澄んだ声、重なる指先

大竹あやめ

文字の大きさ
11 / 27
4 二人の距離

11

しおりを挟む
 真澄が稜の家へ家事代行として訪問し始めて一ヶ月。大学が夏休みに入ると、稜との生活習慣の違いが浮き彫りになる。
 まず稜は夕方前くらいまで、みっちりと授業があった。稜のバイトは在宅でできるから良いものの、真澄は住んでいる人が不在な時間に、バイトをこなす日々になる。そうすると空き時間ができるので、そこに単発の依頼を入れていると、稜と会う時間がグッと減った。

【昨日の唐揚げ、めちゃくちゃ美味かった。毎日あれでも良い】

 その代わり、稜とスマホでメッセージを送り合う頻度が増える。やり取りは文字ではなく、ボイスメッセージで行われるので、聞くのも送るのも何だか照れくさい。

【毎日は健康面でどうかと思うよ】
【それくらい美味いってこと。今日のおかずは何?】

 大体会話はご飯の話だ。稜は毎日律儀に感想を伝えてくれるし、リクエストも結構な頻度でしてくれる。自分のレパートリーにある料理なら良いけれど、そうじゃないものは調べたりして作った。それでも、稜はとても嬉しそうに「美味しかった」と言ってくれるのだ。
 喜んでもらえるのは素直にありがたい。最初は、褒められても裏があるんじゃないかと疑っていたけれど、そんなことをして俺になんの得がある? と言われて納得した。

【そう言えば、アイツはあれから音沙汰なしか?】

 話題が変わり質問された内容に、真澄は【うん】と返す。彼の言うアイツとは、内藤のことだ。
 あれから、内藤は大学で姿を見なくなった。休学か、退学でもしたのかと思ったけれど、夏休み前も呼び出しなどを受けていたあたり、在籍はしているらしい。
 するとすぐにスマホが受信を通知する。

【何かあったらすぐ教えて】

 優しい、気持ちがこもった稜の声は何だかくすぐったい。彼が自分の味方でいるということに、真澄は安心していた。
 それはまるで、親に見守られているような感覚だ。両親を亡くしてから久しいので、それが嬉しいと感じることも忘れていた。

【ありがとう】

 真澄はそう返すと、スマホをポケットに入れる。そして顔を上げて辺りを見回した。
 単発の依頼で初めて来た駅で、帰る方向はどちらかを探すためだ。すぐに案内を見つけ、こっちか、と足を進めた時だった。
 多くの人が行き交う中、サングラスを掛けた中年男性が立ち止まっている。彼は白杖を両手で持って掲げていて、真澄はピンときた。白杖を持った人の、SOSのサインだ。稜に教えてもらった知識が役に立ったな、と真澄は彼に感謝する。
 真澄はまた辺りを見回した。気付いていないのかスルーしているのか、その男性に声を掛ける人はいない。少し迷ったあと、稜の介助もやっているから多少は役に立てるかな、と声を掛けることにする。緊張するけれど、見て見ぬふりはできない。でも以前なら、確実にスルーしていただろう。

「お困りですか?」

 真澄は男性に近付いて、そのまま声を掛ける。しかし男性は気付いた気配がなく、じっと白杖を掲げたままだ。

「あの、手伝えることはありますか?」

 もう一度尋ねてみると、そこでやっと男性は誰かがいるとわかったようだ。しかしキョロキョロと顔を動かすだけで、真澄を認識していないらしい。
 真澄は彼の正面に回る。すると「耳が聞こえにくいです」というストラップが目に入った。なるほどどうりで、と三度みたび声を掛ける。

「何かお困りですか?」

 大きな声で、はっきりゆっくり言うと、ようやく男性は真澄に気付いたようだ。

「道に迷いました。北口を探してます」
「わかりました、案内しますね」

 割とハッキリした声で答えてくれた男性に、真澄は肩を掴んでもらおうと彼の手を取った。すると男性は驚いたのか、勢いよく振り払われる。

「わ……っ、すみませんっ」

 その瞬間、真澄は失敗した、と思った。稜の介助では、稜が自ら真澄の肩を掴んでくる。だから真澄は、その延長でこの男性がどれだけ見えるのか、考えずに行動してしまったのだ。反省だ。

「ビックリしましたよね、ごめんなさいっ。……手を出してもらえますか?」

 気を取り直して言うと、男性は手を出してくれた。ホッとして肩を掴んでもらうと、歩き出す。
 ――正直、稜の介助がどれだけやりやすかったか、わかる体験だった。どれだけ見えるのかと聞いてみたら、彼は全盲だと教えてくれる。迷ったと言っていた通り、慣れない場所は怖いようで、慎重に進んでいく姿が印象的だった。さらに聞けば、いつも通りの道を少し間違えて迷ってしまったらしい。
 そういえば大学で稜が階段を怖がったのも、同じような状況かと気付き、自分の考えの浅さに落ち込む。できると思い込んでいたのが間違いだった、と。

