たい焼き屋のベテランバイトは神様です

柳田知雪

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第1話 たい焼き屋『こちょう』④

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 パンッと乾いた音が辺りに響く。水を打ったような静けさとは、まさに今みたいなことを言うのだと思った。
 そろそろと視線を上げると、どうやら和泉さんが手を打った音だったらしい。先ほどまでの圧が嘘のように消え、途端に息がしやすくなった。
「すみませーん! 今からこの人が列整理と注文を伺うので、少々お待ちいただけますでしょうかー?」
 和泉さんが外に集まるお客さんに向かって声を上げる。すると、その掛け声のおかげか、お客さん同士で来た順を確かめながら緩やかに列を作り始めた。
「これでやりやすくなったろ?」
 そう言いながら、和泉さんはニッと口端を引き上げて、私にメモ帳とボールペンを手渡す。
「大丈夫だって。間違ったって死にゃしねーから」
 大丈夫。私はずっと、誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれない。
 苦手なりに営業を頑張って、でもやっぱり失敗して……大人になって転んでも、誰も助けてはくれない。自分で起き上がらなくては。
 そう分かっていても、誰かに「大丈夫」と手を差し伸べてほしかった。
 彼に促され、私は店の裏の扉から外に出た。もうほとんど出来上がった列に近付いていき、先頭のお客さんからたい焼きの個数を確認していく。
 メモ紙に個数と番号を書いた紙を和泉さんに、同じ内容を記したメモ紙をお客さんに渡す。
 それを繰り返しながら、いつしか和泉さんが焼くことに専念できるよう、会計と受け渡しも私が担うようになっていった。
 自分がそれまで何をくよくよしていたのか分からなくなるくらいお客さんはひっきりなしで忙しく、気付けばすっかり閉店時間を迎えていたのだった。
「つ、疲れた……」
 ぐったりと店内の丸椅子に腰かける私を、和泉さんはケラケラと笑う。
「いやぁ、儲かった儲かった! 孫もよくやった! おかげで完売だ!」
「それはどうも……」
 和泉さんを監視するどころか、これでは逆に私が都合よく使われているだけではなかろうか。しかし、この疲労感に勝る達成感は悪くない。
「これ便利だったな。尭はこんなのやってなかった」
 和泉さんが私の書いたメモ紙の束をパラパラと指で弾く。
「あぁ、整理番号です。文化祭で屋台をやった時、会計するのに使って便利だったのを思い出したので……」
 おかげでメモ帳はほとんど使いきってしまったので、明日にでも買い出しにいかなければならない。
 そこまで考えて、自然と明日もここに来ることを考えている自分にはっとした。そんな私にダメ押しするように、和泉さんが声を上げる。
「やるなぁ、孫! これは明日も手伝ってもらわねーと」
「え……」
「さすがに忙しい時は、一人で店回すのつれーからな。尭がしばらくいないんじゃ、俺が頼れるのはお前だけだし」
 それは、彼にとっては何気ない、そしてそれほど大した意味も持たない言葉だったのかもしれない。
 けれどあの日、転んで涙を流し、カラカラに乾いた心には彼の言葉は清流のように染み渡っていく。乾いて冷え切っていたはずの胸がじわりと熱を生み、つんと鼻の奥を刺激する。
 目の前の和泉さんの姿が霞んだ瞬間、顔を俯けると、ぽたぽたとエプロンの上に涙が落ちていった。
「え、は!? 孫、どうした!? おおお、おい泣くな! つ、疲れたよな、うん! そうだ、たい焼きまだ残ってるぞ? 食うか?」
「はい……」
 細長い体で盛大に慌てふためく和泉さんは、保温ケースから取り出したたい焼きをそのまま私に差し出した。
