鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔

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第一章「厭離穢土、欣求浄土」

第四話「大樹寺」

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永禄三年五月二十日 三河国 大樹寺

矢作川を渡った拙者たちは直接岡崎城には向かわず、まず大樹寺に入りました。
大樹寺・・・松平家四代当主、松平親忠(ちかただ)様による創建で、松平家の菩提寺(ぼだいじ)であり松平家歴代当主のお墓もこちらにございます。
「皆の者、ご苦労。しばし休まれよ!」
大樹寺の境内(けいだい)で左衛門殿が一同に向かって叫んだ。
皆が腰を下ろして休む中、拙者は思う事があり左衛門殿に近づく。
「何故、直接岡崎城に向かいませなんだ?」
拙者の質問に、左衛門殿は振り返りこう答える。
「岡崎城には今川の兵がおる。儂らが兵を連れてぞろぞろと向かえば無用な争いが起こるやもしれん。物見が帰ってくるまで、こちらで待機じゃ」
「なるほど」
拙者は納得したが、左衛門殿は訝(いぶか)しい表情を浮かべる。
「それに・・・」
「それに?」
拙者は聞き返す。
「殿がどうしても大樹寺に寄りたいと言うのでな」
殿が・・・先祖の墓前で何か誓いでも立てるのであろうか?
拙者が思案しておると、突如大樹寺の門の外から大きな声が聞こえてきた。
「門を開けられよ!松平元康の軍勢がおるであろう!」
声の雰囲気から左衛門殿はすぐさま声の主を察する。
「くっ、織田の追手か!?」
左衛門殿はそう言うと腰の太刀に手をやり辺りを見回すが、皆ここまでの行軍で疲労困憊(こんぱい)の様子でございました。
左衛門殿が顔を顰(しか)めておると、拙者たちの背後から野太い声が聞こえてきた。
「我らにまかされよ」
拙者と左衛門殿が振り返ると、そこには六、七尺はあるであろう巨漢の僧侶が立っておりました。
「お、お主は・・・?」
左衛門殿の質問を余所に、その僧侶は他の僧侶たちを引き連れ堂々と門の外へと出て行かれた。
「祖洞(そどう)和尚にまかせておけば大丈夫じゃ」
再び拙者たちの背後より声が聞こえた。
先ほどとは打って変わって今度は甲高(かんだか)い声だ。
振り返ると、そこには一人の童子が立っておりました。童子といっても幼さが残るのは顔と声だけで、体格はよく落ち着いた雰囲気を醸し出していました。
その童子に拙者は質問する。
「祖洞・・・今のでっかい坊さんか?」
「そうじゃ。祖洞和尚は大樹寺最強の坊主、めっぽう強いぞ」
自慢げにそう答える童子に拙者はさらに質問する。
「お主、寺の者か?」
すると童子はすぐさまこう答える。
「人の素生(すじょう)を聞く時は、まずは己から名乗るのが作法であろう」
その言葉に拙者の眉が吊り上がる。
「くっ、生意気な童じゃな・・・ま、ええわ。儂は半蔵、渡辺半蔵守綱じゃ」
拙者の名乗りに童子は平然とした態度で答える。
「半蔵か、儂は亀丸じゃ。よろしくな」
その言葉に拙者は戸惑う。
「よ、呼び捨てとは失礼極まり無い奴じゃな!お主、歳はいくつじゃ?」
拙者の質問に童子はしれっとした表情で答える。
「十三じゃ」
「じゅ、十三!?」
童子の言葉に拙者は驚く。
「十三なら儂より六つも年下、平八郎と同い年ではないか。もっと口の聞き方には気をつけるべきじゃな。それに目上の者には敬意を払うのが礼儀じゃろう」
拙者はそう戒(いまし)めるも童子はきっぱりと言い返す。
「敬意を払うべきは年齢にではなく、その人に対してじゃ」
その言葉に拙者は苛立ちを募らせる。
「ん~そうするとなんじゃ、儂は敬意を払うに値しない人間だと言いたいのか、あぁ?」
拙者は我慢しきれず童子に詰め寄ろうと足を踏み出すも、隣におった左衛門殿が笑いながら拙者の肩に手をのせる。
「はっはっは、お主の負けじゃ半蔵。中々あっぱれな童子じゃな」
左衛門殿の言葉に童子は頭を下げる。
「な、何故、左衛門殿には頭を下げるのじゃ」
拙者は童子の行為に目を丸くした。
「はっはっは、尚更気に入ったわ」
左衛門殿が童子の行為に感心しておると、本堂の方から一人の武者がやって参りました。八の字の大髭を蓄えた武者。石川与七郎数正殿でございます。拙者より九つ年上で、後に「西三河の旗頭」となり左衛門殿と並んで徳川を支える御仁でございまする。
与七郎殿は皆に向かって呼びかける。
「皆の衆、殿からお話があるそうじゃ。急ぎ本堂の中に入られよ」
その言葉に周囲の武者たちは重い腰を上げぞろぞろと本堂の方へ向かって行く。
・・・殿から皆に話?
拙者は左衛門殿に尋ねる。
「さて、何でござるかな?」
「・・・さあな」
左衛門殿が首を傾げると、先ほどの童子が会話に割り込んでくる。
「きっと今から岡崎城に攻め入るのではないか?」
拙者は睨みを利かせ童子の意見を一蹴する。
「お主は黙っとれ」
しかし童子は反省することもなく、すかした表情でにやりと笑う。
その態度がさらに拙者を苛立たせる。
「お主・・・今度会った時は覚えとれよ」
拙者と左衛門殿は童子をその場に残して、すぐさま大樹寺の本堂へと向かいました。
