刃に縋りて弾丸を喰む

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Episode〈2〉氷人 ⑴

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 ───ひどく、幸せな夢を見ていた気がする。
 意中の相手が、風馬が。私にキスをして、優しく身体に触れる。
 身も心も、ふわふわと夢心地で、気持ちがよくって。ああ、この時間が永遠に続いてくれればいいのにと思いながら、私は風馬の首に腕を回す。
 風馬の頬に自分の頬をすり寄せて、甘えてみせる私に、風馬がほほ笑んで言う。
 『大好きだよ、星子』
 途端、唇と唇が重なって、私たちは深い口づけを交わす。とろけるほど甘く、はなれがたくなるほど心地いい───…。

 ───そんな、夢。

 「おはよう」
 朝、目を覚ました私の視界には、ニッコリと笑った白髪の男がいた。
 「あ、え……!?」
 反射的に飛び起きたはいいが、一糸まとわぬ己の姿に気づいてとっさに布団をかき寄せた。
 「だ、誰、ですか」
 起き抜けの視界にうつるのは、知らない人と知らない部屋。今引き寄せた布団だって、自分のものではない。
 白髪の男は私の動揺っぷりに少し目を丸くして、首をかしげながら口を開いた。
 「まさかとは思うけど……昨日のこと、忘れていたりしないよね。セイコちゃん?」

 ───昨日の、こと……?
 瞬間、頭の中に記憶がよみがえる。
 風馬の家に行ったこと、訪れた部屋で倒れた男女を見たこと、“ロシアンルーレット”をしたこと、目の前の男に求婚されたこと、それから───…。
 この寝室で昨夜起こったことに思い至って、顔がカァッと熱くなる。
 「うんうん、覚えてるみたいだね」
 よかったよかった、と軽く手を叩きながら男───カタナは私から離れた。

 「それで、早速だけど。これに着替えてもらえるかな」
 カタナはしゃがんで床に置いていたらしい服を差し出した。
 「……制服?」
 白いカットソーに赤いリボン、紺色のニットとチェックのスカート。それらはどうみても、高校生が身につけているような制服だった。
 「うん。今日からあんた、“美空”ちゃんね」
 徐々に思い出してきた昨夜の記憶すら未だ処理のおいついていない寝起きの頭に、ことさら訳の分からない発言が放り込まれる。
 「み、そら、ちゃん?」
 「そう、藤埜美空ふじのみそら。私立A女子校を卒業したばかりの18歳。藤埜組の一人娘でオレの婚約者。……それが、これからのあんたのプロフィール」
 一息に話し終えて、カタナはニッコリとほほ笑んだ。
 「命が惜しいなら、着てみて。それ」

 まったくもって、わけがわからない。

 カタナの言うままなすがまま、27歳にもなって女子高生の制服に身を包んだ私は、彼とともにマンション下に停まっていた車に乗せられた。
 車が発進してすぐ、カタナは私に向き直った。
 「さて。色々話が急でついてこれていないだろうから、きちんと説明するね」

 カタナの職業は───いわゆる“ヤクザ”。
 指定暴力団片桐組の次期組長で、同じく暴力団の藤埜組と同盟を結ぶため藤埜組幹部の娘との結婚話が持ち上がっていた。
 しかし、つい最近藤埜組組長が急死───同時に組長に隠し子が、それも一人娘がいたことが発覚し、カタナはその一人娘・美空に目を付け捜索していた。もちろん、婚約相手を美空にするために。

 「……で、やっと美空ちゃんの居場所が分かって駆けつけてみたら、目の前で自殺されちゃったんだよね」
 カタナは肩をすくめてため息をついた。
 「藤埜組の連中にも、美空ちゃんの存在自体は既に知られちゃってるからね。探し出した跡取り娘に目の前で死なれました、なんてハナシは信じてもらえないでしょ。下手すりゃ抗争になっちゃう……というわけで」
 遠い目をしてぼやいていたカタナは、再び私の方へ視線を向けた。
 「B工業勤務一般事務職27歳、高木星子さん。あんたに“美空ちゃん”の代役を演じてもらう」
 カタナは私の表情を読み取って言葉を続けた。
 「昨日うちにぜーんぶ調べておいたんだ。資格、学歴、出身地、本籍、実家の家族構成。あんたのことなら何でも知ってるし、どうにでもできる」
 にんまりとカタナの口角がつり上がる。その迫力に気圧されていた私は、しばらくしてようやく口を開いた。
 「……どうして私、なんですか」
 カタナは一瞬目を丸くして、それから声をたてて笑った。
 「そりゃ、あんな状況であんたをただでは返せないでしょ。それに───…」
 急に真面目な顔をして、カタナは言葉を続けた。
 「あの晩、あんたとオレは同じ状況だった。男を助けたいあんた、女は必要だったオレ。そこに、弾が一発残った拳銃が一つ。それに気づいて、なんとなく思ったんだ」

 あ、これが“運命”ってやつかもしれない、ってね。

 「……まあ、あの場で抵抗されたらどの道殺すしかなかったからさ。それなら、運試ししてみようって思って。逃げず騒がず、好きな男のためにタマ張れるような肝の据わった女なら、ヤクザの嫁役も任せられそうでしょ?」

 カタナの話が終わったのを図ったように、車は目的地へ辿り着いたようだった。
 先に車から降りたカタナが、私に手を差し伸べる。

 「……さあ、行こうか。“美空ちゃん”」
 日の光の下で、カタナの白銀の髪はいっそう眩しく輝いていた。
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