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少しずつ積み重ねて

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愛美がカフェレストランに戻ってしばらくしてから、いつも愛美に手料理をご馳走になっているお礼に、今夜はどこかで美味しいものでも食べようかと『政弘さん』が言った。

「一日遅れだけど、愛美の誕生日のお祝いしようよ。ホテルのレストランとか……たまにはちょっと贅沢しちゃう?」

『政弘さん』が尋ねると、愛美は即座に首を横に振った。

「そういうのはいいです。緊張して食べた気がしないので。それより、今夜はお鍋にしましょう」
「鍋……?」

   (鍋とはまた意外だな)

「今まで一度も一緒にした事ないでしょう?」
「そういえば……。どんな鍋がいいかな。どこかいい店知ってる?」
「いえ、お店じゃなくて……材料買って帰って、うちでやりましょう。ビールでも飲みながら」
「ああ……それなら久しぶりに二人で飲めるし、すごくいい。よし、それじゃあ早速、材料買いに行こう」
「そうだ。せっかくだから、しゃぶしゃぶ用のちょっと高い豚肉と、美味しいゴマだれ買ってください。私、豚肉のしゃぶしゃぶが大好きなんです」

食料品とは言え、珍しく愛美におねだりされると、やっぱり嬉しいと『政弘さん』は思う。

   (なんだ。愛美、欲しい物は欲しいってちゃんと言うんだ。他の子とはおねだりするポイントがかなり違う気もするけど、そこもまたかわいいからいいや)

「喜んで。愛美の食べたい物、いっぱい買って帰ろう」


それから二人で食料品売り場に行った。
『政弘さん』がカートを押し、愛美が食材をあれこれ選んでかごに入れる。
愛美は真剣な顔をして、どの白菜が大きいか見比べたり、産地の違う特産の長ネギを、どっちにしようかと長い時間選んでいたかと思うと、惣菜コーナーのコロッケを迷わずかごに入れたりする。

「コロッケは鍋に入れないよね?」
「もちろん入れませんよ」

今日は鍋のはずなのに、なぜコロッケなんだろうと、『政弘さん』はかごの中を不思議そうに覗き込んだ。

「愛美、コロッケ好きなの?」
「大好きですよ。美味しいですよね」

そう言って愛美は、子どもみたいに無邪気に笑う。

   (ああ……これは単純に、好きだから食べたいんだな。いわゆる衝動買いってやつだ。愛美にもそんな一面があるんだなぁ)

それが他の女の子のように甘いお菓子やケーキでないところが、なんとも愛美らしいと、ちょっとおかしくなる。

「そっか、愛美はコロッケが好きなんだ。改めて考えると、愛美が好きな物ってあんまり知らないんだよなぁ」
「だったらこれから知って下さい。私も政弘さんの好きな物、たくさん知りたいです」

『政弘さん』には愛美のその言葉が、『この先もずっと一緒だから、お互いにゆっくり歩み寄ろう』と言っているように聞こえた。

   (付き合ってから、まだほんの数か月だ。焦ることないんだな。これからゆっくり時間をかけて、お互いを知って行けばいいんだ……)

今まで知らなかった小さな事が、時間と共に少しずつ積み重ねられて、お互いの良いところも悪いところも、全部ひっくるめて好きだと言えたらいいなと『政弘さん』は思う。

「俺が一番好きなのは愛美だけど?」
「またそういう事を……」

照れくさそうに赤い顔をして足早にレジへ向かう愛美の後ろ姿を見つめて、『政弘さん』は笑みを浮かべた。

   (また照れてる。こういうところ、ホントにかわいいなぁ……)

『政弘さん』が追い付くと愛美はクルリと振り返り、少し背伸びをして、『政弘さん』にそっと耳打ちした。

「私も……一番好きなのは、政弘さんですよ」
「コロッケより?」

『政弘さん』が笑いを堪えながら尋ねると、愛美は笑って手招きをして、耳を寄せるように促した。
『政弘さん』が少しかがんで耳を近付けると、愛美は『政弘さん』の耳たぶをギュッと引っ張った。

「いてっ!」
「いいですか、よく聞いて下さいよ。政弘さんが、いちっ・ばんっ・好きっ・ですっ!!」
「ハイ……。ものすごく嬉しいです……」

愛美が手を離すと、『政弘さん』は耳をさすりながら微笑んだ。
そんな『政弘さん』を見て、愛美は笑った。

「帰ったらすぐに夕飯にしましょうね」
「俺も手伝おうかな。やった事ないけど……」
「じゃあ、一緒にやりましょう」
「うまくできるかな?」
「大丈夫ですよ。少しずつ慣れていけばいいんです。最初はうまくいかなくても、続けていればそのうちコツをつかんで上手になります」

何気ない愛美のその一言は、『政弘さん』の心にストンと落ちてきた。

   (そうか……。なんか、仕事とか人間関係と少し似てるな)


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