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110. 決戦、天空のコロッセオ

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 (…もう直ぐ戦いが始まる)

 時刻は間もなく十二時になろうとしている。 両軍が接触する時間が迫ろうとしている中、ここでも負傷兵を受け入れる準備の最終段階が終わろうとしているのだが、皆緊張した面持ちで備品のチェックを行っている。

 「大丈夫ですか?」

 「アシャ? うん、何とか今の所は…」

 「ここの他にも野戦病院が数か所設けられてはいますが、直ぐにパンクして負傷者が運ばれてきます」

 「うん…」

 「そうなれば、今度はここが戦場になります…脅す訳ではありませんが、今のうちに覚悟しておいた方が宜しいかと…」

 「うん分かった」

 力強く頷きはするのだが、如何せんこのような経験は初めてだ。 短い期間ながらも自らが習得出来る範囲内での医療行為は、繰り返し練習してきたのだからその通りにやればよい。 
 最も大したことが出来る訳では無い…裂傷の程度が浅い場合の消毒、打撲骨折の際の患部の仮固定等比較的簡単な範囲での治療がメインとなる。 それくらいなら何とかなりそうだとして、出来ればやりたくない事があるのだが…。

 「トリアージについての説明は大丈夫ですか?」

 「…もう一度復習しておこうかな?」

 「分かりました、説明します」

 アシャの話を聞きながらもトリアージについての思考を巡らせる…かつてあちらでも見た事があるのだが、これは言ってしまえば命の選別なのだ。 自らの選択がその人の生死に関わってくるのだから、出来れば避けたいと思いそのような事にならないよう祈る。



 「伝令! 午後十二時現在、正王国、真王国両軍共に交戦開始!」

 その言葉に緊張が走るのだが、ついに戦争が始まった…こうなれば死傷者が発生するのは避けられず、予想の通りとなってしまうのだが、皆の安否と共にどうしても気になる事が一つだけある。 それは今朝の事だ…。

 
 気分を落ち着かせる為に朝食を済ませ中庭の散歩を行っていると、何処からともなく話声が聞こえて来たので、気になって声の方に向かった。 すると世良さんに求婚を迫った男性が仲間と話をしていたのだが、何となく様子がおかしいというかこそこそしている感じで、かろうじて聞き取れた言葉が「後は手筈の通りに」というセリフだったのだ。
 皆の顔を見回すその表情はかなり神妙な面持ちなのだが、如何にも何か企んでいるといった体であり、やがて私が立ち聞きしている事に気付くと、話をしていた仲間四人は直ぐにその場を立ち去り男性のみがその場に留まって、私に話しかけて来る。

 「おはようお嬢ちゃん、何か御用かな?」

 「おはようございます、特に用事という訳ではないんですけど…ちょっと姿を見かけたものですから」
 
 「俺の事を知っているような感じだが…何処かで会ったかな?」

 「世良さんの連れです、そう言えば分かりますか?」

 「ああ」

 先ほどの神妙な面持ちから温和な表情に戻ると、気さくな感じで話しかけてくる。

 「醜態を晒した俺を笑いに来たのかな?」

 自虐的なネタを笑いながら話しかけてくるのだが、これが彼の素なのだろうか…。

 「違いますよ、その…世良さんと本気で結婚するのか確認したくて」

 「うん? んー…どちらかと言うと、彼女の方が積極的なんだが…」
 
 「えっ!?」

 「いやあ、ダメ元で言ってみるもんだよなぁ」

 後頭部をかきながら照れ笑いしているのだが、何とも気の抜けた表情だ。 いずれにしても、もう少し立ち入った話がしたいのだが…。

 「あの、世良さんの何処が好きなんですか?」

 「え? そりゃ…」

 よくよく考え無くても告白してきた時に理由を聞いたような感じがするのだが、その時と同じく世良さんの強く、美しい所に惹かれたのだと言う。 しかも、それだけでは無い…。

