べれば、そのような者たちなぞ所詮小物に過ぎませなんだ」
「そ、それはお主の若い頃に比べたら、そうであろうが・・・」
意気消沈する若武者に対して老将は笑みを浮かべながら自慢げに語り始める。
「ええ。姉川や長篠、関ヶ原など猛将は山ほどおりましたぞ」
そして老将は目の前の合戦場に目を向ける。
未だ戦は始まってはいないが、両軍合わせて十万以上の兵士たちが布陣している大戦。しかし、老将の瞳は何か別のものを見ているようだった。過去の戦のことを思い出しているのだろうか。どこか寂しげな表情をしている。
「されど時は流れ、そのような者たちも戦や病で命を落とし、さらにそれを知る者たちも今や少なくなってしまいもうした」
そんな老将の姿を珍しく思ったのか、若武者はしばらく老将の顔を眺めた後、近くにあった床几(しょうぎ)に腰掛ける。
「そうじゃ、忠右衛門」
「はっ」
若武者の言葉に老将は平静を取り戻し若武者の方に向き直る。
「戦が始まるまでの間、お主の戦話でも聞かせてはもらえぬか?」
「戦話、でございますか?」
「そうじゃ。今では父上の初陣の頃からおる者はお主くらいしかおらん。勉強がてらに教えてはもらえんか?」
若武者の言葉に老将は笑顔で答える。
「ええ、喜んでお話致しましょう」
そう言うと老将は顎に手をあて考え始める。
「さて、どこからお話したものか・・・」
その時、老将の視界に本陣の旗印が入る。
「・・・厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)」
老将は笑みを浮かべながら若武者に視線を戻した。
「やはりそこからお話致しましょう」
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