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俺はボール、天井のボール

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 俺はボール。
 名前はまだない。
 褐色の皮に刻まれた『Basket Ball』のロゴが活かしてる、ただのボールだ。ボールに生まれたからには、大事に使われたい。
 そう願う俺が連れてこられた場所は、とある中学校だった。
 田舎の中学校。
 全校生徒は600人位。
 そんなに新しくない体育館なのだろう。所々錆びている部分だったり、壁が削れていたりした。

 何故ボールの俺が全校生徒の人数を把握していたり、体育館の状態を詳細に語れるのかと言えば、答えは簡単だ。
 俺はやってきたその日に天井に挟まれたからだ。
 天井の丁度中心。
 体育館で一番高い場所。
 そこからは、全校集会で集まった生徒達は良く見える。
 普段手入れされることのない天井も良く見える。

「でも、俺はボールなんだ。使って欲しいんだけどな」

 何度そう思ったのか。
 放課後になるたびに他のボールたちを羨ましそうに眺める。
 放課後は部活動が始まる。
 この中学校ではバレー部はなく、バスケ部だけのようだ。だから、二面しかないコートでも男子と女子がそれぞれ一面を使って練習していた。
 ボールが床に弾む独特の音。
 本当は俺もその音を響かせ、走り周る子供たちの手と汗の匂いを存分に革《はだ》で感じられたことだろう。

「なのに……」

 俺は天井から1人の男子生徒を睨んだ。
 バスケ部にしては少し小柄な体躯。
 それでも、他の生徒達に負けじと走り回る男子生徒の名前を俺は直ぐに覚えた。
 彼の名前はシュウタ。
 俺を天井に挟んだ憎き男の名前だった。

 それは俺がこの中学校にやってきたその日のことだった。
 新しいボールに男子バスケ部のテンションは上がり、皆が新しいボールを使いたがった。が、当然、そういう場合は一番先輩である三年生。尚且つエースの生徒が使うのが基本らしい。
 俺は一番上手い生徒に使われることに満足していた。
 これから始まる最高のボール人生に、胸も身体も弾んでいた。
 が、最高の感覚は数時間で終わった。
 部活動が終わり、一年生が片づけをしている時だった。先輩たちが帰宅し、残された一年生たちが片づけをするのが、この学校のしきたりらしい。
 練習中、触れることが出来なかった俺を手に取り、「すげー、弾む!」「感触がちげぇ」と一年生たちは喜んでいた。
 そんな時だった。
 シュウタが「これなら、体育館の端から端まで飛ばせるぜ?」と俺を両手で掴んだのだった。

 おいおい。
 まだ、君は一年生。
 いくら、新品な俺でも君の期待には答えられないよ。
 悪いな。

 一年生の中でも小柄。
 筋肉が付いているようには見えないシュウタだったが、彼はおもむろに掴んでいた俺を離すと、力一杯蹴り上げたのだ。

 バ、バスケットボールを蹴るとは何事だ!!
 俺がそう思った次の瞬間には、

「あ」
「あ」

 と、俺とシュウタの声は重なった。
 そう。
 天井に挟まったのだ。
 この学校の体育館の天井は強度を保つためなのか格子状に鉄骨が張り巡らされている。丁度、その網目に俺は突き刺さったのだ。

 真新しい俺を天井に挟んだことをヤバイと思ったのか、一年生が総出でボールを投げて俺を落とそうとする。
 だが、彼らの腕力ではボールを届かせることが出来ないのか、仲間のボールたちが俺に届くことなく落ちていく。
 10分ほど彼らは努力したが、直ぐに無駄だと思ったのだろう。
 投げる手を止めてしまった。

