王家の秘薬は受難な甘さ

佐倉 紫

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1巻

1-3

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 貴婦人は残念そうに頬に手を当てため息をつく。
 まるで少女のようなあどけない仕草しぐさであるが、それをどうこう思う余裕は、今のルチアにはなかった。

(言った、確かに今『王妃』って言った! やっぱりこの方はこの国の王妃殿下……っ!)

 おまけに青年は彼女のことを『母上』と呼んでいた。
 ――ということは。

「まさか、まさか……公爵って、王子様だったの――!?」

 すると青年は瞳を細めて、なにを今さら、と言葉にはせずに伝えてきた。
 ルチアの意識がふーっと遠のく。
 危うくぶっ倒れるところだったが、すんでのところで青年が腰元を支えてくれた。

「あらまぁ、ずいぶん仲がいいのね」

 王妃がにこにことふたりを見比べている。
 我に返ったルチアは、あわてて首を左右に振った。

「と、とんでもない! わたしたち、ついさっき知り合ったばかりで――」
「今夜、ギネア子爵が主催した舞踏会ぶとうかいでお会いしました」
「うぐっ」

 青年――カイル王子のしれっとした言葉に、ルチアのくぐもった声が重なる。
 王妃の誤解を解こうとした直後、彼の指が脇腹をきつくつねってきたのだ。
 きちんとしたドレスを身につけるときには、コルセットを装着するのが常識だ。
 しかし伯父おじが贈ってくれたドレスは、ルチアが着ると胴回りが少しあまってしまって、コルセットで締めつけると逆に見栄えが悪くなってしまったのだ。
 そのためルチアは今、ドレスの下には厚手の下着しか身につけていない。
 おかげで痛みは肌にダイレクトに伝わり、ルチアは声も出せずに悶絶もんぜつした。
 挙動不審にならないよう必死にこらえる彼女の横で、カイルはさらに話し続ける。

「運命の出逢いでした。母上、わたしはこのご令嬢と結婚します」
「んっまぁ!」

 王妃は、それはそれは嬉しそうにぱっと顔を輝かせた。

「まぁまぁまぁ! カイル! あなたもようやく身を固める決意をしたのね? 陛下が聞いたらどれほどお喜びになることか! 今年の社交シーズンが終わるまでに花嫁を見つけるようにと、口を酸っぱくしてあなたに言い続けていましたものねぇ!」
(けけけ、結婚ですって!?)

 どういうこと!? とルチアは視線でカイルに強く抗議する。
 本当は声に出して問い詰めたかったが、つねられたままの脇腹が痛くて、歯を食いしばらなければ悲鳴を上げてしまいそうだったのだ。
 そうやってルチアの口をふさぎ、カイルは相変わらずの仏頂面ぶっちょうづらでしっかりうなずく。

「彼女以外の花嫁は考えられません。よって父王陛下へいかには、もう見合い話や肖像画をわたしに持ってこないようにと、母上からもお願いしていただきたいと思いまして」
「ええ、ええ。そういうことならいくらでも協力するわ。だってこーんなに可愛いお嬢さんを見つけ出すことができたんですもの! 他の花嫁候補なんて必要ないわ」
「恐縮です」

 カイルは静かに頭を下げる。
 その横でルチアは(もういいかげん指離してー!)と涙目になりながら祈っていた。

「まぁまぁっ、お嬢さんも感激して泣きだしてしまいそうじゃないの! 大丈夫ですよ、お嬢さん。陛下にはわたくしがきちんと口利きしてあげますからね。大船に乗ったつもりでいらっしゃい!」
「い、いいえ、わたしはそんなつもりは……」

 ぎゅうぅぅ。

(痛い痛い痛い痛いっ!)

