上 下
2 / 37
現実世界

親友。Ⅰ

しおりを挟む
「今年も来てくれたのね。ありがとう。忙しいでしょうに。」

彼にこう声を掛けてきたのは彼の親友の母であった。彼の親友が死んでからやつれはしたが、その均整の取れた体型、喪服、それに上手にあわせた帽子、そしてたかい声が彼に以前、彼女と会ったときの面影を感じさせた。

「えぇ・・・まぁ」

ボサボサに乱れた髪の毛と服装で、いかにも余裕の無さげな返事をした。彼の職務は忙しい。しかし、それを理由にだらしの無い格好で親友の墓参りに来て良い事になるとは思われなかった。

「これで2回目ね」

彼女はそう呟いた。その言葉に意味は無かった。ただ話を繋げるための言葉でしかなかった。つまり、彼はまた何か返事をしなければならなくなった。

「はい。・・・まだ現実とは思えません・・・」

彼は本心を吐露せざるを得なかった。他の言葉を放つすべを持ち合わせていなかった。

「そう」

彼女の返事には何か、自分に対して憐れみを抱いていると感じさせるところがあった。それを感じ取った彼は反対に自らを弁護する必要があるのではないかと言う不安に迫られた。

「おばさんは最近どうです?」

彼はとっさに反対してしまった。この反応はあまりに強すぎる反応であった。しかし彼女の心情を推し量る余裕の無い彼にはこれが精一杯の心遣いであった。彼女は驚いた顔をして彼のほうを見やる。

そして彼女は言った。

ミノルくんほど辛くはないわ。母親なのにね。」

この言葉には意味があった。はっきりとした皮肉であることは余裕の無い彼、つまり実にとっても容易に推測できた。彼はこれについてもまた、答えに窮する事となった。

「すみません」

彼にはこの言葉を使うことしかできなかった。二人の間には沈黙が流れた。そして、その沈黙は二人が墓に到達するという時間の流れによって解決された。

「また1年ぶりね。」

親友の母は言った。それに合わせて実も言う。
「俺は2年ぶりだな。」

鳥取サトルと書かれた墓石に手を合わせる二人。サトルのために二人は目を閉じ冥福を祈った。

「あの時は驚きました」

彼が口を開いた。目を閉じ冥福を祈ったことで彼の心にも多少の余裕が生まれていた。その余裕がこの言葉を生み出した。これに対して親友・悟の母は彼に生まれた心の余裕を感じ取りまた、話をつなぐことが彼のためにもなるだろうと考え言葉を発する。

「そうね。サトルが突然、死んだのだものね。それにまさか・・・」

大きな声と酒のにおいでその先は遮られた。二人の背後から腹を大きく突き出し右手には酒瓶を持った男が現れた。

「何だよ!二人とももうきてたんじゃねぇかよ!」

サトルの母ははっきりと嫌な物を見る顔つきに変わった。サトルは、声色でどんな人物か把握した。彼は職業上よく人を観察した。彼には声色でなんとなくの人となりを判別できるくらいには職業上の経験を積んでいた。

サトルの母はこの夫を嫌っていた。この感情にはサトルの死との関係が無い。サトルの死の前にもこの夫という男のことが嫌いであった。

「なに!?またお酒を飲んで!?みっともない!」

サトルの母は大きな声を上げた。彼女はヒステリーであった。これもサトルの死に機縁するものではない。サトルの死ぬ前から彼女はヒステリックな女であった。ミノルはこの親友の母の実態を知り嫌気がさした。サトルの生前も自分の前ではその本性を隠していたのだと思った。今までの対応は表面上のやり取りに過ぎなかったのだと思い知らされた。
 
ミノルはなんとも嫌な心持になった。自らもボサボサの髪型でだらしの無い服装でサトルに会いに来ているという負い目があるからだった。負い目の有無を除けばミノルはこの腹の出っ張った飲んだくれと自分は同じではないかと実はそのとき考えていた。

「まぁ落ち着いて下さいよ。サトル君の前なんですから」

ミノルはこう言った。しかし、こう言った動機はこの太った男とヒステリーな女とを自分と同列に見做されたくないという思いがあったからだった。

ケッとサトルの父親は悪態をついた。

「ごめんなさいねぇ・・・こんなので」

サトルの母親は体裁を取り繕った。

ミノルサトルを不幸だと思った。サトルの墓の前でさえも低俗なやり取りを取り交わすこの両親の下に生まれたことを可哀相に思った。
しおりを挟む

処理中です...