 自分でも情緒が安定しないがゆえに、ひとまず彼の申し出に頷き返したものの、久しぶりに解れてやわやわになった心のままでは、たい焼きを食べる余裕もない。
 焼き上がりから時間が経って少しカサついたたい焼きを掴んだまま、止まらない涙を垂れ流していた。
「間違いなく旨いぞ! なんたって神様の友達が選んだ小豆だからな」
「神様……?」
 和泉さんなりの冗談だろうか。あんこが違うのだと忙しくなる前に聞いていた気がするが、神様とは誇張するための形容詞みたいなものだろうか。
「ほら、ぱくっといけ! 冷めちまうぞ」
 私の泣いてる理由が彼に伝わっているとは思えないが、何とか励まそうとしてくれている優しさは感じられる。彼の優しさに温まった体は、少しずつたい焼きを受け入れる準備を整える。そうしてゆっくりと一口、たい焼きを舌に乗せた。
「ん……っ!?」
 正直、私はつぶあんよりこしあん派だ。でも、そんな私を黙らせてしまうくらい、このつぶあんの上品な甘さとほくほくとした豆の触感、そして時間が経ってもなお、パリッとした皮の塩みがちょうどいい。甘さの奥にはコクがあって、気付けばすぐにもう一口と食べ進めていた。カナエさんが夢中になって食べていたのも分かる。
「ははっ、旨いだろ!」
「これは確かに、四九〇円出しても食べたい味です」
「だろ! 宇迦うかが持ってくる食べ物はどれも旨ーんだ」
「さっき言ってた友達の神様ですか?」
「宇迦じゃなくて、俺が神様なんだよ」
「え……?」
 至極真面目な顔をして、和泉さんは私を見つめる。むしろ、私の方こそ「何冗談言ってるんだ」と問い詰められているような、そんな沈黙が流れた。
「もしかしてお前、尭から聞いてねーのか?」
「聞くって、何をですか?」
 ぽかん、とする私の言葉から混じり気のなさが伝わったのか、和泉さんは徐々に顔を引きつらせる。不格好な笑みを浮かべながら、細長い指先で自身の頭を気まずそうに掻いていた。
「まぁ、ここで働いてもらうなら言うしかねーよな。うん……」
「そんなにもったいぶって、何なんですか?」
 段々じれったくなって尋ねると、彼はふーと長く息を吐き出して私に向き直る。
「俺、神様なんだわ」
「は?」
 改めて言われても、頭は全く受け入れてくれない。
 俺が神。
 そんな、どこかのダークヒーローが言いそうな言葉を言われても反応に困る。営業でユーモアがないと散々罵られた私に、粋な返答なんて無理だ。
 だがしかし、彼の首から下がった賽銭箱を見て再び違和感を覚える。筆箱のような大きさで、それほど頑丈そうな作りとも思えない手作り感満載の段ボールの賽銭箱。今日、たい焼きを売りながら、彼はちゃっかりお釣りの十円玉をお駄賃としてその箱の中に納めていた。
 しかし、彼がいくら動こうと箱の中から小銭がぶつかり合うような音も、それらしい重みもそこからは感じられない。彼が箱から小銭を取り出している様子もなかったのに、では入れた小銭たちはどこへ行ってしまったのだろうか。
「いや、そんなのあり得ないし……」
「もうここまで言ったら信じてもらうしかねーんだよ。ほら」
 彼がサングラスをぐいと頭の上に持っていく。初めてきちんと直視した彼の眼は、精巧なカットを施されたシトリンのように黄色に煌めき、人ならざる異様な気配を放つ。
「これで、少しは信じられっか?」
 異常に美味しい小豆をくれる神様の友達、お金の消えるお賽銭箱、そしてこの宝石のような瞳。
 おじいちゃんの入院から、たい焼き屋の手伝いで疲れ切った頭は、彼の言葉を否定できるほどの理由が何も思いつかない。そして、ふとこの混乱に終止符を打つ方法を思いついた。
「そう、ですね。はい……」
 認めてしまえば楽になる。強い流れには逆らわず、ただ流される方が、楽なのだ。
 でもおじいちゃん、やっぱり私に代理店長は無理だと思います。
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