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7 いつまでそこに
第38話
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「わ、私は……紅緒ちゃんのこと、呪いたくない……」
紅緒は耳をそばだてるようにした。
三本足のリリちゃん人形にまつわる呪いは、不憫なことに彼女の意図するものではないのだ。
――意図せずとも、起きてしまう。
「紅緒ちゃん……私のこと不気味がらなかったもの」
不気味に思う理由がない。
「こちらのお人形さん、リリちゃん人形ですよね。呪いがどうのって話されてますけど、都市伝説のお人形さんです?」
口を挟んできた新人氏の声は明るい。
「知ってるんですか、武藤さんは。そういう話にお詳しい?」
「詳しいというか、マチマチャンネル見てるユーザーだと知ってるんじゃないかな、有名ですよ」
マチマチャンネル――きさらぎ駅探訪ツアーを取材に来ていた一団だ。
あれ以降紅緒は、ネットでくだんの話題を調べることもなかった。
ネットに流れる中川たちに関する暴言を見たくなかったし、あちら側に行ってしまった男性が戻って来たという話もないからだ。
「本物でいらっしゃる? 握手してもいいです? リリちゃん人形自体、さわるのってはじめてなんです」
「アラ、こいつと遊ぶ?」
白猫の牙が新人氏の肩口に食いこみ、まわされた前脚の爪が腹部を包みこむ。新人氏は気にした様子がなかった。
「ご挨拶するだけだよ。僕、猫ちゃんみたいなことって、あの犬とこちらのお人形以外遭ったことなくて」
独り言のような彼の言葉に、紅緒は唸る。
怪異に遭わずに済むならそれに越したことはないし、三件も遭ったなら十分過ぎるだろう。
「武藤さん、如月さんは」
「如月さん? 昨日猫ちゃんにお菓子を差し入れてくれましたよ」
とくに如月に対して思うところはないのか。
闇を頭から滴らせているのだ、もし新人氏にもそれが見えているなら、まず如月のことも怪異にカウントするだろう。
ましてや、紅緒が燃えているのも見えていなさそうだ。
「はじめましてリリちゃん、武藤といいます」
「あなた、その猫と友達なの?」
そっと新人氏が自分の手に乗せると、リリちゃん人形はそんな質問をした。
「はい、親しくさせていただいています」
「あなたも紅緒ちゃんとおなじで、私のこと怖がらないのね」
「もしかして怖がらないのは、失礼に当たったりは……」
「気にしないでちょうだい」
新人氏の態度が丁寧だからか、リリちゃん人形はどこか尊大な返事をしていた。
白猫が新人氏の肩からリリちゃん人形をのぞきこみ、瞳孔の真円がブルブルとふるえている。
「前にいたやつ、どこにいったの?」
如月と人面犬、双方が思い浮かんだ。
「私のこと捕まえたやつ」
「おもしろいやつ!」
白猫が首をのばし、欠伸をした。
「あいつはおもしろい。よく動く」
「人面犬の方ですよね、リリちゃんが言ってるのは」
紅緒は新人氏からリリちゃん人形を引き取る。
彼女用の水饅頭は、紙皿の上でぐずりと溶けていくところだった。
「顔が人間で身体は犬の、ですよね?」
「あ、あんなの犬じゃない!」
リリちゃん人形の否定の叫びに、紅緒は人面犬が憐れになった。
しかし確かにあれを犬とするなら、この世の犬はすべて犬ではなくなりそうだ。
あれが犬でないなら、この人形はどうだろう。
白猫は。
誰も彼も、確かだと断言していいものか。
「リリちゃんはどこであのワンちゃんに捕まったんですか?」
出会ったのか、捕まったのか。
「私、普段はふわふわしたところで、ふわふわしてるの」
「ふわふわ」
お人形が口にする「ふわふわ」だ。
綿アメでできた空間を想像するべきかもしれないが、紅緒は身体が弛緩する暗い空間を想像した。
「リラックスできそうですね」
