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第十章「長篠の戦い」
第四十四話「鳶之巣山」
しおりを挟む天正三年五月二十一日 寅の刻
「撃てぇー!」
明け方の薄明かりの中、左衛門殿のかけ声と共に銃声が山間に鳴り響く。
長篠城を包囲する武田の砦は全部で五つ。その中で中核をなしていたのが、長篠城の南東に築かれた鳶之巣山(とびのすやま)砦でございました。我ら奇襲部隊は織田本陣を後にすると、設楽原(したらがはら)の南にある大野川を渡り船着山を迂回し、鳶之巣山(とびのすやま)砦を南側から攻撃致しました。
「進め、進め。敵は油断しておる。今が好機ぞ!」
馬上の左衛門殿が味方を叱咤し采配を振る中、拙者も他の兵たちと共に砦の中へと入って行く。
「何で儂がこっちなんかの~」
拙者は一人愚痴をこぼす。
拙者としては、設楽原の本戦に参加したかったのでございますが、殿の命により仕方なく鳶之巣山(とびのすやま)への奇襲部隊に加わった次第でございまする。
砦の中では、すでに両軍が入り乱れて戦おうておりました。戦況は、こちらが優勢。奇襲を受けた武田の兵たちは統率を欠き、砦の中を右往左往しておりました。しかし、そんな中で一人の武田軍の武者が大声を上げる。
「さあさあ、我こそはと思う者は、この俺様と勝負致せ!」
縄で作られた陣羽織を纏(まと)い、片鎌槍を手に持った体格のいい髭面の武者。
その武者が槍を大きく振るうと周囲の者たちは思わずたじろぐ。
「俺様は、どんな無理でも押し通す名和無理之助宗安だ。俺様に・・・」
次の瞬間、拙者の槍が突如無理之助を襲う。それを慌てて避ける無理之助。
「貴様!俺はまだ口上の途中・・・」
再度、拙者の槍が無理之助を襲う。
「話を聞けぇ!」
大声で叫びながら無理之助は拙者の槍を弾き返す。
「うるさいの~こっちは苛々しとるんじゃ。早うやらんか」
苛立つ拙者に対して、無理之助の方も怒り出す。
「貴様、侍の口上は源平の時代から続く伝統ある崇高な・・・」
拙者は再々度、無理之助に攻撃を仕掛ける。
「だから、人の話を聞けぇ~い!」
拙者の攻撃を片鎌槍で受け止める無理之助。
両者の槍が交錯する中、拙者は無理之助を見据える。
「・・・伝統の為に命を落とすのか?」
拙者の問いに、にやりと笑う無理之助。
「それが侍というものだ」
その答えに拙者は鼻で笑う。
「そんな御託は、天下泰平の世になってから言うんじゃな」
両者は槍を振りほどき間合いを取る。
「儂は綺麗事は好かん。どんな伝統だろうと死んでしまえばそれで途絶える」
拙者の意見に対して無理之助は堂々とした態度で答える。
「たとえ途絶えようとも、その名は後世必ず残るであろう」
拙者は、それを聞くと笑みを浮かべる。
「ほだら残してやるわ。お主の名前だけをな」
そう言って拙者が槍を構えると、無理之助もそれに応える。
「上等!」
無理之助は掛け声を上げると、こちらに向かって連続して突きを繰り出す。
片鎌槍の片刃が危うく拙者の頬をかすめる。
口先だけの事はあるな・・・しかし。
「ふははは、どうだ俺様の片鎌槍は!食ろうてみたら尚・・・」
次の瞬間、拙者は太刀に手をかけるや無理之助の胴に抜き打ちを放つ。
「なっ!」
深くは入らなかったが、無理之助の草摺(くさずり)が地面に落ちる。
「き、貴様!」
むきになる無理之助の攻撃を拙者は右手の太刀で抑え、さらには太刀を返し逆袈裟で斬りつける。
無理之助は上体を反らし避けるが拙者の左手に持った槍が無理之助の喉を貫く。
決着は意外なほどあっさりと決まりました。
拙者が槍を引き抜くと、口から血を噴き出し前のめりに倒れ込む無理之助。
「ぐっ、見事・・・」
「名和無理之助。その名は残してやるわ、儂の記憶の中にな」
拙者はそう言うと太刀を納め、無理之助から視線を外し周囲を見渡す。
周囲では至る所から火の手が上がり、武田軍の兵たちが慌てふためき砦の外へと逃げ出しておりました。
・・・あっさり落ちたな。
拙者が鳶之巣山(とびのすやま)砦の陥落を確信すると同時に、背後から左衛門殿の声が聞こえてくる。
「皆の衆!砦から退却した武田軍を追撃すると共に、この調子で他の砦も落とすのだ!」
左衛門殿の檄に味方の兵たちが勢いづく。
「おう!」
そして、左衛門殿は馬を進め拙者の方に近づき声をかける。
「半蔵。お主は鳶之巣山(とびのすやま)攻略の報を、急ぎ設楽原の本陣へと伝えよ」
拙者は眉をひそめ左衛門殿に聞き返す。
「拙者がでござるか?」
「うむ、お主に言うておる」
馬上からそう指図する左衛門殿に拙者は一瞬むっとするが、そこでふと考える。
設楽原・・・うまく行けば本戦に加われるかもしれんな。
拙者は堪らず笑みがこぼれる。
「了解仕った」
拙者は、左衛門殿にそう答えると近くおった馬に飛び乗る。
馬場に山県、三方ヶ原での借りを返してくれるわ!
拙者は急ぎ設楽原へと向かい馬を駆ける。
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