 我慢の限界に達したルチアは、ドレスの裾がふわふわと足下をおおっているのをいいことに、ヒールでカイルの足先を踏んづけてやった。
 今度はカイルが言葉もなく悶絶する。ふれたところから伝わった震えからして、相当痛かったであろうことが推測できた。
 少しだけ溜飲りゅういんを下げたルチアに、今度はなぜか王妃が迫ってくる。

「ねぇ、せっかくだから少しお話ししていかない? カイル、あなたも久々に城にきたのだから、お父様に顔を見せてさしあげなさいな。ああでもその前に、頬を冷やしたほうがいいかもしれないわね」

 赤くなったままの頬をはたとでて、カイルは頷いた。

「そういたします。では母上――」
「ええ、わたくしはこの子と楽しんでいますから、適当な時間になったら迎えにいらっしゃいな!」
「え、お、王妃様……っ?」

 いやな予感に顔を引きらせるが、すでに王妃はがっしりとルチアの肩に腕を回してきている。
 居間に連れ込まれる寸前、わずかに身をかがめたカイルが耳元にしっかりとささやいてきた言葉を、ルチアは反芻はんすうしていた。

「下手な真似はするな。じゃなきゃ……不敬罪ふけいざいで家族ごと監獄かんごく行きだ」

 赤くなった頬をそれとなく見せつけるカイルに、ルチアは返す言葉もなく黙り込んだ。
 気づくとすでに長椅子ソファに座らされ、ルチアは王妃から直々じきじきにお茶とお菓子を振る舞われていた。

「『ラ・ゼレフォン』の焼き菓子はいかが? わたくしはここのマフィンやクッキーが大好きなの! チョコレイトは『マダム・レシェファ』のものが一番だと思うけれど」
「は、はぁ……」
「お茶もどうぞ。隣国から取り寄せた最高級ブランドよ。きっと気に入ると思うわ!」

 お城できょうされるものなら、たとえお菓子のひとかけらでも美味なるものに違いない。
 しかしルチアはとても食べる気にはなれず、冷や汗をだらだらとにじませながら、音を立てて生唾なまつばを呑み込んだ。

「あらまぁ、緊張しているの? そんなに堅くならないで。楽にしていいのよ?」
「お、お気遣いありがたく存じます……」
(お、落ち着くのよ。女学校時代を思い出して! 貴人に対するマナーはいやというほど叩き込まれたはず……っ)

 記憶の中の教科書をルチアは大急ぎであさりだす。
 しかし王妃はそこを軽々と飛び越えて、いきなりとんでもないことを聞いてきた。

「それで? あなたとあの堅物かたぶつ息子はどうやって恋に落ちたのかしら? いきなり結婚したいと言い出すくらいですもの。きっととてもロマンチックな出逢いがあったに違いないわ!」
(い、言えない! 勘違いで平手打ちを喰らわせたなんて!)

 まして尋ねた相手が両手を組んで、少女のように目をきらきらさせているならなおさらである。

(というかそんなことを言ったら、本当に不敬罪で手打ちになるわ……!)

 まさかあの青年公爵が、王家の出身とは思わなかった。
 そういえば現王には王子が二人いて、そのうちひとりは成人すると同時に臣籍にくだったと聞いている。きっとそれが彼、カイルだったのだ。

(公爵だけに、王家に近い人間とは思ったけど……まさか王子様とは思わなかったわよ!)

 それを、勘違いとはいえぶってしまったのだから、彼が言うとおり家族全員しょっ引かれたとしても決して大げさなことではない。
 その危機から逃れるためには、彼が仕立てた嘘をつらぬき通す必要があった。

「そ、その……お、お教えできるようなたいそうなことではございませんわ」
「まぁっ、あの子の頬にあーんな立派な手形を浮かび上がらせたっていうのに?」
「!」

 鼻白はなじろむルチアを横目に、王妃はころころと無邪気に笑った。

「おびえる必要はないのよ。むしろ雄々おおしくてとっても素敵だわ! 相手が王子だろうと、気に入らないと思ったなら遠慮なく叩けばいいのよ。正当な理由があるならなおさらだわ!」
(……言えない。勘違いとは、絶対に……!)

