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オフィスを離れて、少しだけ
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「座らないのか?」
「別の席を探します」
「はぁ?ここでいいだろ」
「イヤです!!」
「とにかく座れ!バスが出発できないだろ!!」
緒川支部長は愛美の腕をグイッと引いて、無理やり座席に座らせた。
「痛い!!やっぱり自分の席に戻ります!!」
「窓際譲ってやるから、大人しく座ってろ!」
愛美を窓際の席に押し込んで、緒川支部長は逃がさないとでも言うかのように、長い足で通路を塞いだ。
「観念しろ菅谷。たまには俺の言う事聞け」
「信じられない……。無理やり奥に押し込むなんて……」
愛美は膨れっ面で窓の方を向いた。
(これ、一体なんなの……?)
職員が全員そろい、人数確認が済んで、バスはゆっくりと発車した。
職員たちは、一番後ろの席の二人の事など気にも留めない様子で、お菓子を食べたりおしゃべりをしたり、楽しそうにはしゃいでいる。
愛美が窓の外を眺めているうちに、点呼の時までは同じ一番後ろの座席で、緒川支部長の向こうに座っていた竹山さんと赤木さん、その前の座席に座っていたみんなも、出発直前に前の方の座席に移ってしまったようだ。
気のせいか、おしゃべりに夢中なオバサマたちが前の方の席に固まっていて、後ろの方に座っているのは自分たちだけのような気がした。
(何か美味しいお菓子でも食べてるのかも。ちょっと静かでいいか。って言うか……わざわざ席を変わらなくても、いっぱい空いてたんじゃないの?)
緒川支部長と愛美を一番後ろの席で二人きりにさせたのは、じつはオバサマたちの緒川支部長に対するお節介だ。
『この旅行で緒川支部長が、片想いの菅谷さんに少しでも近付けるように』というのが狙いらしい。
二人が付き合っている事を知っている峰岸主管と高瀬FPも、素知らぬ顔でその話に乗った。
もちろん緒川支部長と愛美の二人は、みんなのそんなお節介にはまったく気付いていない。
緒川支部長は小さく笑って、誰にも気付かれないように、窓の外ばかり見ている愛美の手を、そっと握った。
「……っ!!」
愛美が驚いて振り返る。
「しーっ」
緒川支部長は声には出さずそう言って、人差し指で唇を押さえた。
「少しだけ」
「え?」
愛美が尋ね返す暇もなく、緒川支部長は身を乗り出して、愛美の視野を遮った。
そして素早く唇にキスをした。
緒川支部長はあっという間に唇を離して、座席の背もたれに身を預けている。
愛美は真っ赤な顔をして、窓の方を向いた。
(しっ……信じられない!!みんなもいるのに、こんなところで……!政弘さんのバカ!!)
隣に座っているのは上司の緒川支部長のはずなのに、今だけは大好きな『政弘さん』に変わってしまったようだと、愛美はうろたえる。
いつもはスーツを着て仏頂面をしている緒川支部長が、今日はいつもより少しカジュアルな服装で、ほんの少し穏やかな顔をしている。
それだけでも雰囲気がかなり違って、愛美としては、少し調子が狂ってしまう。
緒川支部長の顔をした『政弘さん』は、愛美の手を、ギュッと握った。
そして、愛美の耳元で囁く。
「愛美、今だけ、二人っきりになろ」
「……ちょっとだけですよ……」
赤い顔をした愛美が小声で答えると、『政弘さん』はもう一度唇に軽く触れるだけのキスをして、愛美の耳元に唇を寄せた。
「キスの続きは、旅行から帰って二人っきりになってから、ね」
「……当然です」
二人は小さく笑い合って、そっぽを向いた。
『政弘さん』がギュッと手を握ると、愛美もギュッと握り返す。
指先に感じる温もりが心地いい。
(今だけ。……もう少しだけ)
愛美はそっぽを向いたまま、繋いだ手に指をそっと絡めた。
『政弘さん』は指を絡めて繋いだ愛美の手を、もう一度ギュッと握った。
いつものオフィスを離れた今日は、二人とも自分に甘いかも知れない。
上司と部下のふりをして、いつもは保っているその距離を縮めて、恋人に戻った。
誰も見ていない今だけ、ほんの少しだけ。
月曜の朝、オフィスではまた、いつも通り。
─END─
「別の席を探します」
「はぁ?ここでいいだろ」
「イヤです!!」
「とにかく座れ!バスが出発できないだろ!!」
緒川支部長は愛美の腕をグイッと引いて、無理やり座席に座らせた。
「痛い!!やっぱり自分の席に戻ります!!」
「窓際譲ってやるから、大人しく座ってろ!」
愛美を窓際の席に押し込んで、緒川支部長は逃がさないとでも言うかのように、長い足で通路を塞いだ。
「観念しろ菅谷。たまには俺の言う事聞け」
「信じられない……。無理やり奥に押し込むなんて……」
愛美は膨れっ面で窓の方を向いた。
(これ、一体なんなの……?)
