鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔

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第十四章「関ヶ原の戦い」

第七十七話「鳥居彦右衛門」

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慶長五年六月十七日 京 伏見城

上杉征伐を決行すべく大軍を率いて大坂城を出発した徳川家康公。その途上、家康公は鳥居元忠殿が守る伏見城へと足を運んだのでありました。

数名の将が晩酌をしている中、その中心にいる家康公が老将に向かって声をかける。
「彦右衛門、足の具合は大丈夫か?」
声をかけられた老将―鳥居彦右衛門元忠殿は、足をさすりながら答える。
「いえいえ、全く以て大丈夫でございまする。歩くにはいささか不便ですが、戦で後れは取りませぬので御心配なく」
彦右衛門殿は武田との戦の最中、鉄砲で足を撃たれ、それ以来、片足を引きずるようになっておりました。
そんな彦右衛門殿に家康公は再び話しかける。
「伏見城の守り、少ない人数で苦労をかけるな」
その言葉に彦右衛門殿は酒を置いて姿勢を正す。
「恐れながら、此度の会津征伐には一騎でも多くお連れになるべきです。内藤弥次右衛門と松平主殿助(とのものすけ)も御供をお命じ下さい。この城は本丸を儂が守り、外郭を松平五左衛門に守らせれば、二人で事が足りるでしょう」
「さすがにそれはいかがなものか・・・」
家康公が苦笑いを浮かべる一方で、彦右衛門殿は真剣な表情で話を続ける。
「御出陣の後、今日のように平穏ならば儂と五左衛門の二人で十分でしょう。もしも状況が変わり大軍に取り囲まれたのならば、近国に後詰めをする味方はおりません。例え、この上五倍六倍の人数を残したところで落城する事は間違いありません。そうであるならば、無理に人数を留めて戦死させてしまうのはもったいなく思います。それ故、このように申し上げております」
「・・・」
彦右衛門殿の言葉に家康公、そして周囲の者達は黙り込む。
死を覚悟した者の言葉はとても重く、また儚さを感じさせるものでした。
重々しい空気の中、当の本人である彦右衛門殿が笑顔で紛らわせる。
「はっはっは、そんなに心配せんでも大丈夫でござる。たかが片足の使えぬ老将、殿の楯くらいにしか役には立ちませぬ」
彦右衛門殿の言葉に、家康公は再び苦笑いを浮かべる。
「彦右衛門。お主とは今川での人質時代からの付き合いじゃ。早々に納得できる訳でもあるまい」
「今川での人質時代・・・懐かしいですな。殿、百舌鳥(もず)の事は覚えておりますかな?」
「百舌鳥?」
首を傾げる家康公に、彦右衛門殿はにやりと笑う。
「ええ。殿が儂に百舌鳥を飼いならして鷹のように腕に止まらせよと無理を仰ったのですが、中々うまくいかないのでお怒りになり儂を縁側から突き落としたのでございます」
「はて、そんな事があったかの~」
「はっはっは。やられた方は忘れないものでござる。我が父・忠吉は、遠慮する事無く家臣をおしかりになるのは生まれもっての大将の器。このまま成長されれば名将・名君になられるだろうと褒めておりました。いや、しかし・・・」
そこで彦右衛門殿は家康公をじっと見詰める。
「本当に優れた名君になられましたな、殿」
思いも寄らぬ言葉に家康公ははにかむ。
「何を言うておる。何も出んぞ」
「いえいえ、殿は儂に最高の死に場所を与えてくれました」
「彦右衛門・・・」
彦右衛門殿の言葉に家康公の顔が曇る。
「殿の天下取りの人柱となるのです。これほどの名誉はございません」
「すまぬな、彦右衛門」
そう言って涙ぐむ家康公の姿を見て彦右衛門殿の表情が変わる。
「殿はお年を召されて御心が弱くなったのではないですか?若年の折から数多の戦で御苦労なされ、今や天下分け目の大事に至り家臣の身命を惜しむ時ではありませぬ。それを、我々が命を捨てる事を痛ましくお思いになるとは何事でありますか。我々ごとき五百や千の命を捨てる事に何の痛ましい事がありましょうや」
「彦右衛門、最後の最後まで説教してくれるな」
家康公の愚痴に対し、彦右衛門殿はにこりと笑う。
「それが拙者の御役目ですので」
その後しばしの間、両者は笑い合う。約五十年間共に過ごした二人。周囲の者は、この二人の間には入る事ができませんでした。
そして、彦右衛門殿がゆっくりと口を開く。
「それでは明日はお早く御出発されるのがよろしいでしょう。短夜でございますので、お休み下さい」
そう言って彦右衛門殿は小姓に肩を担がれその場を立ち去る。
残された家康公は、彦右衛門殿の後ろ姿を眺めながらただただ静かに涙ぐむのでありました。
その何ともいたたまれない光景に拙者の瞳からも涙がこぼれる。
これが徳川家康公とその無二の友・鳥居元忠殿の最期の時でありました。
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