鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔

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第三章「三河一向一揆」

第十四話「馬頭原」

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三河国 馬頭原

拙者は一人、茂みの奥に身を潜めておりました。
「和議など無理に決まっておる」
上和田の戦いから数日。上和田合戦の敗北により劣勢の一揆勢は、一気に決着をつけるべく家康公の居城・岡崎城に向かい進軍を開始致しました。しかし、家康公側は刈屋の水野信元殿の援軍もあり馬頭原にてこれを撃退。一揆勢は、蜘蛛の子を散らすように退散して行きました。
「まだじゃ、まだ終わりはせん」
拙者は茂みの奥で、ある男が訪れるのをじっと待ち続ける。
すると、そこへ話声が聞こえてきた。
「辛勝といったところでございましょうか・・・水野殿の援軍がなければ、こちらも危ういところでございました」
酒井左衛門尉殿。そして、もう一人・・・。
「まったくじゃ」
松平家康。
家康公は、馬上の上から辺りを見回す。
「どこを見ても死体の山・・・まるで地獄のようじゃ」
「このような悲惨な光景も、此度の戦で終わりでございましょう。もはや一揆側に抵抗するだけの余力はございませぬ」
「だとよいのだがな・・・」
その瞬間、拙者は茂みから飛び出し二人の前に立ちはだかる。
「松平家康、御命頂戴」
「渡辺半蔵!」
左衛門殿は、咄嗟に家康公の前に出る。
「止めんか!すでにお主たちの敗北は決まっておる」
「大将の首を取れば、こちらの勝ちじゃ」
「何!?」
左衛門殿が太刀を抜こうとするが、家康公が前に出てそれを制止する。
「殿!」
家康公は、凛とした瞳でこちらをじっと見据える。
「半蔵。前も言うたが、儂はお主たちとは戦いとうはない」
「それは結構。じっとしていただいた方が首も取りやすい」
拙者は家康公に向け槍を構える。
家康公は一瞬、苦渋の表情を浮かべるが、すぐさま表情を切り替え、こちらを睨みつける。
「言ってわからないのであれば、力ずくで止めるまで」
そう言うと家康公は馬から下りる。
「殿、何を!?」
左衛門殿の言葉も空しく家康公は単身、太刀を抜き放つ。
その光景に、さすがの拙者も冷や汗をかく。
一騎討ちに応じるって訳か・・・。
「儂の首を取りたいなら取るがよかろう・・・しかし、儂もただで取らせる訳にはゆかん」
家康公の思いがけない行動に拙者は大笑いする。
「ははは、ふはははははは!その心意気、御見事。しかし、大将としての器にあらず!」
拙者は勢い良く槍を突き出すが、家康公は半身になって攻撃を避ける。
その後、右左と連続で交互に槍を突き出すが、家康公はそれも難なく避ける。
拙者は、一度槍を引き今度は真っ向に斬りつける。
「せいやぁ!」
空を切り地面に槍が刺さる。その槍を足で押さえつける家康公。
拙者はすぐさま槍を手放し刀に手をかけた瞬間、拙者の眉間に家康公の剣先が突きつけられる。
「・・・何故、止める?」
「殺しとうはない」
刀越しに見詰め合う両者。拙者の口がゆっくりと開く。
「その甘さが・・・自らの死につながる!」
拙者がそう言って刀を抜き放つと、家康公は身を翻(ひるがえ)しその攻撃を避ける。
それぞれ間合いを取る両者。拙者が再び声を発する。
「上和田の戦いの後、父・源五左衛門は亡くなりもうした」
「・・・そうか」
家康公は平然とそう答えるも、その瞳はどこか悲しげでございました。
「父は死の直前に拙者に問いました。お前は、なぜ戦うのかと。その時、拙者は何も答える事ができませなんだが、この数日間、拙者はずっとその答えを考えておりました」
「・・・して、その答えは見つかったのか?」
拙者は、この数日間で導き出した答えを口にする。
「拙者がなぜ一揆側についたのか、そして拙者は何の為に戦うのか、それは・・・民のため」
「民の、ため・・・」
家康公は呟く。
「拙者は仲間よりも友よりも、むしろ民と戦いたくなかった。弱き者たちに刃を向けることをしたくはなかった。だから、拙者は一揆側についた。それが、拙者の出した・・・いや、拙者の心の奥底にあった答えでござる」
そして、拙者は家康公に対し刃を向ける。
「故に拙者は仏のためでも家族のためでもなく、民のために貴殿を倒しまする」
「民のために、か・・・」
「左様。民があってこそ国がある。その民が、主君に対し一揆を起こした・・・民に認められない主君ならば、国を治めるべきではない!」
家康公は拙者をじっと見詰める。
「確かに一理ある・・・しかし、儂とて譲れん想いがある」
拙者は眉を顰(ひそ)める。
「厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)。代々松平家に伝わる言葉。この言葉の元、儂は戦のない泰平の世を築く。そのためならば、儂は悪鬼羅刹にでもなる」
「泰平の世を築く・・・?」
拙者は口元に笑みを浮かべた直後、勢い良く家康公に斬り掛かる。
「うおおおおぉぉ!」
拙者の攻撃を太刀で受け止める家康公。
拙者は構わず数度、家康公の太刀に刀を叩きつける。
「泰平の世を築くためならば、民を傷つけてもよいというのか!」
「儂とて、儂とて譲れんのじゃ!」
家康公は、拙者の刀を下から力強く弾き飛ばす。
弧を描き地面に突き刺さる刃。
そして、再度拙者の眼前に家康公の刃が突きつけられる。
「・・・半蔵」
家康公は拙者に語りかける。
「泰平の世を築くは、天下万民のため。さすれば、儂もお主も想いは同じはず」
「・・・矛盾じゃな。民のために民を傷つけるなど」
拙者の言葉に、家康公は顔を俯ける。
「確かに、お主の言う通りじゃ。しかし、儂はその先に必ず、民が平穏に暮らせる泰平の世が来ると信じておる。たとえ儂が地獄に堕ちようとも、儂はこの現世(うつしよ)に極楽浄土を築いてみせる」
そう言うと、まじまじと拙者の顔を見詰める家康公。
拙者は、ふと矢田作十郎の言葉を思い出す。
『極楽浄土は死後の世にあらず、現世にこそあるべきなり』
・・・想いは同じ、か。
「半蔵」
家康公は太刀を納め拙者に手を差し出す。
「今一度、儂に力を貸してはくれまいか?」
そう言った家康公の瞳は、凛としてまっすぐなものでございました。
思わず拙者の口元が綻(ほころ)ぶ。
・・・悪鬼羅刹の眼ではないな。
「儂の負けじゃ。好きに致せ」
永禄七年正月 三河国 馬頭原の戦い。
三河一向一揆最大の激戦と言われたこの戦いを契機に、一揆勢の勢いは徐々に終息してゆきました。
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