 ルチアは改めて生唾を呑み込んだ。

「そうそう、なれそめを聞くよりお名前を聞かなくちゃね。わたくしったらつい嬉しくて、そんなことも忘れてしまっていたわ」
「い、いえ、こちらこそ失礼を……。ルチア・マーネットと申します。マーネット男爵家の長女です」
「まぁっ。マーネット男爵の娘さん?」
「父をご存じなのですか?」

 驚くルチアに、王妃はしっかりうなずいた。

「もちろん知っているわ。彼はカーティス伯爵の義弟でしょう? 貴族たちの家系図を頭に入れておくのは王妃の務めよ」

 ルチアは素直に感心したが、王妃はすぐに「なーんてね」と舌を出した。

「全部が全部を覚えているわけではないわ。だってあんなに複雑なもの、宮廷のマナーと一緒で覚えきれないもの。でも、あなたのお父様を知っているのは本当よ。大変な事故が原因で亡くなられたこともね」

 王妃のまなざしに同情の色が浮かび、ルチアは曖昧あいまいに微笑んだ。

「王妃様に覚えていただけたのなら、父も名誉に思ったことと思います」
「貴族の出産や死亡のしらせは必ず城へ届けられるからね。そういったことは、わたくしもきちんと把握しておくの。それに、マーネット家の領地に官吏かんりを派遣したのはカイルですからね」
「えっ」

 ここであの青年の名前が出てくるとは。

「でも、公爵様はそのようなことは一言も……」
「口べただからね。きっとあなたによけいな気を遣わせたくなかったんじゃないかしら?」

 ……そうだろうか? 
 とはいえ、あの官吏を派遣してくれたのが彼なら、あとでお礼を言わなければ。有能な官吏のおかげで、ルチアは家族のことだけ心配していれば済むようになったのだから。

「お母さまも脚を悪くされたと聞いているけど、今は……?」
「ええ、療養しております。でも脚が動かせないだけで、他は元気ですから」

 ルチアは微笑んだものの、王妃の顔をまっすぐに見るのは無理だった。
 その様子から、王妃はマーネット夫人の容態ようだいを推し量ることができたのだろう。

「お気の毒だわ。わたくしで力になれることがあるならいいけど」
「い、いいえ。王妃様のお手をわずらわせるようなことでは!」
「あら、遠慮する必要はないのよ? だってあなたはカイルの花嫁になるんですもの! それならわたくしとあなたのお母さまは他人のままではいられないわ」
「……」

 確かにそうだが、実際に結婚するつもりなど、あの公爵にあるわけがない。

(いったいなんだってこんな嘘をついたのかしら……!)

 次に顔を合わせたら徹底的に問い詰めてやる。
 それくらいの権利はあるはずだわ、とルチアは決意を固めた。

「確か、マーネット男爵にはお子さんが大勢いると聞いたことがあるけれど」
「あ、はい。下に男の子が四人と、女の子が二人いて……」
「んまぁっ、大家族じゃない」
「子だくさんの家系らしくて……。父方の祖父も、庶子しょしを含めて六人子供を作ったそうです。その前は七人作ったとか」
「まぁまぁ、にぎやかな一族ね!」

 おかげで財産の分配などが大変で、そこそこの領地を持っているにもかかわらず、マーネット家は常に『さほど裕福ではない』家にランク付けされていた。

「でも、それだけ弟妹ていまいを抱えているなら大変ね。使用人は何人雇っているの?」
「えっ、と……いない、です」
「え?」
「常勤の使用人は雇っていないんです。その、今はそこまでの余裕がないもので」

 公爵に対しては喧嘩腰けんかごしのまま暴露ばくろできたが、さすがに王妃相手に家の窮状きゅうじょうを打ち明けるのは勇気がいった。
 恥じ入って顔を伏せるルチアに、王妃は目を丸くしたまま尋ねる。

「まぁ、それでは掃除や洗濯は誰がやるの?」
「弟妹たちと協力してやります。下の子たちもようやく雑巾ぞうきんを絞れるようになってきましたし」
「食事の支度したくは?」
「料理はわたしが。配膳はやっぱりみんなと協力して」
「お母さまのお世話は……」
「食事や入浴に関してはわたしが。最近は上の妹が一緒に詩集を読んでいますわ」