「助かりました、ありがとうございます」

 でもその男性と別れる時、きちんとお礼を言われて真澄は胸が熱くなる。そして思ったのだ、稜だけじゃなく、稜と同じような状況の人たちが、どんな世界で生きているのか知りたいと。そして、自分に何かできることはないだろうか、と。

「真澄には向いてないよ」

 駅でのできごとがあって初めての週末、真澄が福祉関係の勉強をしてみたいと話をしてみたら、稜から返ってきたのは冷然とした意見だった。
 確かに、厳しい世界だとは聞く。けれど、初めてきちんと興味を持ったものを、そんなにバッサリ切り捨てなくてもいいじゃないか、と真澄は肩を落とした。
 そんな真澄に気付いたのか、稜は作業の手を止める。

「ごめん、でも客観的な話だよ。真澄は優しすぎるから、まともに抱えてキャパオーバーになるのが目に見えてる」

 俺は視覚障がい者だけどな、と笑う稜。どうやら冗談を言ったらしい。真澄は苦笑した。

「でも、稜みたいな人と関わってみたいって思ったんだ」

 稜が大学を見学した以降、仕事中もタメ口でと彼にお願いされた。ケジメは大事だと思いつつ、あれ以来彼は本当に楽しそうに会話をしてくれるので、サービスの一環だと思ってタメ口にしている。
 真澄は夕飯の生姜焼きを作りながら、正直な気持ちを話した。思えば、こんな風に自分の気持ちを伝えるなんて、両親以外にしたことなかったなと気付く。そしてそういう話をすると、胸が温かくなるのだ。

「真澄」

 立ち上がった稜はカウンターまで来る。

「俺たちの生活を知って、そう思ってくれるのは嬉しい。けど、将来仕事としてではなく、できる時にできるだけ、助けてくれるだけで良いんだ」
「……そうなの?」

 そう、と稜はカウンターに肘をついた。

「だって真澄、【嫌だ】をまだ使いこなせてないじゃないか」
「う……」

 ぐうの音も出ない真澄は声を詰まらせる。けれど稜はやっぱり楽しそうだ。また少し距離が近付いた気がして、嬉しい。

「んー、良い匂い」

 カウンターからキッチンを覗いて、稜は嬉しそうに鼻をスンスンさせている。彼がポジティブなこともきちんと伝えてくれることに、真澄はかなり助けられていた。自分にも長所があるのだ、とわからせてくれるから。

「俺、完全に胃袋掴まれてるから」
「あはは、おだてても一品増えたりはしないからね」

 こんな冗談を言える関係って良いな、と真澄は笑う。稜と出逢ってから、自分になかった感情が次々と出てくるから、それがなんだか楽しくてくすぐったい。
 稜は笑いながら、「本気なのになぁ」とダイニングテーブルに戻っていく。彼が作業を再開したのを確認して、真澄も仕事を続ける。
 ――実際、真澄は本気で今後の進路について考えていた。今の大学は知り合いから逃れるために入ったから、やりたいことがあったわけじゃない。もちろん、奨学金で通っているのでそれなりの成績は収めているけれど、本当にそれで良いのかと思い始めたのだ。

(でも、稜が向かないっていうのも、わかる気がするし)

 もう少し、稜と関わってみたら答えは出るのだろうか? そう思いながら、真澄は千切りキャベツを添えた皿に、生姜焼きを盛り付ける。

「稜、できたよ」
「お、わかった片付ける」

 そう言った稜は、テーブルの上を片付け始めた。そういえば、真澄が稜の家で仕事をする時は、いつもここで作業をしているなと気付く。

「そういえば、初めは部屋で作業してたじゃない? その方が集中できるんじゃないの?」

 できた料理を運びながら、真澄は尋ねてみた。稜はパソコンや書類などをテーブルの端へ追いやり、膝に手を置いて待っている。何だか餌を待つ大型犬のようだ。

「ある程度雑音があった方が集中できるんだよ。それに人がいると安心する」

 意外な返答に「そうなんだ」と真澄は返す。自分は人がいると気にしてしまって落ち着かないから、集中したい時は静かな所へ行きたいと思うたちだ。なんにせよ、自分がいても稜の仕事が捗るなら良いか、と思う。
 食事をテーブルに置くと、真澄も席に着いた。すっかり馴染んでしまった二人での食事は、真澄の楽しみの一つになっている。

