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第十二章「本能寺の変(表)」
第六十三話「河内国」
しおりを挟む天正十年六月二日 河内国 飯盛
我らは、織田信長殿の勧めで安土城を離れ上方を遊覧。和泉国の堺まで来たところで信長殿が上洛されたと聞き、信長殿に挨拶をするべく京へ向かう事と致しました。そして、その道中、河内国・飯盛山の麓(ふもと)での事でした。
我々の前方から、こちらに向かって馬に乗って駆けて来る者が二人おりました。
一人は本多平八郎忠勝。そして、もう一人は茶屋四郎次郎清延殿でございました。
この茶屋殿は、京の豪商で家康公の御用商人として常々兵糧調達などを任されておりました。しかし、京の豪商と言っても、この方は三河の出身で家康公に従い甲冑を身に纏って五十三度も戦場に出陣した事がある方でございます。此度の遊覧では京での滞在に、この茶屋殿の屋敷を宿所として使わせていただいておりました。
平八郎と茶屋殿は慌てた様子で我々の前で馬を止める。
「殿!一大事にございまする」
馬上から平八郎が家康公に声をかける。
「そんなに慌てて如何したというのだ?」
その問いに茶屋殿が馬を下りて答える。
「あ、明智光秀殿、謀反!織田信長殿、本能寺にて御討ち死!」
「なんと!」
その言葉に家康公をはじめ驚愕する一同。
茶屋殿は、息を切らしながらも事の顛末を話し始める。
「今朝方、中国攻めの援軍として京に上がったはずの明智光秀殿の軍勢が、急遽、信長殿の宿所・本能寺に押し寄せ火を放って攻撃し信長殿は切腹。妙覚寺にいらっしゃった嫡男の信忠殿も防戦するもあえなく討ち死された模様」
茶屋殿の言葉に、家康公は眉を顰める。
「それは真か?」
「ええ。某の屋敷は本能寺のすぐ近くでございますので、急ぎ殿にご報告に参った次第でございます」
「左様か・・・」
家康公は顔を伏せ、しばし何やら考え事をした後、ゆっくりと口を開く。
「皆の衆。儂は、この飯盛山に籠り信長殿の敵討ちを行おうと思う・・・」
家康公の言葉に驚く一同。すぐさま榊原小平太が異を唱える。
「殿、いくら何でも我らだけでは無謀でございます。すぐに返り討ちに遭うのが関の山」
「大坂にいる丹羽長秀殿と連携すれば不可能ではあるまい」
「ですが」
小平太が何とか引き止めようとするも、家康公は中々引き下がらない。そこへ酒井左衛門殿が割って入る。
「信長殿が殺されるという前代未聞の出来事。この先、何があるかわかりませぬ。いくら織田家の重臣とて、丹羽殿も明智側につかぬという確証もありませぬ。もし、丹羽殿が明智側につけば我らは挟み撃ち。それこそ万事休す」
左衛門殿の言葉に、さすがの家康公も表情を曇らせる。
「儂は長年信長殿と親交を結んできた。仇討ちができぬのであらば・・・」
そこで家康公は表情を一変、意を決して言葉を発する。
「急ぎ京に上り、知恩院にて切腹し信長殿と死を共に致そう」
家康公の言葉に再び騒然とする一同。しかし、皆それも止む無しといった雰囲気でございました。我らはわずか三十名弱。何が出来る訳でも無し、皆もどかしい思いをせずにはいられませんでした。そんな中、動じる事無く静かに佇む者が一人。その者は馬から降りると家康公の前に進み出る。
「この本多平八郎、若輩者ながら失礼致しまする。殿が京に行き信長殿と死を共にする事は本当の義と言えましょうか。信長殿の長年の志に報いようとするならば、速やかに三河に帰り軍勢を集め明智殿を討たれることこそ信長殿のご恩に報いることでございましょう」
平八郎の力強い言葉に幾人かの者は心を動かされるが、尚も表情の暗い家康公は平八郎を諭すように声をかける。
「平八郎。儂もそうは思ったが、知らぬ野山をさまよい山賊や野伏に討たれるよりは良いと思い、京に行き潔く切腹して果てようと思ったのだ。見ず知らずの地からどうやって三河に帰る事ができようか」
そう言うと俯く家康公。その時、どこからともなく声が聞こえる。
「ならば、某が御案内仕りまする」
声の主は人混みの中から前へと進み出る。言葉を発したのは、我々の案内役を任された信長殿の馬廻衆・長谷川竹丸秀一殿。竹丸殿は家康公の前まで来ると目に涙を浮かべながら話し始める。