 王妃はそれまで以上に目を見開いて、ルチアを頭からつま先まで眺めやった。
 さながら珍獣ちんじゅうでも見つけたような視線である。無理もないこととはいえ、やっぱり少しいたたまれない。

(そんな貧乏人を息子の嫁にするわけにはいかない、とか言われるのかしら)

 だとしたら嘘をつく罪悪感から解放され、ほっと一安心なのだが。
 ――あ、でもそうするとあの公爵が怒り狂う可能性が……
 いろいろ考えながら、ルチアは王妃の反応を待つ。
 と、その王妃がわずかにうつむき、ぶるぶると肩を震わせ始めた。
 引きつけかなにかを起こしたのかと、ルチアはびっくりする。

「あの、王妃様っ?」

 ほどなく、王妃はがばっと勢いよく立ち上がった。
 思わずのけぞるルチア。そんな彼女の手を、テーブル越しに身を乗り出した王妃が、ぎゅうっと強く握りしめてきた。

「――素晴らしいわ、ルチア・マーネット! あなたのような頑張り屋さんが、貴族の中にもちゃんといてくれたのねぇ!」
「はい?」

 この部屋へきてから一番のまなざしで見つめられ、ルチアは口元を引きらせた。

「まぁあ、なんていうことでしょう。カイルの女を見る目は、実はものすごーくよかったのね! だから今まで山ほどの肖像画を送っても見向きもしなかったのよ。我が息子ながら上出来だわ!」
「はっ……?」
「ルチア・マーネット」

 改まって名前を呼ばれ、ルチアはハッと緊張する。
 王妃はきらきらしたまなざしのまま、王族然とした美しい笑みを浮かべた。

「わたくしはね、二人目の息子の結婚相手に身分を問うつもりはないの。ただひとつ求めるのは、愛と思いやりに満ちた人物であるかどうかだけ」
「愛と、思いやり――?」

 王妃はしっかりうなずいた。

「あなたはどうやらそのふたつの感情であふれているみたい。とっても素晴らしいことだわ! あのカイルの花嫁に、あなた以上にふさわしい娘がいるかしら?」

 優しく頬をでられ、ルチアは困惑する。
 められているのだとは思うが、どうにも素直に喜べない。というより……

(……これって完全に、公爵の結婚相手として認められちゃったってことじゃないの?)

 困る。それは困る。あんな一方的な男の妻になるなんて冗談じゃない! 

「あの、王妃様……」

 ルチアは躊躇ためらいを覚えつつも、このままではいけないという思いから真実を告白しようとする。
 本当はわたしたち愛し合ってなんかいないんです。これは成り行きで仕方なく――
 だがその言葉を口にする前に、王妃が音高く手を叩いて侍女じじょを呼び出した。

「おまえ、今すぐアレを持ってきてちょうだい。この子にぜひ食べていただきたいわ」
「かしこまりました」

 侍女はすぐに奧に引っ込み、猫足付きの小さな箱を持って戻ってきた。

「綺麗な宝石箱でしょう? でもね、中に入っているのは――」

 丸鏡つきのふたを開けると、色とりどりのボンボンが顔を出した。

「『マダム・レシェファ』の新作チョコレイトなの。とっても美味おいしいのよ? ぜひ食べてみて」
「えっ……で、でもわたし……」

 これを食べることは、すなわち公爵との結婚を了承することだという図式が頭に浮かぶ。
 咄嗟とっさに辞退しようとするルチアだが、王妃はボンボンをひとつつまむと、なんとそれをルチアの口に放り投げてしまった。

「むぐっ」

 吐き出すわけにもいかず、ルチアはあわてて口元をおおってボンボンに歯を立てる。
 固いチョコレイトかと思ったら、中身は意外ととろりとしていて、甘さと苦さが口の中いっぱいに広がった。

「……っ、美味おいしい!」

 これまで食べたことがないような絶妙な味に、ルチアは頬を染めてしまう。

「でしょう? もうひとついかが?」

 もう一度それを味わいたい。
 その誘惑にあらがうことができず、ルチアはすすめられるまま二つ目を口に放り込んだ。
 とろける甘みと切ない苦さが、舌の上で極上のハーモニーを奏でる。

(……美味しい~!)