職員が全員そろい、人数確認が済んで、バスはゆっくりと発車した。
職員たちは、一番後ろの席の二人の事など気にも留めない様子で、お菓子を食べたりおしゃべりをしたり、楽しそうにはしゃいでいる。
愛美が窓の外を眺めているうちに、点呼の時までは同じ一番後ろの座席で、緒川支部長の向こうに座っていた竹山さんと赤木さん、その前の座席に座っていたみんなも、出発直前に前の方の座席に移ってしまったようだ。
気のせいか、おしゃべりに夢中なオバサマたちが前の方の席に固まっていて、後ろの方に座っているのは自分たちだけのような気がした。
(何か美味しいお菓子でも食べてるのかも。ちょっと静かでいいか。って言うか……わざわざ席を変わらなくても、いっぱい空いてたんじゃないの?)
緒川支部長と愛美を一番後ろの席で二人きりにさせたのは、じつはオバサマたちの緒川支部長に対するお節介だ。
『この旅行で緒川支部長が、片想いの菅谷さんに少しでも近付けるように』というのが狙いらしい。
二人が付き合っている事を知っている峰岸主管と高瀬FPも、素知らぬ顔でその話に乗った。
もちろん緒川支部長と愛美の二人は、みんなのそんなお節介にはまったく気付いていない。
緒川支部長は小さく笑って、誰にも気付かれないように、窓の外ばかり見ている愛美の手を、そっと握った。
「……っ!!」
愛美が驚いて振り返る。
「しーっ」
緒川支部長は声には出さずそう言って、人差し指で唇を押さえた。
「少しだけ」
「え?」
愛美が尋ね返す暇もなく、緒川支部長は身を乗り出して、愛美の視野を遮った。
そして素早く唇にキスをした。
緒川支部長はあっという間に唇を離して、座席の背もたれに身を預けている。
愛美は真っ赤な顔をして、窓の方を向いた。
(しっ……信じられない!!みんなもいるのに、こんなところで……!政弘さんのバカ!!)
隣に座っているのは上司の緒川支部長のはずなのに、今だけは大好きな『政弘さん』に変わってしまったようだと、愛美はうろたえる。
いつもはスーツを着て仏頂面をしている緒川支部長が、今日はいつもより少しカジュアルな服装で、ほんの少し穏やかな顔をしている。
それだけでも雰囲気がかなり違って、愛美としては、少し調子が狂ってしまう。
緒川支部長の顔をした『政弘さん』は、愛美の手を、ギュッと握った。
そして、愛美の耳元で囁く。
「愛美、今だけ、二人っきりになろ」
「……ちょっとだけですよ……」
赤い顔をした愛美が小声で答えると、『政弘さん』はもう一度唇に軽く触れるだけのキスをして、愛美の耳元に唇を寄せた。
「キスの続きは、旅行から帰って二人っきりになってから、ね」
「……当然です」
二人は小さく笑い合って、そっぽを向いた。
『政弘さん』がギュッと手を握ると、愛美もギュッと握り返す。
指先に感じる温もりが心地いい。
(今だけ。……もう少しだけ)
愛美はそっぽを向いたまま、繋いだ手に指をそっと絡めた。
『政弘さん』は指を絡めて繋いだ愛美の手を、もう一度ギュッと握った。
いつものオフィスを離れた今日は、二人とも自分に甘いかも知れない。
上司と部下のふりをして、いつもは保っているその距離を縮めて、恋人に戻った。
誰も見ていない今だけ、ほんの少しだけ。
月曜の朝、オフィスではまた、いつも通り。
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