エレメンタル・アカデミア 〜星詠みの教室〜

佐那ともたろう

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第1巻 覚醒する異能

落ちこぼれの日常と出会い

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## エレメンタル・アカデミア ~星詠みの教室~
### 覚醒する異能
#### 第二章:落ちこぼれの日常と出会い

星詠みのアカデミアでの入学式から一夜が明けた。都市全体を包む夜明けの光は、銀色のビル群の表面を滑り、神聖な祝福のように街を照らし出す。しかし、僕の心は、その光に照らされることなく、鉛のように重く沈んでいた。昨夜、大講堂で起きたあの異変。それは、僕自身の内に眠る得体の知れない力が引き起こしたものだと、直感的に理解していた。

学生寮の自室は、必要最低限の家具しかない簡素な空間だった。窓の外に見える未来的な風景とは裏腹に、部屋の中には静寂が満ちている。リュックから、両親の古い研究ノートを取り出した。古びた革表紙には、長年の使用による擦れや傷がついている。ページを開くと、埃っぽい紙の匂いが鼻腔をくすぐった。

「オリジンは希望であり、禁忌。世界の再誕の力……だが、その制御は、魂の深淵と向き合うことだ。」

ノートの片隅に、かすれた鉛筆の筆跡で記された言葉が目に留まった。それは、母の文字によく似ていた。昨夜、僕の頭の中に響いた断片的な「声」——『オリジン』、『世界の理を壊せ』といった言葉が、この記述と不気味に重なる。両親は「オリジン」に「希望」を見出したという。しかし、それが同時に「禁忌」であり、制御を誤れば世界を「壊す」可能性を秘めているという事実は、僕に静かな恐怖を植え付けた。昨夜のあの力は、破壊衝動にも似た、荒々しいエネルギーの塊だった。あれが僕の内にあるのなら、僕はいつ、何を引き起こしてしまうか分からない。

ノートを閉じ、深く息を吐いた。このノートこそが、僕がアカデミアに来た最大の理由だ。両親の事故の真相、そして僕自身の体質に隠された謎。それらを解き明かす鍵は、このノートと、そしてこの学園のどこかに隠されているはずだ。

学園側からの公式発表は、案の定「大規模なシステムエラー」というものだった。大講堂のエネルギー供給システムに一時的な異常が発生したため、外部からのエネルギー流入があったという説明だ。巧妙に作られたもっともらしい理由。しかし、あの場にいた誰もが、それが真実ではないことを薄々感じ取っていた。特に、僕の近くにいた生徒たちの間には、未だ動揺と、そして僕への警戒心が見て取れた。廊下ですれ違う彼らは、僕と目を合わせようとせず、僅かに距離を取る。ケンジも、入学式後すぐに他の生徒に囲まれて話し込んでしまい、僕とはそれきりだった。彼の、心配よりも困惑と警戒の色が濃かった表情が忘れられない。マリアやタスクといった、他のクラスメイトたちも、僕を避けているように見えた。彼らの視線には、分かりやすい恐怖があった。

学園の日常が始まった。オリエンテーション、学内施設の紹介、そしていよいよ授業だ。アカデミアのカリキュラムは、基礎理論から応用実技まで多岐にわたる。中でも中心となるのは、やはり元素魔法の実技訓練だ。

教室は、未来的なディスプレイと、古風な木製の机椅子が並ぶ独特の空間だった。壁面には複雑な術式が描かれたパネルが埋め込まれており、天井からはホログラフィックな元素構造図が浮かび上がっている。担任のエリザベス先生は、入学式で見た通りの、厳格で知的な雰囲気の女性だった。長い黒髪をタイトにまとめ、知的な眼差しで教室内を見渡す。

「皆さん、ようこそ、星詠みのアカデミアへ。私はこのクラスの担任を務める、エリザベス・ハートフィールドです。ここでは、古代の星詠みの力と現代の魔法工学を融合させた、元素魔法の全てを学びます。皆さんの才能を最大限に引き出し、未来を担うエレメンタリストとして育成することが、私たちの使命です。」