 家で待つ弟妹ていまいたちにひとつずつでも食べさせてやりたい! 
 真っ先にそう思うあたり、ルチアは間違いなく『愛と思いやりにあふれた娘』だった。
 できればもうひとつ食べたいけれど、王室御用達ごようたしのお店のお菓子だ。
 わざわざ宝石箱に入れるくらいなのだから、そうとう高価に違いない……
 ルチアはお茶を飲むことで、欲求を身体の奥深くにしまい込んだ。

「あら、もっと食べたっていいのに。とても美味しかったでしょう?」

 王妃がころころと楽しげに笑う。
 ルチアはうなずいたが、もう一度手を伸ばすのはさすがに遠慮した。

「まぁでも、この時間にお菓子を口にするのは不健康だというしね。わたくしも我慢しなくっちゃ」

 王妃は誘惑を振り払うように宝石箱を閉じ、侍女じじょにしまっておくよう言いつけた。
 そうして彼女がお茶のおかわりを頼んだときのことだ。

(……? なに……?)

 ルチアはふと、自分の身体に異変を感じた。
 なんだか身体の奥がむずむずする。かゆいような、もどかしいような、奇妙な感覚だ。
 なんだろうと思っているうちにそれは全身に広がっていき、うまく呼吸もできなくなる。

「……っ、は……っ」

 たまらず二の腕を抱きしめると、様子がおかしいことに気づいて、王妃がかすかに首をかしげた。

「まぁ、どうかして?」
「な、なんだか……、身体が……」

 ――熱い。
 き立つような熱に、ルチアは震える。
 呼吸が徐々じょじょに浅くなって、肌がざわざわとわななくように震え始めた。

(な、なんなのいったい……、身体が熱い……っ)

 しまいには王妃の前ということも忘れて、ルチアは長椅子ソファに身体をこすりつけるようにもたれてしまった。

「大丈夫?」

 王妃が立ち上がる気配がする。
 だが彼女が近寄るより早く、背後の扉が音を立てて開け放たれた。

「母上、ただ今戻りました。――!! いったいなにが起きたんです?」

 カイルだ。ルチアの心がざわっと震えた。
 いやだ。こんなふうになっているところを、彼に見られたくない――

「おい……、おい、いったいどうしたんだ」
「あぁっ!」

 駆けつけたカイルが肩をつかむ。そのてのひらから焼けるような熱さを感じて、ルチアは思わずのけぞってしまった。
 異様な反応に、カイルはぱっと手を離す。
 ルチアも肘掛ひじかけに崩れ落ちるが、どうしたことか、彼にふれられたところからぞくぞくとした妙なうずきが立ちのぼってきた。

「い、いや……っ、ど、どうなってるの……っ?」

 わけがわからない。
 パニックにおちいるルチアを、カイルは薄氷はくひょうの瞳でじっと見つめていたが――

「……っ! 母上っ、まさか彼女に『秘薬』を含ませたんじゃ――!」

 秘薬? 戸惑うルチアの前で、王妃は「うふっ」と含み笑いをした。

「あらまあ。バレちゃった?」
「――なんてことをしてくれたんだ! アレがただの薬じゃないことは、あなたが一番よく知っているはずだろう!」

 母親とはいえ、王妃相手にカイルはがなり立てる。
 こんな状況でなければ、震え上がってしまうような恐ろしい声だ。
 しかし彼を産んだ王妃はどこ吹く風。おほほほっと軽快に笑う。