「某は此の度、三河殿の御案内の為、主君と最期を共にする事ができませなんだ。このまま明智勢を一人も斬り捨てる事なく切腹しても死んでも死にきれませぬ。三河殿が御帰国され、光秀を誅伐するならば、某は真っ先に討ち死にし亡き主君の御恩に報いたいと思いまする」
「竹丸殿」
「これから河内・山城を経て近江・伊賀路へと続く道筋の国人たちは、某が信長様に紹介し拝謁させた者たちでございまする。某が先導すれば、道を妨げようとする者はいないでしょう」
竹丸殿の言葉を受け、左衛門殿が突如笑い出す。
「はっはっは。殿、これで道は決まりましたな」
「左衛門殿」
「竹丸殿に先導を任せ岡崎へと帰り、若い平八郎の言葉に従い明智討伐の兵を挙げる。これが今の我らにできる最善の策でございましょう」
左衛門殿の言葉に他の者たちも大きく頷く。そして、一同は家康公を見詰める。
瞼を閉じ、じっと考え込む家康公。そして、その口がゆっくりと開かれる。
「・・・相分かった。それでは、我らはこれより岡崎へと帰還する!」
家康公の力強い掛け声に一同も各々声を上げる。
「おう!」
しかし、そんな中で一人異論を唱える方がおりました。
「儂は別行動をさせていただく」
そう発言したのは、これまで上方を共に遊覧して来た穴山梅雪殿。
梅雪殿は駕籠の中から顔を出し我々の方を見据える。
「正直なところ、儂は信長殿の仇討ちなどに興味はない」
梅雪殿の言葉に竹丸殿の表情が険しくなる。
「むしろ信長殿が死んで、こちらとしてはありがたい」
「なっ!」
竹丸殿は我慢しきれず梅雪殿に向かおうとするのを周囲の者が抑える。
「我々にとって一番の脅威は上杉でも北条でもない・・・未だに織田なのだ。故に、儂は安土まで挨拶に参った。信長殿に目をつけられては、いかな者とて逆らえまい・・・だが、その絶対的当主が亡くなったとなっては織田ももう終わり」
竹丸殿は悔しさのあまり歯を食いしばって拳を握りしめる。
「儂も一刻も早く国元へと戻り、すぐにでも織田領へ攻め込み、失われた甲斐の旧領を取り戻さねばな」
その発言に竹丸殿は梅雪殿を睨みつけ声を張り上げる。
「梅雪殿、よくも抜け抜けとそんな事を言えるな!」
そう言い放つ竹丸殿を梅雪殿は冷たくあしらう。
「それが戦国の世というものだ。武田家が亡くなった今、甲州は儂の手にかかっておる。儂が甲州の民に安寧をもたらさねばならぬと自負しておる」
睨み合う両者。気まずい雰囲気の中、左衛門殿が割って入る。
「梅雪殿のお考え重々承知致した。しかし、理由はどうあれ今は梅雪殿も我らと共に動いた方が安全ではありませぬか?」
左衛門殿の提案に、梅雪殿は訝しい表情をする。
「信用できんな」
今度は我々三河衆と梅雪殿が睨み合う。そんな状況の中で、ようやく今まで沈黙を守っていた家康公が口を開く。
「わかり申した。梅雪殿がそこまで言うのであらば、我々ももうこれ以上引き止めは致しませぬ」
そして、家康公は曇り無き眼で梅雪殿を見据える。
「次に会うのは戦場かもしれませんな」
家康公の言葉を受け三河衆一同も視線を向けるが、梅雪殿はそんな事を気にもせず不敵な笑みを浮かべる。
「無事、己の国に帰れればの話だがな」
梅雪殿の皮肉に家康公も負けじと反論する。
「それはお互い様でございましょう」
しばしの間、両者は無言で視線を交じり合わせた後、梅雪殿が口を開く。
「ここで口論していても時間の無駄だな」
そう言うと梅雪殿は、家康公から視線を外す。
「では、我らはここで別行動をさせていただく」
そして、梅雪殿を乗せた駕籠は少数の供回りを連れ進み始める。その姿を、ただじっと見詰める家康公に拙者は声をかける。
「よろしいので?」
「仕方なかろう。無理に連れて行こうとすれば、本当に刃を交えかねん」
家康公の答えに、拙者は鼻で笑う。
「今後の事を考えて梅雪殿をここで討つという事もできますぞ」
拙者の言葉に左衛門殿がすぐさま口を挟む。
「半蔵、口が過ぎるぞ」
「へいへい」
家康公をはじめ梅雪殿の後ろ姿を臨む我らは、早くも次なる戦に心を揺らしておりました。
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