エリザベス先生の言葉は淀みがなく、力強い。彼女の言葉を聞いていると、自然と背筋が伸びる思いがした。

授業が始まる。最初の科目は「基礎元素波動制御」だ。元素魔法の基本は、己の内にある星詠みの力を呼び起こし、特定の元素の波動と共鳴させ、それを制御することにある。先生の説明を聞きながら、僕は不安でいっぱいになった。星詠みの力?僕にはそれがない。入学式のあの異変は一体何だったのか?あれは「星詠みの力」ではない、もっと別の何かだと、はっきりと感じている。

実技訓練の時間になった。教室の中央に設置された訓練エリアで、生徒たちは順に元素魔法を発現させる練習を行う。簡単な火球、水流、風刃、岩塊など、それぞれの属性に応じた基本的な魔法だ。

ケンジは、迷いなく訓練エリアに進み出た。彼は楽しそうに、両手から勢いよく火球を放つ。炎は鮮やかな赤色で、安定した形を保っている。「よし!今日も調子いいぜ!」と彼は声を上げる。彼の周りには、常に微かな熱気が漂っている。生まれながらの炎の使い手らしい。

次に、隣の訓練エリアに立ったのはレイだった。彼は静かに、しかし優雅な動作で手をかざす。すると、彼の指先から透明な水が噴き出し、瞬く間に氷の刃へと変わる。その精密さと速度は、他の生徒たちとは一線を画していた。彼は氷の刃を虚空で自在に操り、正確に標的へと命中させる。周囲の生徒たちから、感嘆の溜息が漏れた。彼は、クールな表情を崩さず、無言で訓練を終えた。彼こそが、アカデミアのエリート。僕とは全く違う世界に住む人間だ。

他の生徒たちも、それぞれ得意な元素魔法を披露していく。風使いのタスクは、最初は戸惑いながらも、なんとか弱い風を起こし、安堵の表情を浮かべる。地の魔法使いのマリアは、地面から小さな岩の塊をいくつか出現させ、友達と笑い合っている。皆、それぞれのレベルはあるにせよ、確かに元素魔法を使えている。

そして、僕の番が来た。

訓練エリアの中央に立つ。周囲の視線が、僕に集まるのを感じる。その視線には、好奇心、侮蔑、そして昨夜の異変を知る者たちの僅かな警戒が混じっていた。

エリザベス先生が、指示を出す。「ソラ、基礎的な光の波動を発現させてみてください。イメージは、手のひらから微かな光を放つ感覚です。」

僕は、言われた通りに手を前に突き出した。光の波動。元素魔法の中で最も基本的で、扱いやすいとされる属性だ。集中しろ。内にある星詠みの力…いや、僕の場合は何だ? あの昨夜の、混沌としたエネルギーの塊? あれを光の波動に変える?

目を閉じ、意識を己の内側へと向けた。両親の研究ノートにあった言葉が頭をよぎる。『魂の深淵と向き合うこと』。僕の魂の深淵には、あのオリジンという力が眠っているのだろうか。

力を呼び覚まそうとする。しかし、何も感じない。無。空虚。入学式前まで僕を覆っていた、あの感覚と同じだ。

焦りが募る。周囲からの視線が突き刺さるようだ。どうして何も起こらないんだ? 昨夜は、あんなに強烈な力が…!

あの夜の強烈なエネルギーの奔流を思い出そうとする。あの時、僕の体から噴き出した、認識できない色の波動。あれは、どうすれば制御できる?どうすれば、元素魔法として顕現できる?

頭の奥で、かすかにあの「響き」が聞こえるような気がした。遠くで雷鳴が鳴るような、低い唸り。それは、僕が昨夜感じたオリジンの波動に似ている。しかし、その力に意識を向けようとすると、それは掴みどころなく霞のように消えてしまう。まるで、僕の「星詠み」としての回路が完全に閉ざされており、そこに別の強大なエネルギーが無理やり干渉しようとして、システム全体がフリーズしているかのようだ。