「今日は生姜焼きと千切りキャベツの添え、ほうれん草のおひたしに根菜の味噌汁です」
「うん、純和食って感じだな。いただきます」

 食べ盛りの男子としては物足りないかもと思って、主菜を多くしている。真澄も手を合わせると、先に食べ始めた稜は唸った。

「美味い……やっぱ真澄、この先モテるよ。俺が保証する」
「ええ? そうかなぁ……」

 そうだよ、という稜は生姜焼きを口いっぱいに頬張る。美味しそうに食べてくれるのは嬉しいけれど、それだけでモテるようにはならないだろう、と真澄は思った。

「初めて会った時より声が明るくなったし、段々真澄の、本当のよさが出てきてるのかなって」
「……だとしたら稜のおかげだよ」

 真澄は本心からそう思う。からかわれて嫌だった外見は、稜にはわかりにくいようだし、内藤に会わなくなったのも稜が彼と話してからだ。あれこれ知りたい、やってみたいと思い始めたのも稜がきっかけだし、感謝してもしきれない。
 すると稜は一瞬動きを止めたあと、嬉しそうに笑う。最近彼のこういう顔をよく見るな、と真澄も笑った。

「なぁ、本当に、今まで彼女とかいなかったの?」
「いないって。生きていくだけで精一杯で……」

 稜から見て、真澄が多少なりとも魅力的に見えるのなら、やはり自分は変化しつつあるのだと思う。そっか、まぁ、そうだよな、と腑に落ちないながらも納得したらしい稜は、少し身を乗り出して聞いてきた。

「じゃあ、好きなタイプは?」
「……えぇ?」

 どうやら、稜の興味は真澄の恋愛話に移ったようだ。そう言われても、人付き合い初心者の真澄は、語れるほどのエピソードを持っている訳でもなく。

「好きな子とかいなかったの? 過去に」
「……いないなぁ」

 この好奇心は、一体どこから来るのだろう、と思う。こんなコミュ障から恋愛話など、どうひっくり返しても出てこないのに。

「芸能人なら誰が良いとか、胸の大きな子が好きとか……そういう話はしなかった?」
「うーん……」

 真澄は苦笑する。一つ恋愛話っぽいエピソードを思い出したけれど、話したら多分、微妙な空気になりそうだ。

「多分、稜が求めてる話じゃないと思うけど……」
「お、あるの?」

 真澄は「うん」と言って話し出す。

「中学のころ、僕のことが好きだって噂の女の子がいたんだ。けど……」
「けど?」
「噂が広まるにつれ、その子はいじめの対象になってったんだよね。それに、その子が好きだったっていう男子から、僕も殴られて……」
「……うわぁ」

 やっぱり微妙な空気になった、と真澄は苦笑いした。目立つ容姿をしているからだ、と思ったし、実際に当時言われた言葉だった。
 真澄は意識的に笑顔を作り、稜に尋ねてみる。

「逆に稜はどうなの? いるでしょ、付き合った人とか」

 ハッキリものを言う稜だけれど、心は広いし強い。見た目も良いし、憧れる人はいそうだ。真澄には比べる対象はいないけれど、友達としても良い奴だと思う。
 すると稜は歯切れ悪く頷いた。

「……あー、まあ、……それなりには」
「やっぱり。僕より経験豊富じゃん」

 そんな人がなぜ真澄の恋愛話を聞きたがったのか謎だけれど、思った通りだ、と真澄は納得する。やはり稜みたいに、人に好かれそうな人は、恋愛経験が無いわけないのだ。

「俺の話はいいよ」
「なんで? 僕も知りたい、稜のこと」
「う……」

 真澄の言葉に、なぜか稜は言葉を詰まらせる。言いたくないなら無理に聞かないよ、と言うと、稜は箸を置いてなぜか両手を上げて降参ポーズだ。

「……初カノは中二。高等部在学中に二人、専門学校入ってからはいません」
「……そうなんだ」

 やっぱり自分なんかより経験豊富じゃないか、と真澄は思う。もう少し掘り下げてみよう、と質問を続けた。

「今は? 彼女欲しくないの?」
「欲しくないと言えば嘘になるけど……。現在進行形で片想いだし」

 そう言った稜は、大口で千切りキャベツを頬張る。真澄は彼が、片想いの状況に大人しく身を置いていることが意外に感じた。稜ならすぐに告白をしていそうだからだ。

「そっか。……稜ならきっと上手くいくよ」

 心からの応援の言葉を言うと、稜は照れたように笑う。そして「サンキュ」と言って彼は生姜焼きを頬張った。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」 魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。 彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

BL短編まとめ(現) ①

よしゆき
BL
BL短編まとめ。 冒頭にあらすじがあります。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

普通のβだった俺は

りん
BL
普通の大学生として過ごす白瀬凪が、αの先輩に絡まれる話 凪は普通の大学生だ。βで、容姿も中身も平均値ぐらいだと認識している。ある日、大学でもよく噂されている先輩に声をかけられる。先輩の独特の雰囲気と空気に、次第に巻き込まれていく凪。 書き殴り状態なので少しずつ修正するつもりですです…。

処理中です...