 翌日。
 シュウタは先輩と教師に怒られ、部活動の時間をずっと泣いて過ごしていた。言い方は悪いが挟まった俺からすれば、泣かすだけじゃ物足りない。
 同じく天井に挟まれと思ったが、流石にそこまでする教師も先輩もいなかった。
 こうして、俺の天井ボール人生が始まった。
 その生活は想像を絶するほど暇だった。
 一番、暇なのは夜だ。
 真っ暗になった体育館。
 天井で1人。仲間たちのボールはボールカゴに仕舞われ、体育倉庫の中で他の道具たちと楽しく話をしているだろうに、俺は1人でずっと挟まってるのだから。



 暇な時間に悶え苦しむこと一か月。
 この学校では二か月に一度、全校集会が開かれるようで、天井に挟まって初めて全校生徒達を見ることとなった。
 今日の内容は柔道部が県大会に行けることになったとの発表会だった。
 因みにバスケ部は地区の決勝戦で敗退。
 そこから三年生は来なくなっていた。
 柔道部の壮行会を終え、続いては校長の話。生徒達の空気が一斉に重くなる。これだけ、空気が変わると話しにくいだろうな……。
 そう思ったが、校長はめげることなく話を始めた。
 5分が経過したころには全生徒が下を向いていた。よく、この中で話を続けられるな……。
 うん?
 下を向いていた生徒の1人が顔を上げて天井を見上げる。
 シュウタだ。
 前にいる生徒を突っついて俺を指差す。
 そして、何やら小声で話す。
 なるほど。
 バスケ部意外の友人に、俺《ボール》がここに挟まっているのは自分がやったのだと自慢しているのだろう。
 この悪ガキが。
 俺は天井を見上げているシュウタを睨むが、担任に注意され、すぐに下を向いてしまった。





 初めての全校集会から一年が経過した。
 この体育館で卒業式や入学会。
 様々な行事が行われた。
 学校に通う三分の一の人間が入れ替わったことになるが、俺は相も変わらず挟まったまま。俺《ボール》は何も変わらない。

 だが、そんな俺でも面白いと思える行事があった。
 それは何だと思う?
 球技大会? 他のボールが使われてる所を見ると胸が痛んだね。
 正解は――シュウタの告白だ。
 あいつは有ろうことか、女子バスケ部の先輩に恋をした。そして、勇気を出して部活終わりに体育館に残って貰い、「このフリースローが入ったら付き合ってください」とロマンチックに告白しようとしたんだ。
 だが、恋した相手はその結果を待つことなく「彼氏いるから」とシュウタを振った。
 ロマンチックに告白をしようとしていただけに、とても恥ずかしい振られ方だった。だって、シュートを打たせても貰えないんだもん。
 俺は思い切り笑ってやった。
 そんな俺の笑い声が聞こえた訳じゃないだろうが、やけになったシュウタは天井に向けてボールを投げまくった。
 だが、それらは俺に当たることなく落ちて――シュウタの顔にぶつかった。
 あまりにも可哀そうで流石の俺も笑えなかった。





 シュウタは天井を見上げていた。
 今日のシュウタはいつもの制服なんだけど、左胸のポケットには小さな花が付けられていた。確か去年の卒業式で三年生が付けていたモノだ。
 ということは、そうか。
 シュウタも卒業か。
 俺を天井に挟んだシュウタが卒業か。
 そう考えると――少し寂しいな。
 背が小さくてもシュウタは努力した。
 ドリブルとシュートを誰よりも早くきて練習し、誰よりも遅くまで残ってボールに触れた。その成果があったのか、シュウタはレギュラーとして試合に出ていたようだ。
 けど、元々、バスケが強くない中学。
 県大会に行くことなく中学バスケを終えた。
 きっと、俺を見上げながらそんなことを振り返っているんだろうな。
 少しだけ、本当に少しだけ――シュウタに触って貰えなかったことが残念だった。
 一緒に練習したかったな。