「ソラ君、どうしましたか?」

エリザベス先生の声に、はっと我に返った。目を開けると、先生が心配そうに僕を見つめている。そして、他の生徒たちの表情には、すでに嘲笑が浮かび始めていた。

「…すみません、何も…何も感じません。」

絞り出すような声で答える。手が震えているのが分かった。

「もう一度、試してみましょう。もっと集中して。あなたの内に眠る力を信じるのです。」先生は励ますような口調だが、その瞳の奥には、僕の特異性を知っているからこその複雑な感情が宿っているように見えた。

もう一度。僕は歯を食いしばり、再び集中した。しかし、結果は同じだった。何も起こらない。微かな光の粒子一つ、手のひらから溢れ出ない。僕の周りには、他の生徒たちが纏う元素の波動が飛び交っているのに、僕自身は、まるで異質な真空空間にいるかのようだった。

訓練時間は終了した。結局、僕は何も発現させることができなかった。教室には、気まずい沈黙が流れた後、さざ波のようなひそひそ声が広がる。

「やっぱりな…」
「あんな奴が、どうしてアカデミアに…」
「入学式のあれだって、本当にアイツのせいか?」

彼らの言葉が、僕の心に突き刺さる。落ちこぼれ。星詠みの力、ゼロ。そのレッテルは、アカデミアに入学しても剥がれることはなかった。むしろ、この輝かしい才能の集まる場所で、僕の無力さはより一層際立っていた。

訓練エリアを後にし、席に戻る途中、マリアとタスクの前を通りかかった。彼らは僕からサッと目を逸らし、視線を外した。その仕草から、彼らが僕に対して抱いている感情が伝わってくる。恐怖、そして拒絶。入学式の異変は、彼らにとって僕を「普通ではない、危険な存在」として認識させる決定打となったのだろう。彼らが僕に心を開く可能性は、現時点では限りなくゼロに近いように感じた。

その日の授業は、僕にとって拷問のような時間だった。全ての科目が、星詠みの力を前提としている。理論、歴史、応用…どれも、僕の抱える謎の力とは無関係に思えた。ただ、両親が研究していた魔法工学の基礎理論だけは、多少なりとも興味を持って聞くことができた。古代の星詠みの力と、現代科学の技術を組み合わせることで、いかにして元素魔法が体系化され、都市のインフラや産業に応用されているか、といった内容だ。両親は、この融合技術のさらに先を見据えていたのだろうか。「オリジン」という力は、この魔法工学の延長線上にあるのか、それとも全く異なる次元の力なのか。

昼休み。食堂は生徒たちで賑わっていた。皆、楽しそうにグループを作り、今日の授業のことや元素魔法の話をしている。僕は一人、壁際の席でサンドイッチを齧っていた。誰にも話しかけられない。話しかける勇気もない。

その時、食堂の入り口から、見慣れない生徒が一人入ってきた。長い黒髪、雪のように白い肌。入学式で見た、あの謎めいた美少女だ。彼女は周囲の喧騒に全く気を取られることなく、静かに、しかし確かな足取りで、空いている席を探している。その纏う空気は、相変わらず冷ややかで、どこか現実離れしている。彼女の周りには、目には見えない氷のヴェールがかかっているかのようだ。彼女もまた、誰とも話そうとしない。彼女は僕を見つけると、僅かに視線を合わせたような気がしたが、すぐに逸らした。その瞳の奥に、何かを知っているような、探るような光が宿っていたように感じたのは、気のせいだろうか。ユキ、と名乗るらしい、彼女の存在もまた、僕の中で謎として積み上がっていく。