「だってあなた、このお嬢さんと結婚するつもりだったのでしょう? だったらなんの問題もないはずよ? 見たところ、とてもよくできたお嬢さんだし、わたくしもとても気に入ったわ! あなたにとっても悪い展開ではないんじゃなくって?」
「――っ!」

 ぎり、と歯を食いしばる音が聞こえてくるようだった。獣のうなり声のようなものも一緒に聞こえてくる。
 だがルチアはそれどころではない。
 恐ろしいことに、身体を焼くような不可解な熱は高まるばかりだ。
 口の中に湧く唾液を呑み込むことすら難しい。わけのわからない感覚に恐怖まで襲ってきて、涙をこらえるのに精一杯だ。

「早く……、なんとかして……っ」

 ルチアは必死に絞り出す。カイルがハッと振り返った。

「おい……っ、大丈夫か?」
「……熱いの……っ」

 ルチアは自分の身体をかきむしりたい欲求を懸命にこらえる。
 先ほどの反応があったからか、カイルも迂闊うかつにふれることができないようだ。中途半端に手を伸ばしたまま、困惑したように固まっている。

「『秘薬』の効果を抑える方法はあなたも知っているでしょう、カイル?」

 王妃が歌うようにささやく。
 カイルはなぜかかたきでも見るような目で母親をにらんだが、ルチアはぱっと顔を上げた。

「ほ、本当に……? どうにかできるの……?」
「いや、わたしは――」
「このお嬢さんを連れ込んだのはあなたよ、カイル。もう一度言いますけど、わたくしはこの子がとても気に入ったわ。義理の娘になってほしいくらいにね」

 それだけ言うと、王妃は侍女じじょを呼び出し、奥の部屋へ引っ込んでしまった。
 先ほどまでの対応とは打って変わって、まるで見放したかのような王妃の態度に違和感を覚えたルチアだったが、そんなことに構っていられない。
 こうなるともう、彼女が頼れるのはカイルだけだ。

「お願い……、なんとかして……!」

 ルチアは必死にカイルの袖にすがりつく。てのひらは汗ばみ、指先はひどく震えていた。

「お願い……っ」

 カイルはしばらく動かなかったが、やがて意を決したようにルチアの肩を抱き寄せる。
 ふれられたところからぞくりとするようなうずきが広がり、ルチアはのどを反らして声を上げた。

「はぁ……っ、あ、あ……っ」
「大人しくしていろ。声も出すな」
「だ、だって……!」

 ルチアだってこんな変な声など出したくない。
 けれど身体がぞくぞくと疼くように震えて、自然と声が出てしまうのだ。
 それは横向きに抱えられ、部屋から出ても変わらなかった。
 肩が彼の胸をこするたび、額に彼の吐息を感じるたび、膝裏に彼の掌の熱を覚えるたび――たまらなく疼いて仕方がない。
 気づけばルチアはカイルの肩にすがりつき、みずからの胸を彼の胸板にこすりつけていた。
 彼が一歩踏み出すことに身体が揺れて、胸のいただきにたまらない刺激がもたらされる。
 それがひどく心地よくて、ルチアは漏れそうになる声を必死に押し殺した。
 気づけばカイルもかなり早足になっている。
 そうして彼がたどり着いた部屋は、王妃の部屋と同じほどに広い一室だった。

「……ここ……」
「わたしが使っていた部屋だ」

 ということは、王子に与えられる私室ということか。
 状況が違えば物珍ものめずらしさに駆られるところだが、今はこの熱をしずめることしか頭にない。
 悪いことに、ここへくるまでのあいだ、身体はさらに熱くたかぶってしまっていた。
 カイルは迷いない足取りで部屋の奥へと入っていき、ルチアを寝台に放り投げる。
 ぼふんと柔らかな寝台が沈み、その感触にすらルチアは悲鳴を上げた。
 ドレスの裾が足にまとわりついて、身じろぎするたび、それがぴりぴりとした疼きをもたらす。
 胸のいただきも敏感になっている。カイルの目がなかったら、もしかしたら自分でそこをかきむしっていたかもしれないほどだ。


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