「できるよ! ふわふわしてて、でもときどきこっちに来られるから、ちょっと遊びに来てたの」
彼女の声が沈み、白猫が退屈そうに作業台にあごをもたせかける。
「いつもそのときに、不気味っていわれたりして……今回は変な犬モドキに捕まっちゃうし。でも紅緒ちゃんに会えてよかった」
一緒にいたのはわずかな時間といっていい。
すでにリリちゃん人形は、紅緒と過ごす時間に終わりを見ているようだった。
ふわふわしていたというその場所が、おそらくリリちゃん人形の暮らしていた場所だろう。
「リリちゃんがいた、そのふわふわという場所はどこにあるんですか? わかりますか?」
沈黙があった。
説明に困っているのかもしれない、と思うほどの長い沈黙の果てに、リリちゃん人形がみしりとかすかな音を立て、紅緒を見上げた。
「わかんないけど……紅緒ちゃんといた男のひと、見かけたことあるよ」
「如月さんですか」
怪異であるリリちゃん人形がいた、ふわふわした場所。
それだけでは紅緒にはなにがなにやらわからない。
だが如月なら知っているかもしれない。
どうするか。
取り出したスマホを紅緒は見つめる――こればかりは仕方がない。
「ちょっと電話かけてきます。リリちゃん、ここで待っててください」
「そうだ、海苔巻きがあるんだけど食べます? あと苺もあります……ちょっと苺洗ってきますね」
新人氏が苺のパックをどこからともなく取り出した。
紅緒は彼と廊下に出る。総務部では見せなかったような笑顔で、新人氏は苺のパックを紅緒に示した。
「最近出回りはじめた新種なんです、甘いって評判で。三嶋さんの分も取っておきますね」
「ありがとうございます」
ニュースになっていた苺だ。
贈答品としてつくられた高級苺で、一パックあたりではなく一粒あたりの値段が報道されていた。
「いただきます、ぜひ」
新人氏と反対方向の廊下を進み、紅緒はエレベーターホールで足を止める。
つい先日知ったばかりの番号が液晶画面に表示された。
――如月瑞穗。
まさかこちらから電話をかけることになるとは。
紅緒はため息を噛み、受信ボタンを押した。
紅緒は耳をそばだてるようにした。
三本足のリリちゃん人形にまつわる呪いは、不憫なことに彼女の意図するものではないのだ。
――意図せずとも、起きてしまう。
「紅緒ちゃん……私のこと不気味がらなかったもの」
不気味に思う理由がない。
「こちらのお人形さん、リリちゃん人形ですよね。呪いがどうのって話されてますけど、都市伝説のお人形さんです?」
口を挟んできた新人氏の声は明るい。
「知ってるんですか、武藤さんは。そういう話にお詳しい?」
「詳しいというか、マチマチャンネル見てるユーザーだと知ってるんじゃないかな、有名ですよ」
マチマチャンネル――きさらぎ駅探訪ツアーを取材に来ていた一団だ。
あれ以降紅緒は、ネットでくだんの話題を調べることもなかった。
ネットに流れる中川たちに関する暴言を見たくなかったし、あちら側に行ってしまった男性が戻って来たという話もないからだ。
「本物でいらっしゃる? 握手してもいいです? リリちゃん人形自体、さわるのってはじめてなんです」
「アラ、こいつと遊ぶ?」
白猫の牙が新人氏の肩口に食いこみ、まわされた前脚の爪が腹部を包みこむ。新人氏は気にした様子がなかった。
「ご挨拶するだけだよ。僕、猫ちゃんみたいなことって、あの犬とこちらのお人形以外遭ったことなくて」
独り言のような彼の言葉に、紅緒は唸る。
怪異に遭わずに済むならそれに越したことはないし、三件も遭ったなら十分過ぎるだろう。
「武藤さん、如月さんは」
「如月さん? 昨日猫ちゃんにお菓子を差し入れてくれましたよ」
とくに如月に対して思うところはないのか。
闇を頭から滴らせているのだ、もし新人氏にもそれが見えているなら、まず如月のことも怪異にカウントするだろう。