「おい、ソラ!こんなとこにいたのか!」

突然、背後から元気な声がかけられた。驚いて振り返ると、そこにはケンジが立っていた。彼は手にトレイを持ち、僕の前の席にどさりと座った。

「…ケンジ君。」
「昼飯、一人か?俺も一人なんだよ。レイはどっか行ったし、マリアとかタスクも別のグループと食ってるみたいでさ。」

ケンジはそう言いながら、勢いよくカツサンドにかぶりついた。その豪快な食べっぷりに、僕の張り詰めていた緊張が少しだけ解けた。

「入学式の後、ごめん。なんかバタバタしちゃってさ。」
「いや、いいんだ…」
「で、今日の授業、どうだった?やっぱ光の波動は難しかったか?」

ケンジは、僕が実技訓練で失敗したことを知っていた。当然だろう。クラス全員が見ていたのだから。僕は、恥ずかしさと劣等感で顔を上げられなかった。

「…何もできなかった。」
「まあ、最初はそんなもんじゃね?俺だって、最初から炎バンバン使えたわけじゃないし。諦めんなって!」

その言葉は、社交辞令や上辺だけの励ましではない。ケンジの瞳は真っ直ぐで、偽りなく僕を励まそうとしてくれているのが分かった。

「でも、お前は…お前は俺たちの知ってる元素魔法とは違う、何かすごい力を持ってるんだろ? 入学式の時、見たんだ。あの、なんだ?空間が歪むみたいな、変な光。あれ、お前の体から出てただろ?」

ケンジは率直に尋ねた。彼の表情には、僅かな戸惑いはあるが、恐怖の色はない。むしろ、好奇心と、そして僕への信頼が宿っているように見えた。

「…あれは…僕にもよく分からないんだ。星詠みの力じゃない。多分…」
「まあ、分からなくてもいいじゃん!すっげー力だってことだけは分かったぜ!な?何か、こう…別次元の力、みたいな?」

「別次元」という言葉に、僕は思わず肯きかけた。確かに、僕が感じたあの力は、元素魔法とは全く異なる次元にあるように感じた。

「…でも、あの力は、僕には制御できない。そして、今日の元素魔法も全く使えない。」

僕は正直に答えた。これが、今の僕の最大の苦悩だ。未知の、危険な力が内にあるのに制御できず、一方で、この学園で必要とされる「星詠みの力」からくる元素魔法は全く使えない。僕は、どこにも居場所がない存在だ。

「制御できないのは、まだ慣れてないだけだろ!な?大丈夫だって!絶対何か訳があるんだって!お前の力!」ケンジは勢いよく僕の背中を叩いた。その拍子に、僕のリュックから両親の研究ノートが少し顔を覗かせた。

「ん?何それ?古いノート?」

ケンジがノートに気づいた。僕は慌ててリュックに押し込もうとした。

「あ、いや…これは、その…」
「もしかして、お前の力の秘密が書いてあるとか?」

ケンジは興味津々といった様子で僕を見た。隠し事が苦手な彼は、僕の反応から何かを察したのだろう。

「…両親の、遺したものなんだ。」
「ごめん!なんか聞いちゃいけないことだったか?」ケンジはすぐに僕の気遣いを感じ取り、申し訳なさそうな顔をした。
「いや、大丈夫…両親は魔法工学の研究者だったんだ。このノートには、彼らの研究について、断片的にだけど書いてある。」
「へー!すっげー!もしかして、お前のその力も、両親の研究に関係あるのか?」

僕は少し躊躇したが、正直に話すことにした。ケンジには、嘘をつきたくなかった。そして、もしかしたら、誰かに話すことで、この重圧が少しでも軽くなるかもしれないと思ったのだ。

「…たぶん、関係ある。僕の力は、『オリジン』っていうらしいんだ。両親が研究していた…禁断の力だって、ノートには書いてある。」

「オリジン…禁断の力…」ケンジは真剣な表情で復唱した。普段の彼の明るさからは想像できないほど、その瞳は深く考え込んでいるように見えた。

「両親はその研究中に事故で亡くなった。だから…僕はこの学園に来たんだ。両親の事故の真相と、この力のことを知るために。」

僕は、誰にも話したことのない心の内の大部分を、ケンジに打ち明けた。話しながら、自分の声が震えているのが分かった。

ケンジはしばらく黙っていた。そして、やおら顔を上げ、僕をまっすぐに見つめた。

「そうか…そっか、ソラ。そういうことだったのか。」彼は静かに、しかし力強く言った。「両親さんのこと、大変だったな。でも、俺は…俺はソラを信じるぜ。」

「え…?」
「お前がどんな力を持ってようと、制御できなかろうと、俺はソラだと思った奴を信じる。入学式の時、俺は正直びっくりしたし、ちょっと怖かったけど…でも、それ以上にお前の中に何か、すっげーものがあるって感じたんだ。それが『オリジン』とかいう力なら、俺はそれにも興味があるぜ!」