 「彼女にはベットの上でもいいようにやられてしまったからな…このままってわけにはいかんのよ」

 「ベットの上で…やられた…」

 コホンと咳払いをすると彼は話を続ける。 あの時の対戦は自身が挑発した事から始まったのだが、手合わせするよう促す世良さんに対して最初は乗り気では無かったという。 しかし、とある条件を突きつけられて否応なく戦う事になったというのだ。

 「勝ったら自分の体を好きにして良いと…そう言われて引き下がる訳にはいかなくなったんだ」

 更に「経験の無い坊やだったら無理か」と言われたのだから、世良さんの煽りも大したものだと言うより他はない。 だがそうして始まった戦いも散々な結果に終わり、彼はぼろ負けして医務室へと運ばれて行った。 そして…。

 「気が付くと彼女の顔が見えた、覗き込んでいたんだ」

 「……」

 「賭けに勝った、だから私があなたの体を好きにする、と言ってね」

 「世良さんは賭けていないような…」

 「いやぁ、本当に凄かった。 初めての経験だったよ、当たり前だけど」

 「はあ」

 もうこの話はもう止めておこう。 それにしても世良さんは一体何を考えているのか…あちらの家族とか諸々の問題があるし、それにアスレア王の事も吹っ切れたのだろうか。 それらをこの人は何処まで知っているのだろう?

 「彼女にも色々あるとは思う、何せ過去の人物だし」

 「そうだ! それについては皆さんどう思っているんですか?」

 「どうと言うか不思議な事もあるもんだ、くらいにしか」

 「ええ~」

 こちらの人はかなりドライというか冷静だと感じてしまうのだが、あちらだったらどういう騒ぎになるか…世界中で大ニュースになるのは間違い無いと思うのだが、この意識の差は一体何処から来るのだろう。 
 


 「羽音様?」

 「あっ、ゴメンねちょっと集中しきれなくて…」

 「余り思いつめないで下さいね」

 「うん」

 世良さんとの話に掛かりきりになってなってしまい、何を話していたのかは分からずじまいで終わってしまった。 最も聞いた所でまともに答えはしないだろうが、それにしても彼らの言っていた手筈とは何だろう?
 何か良からぬ事を企んでいるようにしか思えないのだが…。

 
 
 
 ーー現在時刻午前十一時四十分、両軍との接触まで約二十分ーー


 『フーム、しかしのんびり飛ぶのはしんどいな』

 「我慢して頂戴、これほどの大軍を率いているのだから」

 『そうだなぁ、でもこの後アレをやるんだろ?』

 「ええ、久々にね」

 『ゆっくり飛んだあとにアレか…ま、仕方が無い』

 「そう、そしてその前に…」

 『おっ、丘が見えてきたぞ』

 広大な草原にひと際大きな丘が見える。 あの丘の向こうに真王国軍が待機しており、登った後に下れば戦争は開始となるのだがその前に、やらねばならぬ事がある為丘へキアと共に降り立つ。