本堂は立派な造りとなっており、堂内は外におった者たちも全員入れるほどの広さでございました。そして、その中央には入り口の方に向かい一人で座っておられる殿のお姿がありました。
全員が本堂内に入ったことを確認すると、殿はゆっくりと口を開く。
「皆、大高城からここまでの行軍ご苦労であった」
労(ねぎら)いの言葉に粛々(しゅくしゅく)と頭を下げる一同でありましたが、殿の次のお言葉を聞くや否やその場におる者全員はいたく衝撃を受けました。
「某、ここ大樹寺の先祖の墓前において・・・自害しようと考える」
ざわめく本堂内、左衛門殿がいの一番に声を上げる。
「な、何故でございまするか!?」
左衛門殿の質問に、殿は俯(うつむ)き物寂しげな表情で答える。
「某は幼少の頃より今川家で人質として生活を送り『海道一の弓取り』と言われた今川義元公の凄さを間近で感じておったのじゃ。左衛門殿、お主もそうであろう?」
「はっ、それは、確かに・・・」
左衛門殿は渋々同意する。
「その義元公が亡くなったのじゃ。義元公あっての今川家、もはや今川家ももう終わりじゃ。そして、同じく今川あってこその松平家、織田に滅ぼされるは必定。むざむざ討ち死にするよりも、先祖の墓前で潔(いさぎよ)く腹を斬る方がよいではなかろうか」
「何と弱気なことを仰られまする」
左衛門殿が殿のお言葉を聞いて嘆いておられると、どこからともなく老人の声が聞こえてきました。
「厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)」
本堂横の入り口。そこに一人の僧侶が立っておりました。
「登誉(とうよ)上人(しょうにん)・・・」
殿が呟く。
登誉上人、当時の大樹寺の住職の方でございまする。
登誉上人は、本堂横の入り口から真っ直ぐ殿の元に向かい歩いて行く。
そして殿の傍(かたわ)らまで行くと、殿の目をしっかりと見据えながら語りかける。
「元康殿、この『厭離穢土、欣求浄土』という言葉は、松平家の先祖が代々守ってきたお言葉でございます。この世の穢(けが)れを無くし浄土の世界を求めてこそ、天下万民のための武と申せましょう。我ら大樹寺の僧たちは只今、祖洞和尚を筆頭に門前で織田の追手と戦っておりまする。何故か。それは、松平家の当主であられる元康殿をお守りするため。おそらくここにおられる方々も想いは同じ。元康殿のお命を守るためなら喜んで死地に赴きましょう。自害するは簡単な事。元康殿、あなたは生きなければなりませぬ。門前で戦っておる僧たちのためにも、そしてこの場におられる方々のため、または松平家のため、しいては天下万民のためにも。生きる無間地獄の苦しみはもとより覚悟なされませ」
「・・・」
殿は無言のまま顔を伏せる。
「殿、登誉上人の言う通りでございまする!」
声は意外なところから聞こえてきた。叫んだのは・・・本多平八郎忠勝。
平八郎は立ち上がり、殿をまじまじと見据える。
「殿、儂ら松平家臣団は殿のため松平のため、いつでも死ぬ覚悟にございまする!しかし、ここで死んでは殿のためにも松平家のためにもなりませぬ!」
拙者は、まだ幼さが残るこの若武者の意外な行動に微笑した。
若いくせによう言うわい。
「平八郎の言う通りにございまする」
左衛門殿も後に続いた。
「ここで死んでは、所詮今川の属将で終わってしまいまする。さすれば松平家末代までの恥となりましょう。それよりも、ここは岡崎城を取り返し、三河を、しいては天下を統一するというのもおもしろいではございませぬか。のう、皆もそう思わんか?」
左衛門殿は振り返り皆に尋ねた。おそらく、この場にいる者たち全員同じ気持ちでありましょう。本堂の至る所から声が上がる。
「殿!」「殿!」
「お主たち・・・」
その時、本堂入り口の障子が勢いよく開いた。
一同何事かと振り返ると、そこには血まみれの貫木(かんぬき)を持った先ほどの祖洞和尚が立っておられた。そして、祖洞和尚はゆっくりと口を開く。
「・・・物見が戻ってきたぞ」
すると、体格のいい和尚の横から小柄な武者が現れる。
「ご報告致します。岡崎城内では、今川の兵が退却の準備を行っておる様子」
物見の報告に左衛門殿が質問する。
「退却・・・岡崎城を放棄するつもりか?」
「そのようでございます」
物見の武者がそう答えると、左衛門殿は殿の方に向き直る。
「殿」
左衛門殿の言葉に、皆の視線が殿に集まる。皆、殿からの下知を待っておりました。その視線を受けて、殿は目元に涙を浮かべながら口を開く。
「・・・捨てる城なら、もらっておこうか」
その言葉に一同、勇ましい歓声を上げる。
そして、殿は涙を拭(ぬぐ)い拙者たちに向かって大声で叫んだ。
「お主たちの気持ち、ようわかった!よいか皆の者、我らこれより岡崎城に帰還致す、急ぎ準備を致せ!」
そう叫んだ殿のお顔は、先ほどまでの憂いの表情とは打って変わって、とても澄んだお顔をしておりました。そんな殿の思いに応えるべく、拙者たちも大声を上げて叫ぶ。
「ははっー!」

その後、拙者たちは岡崎城に入城致しました。
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