ケンジは満面の笑顔になった。その笑顔は、一点の曇りもなく、僕の心の闇を照らす光のようだった。

「それにさ、落ちこぼれとか関係ねえよ!俺たちは友達だろ? アカデミアに入ったからには、みんなで頑張るんだ! ソラの力のこと、一緒に考えようぜ! 俺は炎魔法のエキスパートになるからさ、いつかソラのオリジンと俺の炎で、すっげー連携魔法とか考えちゃうかもな!」

ケンジの言葉に、僕は目頭が熱くなるのを感じた。アカデミアに来てから初めて、僕は孤独ではないかもしれないと思えた。この場所で、僕を受け入れてくれる人間がいた。それだけで、どれほど心強いか分からなかった。

「…ありがとう、ケンジ君。」
「ケンジでいいって!水くせーな!」

彼は笑い、再びカツサンドにかぶりついた。彼の隣にいると、僕を覆っていた冷たい空気が、少しだけ和らいだような気がした。

昼休みが終わると、午後の授業が始まった。基礎理論の授業は、午前中と同様に僕にとっては疎遠なものだったが、ケンジが隣で時折冗談を言ったり、僕が理解できていない部分を説明してくれたりしたので、なんとか乗り切ることができた。

放課後、僕は両親の研究ノートを改めて確認するため、そしてもしかしたら手掛かりになる文献があるかもしれないと考え、アカデミアの図書館へ向かった。メインの図書館は最新の魔法工学に関する資料が中心だと聞いていたので、僕は少し古びた、生徒があまり立ち入らないと噂の旧校舎にある図書館を目指した。

旧校舎は、メイン校舎の螺旋を描く未来的なデザインとは対照的に、重厚な石造りの古い建物だった。蔦が絡まる壁面は、長い歴史を感じさせる。内部に入ると、石の冷たい空気が肌を撫でた。廊下は薄暗く、メイン校舎のような最新設備は見当たらない。しかし、そこには独特の落ち着きと、歴史の重みが満ちていた。

旧校舎のさらに奥へ進むと、目的の図書館があった。大きな木製の扉を開けると、そこはまるで別世界だった。天井まで届く巨大な本棚が幾重にも並び、古書の独特の匂いが満ちている。窓から差し込む光が、空気中の塵をきらきらと照らし出している。メイン図書館とは異なり、ここには古代の星詠みに関する文献や、学園の歴史に関する資料が多いらしい。

図書館内は、驚くほど静かだった。いるのは、数人の教師らしき人物と、そして…

広い図書館の片隅、窓辺の席で、一人の生徒が静かに本を読んでいた。プラチナブロンドの髪が窓からの光を反射して輝いている。入学式で見た、レイだ。彼は周囲に全く気を取られることなく、ただひたすら本に集中している。その姿勢は、まるで図書館の静寂の一部であるかのようだ。

まさか、彼がこんな古い図書館にいるとは思わなかった。彼はエリートで、最新の研究や情報にしか興味がないと思っていたからだ。彼が読んでいるのは、魔法工学に関する最新論文集ではなく、何らかの古い文献のように見えた。彼は一体、ここで何を調べているのだろうか。

僕は、彼の邪魔をしないように、そっと彼の席から離れた棚へと向かった。両親の研究ノートに書かれた「オリジン」という言葉や、関連する可能性のある「禁忌」「世界の再誕」「魂の深淵」といったキーワードを念頭に、古い歴史書や星詠みの起源に関する文献を探した。

埃っぽい本を手に取り、ページを捲る。古代の星詠みは、現代の元素魔法とは全く異なる概念で捉えられていたらしい。それは、星々の運行や宇宙の法則と直接繋がり、世界の根源的な力と交信する方法だったと記されている。しかし、「オリジン」という言葉に直接触れている文献は見つからない。いくつかの文献に、強力すぎる力や制御不能な力の危険性について言及されている箇所はあったが、具体的な情報は得られなかった。

