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叶わなかった願い 2
母はずっと、父と離婚するときに唯一持ち出した俺の写真をとても大切にしていて、毎年4月9日になると『志岐は今日で◯歳になるのね。元気かしら。きっと立派になっているわね』と言っていたらしい。
そんなことはまったく知らず、捨てられるような形で突然母を失った俺にとって、この手紙に綴られた事実はかなり衝撃的だった。
そして手紙の最後の1枚には、さらに衝撃的な事実が綴られていた。
3か月ほど前、母は『もう一度だけでいいから志岐に会いたかった』と言い残して、卵巣ガンで亡くなったのだそうだ。
北村さんは母のその願いを叶えてあげたいと思っていたそうだけど、母は『二度と志岐とは関わらないという約束を破ることはできない』と言ったらしい。
母の死後、北村さんは母が亡くなったことや母の最期の様子を俺にどうしても伝えたいと思い、俺の居場所を知るために様々な手を使って実家のことを調べて、父が母と結婚してからも継母との関係を続け、直人が生まれたことなどを知ったそうだ。
北村さんはこの事実を俺に伝えることが果たして正しいのかと悩んだそうだが、母が死ぬまで俺を大切に思っていたことや、俺を置いて出て行かざるを得なくなったのは母だけのせいではなかったことを知っていて欲しかったと書かれていた。
そして手紙の最後はこうくくられていた。
『ひとつだけお願いがあります。
幼いあなたを残して去った母親を許せない気持ちはおありのことでしょうが、志岐さんの誕生日には彼女に会いに行ってやって頂けないでしょうか。
立派に成長なさったあなたの姿を見れば、彼女もきっと安心して眠ることができると思うのです。
一度だけでもかまいません。
どうか生前叶わなかった彼女の願いを叶えてやってください。
お願いします』
その下には母が眠っているという霊園の住所が記されていた。
手紙を読み終え、飲みそびれてすっかりぬるくなったビールを飲み込むと、鼻の奥がツンと痛くなって、便箋に並んだ文字がぼんやりとにじんで見えた。
そんなに会いたいと思ってくれていたなら、父との約束なんか気にせず会いに来てくれたら良かったんだ。
せめて今際の際に間に合えば、何か一言でも言葉を交わせたかも知れないのに、亡くなってから知らされてもそれも叶わない。
「そっか……もう二度と会えないんだな……」
17年ほども前に別れてから母とは一度も会っていなかったし、祖母からも母の話は一切聞かされていなかったのだから、今さらという気がしなくもない。
その間も俺のことをずっと大事に思っていてくれたことは嬉しかったけれど、きっとどこかで幸せに暮らしているのだろうと思っていた分だけ、母が俺の知らないうちに、すでに帰らぬ人になってしまっていたことは悲しかった。
手紙をテーブルの上に置いてぼんやりと天井を見上げていると、風呂から上がってきた葉月が怪訝な顔をして俺の隣に座った。
「志岐、ボーッとして、どうかしたん?」
「うん……。手紙、読んだんだけどさ……内容があんまり衝撃的過ぎて、ちょっとまだ受け止めきれてないって言うか……」
手紙を手に取って差し出すと、葉月はそれを受け取って俺の方をチラッと見た。
「読んでええの?」
「うん、読んで。葉月にも知っておいて欲しいから」
葉月は黙って手紙を読んだ。
そして読み終えると、手紙をテーブルの上に置いて俺の手を握った。
「私らが結婚したちょっとあとに亡くなりはったんやな……」
「そうらしいな」
「志岐の誕生日、私も一緒にお墓参りに行ってええかな?」
「もちろん。葉月のこと俺の奥さんだって……俺の世界一大事な人だよって、ちゃんと紹介しないと」
そう言って手を握り返すと、葉月は目元を潤ませてうなずき、俺の体を包み込むように優しく抱きしめた。
俺は葉月の腕の中で、幼い頃に抱きしめて頭を撫でてくれた母の手のあたたかさを微かに思い出した。
お嬢様育ちで世間知らずだった母は、家事も育児もろくにできず、人としてはとても未熟で、父との結婚では幸せにはなれなかった。
それなのに、父との間に生まれた俺のことを母親としてずっと愛してくれていた。
父と別れ、北村さんと一緒になってからの母の人生は幸せだったのだと思いたい。
