ハチミツ in ビターチョコレート

玲莱(れら)

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第1章 出会い

#03 謎のモテ期

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 出向先は規模が大きいので、規模が小さい会社の人間には冷たく当たる、と聞いていたけれど。
(風当たり強いって噂はどこへ……?)
 美姫が配属されたのはまだ工事中の新店舗で、社員ほとんどが〝初めまして〟の状態だった。同じ店舗へ出向になった数名で仮事務所に訪ねていくと、店長ほか数名の社員が出迎えてくれた。まだパート・アルバイトも面接をしている最中で、特に仕事はなかったので簡単な自己紹介や雑談をして一日が終わった。
「あっ、もしかして、岩瀬さん?」
 翌日、初日に不在だった男性が声をかけてきた。三十代前半で外見は普通だったけれど、妙な存在感があった。
「若いなぁ……やっぱ正解やわ、名簿見てて〝この子、絶対可愛い〟って思っててん、良かった良かった」
 それはおそらく、美姫の名前からの勝手な妄想だ。彼はしばらく美姫のことを気にしていたけれど、店長や他の社員に〝うるさいし邪魔だ〟と言われて外出させられていた。
 美姫は出向前に言われていた通りレジ担当で、採用されたパートたちへの教育を始めた。レジは今まで触ってきた物とは若干違ったけれど、操作はすぐに覚えられた。
「俺も忘れてるし教えてもらお」
 と、例の男性もパートたちに混じっていたけれど、やはり途中から邪魔だと言われてどこかへ行ってしまった。
 仮事務所にいるときも、建物が完成して引っ越したあとも、なぜか美姫は人気者だった。例の彼はさておき──何かと関わろうとしてくるのを彼と同年代のレジチーフがいつも助けてくれていた──、飲み会があればいろんな人が隣に座りに来たし、前の店舗と同じようにパートたちに可愛がられていた。
「岩瀬さん、ちょっと聞いてくださいよ。僕、昨日ね、夜にレジ閉めようとしてて──」
 アルバイトで最初に採用して教育もしていた男子大学生と、仕事の話はもちろん雑談をすることも増えた。美姫は特に気にしていなかったけれど、例の彼は二人の関係を気にしていたようで──、頻繁にレジ周りに出没されるようになり、話し掛けられることも増えた。美姫はしばらく適当にあしらって、周りも『また来たわ』と呆れていた。本当にしつこくて仕事の邪魔だったけれど、気持ちは嬉しかったし嫌いではなかったので付き合ってみることにした。とりあえず秘密にしていたけれど、分かりやすい彼の行動のせいで何人かにはすぐにバレてしまった。
 彼の行いに呆れることは多かったけれど、仕事はできる人だったので特に不満はなかった。デートのときは遠いところ迎えに来てくれたし、将来の話もポロッと口にしていた。話が合わないこともあったけれど、年上ならではの包容力を存分に味わっていた。
 けれど彼との関係は一年も持たずに終わってしまった。少しずつ連絡が来なくなり、顔を合わせても彼は反応しなくなった。電話しても繋がらず、出てくれても用事がなければすぐに切られた。彼の部門に若い女性が入ってきて、どうも怪しいと何度も噂を聞いた。彼からプレゼントされた高価なものは全て返却した。
「岩瀬さん、元気ないですね。何かあったんですか?」
 サービスカウンターからレジの様子を見ていると、男子大学生が出勤してきた。
「いや……? ほら、混んできたし、早くレジ開けて」
「あっ、はい……行ってきます」
「──岩瀬さん、あいつあかんかったからって、今度はあの子と?」
「え? いやいや、違いますよ!」
 今度は美姫は、男子大学生との関係を疑われるようになった。彼は閉店業務を任せられる貴重な人材だったので、美姫もレジチーフも頼りにしていた。年齢が近いので話をすることは多かったけれど本当にそれだけで、何の関係もなかった。

 いろんな意味で忙しくはあったけれど、通勤時間が長いのでなかなか疲れは取れなかったけれど、美姫はそれなりに出向を楽しんでいた。レジで任されることも増えて仕事も楽しくなって、もっと多くの知識を身に付けてレジ業務を極めていくつもりだった。
 唯一不満だったのは、元の会社の人事部長が『定期的に面談に行く』と言っておきながら一年以上も放置されていたことだ。
「あのおっさん、約束違うやないか、て本社に電話して言うたらなあかんな」
「ほんまですね。でも、来られても用事ないですけどね」
 同じ店舗に出向していた五十代の男性──出向前にも話をした△△さん──と、何度もそんな話をしていた。もっとも、出向先のほうが制度は良かったので、そんな電話はしなかったけれど。数年後、全員が出向解除になったときにも、彼は定年が近かったのもあって、出向先に転籍する選択をしたけれど。
 ようやく面談に来てもらえたのは、出向二年目の夏の終わりだった。それも来たのは人事部長ではなかったけれど。
「やっと来おったな。今さら何の用事や、て言うたらな」
 美姫は、様子を見に来られただけだと思っていたけれど。
「本社で一人、辞めた子がおってな。穴あけたままでは厳しいみたいで、戻ってきてくれへんか? 他にな、本社におってもらえそうな子がいてへんねん」
「……何するんですか?」
「販促て言うて……自社印刷のチラシとか商品につけてるPOP広告宣伝物とか作るねん。あと電話取ったり来客対応とか細かい雑務もあるけども……物作るのはどうや?」
「それは、得意ですけど……」
「それなら良かった」
 もとの会社に戻れるのは嬉しかったけれど、レジの仕事から離れるのは寂しくもあった。これから極めていくつもりだったので、ものすごく残念だった。今の店舗から離れることも──元彼は少し前に異動していた──嬉しいようで悲しかった。
「あのな、本社の人間はな、こういう奴らがおってな」
 美姫が異動する前に、△△さんがいろいろ教えてくれた。本社は店舗の従業員からは嫌われているイメージがあるけれど、実際に嫌われている人も中にはいるけれど、基本的に〝変な人〟しかいないらしい。
「女の子らはみんな普通やけどな。総務部長と人事部長は一番うっとうしいと思うと思うわ」
「あの……タヌキみたいな」
「そやそや。二人ともや。うるさかったら、蹴飛ばしたったらええねん」
「はは……」
 出向解除になったことは既にもとの会社で辞令が貼り出されていたようで、前にいた店舗のレジチーフから『今度は本社かぁ、また大変やろうけど頑張れ』と連絡があった。
 同じ時期に出向した咲凪は少々風当たりが強い店舗に行ってしまったようで、美姫が出向解除になったと連絡すると羨ましそうにしていた。
「良いなぁ、私も戻りたい」
「でも本社やから、息詰まりそうな気する。店やったら、そうでもないやん?」
「うーん……。でも美姫ちゃん、良かったなぁ、良い店やったんやろ? 私いつまで出向なんやろ」
 寂しいことはたくさんあるけれど、元の会社に戻れるのは単純に嬉しかった。
 それでも本社勤務になるということは、つまり──。
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