どれくらいの時間が経っただろうか。僕は何冊もの本を手に取り、内容を確認し、元の場所に戻す、という作業を繰り返していた。集中していたせいか、他の生徒が入ってきたことにも気づかなかった。

ふと、視線を感じて顔を上げた。窓辺にいたはずのレイが、いつの間にか僕のすぐ近くの棚に立っていた。彼は、僕が手に取ろうとしていた一冊の本を、静かに指差した。

「その本は、あなたが探している情報には繋がらない。それは、特定の元素属性に偏った古い魔術書だ。あなたが探しているのは、もっと根源的な、世界そのものに関する記述だろう。」

レイの声は、図書館の静寂に相応しい、低く穏やかな声だった。しかし、その言葉は僕を驚かせた。なぜ彼が、僕が探しているものを知っている?

「…どうして、それを?」
「あなたの探し方を見ていれば、おおよそ推測できる。そして…入学式の異変。」

レイの青い瞳が、僕をまっすぐに見つめた。その視線には、計算高さと、僅かな探求心が宿っているように見えた。

「あの異変は、あなたの内から発生したものではないのか? 学園の公式発表はシステムエラーだが、あれは明らかに既存の元素エネルギーとは異質な波動だった。あらゆる属性の元素波動を無効化し、空間を歪ませた。それは、元素魔法の範疇を超える力だ。」

彼は、僕が隠そうとしていた事実を、淡々と、しかし確信をもって指摘した。彼の前では、言い訳が無意味に思えた。

「…そうだ。あれは、僕の体から…」
「やはり。」レイは小さく頷いた。「あなたは、『星詠み』の力を持たないとされているのに、既存の元素魔法を凌駕する、未知の力を発現させた。それは、学園の歴史においても前例がない現象だ。」

彼は僕から目を離さず、静かに続けた。

「私は、過去の文献を調べている。この学園に隠された秘密、そして世界の真実を知るために。入学式の異変は、その真実に繋がる重要な鍵かもしれない。そして、その鍵は、あなたにある。」

レイの言葉に、僕は動揺を隠せなかった。彼は、僕の力を単なる異変としてではなく、学園や世界の秘密に繋がるものとして捉えている。そして、どうやら彼は、その秘密を解き明かそうとしているらしい。

「…あなたは、僕の力をどう思っているんですか? 危険なものだと…?」

僕の問いに、レイは僅かに沈黙した。彼の表情には、何か複雑な感情がよぎったように見えた。

「危険か、そうでないか…現時点では判断できない。しかし、それは世界の均衡を崩しうる力である可能性が高い。そして、私が恐れるのは、制御できない力が引き起こす混沌だ。」

彼の言葉に、過去のトラウマの影がちらついたような気がした。彼は、かつて制御できない力によって、何か悲劇的な出来事を経験したのだろうか。それが、彼のクールで合理主義な性格を形成したのだろうか。

「私は、あなたの力を解析したい。それが何であり、どのような原理で働くのか。そして、どのようにすれば制御できるのか。それは、私が探求する真実の一部でもある。」

レイは、共同研究を提案するかのような口調で言った。彼は、僕の力を危険視しつつも、それを拒絶するのではなく、知ろうとしている。それは、僕を避けようとする他の生徒たちとは全く異なる反応だった。

「…解析、ですか。」
「そうだ。相互に情報を共有し、協力することで、より早く真実にたどり着けるかもしれない。私はあなたに情報を提供する代わりに、あなたの力を観察・解析させてもらう。どうだ?」

彼は合理的かつ直接的な提案をしてきた。彼の目的は明確だ。僕の力に関する情報と、学園の秘密。それは、僕が知りたい両親の謎やオリジンにも繋がるかもしれない。

「…あなたが、僕の力について何か知っているんですか?」
「断片的に、だがな。学園の古い言い伝えや、禁書庫の司書であるセリカさんから得た情報から、ある仮説を立てている。あなたの力が、『オリジン』と呼ばれるものと関係があるならば…それは世界の理そのものに関わる力だ。」