◇ 


 髪の色を染めた青年が体育館にやってきた。
 最初は誰か分からなかったが、よく見るとシュウタだった。どうやら、高校生になり、夏休みに髪を染めたらしい。
 そのことを誰かに見せびらかしたかったのか、後輩の元にやってきたようだ。
 偉そうに会ったこともない一年生に先輩風を吹かせている。
 あ、なんか、俺を指差してやがる。
 さては、「あのボール、新品の時に俺が挟んじゃったんだ」とか自慢してんな? だから、そんなの武勇伝に語るんじゃないよ。
 言っとくけど、その髪の色、全然似合ってないからな?
 俺と同じ色じゃんか。
 けど、久しぶりにその顔を見て、俺はどこか嬉しくもあった。





 果たして、俺が天井に挟まってから何十年経過しただろうか?
 使われてもいない俺の革《からだ》は、劣化し誇りにまみれていた。良く跳ねることが自慢だった身体も、徐々に空気が抜け、今では僅かな揺れでも天井から落ちてしまいそうだ。
 天井から抜け出せる感覚を待ち望んでいたのに、今となっては怖かった。
 ここから、落下したら俺は破裂して死んでしまうのではないか。
 落ちた先に生徒が居たら怪我をさせてしまうのではないか。そんな心配までするようになっていた。
 そりゃ、何十年もこの学校の生徒を見てたら、誰だってそう思うよな。
 今では俺よりも長く務めている教師は誰もいないくらいだ。
 今日もまた、新しくやってくる教師のために全校集会が開かれていた。どれだけ校長が変わろうとも話が長いのは同じだ。
 校長は話を長くしなければいけないと言う決まりでもあるのだろうか?
 俺は時代が流れても変わらぬ生徒達の対応と同じく、ひたすら下を見ていた。すると――「ずるり」。
 俺の身体が鉄格子から滑る感覚があった。
 身体の真ん中を挟んでいた鉄格子が、僅かに上に移動していた。

「おいおい、嘘だろ? ここでかよ……」

 下には生徒が。
 今、落ちたら怪我をさせてしまうかもしれない。けど、誰も俺を見ていない。
 自力で身体を膨らませようとするが、ただのボールには何もできない。
 しかも、誇りで滑りやすくなっている。
 一度、ずれた身体を支えるのは難しい。

「だ、誰か――気付いてくれ!」

 悲痛なボールの叫びになど誰の耳にも届かない。
 俺は成すすべなく天井から外れ、真っ直ぐ落ちていく。
 ああ、くそ。
 せめて、誰もいないところで落ちたかった。

 俺は誰にもぶつからないことを祈り落ちていく。
 落下の勢いで斬る空気が冷たい。
 待ち望んだはずの地面が怖かった。
 だが、俺が地面に当たるよりも先に、「危ない!」と、誰かが俺の身体を支えた。大きな手の平。
 何十年ぶりかの人の手のぬくもりだった。

「はは、まさか、僕を歓迎してくれているのかな?」

 俺を拾った男は嬉しそうに笑った。
 そして、俺を持ったまま体育館の前方にあるステージに登りマイクの前に立った。

「えー、このボールは俺がここにいた時に挟んだボールでした。こうやって、何十年立った後に、落ちてくるかもしれない。だから、皆は未来を考えて行動するように!」

 男はそう言って軽く俺の頭を撫でた。
 まさか、この教師は――シュウタなのか?
 中学生の時よりも手の平の大きさが全然違う。俺の空気が殆んど抜けていることもあるのだろうが、片手て掴めるほど成長していた。
 こんなことってあるのか。
 俺に目が有ったら泣いているところだ。

「悪かったね。あの時、天井に挟んじゃってさ」

 ステージから降りたシュウタは、謝りながら俺の身体を拭いた。
 ……。
 俺を天井に挟んだ男なのに、今では再会が嬉しかった。
 ボールは誰かに使わなければいけない。
 そう思っていたけど――俺は天井に挟まっていたボール生も悪くないと思えた。生まれたかららには、何かをしなければいけない。
 存在意義がなければいけない。
 そんな風に考えていたけど――違うな。
 存在意義なんて生きてみなければ分からない。
 ただのバスケットボールがそう感じているんだ。
 人間なら余計そうだと俺は信じてる。
 だって、何十年も子供たちを見てきたんだからさ。
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