刃に縋りて弾丸を喰む

青い

文字の大きさ
上 下
44 / 64

Episode〈7〉霹靂 ⑵

しおりを挟む
 しかし、待てど暮らせど彼が帰ってくる気配はなく。離れてから、2週間が過ぎた。
 「……あの」
 いつも通り食材を買い出しに行ってくれた松元さんが、ビニール袋を渡しながら、珍しく私に声をかけた。
 「量、多くないですか」
 彼の凜々しい眉尻が、ほんの少しだけ困ったように下げられた。もちろん、彼は知っているのだろう。この家の主が、長い間留守にしていることを。
 「いつ帰ってくるか、分かりませんから」
 苦笑しながら彼に答えて、軽く頭を下げる。松元さんは私を見つめたまま、何かを考えているようだった。
 「……俺」
 厚い唇がおずおずと開いて、松元さんは小さな声で話し始めた。
 「5年ほど、カタナさんに付かせて頂いてるんですけど、今までは家に帰るような人じゃなかったんです」
 「けど最近は、早く仕事を切り上げてまで家に帰ろうとするようになって」
 「朝も、機嫌良く出てこられるようになって。……あと」
 「箸を使って昼食を、それも手作りの弁当を食ってるカタナさんなんて、俺、初めて見たんです」
 ぽつり、ぽつりと慎重に選ぶように、言葉がつむがれていく。そのひとつひとつを聞く度、目の奥がじいんと熱を帯びてゆく。
 「絶対、帰って来ますから」
 よろしくお願いします、と深く下げられた頭をみとめて、私の頬に涙が伝った。

 「はい、これ」
 「……本当に、いいんですか?」
 私から紙袋を受け取った松元さんは、申し訳なさそうにこちらを見た。
 「はい。毎食作ってますし、長く置いておいても悪くなるだけですから」
 彼に差し出した紙袋の中には、昨日作った料理のタッパーが入っている。松元さんもカタナよろしく、ろくな食生活をしていないらしいと知って、「余り物でよければ貰ってくれないか」と私から提案した。
 「毎日、お買い物に出て頂いてありがとうございます」
 「いや、そんな。それが俺の仕事ですから」
 松元さんは再び頭を深く下げ、それから玄関を出て行った。
 ───仕事、か。
 私がこの家にいること自体が、私の役目───私の“仕事”のはずだった。ただ、家の中に閉じこもって周りに姿を見せず、形式的に彼と暮らすこと。重要な行事ごとに同席して、妻として、“美空”として振る舞うこと。
 それだけが、私がここに置かれた存在意義だった。そのはずだった。
 「……」
 『絶対、帰って来ますから』
 松元さんの、小さくもはっきりとした声で告げられた言葉を反芻する。そういば、いつかのカタナも同じことを言っていた。
 『絶対に、帰るから』
 「……ちゃんと、帰ってきてくださいよ」
 あの日、カタナが口づけた右手のひらをじっと見て、私もそっと唇を落とした。
しおりを挟む

処理中です...