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第30話

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 家に帰る途中でコンビニに寄り、土日に引きこもるための食料とゴムを買う。友嗣がご飯くらい作るよ、と言ってくれたけれど、話もしたかったので「ゆっくりするんだろ」とやんわり断った。
 案の定友嗣は「シュンがそうしたいなら」と言う。その言葉に思うところがないわけではなかったが、まずは帰って落ち着くことだと思い、コンビニを出た。

 家に帰ると荷物を片付け、風呂に入った。そのまま流れで睦み合うのも良かったけれど、せっかく時間はあることだし、とソファーに並んで座る。

「友嗣」

 身体を寄せて、彼の肩に頭を乗せた。友嗣の手が頭を撫でて、それが頬を撫でて顎を掬われる。柔らかい唇が軽く触れ、少しの間口付けを繰り返す。

「せっかく将吾サンが機会をくれたから、話したい」
「……うん」

 もちろんしんどくなければ、だけど、と言うと、友嗣は抱きついてくる。捕まえてて、離さないでと言われているようで、駿太郎は友嗣の腰に腕を回した。そして先日と同じように、彼は駿太郎の首元に顔をうずめてくる。

「俺、気を抜くと電池が切れちゃうの」

 そのままの体勢で、友嗣はぽつりぽつりと話し始めた。
 電池が切れるという表現は、将吾も言っていた。どういう状態なのかと問えば、何もかもどうでもよくなって、動けなくなるのだそうだ。

「だから社会不適合な俺を、拾って面倒見てくれる将吾には感謝してる。特別」

 なるほど、と駿太郎は思う。やはり友嗣が将吾に養われているという表現は、正しいようだ。そして友嗣は友嗣で、社会人として生きていけるよう、頑張っているらしい。

「……前職はホストだって聞いた」
「うん」

 将吾の話を疑うわけではないが、やはり友嗣からも聞きたい。しかしそれきり友嗣は黙ってしまった。胸をそっと押して顔を覗くと、彼は眉を下げて笑っている。

「誰でも抱く奴だったって、聞いた?」
「まぁ……。でも、眠れなかったんだろ?」

 うん、と頷いた友嗣は、頬を撫でた駿太郎の手を取りキスをした。甘い仕草というよりは、不安を取り除きたいと縋っているように見えて、彼のその手を両手で包む。

「友嗣、俺じゃ頼りないかもだけど。俺は友嗣とずっといたい」
「……シュン……」

 目の前の綺麗な瞳が揺れた。ここを越えられなければ、友嗣との仲はそれまでになってしまう。何かを躊躇う友嗣に、駿太郎は軽くキスをした。

「ちゃんと、好きだよ友嗣。一緒に、これからも楽しいことしよう?」
「……っ」

 友嗣の顔が歪んだ。しかしそれはすぐに伏せられ、顔を見ることができなくなる。

「シュン、……俺は怖い」
「うん」
「シュンを失うのが怖い。置いていかないでほしい……っ」
「うん、一緒にいる。ずっといる」

 友嗣の手は震えていた。駿太郎を失くす――離れることに怯えるさまは、なぜか迷子になった子供を連想させる。
 誰もいなくて、寂しくて、どうしたらいいのかわからない。そんな不安で泣いている子供のようだ。

「シュン……シュン……!」

 震えた声を上げたかと思ったら、友嗣は再び飛びついてくる。傍目にもわかるほど身体が震えていて、駿太郎は背中を撫でて宥める。

「もう、大丈夫。大丈夫だ」
「ずっと、いっしょがいい……!」

 友嗣の口調が舌っ足らずになった。考えたくはなかったけれど、と駿太郎は遠くを眺める。
 彼が抱えているのは大きな心の傷だ。それは、触れた途端に彼をその時代に呼び戻し、何度も彼を傷付ける。

「大丈夫。……大丈夫だよ」
「シュン……!」
「見てみろ、俺はここにいるだろ?」

 背中を撫でながら、極力優しい声で言うと、友嗣は顔を見せてくれた。まだ不安そうな顔をしていたけれど、落ち着いたらしい、震える息を吐き出す。

「……ごめん」
「大丈夫」

 懐いた相手を失うことに対して、友嗣は極端なほど不安がる様子を見せる。それは今までにもあったことだ。これはもう、トラウマと言っていいものだろう。ではなぜ、ここまで友嗣は怖がるのか。彼の傷の根本はそこにある。駿太郎はそれを知りたいと思った。

「……無理なら今日は寝るか?」
「いや……」

 友嗣の様子から、無理に聞き出すのも躊躇われてそう言う。しかしどうやら友嗣には頑張る気力があるようだ。けれど、彼の指先は氷のように冷たくなっていて、震えも止まっていなかった。
 駿太郎はその手を温めるように握る。

「シュンが、年末実家に帰った時、置いていかれたって思っちゃった」
「あれは……事前に話しただろ?」
「うん、けど……」

 俺はそういうのが特に苦手なの、とまた抱きついてくる友嗣。スンスンと駿太郎の首の匂いを嗅ぎ、落ち着こうとしているのか、そこで深呼吸を始める。当たる吐息がくすぐったいけれど、駿太郎は我慢した。

「姉ちゃんと二人、帰ってくるのをずっと待ってた」

 ポツリと呟いた声は、弱々しくか細かった。姉ちゃん? と聞くのはやめる。彼の傷に触れた時、彼が子供っぽくなるのは、当時に意識が戻ってしまっているからだ。なので待っていたのは、おそらく駿太郎のことではなく……。

「それは怖かったな……」
「でも、姉ちゃんも妊娠して、いなくなっちゃった……」

 完全に一人になったと思った、と友嗣は言う。
 将吾が話していた、友嗣はまともな環境で育っていないという憶測は、当たっていたのだ。――当たって欲しくなかったけれど。
 将吾が駿太郎が優しいなら、友嗣にどうしたいか尋ねるはずだ、と教えたのも合点がいく。彼はそう説明されないと理解できないほど、身近な人からの優しさを、受け取った経験に乏しいのだ。

「どうしたらいいのかわからなくなった。そしたら、夜の仕事してるお姉さんに“家に来る?”って」

 そこで『人の家に泊まる方法』を覚えた友嗣は、追い出される度それを繰り返すようになったそうだ。

「夜に人肌があると安心するって覚えちゃった。でも、人肌がないとどうしたらいいのかわからなくなる……その繰り返し」
「そっか。……でも、それじゃダメなんだって気付いたんだろ?」

 うん、と友嗣は小さく返事をする。

「将吾はそれを根気よく教えてくれた。初めはウザかったけど……」

 駿太郎は笑った。将吾は甲斐性もあるが義理堅いところもある。ただ、それも一定のラインまで、という彼の基準もあって、本当にバランスが取れた人だなと思う。
 駿太郎も将吾に感謝した。彼が友嗣を見捨てなかったおかげで、駿太郎は友嗣に出逢えたのだから。
 友嗣が育った家庭環境が、悪かったのは彼の細かな言動で察することができる。どうしたらいいのかわからない――どうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまうほど、彼はあらゆる執着を捨てざるを得なかったのだろう。たとえそれが、生きるうえで大切な食事だったとしても。それが「電池が切れる」という行動で現れてしまっていたのだ。
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