ましてや、紅緒が燃えているのも見えていなさそうだ。
「はじめましてリリちゃん、武藤といいます」
「あなた、その猫と友達なの?」
そっと新人氏が自分の手に乗せると、リリちゃん人形はそんな質問をした。
「はい、親しくさせていただいています」
「あなたも紅緒ちゃんとおなじで、私のこと怖がらないのね」
「もしかして怖がらないのは、失礼に当たったりは……」
「気にしないでちょうだい」
新人氏の態度が丁寧だからか、リリちゃん人形はどこか尊大な返事をしていた。
白猫が新人氏の肩からリリちゃん人形をのぞきこみ、瞳孔の真円がブルブルとふるえている。
「前にいたやつ、どこにいったの?」
如月と人面犬、双方が思い浮かんだ。
「私のこと捕まえたやつ」
「おもしろいやつ!」
白猫が首をのばし、欠伸をした。
「あいつはおもしろい。よく動く」
「人面犬の方ですよね、リリちゃんが言ってるのは」
紅緒は新人氏からリリちゃん人形を引き取る。
彼女用の水饅頭は、紙皿の上でぐずりと溶けていくところだった。
「顔が人間で身体は犬の、ですよね?」
「あ、あんなの犬じゃない!」
リリちゃん人形の否定の叫びに、紅緒は人面犬が憐れになった。
しかし確かにあれを犬とするなら、この世の犬はすべて犬ではなくなりそうだ。
あれが犬でないなら、この人形はどうだろう。
白猫は。
誰も彼も、確かだと断言していいものか。
「リリちゃんはどこであのワンちゃんに捕まったんですか?」
出会ったのか、捕まったのか。
「私、普段はふわふわしたところで、ふわふわしてるの」
「ふわふわ」
お人形が口にする「ふわふわ」だ。
綿アメでできた空間を想像するべきかもしれないが、紅緒は身体が弛緩する暗い空間を想像した。
「リラックスできそうですね」
「できるよ! ふわふわしてて、でもときどきこっちに来られるから、ちょっと遊びに来てたの」
彼女の声が沈み、白猫が退屈そうに作業台にあごをもたせかける。
「いつもそのときに、不気味っていわれたりして……今回は変な犬モドキに捕まっちゃうし。でも紅緒ちゃんに会えてよかった」
一緒にいたのはわずかな時間といっていい。
すでにリリちゃん人形は、紅緒と過ごす時間に終わりを見ているようだった。
ふわふわしていたというその場所が、おそらくリリちゃん人形の暮らしていた場所だろう。
「リリちゃんがいた、そのふわふわという場所はどこにあるんですか? わかりますか?」
沈黙があった。
説明に困っているのかもしれない、と思うほどの長い沈黙の果てに、リリちゃん人形がみしりとかすかな音を立て、紅緒を見上げた。
「わかんないけど……紅緒ちゃんといた男のひと、見かけたことあるよ」
「如月さんですか」
怪異であるリリちゃん人形がいた、ふわふわした場所。
それだけでは紅緒にはなにがなにやらわからない。
だが如月なら知っているかもしれない。
どうするか。
取り出したスマホを紅緒は見つめる――こればかりは仕方がない。
「ちょっと電話かけてきます。リリちゃん、ここで待っててください」
「そうだ、海苔巻きがあるんだけど食べます? あと苺もあります……ちょっと苺洗ってきますね」
新人氏が苺のパックをどこからともなく取り出した。
紅緒は彼と廊下に出る。総務部では見せなかったような笑顔で、新人氏は苺のパックを紅緒に示した。
「最近出回りはじめた新種なんです、甘いって評判で。三嶋さんの分も取っておきますね」
「ありがとうございます」
ニュースになっていた苺だ。
贈答品としてつくられた高級苺で、一パックあたりではなく一粒あたりの値段が報道されていた。
「いただきます、ぜひ」
新人氏と反対方向の廊下を進み、紅緒はエレベーターホールで足を止める。
つい先日知ったばかりの番号が液晶画面に表示された。
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