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第1章

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約束とは何だろうか。
世の中には約束を破ると針を千本ばかり飲まなければならない文化もあると聞く。
かと思えば、約束は破るためにあると嘯く者もいるらしい。

私にとって約束とは普通のことだと考えている。
約束したからには守るし、できそうにない約束はしない。
それが普通であり、私は自分が普通であることをどこかで誇らしく思っていた。

私はこんな約束も守れないクソみたいな奴らとは違う、できもしないことを容易く約束する盆暗どもとは違う。

そう自分に言い聞かせ、思い通りにならない現実から目を背けながら生きていた……

「せんせー しゅくだいわすれた」

「なんだ夢海夜ゆうや、また宿題忘れたのか。昨日先生と約束したよな? 今日こそきちんとやってくるってな。」

「ちゃんとやったんよー もってくるのわすれたー」

 「そうか……分かった。ちゃんとやったのか。えらいぞ。明日はちゃんと持って来ような。今日の分の宿題もあるけどできるか?」

「うんやるー」



私は小学校で教師をしていた。
五年生の担任だった。
児童数二十五人、その内まともだと思える子は十八人。
このように約束を守らないガキとそのクソ親。
このクラスには私が児童、生徒とカウントしていない奴が七匹ほどいた。
先ほどのバカガキ、村紙むらかみ 夢海夜ゆうやもそうだ。
毎日同じやり取りをしており、他のまともな児童達はクスクス笑ってるし、そうでないガキはこれ幸いと宿題をやってこないか丸写しだ。
忘れたと申告するだけマシかも知れない。


こんな私だが保護者や児童からの評判は良いようだ。
まともな児童には熱心に教えるし、質問対応だってバッチリだ。またそうでないガキは放置しているため、叱らない優しい先生だと勘違いされているようだ。


したがって比較的気楽に教師生活を送ることができていたのだ。



あの時までは……


七匹のクソガキの中でもより低俗なガキ、内筒ないとう 騎土ないとが怪我をしたのだ。

我が校では放課後はない。
終わりの会が終わればすぐ帰ることになっているためだ。

それが何を思ったか騎土ないと達は帰らずにグラウンドのシーソーで遊んでいたらしい。
そしてなぜかシーソーで鼻を折ったようなのだ。

どいつもこいつも保健室で意味不明なことを叫ぶばかりで全く状況は掴めない。

結局私が病院まで連れて行くことになった。
担任だから仕方ない。
今夜は彼女と約束があったのに。

だが、災難はこれからだった。

騎土ないとの母親が巨体を揺らし、鼻息を散らしてやって来た。
「なんでないとが!ないとがなんで!鼻が!血がでて!かわいそうだと!思わないんですか!説明しなさいよ!なんで目を!はなしたの!・・・・・・!!!」

そんな勢いでひたすら何か言っている。
何を言っているのか分からない。
学校が終わった後だぞ?
どうしろってんだ。
状況の説明もできない私は、ひたすら謝るしかなかった。

後日、教頭と謝罪に訪問したらシーソーを撤去しろと言われた。
そんなことでいいのか。
私に慰謝料を請求されずに済んで一安心だ。
後は教頭がうまくやってくれるだろう。
県に掛け合うことを約束していたようだし。


しかし私の受難は終わらない。


県によると、そんな予算はないらしい。
教頭は私に、ブルーシートでシーソーを覆い隠すよう指示しやがった!

ふざけんな!

仕事を増やすんじゃねえよ!
自分でやるか用務員さんに頼め!
しかもブルーシートを買いに行くところからスタートかよ!
後でブルーシート代くれるんだろうな!?


結局この作業に夜の七時までかかってしまった。
シートをかけるだけでは不十分で、シーソーを使用できないようブロックで固定する必要まであったためだ。変なところで真面目なんだよな。


そして一週間後、ブルーシートに覆われたシーソーを見たのだろうクソガキ騎土ないとは……
「なんでぼくにひどいことするの?」

そう私に言ってきた。


私は最早理解ができず、返事もできなかった。


翌日、騎土ないとは学校に来ず、代わりに母親がやって来た。
何でもシーソーが撤去されてないことが自分に対する攻撃だと認識しているらしい……

やはり理解できない。

そして、撤去されるまで学校には来ないらしい。
どこまでも世話を焼かせるガキだ。
不登校なのは構わない、だがそのケアは意外に面倒なのだ。
しばらくの間、家庭訪問のため残業が確定した瞬間だった。毎日訪問だと!?
プリント、クラスのみんなの手紙、授業の説明。
嫌になる面倒さだ。

田舎の小学校は早く帰れることが取り柄だったはずなのに。



そんな地獄が半年も続いたある夜。

私はいつも通りそいつの家を訪れた後、無性に峠道を走ってみたくなったので回り道をしてみた。

トンネルを通れば一分なのに、わざわざ三十分もかかるルートを通ってみた。

結論から言えば私は死んだ。

車の運転が上手いわけでもない、通り慣れてるわけでもない、見通しがよいわけでもないし、路面の状態がよいわけでもない。

そんな道を感情の赴くままに走ったらそりゃあ事故るよな。

スリップしたのは運が悪かったのだろう。
コントロールを失った車が突っ込んだ先のガードレールが壊れており、その先が崖なのも運が悪かったのだろう。

スリップした瞬間は覚えているが、落ちる瞬間は覚えていない。

朦朧とした意識の中で気になったのは、
彼女との結婚の約束が守れなくなることへの不安だった。

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