そうであれば、突然母を失ったあの頃の俺の寂しさも報われる。
そんな気がした。
そんなことはまったく知らず、捨てられるような形で突然母を失った俺にとって、この手紙に綴られた事実はかなり衝撃的だった。
そして手紙の最後の1枚には、さらに衝撃的な事実が綴られていた。
3か月ほど前、母は『もう一度だけでいいから志岐に会いたかった』と言い残して、卵巣ガンで亡くなったのだそうだ。
北村さんは母のその願いを叶えてあげたいと思っていたそうだけど、母は『二度と志岐とは関わらないという約束を破ることはできない』と言ったらしい。
母の死後、北村さんは母が亡くなったことや母の最期の様子を俺にどうしても伝えたいと思い、俺の居場所を知るために様々な手を使って実家のことを調べて、父が母と結婚してからも継母との関係を続け、直人が生まれたことなどを知ったそうだ。
北村さんはこの事実を俺に伝えることが果たして正しいのかと悩んだそうだが、母が死ぬまで俺を大切に思っていたことや、俺を置いて出て行かざるを得なくなったのは母だけのせいではなかったことを知っていて欲しかったと書かれていた。
そして手紙の最後はこうくくられていた。
『ひとつだけお願いがあります。
幼いあなたを残して去った母親を許せない気持ちはおありのことでしょうが、志岐さんの誕生日には彼女に会いに行ってやって頂けないでしょうか。
立派に成長なさったあなたの姿を見れば、彼女もきっと安心して眠ることができると思うのです。
一度だけでもかまいません。
どうか生前叶わなかった彼女の願いを叶えてやってください。
お願いします』
その下には母が眠っているという霊園の住所が記されていた。
手紙を読み終え、飲みそびれてすっかりぬるくなったビールを飲み込むと、鼻の奥がツンと痛くなって、便箋に並んだ文字がぼんやりとにじんで見えた。
そんなに会いたいと思ってくれていたなら、父との約束なんか気にせず会いに来てくれたら良かったんだ。
せめて今際の際に間に合えば、何か一言でも言葉を交わせたかも知れないのに、亡くなってから知らされてもそれも叶わない。
「そっか……もう二度と会えないんだな……」
17年ほども前に別れてから母とは一度も会っていなかったし、祖母からも母の話は一切聞かされていなかったのだから、今さらという気がしなくもない。
その間も俺のことをずっと大事に思っていてくれたことは嬉しかったけれど、きっとどこかで幸せに暮らしているのだろうと思っていた分だけ、母が俺の知らないうちに、すでに帰らぬ人になってしまっていたことは悲しかった。
手紙をテーブルの上に置いてぼんやりと天井を見上げていると、風呂から上がってきた葉月が怪訝な顔をして俺の隣に座った。
「志岐、ボーッとして、どうかしたん?」
「うん……。手紙、読んだんだけどさ……内容があんまり衝撃的過ぎて、ちょっとまだ受け止めきれてないって言うか……」
手紙を手に取って差し出すと、葉月はそれを受け取って俺の方をチラッと見た。
「読んでええの?」
「うん、読んで。葉月にも知っておいて欲しいから」
葉月は黙って手紙を読んだ。
そして読み終えると、手紙をテーブルの上に置いて俺の手を握った。
「私らが結婚したちょっとあとに亡くなりはったんやな……」
「そうらしいな」
「志岐の誕生日、私も一緒にお墓参りに行ってええかな?」
「もちろん。葉月のこと俺の奥さんだって……俺の世界一大事な人だよって、ちゃんと紹介しないと」
そう言って手を握り返すと、葉月は目元を潤ませてうなずき、俺の体を包み込むように優しく抱きしめた。
俺は葉月の腕の中で、幼い頃に抱きしめて頭を撫でてくれた母の手のあたたかさを微かに思い出した。
お嬢様育ちで世間知らずだった母は、家事も育児もろくにできず、人としてはとても未熟で、父との結婚では幸せにはなれなかった。
それなのに、父との間に生まれた俺のことを母親としてずっと愛してくれていた。
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そうであれば、突然母を失ったあの頃の俺の寂しさも報われる。
そんな気がした。
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