「オリジン…!」僕が両親のノートで見た言葉を、レイが口にしたことに驚いた。彼はどこまで知っているのだろうか。セリカという人物も、両親のノートや学園の秘密に関係があるのだろうか。

「シン教授も、あなたの力に関心を持っているようだが…彼の真意は掴めない。両親の研究に関わっていた人物らしいが、注意した方がいいだろう。」

レイは、さりげなくシン教授についても言及した。やはり、シン教授は僕の力や両親の研究について何かを知っている。そして、レイはシン教授を警戒している。学園内には、僕が知らない思惑がいくつも渦巻いているようだ。ネメシスという組織の存在は、まだ彼からは語られなかったが、シン教授や学園の秘密といった言葉の端々に、その影が潜んでいるように感じた。

「私は、あなたの力を利用しようとは思わない。ただ、真実を知りたいだけだ。」レイはそう付け加えた。その言葉が真実かどうか、この時点では判断できない。しかし、彼の持つ知識は、僕が両親の謎を解き明かす上で、大きな助けになるかもしれない。

僕は少し考えた。ケンジは感情で僕を受け入れてくれた。一方、レイは論理と知性で僕に近づこうとしている。タイプの全く違う二人だが、どちらも僕にとって初めての、「学園で僕と向き合ってくれる存在」だ。

「…分かりました。」僕は意を決して答えた。「あなたの提案を受けます。僕も、自分の力と両親の謎を知りたい。そのために、あなたの知識が必要です。」
「賢明な判断だ。」レイは僅かに口角を上げた。それは微笑というよりは、計画が順調に進んだことへの満足のようだった。

「では、今後、定期的に情報を交換しよう。この旧校舎図書館なら、人の目も少ない。私が調べたこと、あなたが感じたこと、知っていること。全てを共有する。」

こうして、僕はアカデミアに来て初めて、二人のクラスメイトと繋がりを持った。一人は、僕を無条件に信じてくれる熱血漢のケンジ。もう一人は、僕の力を世界の秘密に繋がる鍵と見なすクールなエリート、レイ。どちらも、僕のような落ちこぼれからは最も縁遠いと思っていたタイプの人間だった。

図書館を出て、アカデミアの広大な敷地を歩く。空は夕焼けに染まり、メイン校舎の螺旋が、幻想的なシルエットを浮かび上がらせていた。僕の心には、昼間までの劣等感や孤独感に加え、ケンジとの友情による温かさと、レイとの秘密の協力関係による緊張感が混じり合っていた。

両親の謎、オリジンという未知の力、学園に隠された秘密、そしてレイが警戒するシン教授の存在…そして、まだ姿の見えないネメシスの影。入学式の異変をきっかけに、僕の周りで急速に動き始めたいくつものピースが、少しずつ繋がり始めている。

僕の落ちこぼれの日常は、ケンジやレイとの出会いによって、確実に変化し始めた。しかし、それは平穏な日々への変化ではない。むしろ、未知の力と向き合い、世界の真実を探求する、波乱に満ちた物語の始まりだった。

これから、僕の力はどのように覚醒していくのか。それを制御する術は見つかるのか。両親が命を懸けた研究とは何だったのか。そして、学園に隠された秘密、シン教授やレイの思惑、謎めいたユキの正体、そしていずれ姿を現すであろうネメシスという組織…全てが、僕の中で不確かな予感となって渦巻いていた。

僕は、夕暮れの空を見上げた。星詠みの力は使えない僕だが、空には既に、いくつかの星が瞬き始めていた。それは、僕の知らない世界の深淵から、僕の覚醒を見守っているかのようだった。

僕は、歩みを止めず、寮へと向かった。ケンジとの友情。レイとの協力関係。それは、この先待ち受けるであろう困難に立ち向かうための、最初の光となるだろう。

たとえ、僕の中に眠る力が、世界の理を覆すほどの禁断の力であったとしても。僕はもう、そこから目を逸らさない。両親の謎を解き明かし、この力の意味を知り、それを制御できるようになる。その決意を新たに、僕はアカデミアでの最初の夜を迎えた。
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 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

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