 「…ヨシ! 進軍停止!!」

 「え!? 将軍、何故ですか?」

 「今から世良殿の演説が始まる」

 「そうなのですか? 私たちは聞いておりませんでしたが…」

 「敢えて伝えておらぬのだ、伝達兵であるお主が知らぬのは当然の事…とにかく進軍の停止を通達せよ」

 「はっ、了解しました」

  
 「伝令! 全軍停止!! 繰り返す進軍を停止せよ!!」

 「なんだ? 隊長、ここで止まると聞いていますか?」

 「いや、聞いていない。 何事だ?」

 「これは…」

 「理音様、何か聞いていますか?」

 「いえ…でもそう言えば、世良がはっぱをかけると言っていたわね」

 「はっぱ? 一体何を…」

 意図は測りかねるが、今は命令の通りに進軍を停止する事が優先だ。 竜より降りて手綱を握り丘の上の少女に目をやると、戦鳥から降りて二名が並び立つ。 そしてーー

 
 「諸君! ここで進軍を止めたのにはある理由がある、どうしても伝えた置きたい事があるからだ!」

 戦いの神と呼ばれる少女がどうしても伝えておきたい事があるという。 兵たちは皆が一体何の話なのかと疑問符が頭に浮かんだ状態だが、演説は続いて行く。 

 「かつて百年前のこの場所で、アスレア王は帝国軍との戦いに必ず勝利すると誓いを立てた!」

 「私は王の誓いを、その傍らで聞いた…正に今立っているこの場所でだ!!」

 その言葉に兵士たちはざわついて行く。 そして、徐々にその言葉の意味が伝わって行くのだが…。

 「そんな事があったのか…」

 王の誓いのエピドートを知らぬ兵は呟く。

 「とすると…今俺たちが立っているこの場所とは?」

 「ああ、恐らくはここに立っていたんだろうな」

 既に察してしまった者もいるようだ。

 「今諸君らが立っている場所には奇しくも百年前、同じように精強な反乱軍の兵士が立っていた!」

 「あの時と同じ…いや、あの時以上に精強な者たちが目の前にいる事に私は感嘆を禁じ得ない!」

 あの時よりも精強な者たち、この言葉に兵士たちは色めきたつ。

 「さあ、行こう! 真王国軍の戦鳥は私が抑える! 臆する者など何も無い! 勝利は我々の物だ!!」

 演説の終了と共に、大地を割らんとするほどの兵たちの声が響き渡る。

 「正王国万歳!」

 「戦いの神よ、我らに力を!」

 「この戦い、必ず俺たちが勝つぞ!!」

 「勝利は我らの物だ!」

 兵たちは足を踏み鳴らし、各々持つ武器や盾を地面に打ち鳴らして軍を、自らを鼓舞して行く。

 
 『上手くいったな、上々だ』

 「さあ、行くわよ。 先んじて例の二人と接触するわ。 キアも良いわね?」

 「ええ…」



 『中々の演説だったね』

 「私ではあそこまで出来ませんね…」

 『まあ、仕方ないさ…』

 戦いの直前に兵士たちを鼓舞して士気を高める…これまで自らが行った事もあったが、ここまで奮い立たせる事は出来なかった。 それを彼女はいとも簡単にやり遂げた、かつて戦いの神と称されたその名はやはり伊達では無い。
 そして、それを目の当たりにして自らの感情に生まれるのは彼女に対する妬みや僻み、所謂嫉妬というものだ…。
 
 だが、今はその感情にかまけている場合では無い。 我々は真王国の二翼と対峙せねばならないのだが、あくまでも彼女は一人でやるからそれを見届けるように言う。 見ているだけなら、厄災の相手をした方が良いだろうが、どうしても戦い方を見せたいようだ。

 『まあ、お手並み拝見といこう』

 「そうですね」



 『さーて、そろそろかな?』

 「ええ、ノーマが先行しているわね」

 『あの短気そうなお嬢ちゃんか…あれなら、こちらの誘いに乗ってくれそうだな』

 「ヒナに諭されると厄介かもよ」

 『人の忠告を素直に聞くたまかね?』

 戦いの前はいつもこのようなやりとりになってしまうと、ふと思ったその時かすかな大気の震えを感じ取る。

 『うおっ!』

 「くっ」

 正面から放たれた青い雷撃…何とか避けられたが、まさかまとっていなくても攻撃出来るとは思ってもみなかった。 敵も中々侮れないものだ。

 「まだ少し距離があるわね、スピードを上げましょう」

 『応!』


 
 「避けたか」

 『中々やるな』

 これくらでやられて貰っても困るが、かと言って無駄撃ちも出来ない。 このままもう少し接近してからまとって、攻撃を加えればと考えていたその時ーー

 「うおっ!」

 『速い!』

 あっという間に距離を詰められ、その頭上ギリギリを通過して行くのだが、何するわけでも無く通り過ぎてしまった。 チャンスでもあったのだろうが、何故攻撃しなかったのか…若しくは速すぎてタイミングを逃してしまったのか。

 「ん? あれは何を」

 『…ゆっくりと螺旋を描いて上昇している。 誘っているようだな』

 「面白い」


 『おっ、どうやら乗ってくれそうだぞ』

 「ならば行きましょう。 私たちの戦場、天空のコロッセオへ…」
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