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幼馴染みは料理のできる男

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愛美と健太郎が二人で支部を出ると、緒川支部長は小さくため息をついた。
ビニール袋から試作品の入った弁当箱を取り出し、蓋を開けてじっと眺める。
肉野菜炒めに白身魚のフライ、ポテトサラダ。
自分には作れない料理ばかりだ。
割り箸を割って肉野菜炒めを一口食べてみる。

   (うまっ……。料理人だから当たり前かも知れないけど、あいつこんなの作れるんだ……)

宮本さんと竹山さんが言っていたように、料理はまったくできない。
洗濯は休みの日に仕方なくするけれど、ワイシャツはクリーニングに出す。
時間があまりないので、掃除はお掃除ロボットに任せきりで、行き届かない面倒な場所は何か月かに一度、ハウスクリーニング業者に頼む。
家事もろくにできない自分は、共働き夫婦の夫には向いていないかも知れない。

   (愛美は仕事の後に俺が急に訪ねて行っても、文句のひとつも言わずに夕飯を用意してくれるけど……。ホントは愛美も料理ができる男の方がいいのかな……)

緒川支部長はポテトサラダを口に入れてため息をついた。

   (これもうまい……。よく考えたら、俺はいい歳をして米も炊いたことないぞ……)

自分が家事もろくにできないなんて、今まで気にした事もなかった。
だけど、突然現れた幼馴染みの健太郎は、背が高くて顔も良くて、おまけに自分の店を持ち、料理のプロだ。
健太郎が自分の知らない愛美を知っている事に嫉妬を覚えたり、宮本さんたちの『料理ができる男を選んだ方がいい』という言葉に焦りを感じたりする。

   (ホントに付き合っちゃおうかなんて言ってたけど……あいつ、愛美の事が好きなのか……?)

緒川支部長が眉間にシワを寄せながら黙々と弁当を食べ進めていると、目の前にコトリと湯飲みが置かれた。

「支部長、お茶どうぞ」
「高瀬か……。ありがとう。宮本さんたちも出掛けたんだな」

緒川支部長が顔を上げると、高瀬FPも自分の湯飲みをテーブルに置いて椅子に座った。

「支部長、いろいろ気になりますね」
「……そんな事ない」
「そんな事ないって……ずっと眉間にシワが寄ってます」
「あ……」

高瀬FPに指摘され、緒川支部長はバツが悪そうな顔をして指で眉間をさすった。

「高瀬はさぁ……料理とか家事とかできるか?」
「うちは父子家庭だったし、僕は長男なので、学生の頃は僕がほとんどの家事をやってましたよ。家庭料理は一通り作れます」
「すごいな……。俺は33にもなって、米も炊いた事ないよ……」
「あんなのは慣れです。やってみると簡単ですよ。今はネットでなんでも調べられるし」

高瀬FPはなんともなさそうな顔でそう言うけれど、この歳になって自分にもそれができるだろうかと不安になる。

   (できないよりは、できるに越した事はない……か……。やってみようかな……)



一方、健太郎と一緒に支部を出た愛美は、エレベーターで1階に降り、営業所を出た。

「まさか愛美の勤め先の隣とはなぁ」
「こっちの方がビックリしてるよ」
「オープンしたら来いよ」

健太郎は店の前で立ち止まり、愛美の肩に腕をまわした。

「ランチは無理だけどね。あんまり長く支部を離れる訳にはいかないから」
「昼飯、いつもどうしてるんだ?」
「だいたいはそこのお弁当屋で買って支部で食べてる」
「そうなのか?じゃあ……日替わりランチを今日みたいに弁当にして届けてやるよ」

そんな事をされたら、またオバサマたちに何を言われるかわからないと、愛美は慌てて首を横に振った。

「いや……いいよ、そこまでしてくれなくて」
「なんでだよ。どうせ弁当屋で弁当買って食うんだろ?愛美、いつもいくらくらいの弁当買うんだ?」
「400円から500円くらいかな」
「うちのランチ、コーヒー付きで600円なんだけどな。愛美はコーヒーなしで400円でいいから、俺の店のランチ食え。いらない時はいらないって言ってくれりゃいいし」
「ええっ……それは安すぎない……?」
「いいんだよ。よし、決まり。じゃあな」

言いたい事だけ言うと、健太郎は愛美の頭をポンポンと軽く叩いて、さっさと店の中に入っていった。

   (相変わらず強引だな、健太郎は……)

愛美はため息をついて郵便局に向かった。
そんな二人の様子を、隣の支部のオバサマたちが少し離れた所から見ている事に、愛美は気付いていなかった。



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